Firedragon戦記/絆なき者の記録

元・児童養護施設内マイノリティの自己主張ブログ

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施設のスポークスマンだったわたしとの過去との決別

養護施設にいる間の問題

 保護児童としての態度を求められる・・・

 タイトルは非常に大げさだけど、子ども時代の気持ちは大げさなものだったと思う。お礼状を書かされた事と並んで、施設で育っていかに幸せかを表現しなくてはいけないと思い込んでいたから、多少大げさな題名だけどご容赦願いたい・・・。

 お前はすでに保護されているという某アニメじゃないんだけれど、保護児童の立場という足かせが過去のわたしにはあったと感じている・・・。

 実際は「狩られて収容され、脱走すれば捕獲されるのが児童養護施設の世界だ」と、わたしは何処かで核心しているのに・・・「わたしは施設で保護されたんだと言い聞かせて」いた。

 でも物心ついたら・・・【気付いたら】養護施設の庭で真っ白な雪景色の中にうもれていた。わたしが気付いた最初の風景は、真っ黒な空と光輝く積雪の光景、その中で草むしりをする子ども達だった。

 対外的スポークスマンのような気分

 などと言うものの、誰も頼んじゃいないよとあっさり言われる施設世界ではある。

 書類上家庭にいた事があった為、施設への保護児童としての意識と態度を知らず求められ、保護児童としての役割をまるで施設児童のスポークスマンのように表現している子ども時代があった。

 背後に職員達の満足げな笑顔を感じつつ、対外的なスポークスマンのように気取って答えるのだ。知事がくれば他の子ども達と一緒に写真を撮り、求められる答えを返し、微笑み、写真を取られる。その写真は誰にどう扱われているかなんてどの子も知らない。

 「ええ、親とかいないけどその分施設で幸せに育てられてます」と。どう自分が対外的に映っているかしっかり把握している感覚、養護施設で育ってすごく幸せである事をできる限り心を込めているように見える態度・・・・。インタビューにもしっかり答えられる。

 時々、社会的養護下の児童であることを、有形無形の形で当時の職員達からメッセージとして受け取り、それに相応しい児童であるべく行動しようとしていた、子ども時代の自分の意識の残滓にチクチク責められる。

 曰く、

「お前らみたいに保護される者たちばかりじゃない」
「施設に保護されたくても保護されない子たちが多いんだ」
「施設がなかったらお前らみたいな者はとっくに死んでたぞ」
 
「感謝しろ」
「神さまはお前たちを見捨てなかった」

 虐待家庭からの措置ならば、短期間ならそれでも間違いじゃないだろうけれど、人工飼育のような施設長期入所の問題を、その子の人生に勝手に重ねなきゃらない理由付けにされてはたまらない・・・と、今のわたしは思う。

 わたしは、ごくたまに、養護施設だけで育った事を「沢山の人に支えられた」と語る元児童たちがネット上で語る姿を見ると、あの頃施設時代に大人から有形無形に求められ続けた、施設児童の小さなスポークスマンの姿を手前勝手にではあるけれど「観」てしまう。

「お前はお世話になってるんだ」
「施設がなかったらどうなってたと思うんだ!」

 という内面のゆさぶりに抗うのが苦しい・・・。

 家庭を模した施設を家庭的養育と言わないで

 施設の子たちは長期入所の子ならば、高い確率で対外的に「幸せな施設生活」を表現させられていると思う。

 テレビで見る革新的な動物園がどれ程、動物の自然に近づけたものであっても動物園でしかないのと同じように、乳児院・児童養護施設だけで育つ子ども達のいる施設も、施設でしかない。

 でも、今なら、家庭を模した施設を家庭的養育と言わないでほしいと言える。家庭と施設内での家庭的処遇は違うのだ。とくに家庭を体験した事がない子ども達にとっては・・・。
 
 だから里親家庭へ子ども達が行ってほしい。と言える。固定された相手を知らない事を知らない子ども達は、大人になっても子どもの親になるのは難しい。そして、だからといって、里親家庭がパラダイスだなんて思わない。わたしの場合を考えても、出会った事で痛みを知るという事も多い。出会った事で、今まで何ともなかった事がいちいち傷つき感を覚えるかもしれない。

