Loading...

≫ EDIT

自分の耳が人生の初めにする事は相手の声の抑揚に周波数を合わせる作業?

整理中の課題/無愛着予備軍の頃
 
 テープ起こし作業と引きずられる感覚

 変な言い方だけど、Mariaの記事 にあるように今”テープ起こし”をしている中、既聴感(デジャブの版?)のような雰囲気に見舞われている・・・。

 それはまだ目が見えない頃に、声だけを拾おうとして様々な人々の声の抑揚にそのたび毎に周波数を合わせようとしている自分のの動きの感じに似ている・・・。この作業、やたら不思議に思える。変に懐かしいような、そうでないような・・・。

 とくにテープ起こしの為、せっかくその人の抑揚に馴染みそうになったのに、それでは次の人に語ってもらいます、と、次の人へ移行する際の、切り替えの時の、「またか感」と「さっそく次へ向かう感」の、流れ作業の感じが、妙に懐かしい?ように思う。

 変な事言ってるかな?自分、まあいいや。
 
 #ちなみに人間が生まれて一番初めに動き出す機能は目??感触?何が最初かわからないまま、自分の感覚そのままで、この記事を書いているので、肉体の機能の順番や正しさとは関係ないです。


≫ 続きを読む

|  整理中の課題&記事 | 05時35分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

互いに近い養育環境で育った人は相手の問題に一つでも共感できない部分があると怒り出す・・・

メンタル整理

 ぴったり一致の共感は無くて当然

 家庭の人の課題とは明らかに違うので、もし家庭育ちの人から共感を持たれたとしても、自分がその部分を整理できていれば心的に巻き込まれたりする事はない。

 でも相手が施設育ちの場合は多少状況が変わる。わたし自身も相手が施設を出たと聞けば、否応なしに耳を傾けてしまうし、自分と相手との差異よりも、相手との共通点を探そうとしてしまう。そのうち収拾がつかなくなるので、整理に必要な心的距離感は確保しておきたい。

 わたしの問題はあくまで養護施設だけで育った事の問題だけど、施設内虐待や家庭内虐待の問題を抱えている人は、それでは足りず、わたしのブログテーマに引き寄せられてやって来たのはその人自身(その人の勝手ともいう)であるにも関わらず、その人の期待に沿う記事を書かないと怒りを向けてくるように見える・・・。

≫ 続きを読む

| ├ メンタル整理 | 06時30分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

たぶん愛着を知らずに育つと大人になってから夫婦生活がうまくいかない

メンタル整理

 タイトル見ると、すごく当たり前な・・・でも凹

 乳児期のマザーなるものが感じられない

 わたしの無愛着は法的な位置的に近しい人(夫など)との心的関わりだけでなく、法的な位置的に近しい人との肉体的な関わりにも影響を与えてるのではないかと思えてならない。

 乳幼児期、一度めの施設に入る前に、施設的なる場所にいた(保育所のようなところへ放置されていたと仮定)という風に思うので、誰かから抱っこされた事が無いのだと思う。
 

≫ 続きを読む

| ├ メンタル整理 | 07時28分 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

「たかが施設で育っただけ」と思っている人が一番整理しなくちゃいけない

メンタル整理

 整理すればするほど誰も関わってなどいなかった事に気づく。

 たかが(単に・・・でも良し)

 ほんとは生まれてから家庭を体験した事もなく、気づいたら集団生活しか知らず、家庭システムから完璧に取り残されている事は「たかが」ですむ事じゃない筈なのに、何故かわたしたちは「たかが」と言ってしまう。

 だけ

 施設で育っただけの「だけ」という言葉もそう。実際とても軽い言葉だと思う。確かに施設にいた頃、悲惨な家庭虐待の子が次々に入所してくるのを目の当たりにしているだけに、自分は虐待を受けた記憶がないのだから「だけ」という言葉が浮んでくるのも分かるし、施設職員からもそう扱われていたのだから、自分でそう思うしかなかった。