 でも、そうだとしても固定された相手に出会ってほしい・・・。

 わたしは、自分の気持ちの中身に生じたギクシャクをこうしてテキスト化してみた。これもまた、文章化によるわたしなりの整理作業。正しいとか間違いじゃなく、わたしの偽らざる感覚。

 ★まだ文章調整中ですので、記事の内容を修正すると思います。落ち着いたら記事内容は変更されていないと思います。

|  養護施設にいる間の問題 | 09:25 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児童福祉法の改正法案が廃案になった

気になる記事のCLIP2008


引用元:毎日新聞 2008年7月1日 東京朝刊

引用文

 改正案は政府が提出し、5月29日に衆院を通過した。だが、参院では趣旨説明も行われなかった。会期末に、福田康夫首相への問責決議が可決され、民主党が「不信任した政府が提出した法案の審議は継続できない」として廃案になった。

 廃案で大きな影響を受けるのが、親元で暮らせない子どもを育てる「社会的養護」の関連施策だ。

 改正案には、施設中心から家庭的な養育への転換策が盛り込まれ、里親制度も改正する準備に入っていた。具体的には、里親への研修を義務付け、里親支援機関を設置し、養育手当も引き上げるなどで、来年1月から施行の予定だった。

 だが、廃案で時間的に難しくなり、厚生労働省家庭福祉課は「施行は遅らさざるを得ない」と話す。



 とりあえず、あきらめないぞと。
  
 

|  気になる記事のCLIP2007 | 05:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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お勧めの書籍:「貧困襲来」

読書中

生活保護削減反対 ← 関連HP/もやい 




 この間、Mariaが「一時間で読めるわよ」と、一冊の本を貸してくれた。ついつい引き込まれた・・・。湯浅氏のHPやもやいのスタッフの方のブログなどを読む機会も多いので、本を読むのは自分にとって自然ななりゆきだったが、改めて読むと現実が身に染みる・・・。 

 わたしはこの本を乳児院・児童養護施設全部育ちの事を念頭におきながら読み進めた。

 養護施設を出て社会に出ると、今まで棚上げされていた問題が一気に振りかかってくる。本人は1人で生きてゆくだけで精一杯だけど、その1人で生きてゆくことが施設全部育ちにはさらに難しい。

 この本を読んでいると、たんに絆がないとかそのような表現では追いつかない。実際のセーフティネットが全くない事の現実を突きつけられる。

 ホームレスになるまでの段階が施設育ちの場合、極端に短い。家庭で育った人がホームレスになるまでの幾つもの外されてゆく安全弁の段階を、養護施設全部育ちは施設入所期間中に全く改善されないまま過ごす。社会的養護下にあったにも関わらず、施設にいる間に、その子どもに関わる色々な溜【ため】が与えられず、改善されず、修復もない。

 自分も色々なモノの無さを身に染みて生きてきたが、自らの努力だけではどうにもならない現実があると知った。施設で散々聞かされてきた自己責任という言葉が意味をなさない。同じように施設を出ても、社会に出ても何とかやていける子は、出身家庭の機能がどこか活きている子たちばかりだった。

 そういう子と比べられて「他の子はちゃんとやってる」と責められても困る。まるで本人が怠けているかのような言葉が多かった。たった一度のチャンスさえ活かしきれない養護施設全部育ちの問題を、本人の問題に摩り替えられてゆく。

 親も親戚も兄弟も一切寸断されてしまっている者は、全く溜がない状態で、ワンチャンスで生きねばならない・・・。

 こんな風にブログを書いている自分も明日どうなるかと内面では覚悟している。その覚悟が正しいかどうかもわからない、ただ、結果を引き受ける生き方しか施設育ちは学んでいない。それは結局自己自滅への道へ至りやすいという事だ。

 ・・・なんと言って良いか判らないが、ともかくご紹介。湯浅氏の言葉は一つ一つ重い。養護施設の虐待問題や里親関係でこのブログへ来られる方々も、よろしかったら本記事のリンク先から、もやいHPへ行かれてお読みくださるとうれしい。

 わたしは、里親という道を選び、小さな子の絆相手になろうとして下さる方々に、この本を読む事によって、新たに感謝の念を覚えた。そしてわたし達児童養護施設全部育ちが、自分が思うよりも厳しい現実を、ある意味その危うさを認識できないまま、社会へ放出されるのだという事も理解した。

| └ 読書中 → 完読 | 01:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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