 他人のフィルターで自分を評価しない工夫

 しかし今思うのは、たかがも、だけも、他人からのフィルターを通したものだと思う。おそらく施設にいる頃、親が育てられない子どもたちは、施設内でもそのように扱われてきたのだと思う。

 でも、本来は、虐待された児童と親が育てられない児童の問題は、施設内でも全くの別の課題を抱えていた。対象者の全く居ない人生が過去・現在・これから先も控えているのに、何の手立てもないまま、施設に入れられ放置されているのだ。

 そして、誰も現れず施設で育った児童は、誰も居ない自分にアイディンティティを持ち、誰も居ない事を悩む事もなく、それどころか誇りに思うなどと言って、施設を退園していく。

≫ 続きを読む

| ├ メンタル整理 | 18時29分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

家庭・施設での被虐待体験を持つ人から謝罪と感謝の言葉を受ける事とは

メンタル整理

 ・・・人生、気になる事が多すぎる。

 脱走という共通キーワード

 わたしはまだ考え続けている・・・。この間、しばらくの間このブログ界隈で意見交換した施設育ちの方Tさんの文章のオーラの、一体何に反応したのだろうか?と考え続けている。そして最近、わたし側はどうやらTさんの持つ「脱走」というキーワードに反応したのだという事が分かってきた。

 施設育ちならば「脱走」というキーワードを聞くだけでそれぞれに固有の過去の出来事など思い返すだろう。わたしの場合も大人になった後、保母から「お前、脱走したのよ」と言われ、一度目はともかく二度目の施設には脱走する動機があまり感じられず、首を傾げ続けていた。

 そして今回、別の施設出身者の方の脱走という言葉に引きずられ、同じ何かを持つ人だと思い込んだ結果、最終的には互いの違いを深く認識するに至った。

≫ 続きを読む

| ├ メンタル整理 | 06時47分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

施設では「その子の人生に責任持てない以上、関わるべきでない」という暗黙の了解があった

養護施設にいる間の問題

 哀しみを示しようがない子たち

 ぼんやりしか覚えていない、小さな頃の感覚的なイメージを一つ・・・。

 真夜中、同じ部屋の少し離れた布団の中から嗚咽が聞こえる事はあった。わたしはその子がお腹でも痛いのかと心配したが、すぐに、施設に入って来たばかりの子だったんだという事に気づいて、放っておくしかなかった。

 わたしは、他人だから介入しない事がその子への気遣いだと思っていたようだ。その子に対して声を掛けた事の責任が持てないなら、気安く声を掛けてはいけないと思っていた。

 そっとしておくという言葉は、その子に責任持てない以上、声を掛けない事への自分をごまかす免罪符みたいだった。それは施設という世界観の中に常にある、子ども同士や職員、全ての人間関係の距離感だった。

≫ 続きを読む

|  養護施設にいる間の問題 | 07時06分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

自分が捨てられたかどうか知らないが、少なくとも逃げ出せば罰がある世界に住んでいた

 児童養護施設を出てからの問題

 かなり親記事を編集しUPしました。

 忌憚ない発言という意味について

 わたしは、最近、忌憚ない発言というものを隠れ蓑にした本音というものについて、いろいろと思う事が多くなった。

 わたしと同じように施設を出たMariaと会話する時は、会話をする際にいろいろな前提条件を付ける事を必要としないが、相手が家庭育ちの人の場合は、先に施設という場所について説明などが必要になってくる。それじゃなくても、わたしはどうしても、相手の表現に引っかかりを感じやすい・・・。

 とくに相手から、「社会の人が施設育ちに持つ本音として忌憚ない意見を言わせてもらうよ」と、言われた時、施設全部育ちの無知な自分がどこまで相手の意見を受け入れて、取捨選択できるのか、皆目見当が付かない・・・。

≫ 続きを読む

| ├ メンタル整理 | 06時35分 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT