Firedragon戦記/絆なき者の記録

元・児童養護施設内マイノリティの自己主張ブログ

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関東甲信越静里親研究協議会での里親さんへのお願い

お知らせ

 本日、関東甲信越里親協議会【通称関ブロ】が行われています。それに合わせ資料を作成、印刷したものを、勝手に里親応援サイトにて、UPしました。

 里親さんを勝手に応援サイト → >HPへのリンク

 pdfファイル リンク

 Mariaの戦いと祈りと、同時ポストです。
 

| └ スタンス | 11:39 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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里親さん番組のご紹介


Mariaの戦いと祈り:里親番組の紹介

参照元:gooテレビ番組


こころの時代〜宗教・人生
「親子として結ばれて」


Gコード 45636

iEPG 録画予約
5/4(日) 05:00 〜 06:00

honey_bee


 里親番組のご紹介です。
 わたしは普段、goo番組表からG予約コードで予約しています。【他の番組表もあります】
 ぜひ番組をご覧いただければと思います。少しご紹介が遅くなってしまいました。
 それではGWの後半ですが、無事故でお過ごし下さい。

| └ スタンス | 06:46 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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津山二葉園の子どもたちを支えるHP

津山二葉園の子どもたちを支えるHP
http://tsuyama-futabaen.yogo-shisetsu.info/

 を開きました。
  
 ケータイでもアクセスできます。【掲示板がケータイ対応】
 どうぞお越しくださいませ。
 
 Lei&Maira

これから、どうぞよろしくお願いします。

| └ スタンス | 12:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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参照記事:津山二葉園判決文の記事のご紹介

 Mariaが、とても判りやすく今回の津山の判決文を紹介してくれました。紹介といってもその内容を8回にも渡り詳細に、判りやすい文章で説明してくれているので、裁判の文書独特のとっつき難さを意識せずに読むことができます。

 本当は裁判に出かけている自分がUPしなくちゃと思いつつ、少し回避するところもわたし自身にあり、こうして文書をUPしてくれて有り難く思います。裁判の資料もこのように小分けにする事で、少しずつ頭に入ってくると思います。


参照元:Mariaの戦いと祈り 


津山二葉園判決 その8
http://prayermaria.blog74.fc2.com/blog-entry-278.html

津山二葉園判決 その7
http://prayermaria.blog74.fc2.com/blog-entry-277.html

津山二葉園判決 その6
http://prayermaria.blog74.fc2.com/blog-entry-276.html

津山二葉園判決 その5
http://prayermaria.blog74.fc2.com/blog-entry-275.html

津山二葉園判決 その4
http://prayermaria.blog74.fc2.com/blog-entry-274.html

津山二葉園判決 その3
http://prayermaria.blog74.fc2.com/blog-entry-273.html

津山二葉園判決 その2
http://prayermaria.blog74.fc2.com/blog-entry-272.html

津山二葉園判決 その1
http://prayermaria.blog74.fc2.com/blog-entry-271.html



 よろしかったらお目を通して下さい。養護施設の子ども達は戦ってきましたが、戦っても戦ってもその先に立ちはだかる壁があり続けています。わたし達はさらに戦い方を見極めウェブを作成し、地域の小さな話で終わらせないつもりでいます。最高裁まで道が開けるように、できる事をしていく所存です。

 とにかく、虐待の認定、その先の話ができない状態でした。一般的には虐待の認定があり、その事を踏まえて時効の問題が出てくるのですが、この裁判の特色は、一切の虐待に関する事実認定がありませんでした。
 
 元児童たちも、自分達がされた事を認められなかった事による精神的な衝撃が何よりも深かったのです。子ども達の誇りや尊厳に関わる部分なのに、そこを素通りされたのです。触れない事によって。


| └ スタンス | 07:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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覚悟:絆はわたしではなく(わたしが関わる)子どもたちに必要なのだ

スタンス

関わる

 題名の【関わる】という意味については間接的な関わりも含めることにした。里親さん応援のブログの発信や資料作りや、はたまた施設内虐待に関する事まで、広い意味で捉えることにした。自分が直接子どもを産んでいない事で逃げている部分は、活動を通して間接的に関わる子どもたち全部に影響する事だから。わたしはわたしがしている事で派生するいろいろな影響を考えたとき、子どもの育ちに関わる発信をしているのだという認識をさらに強くしたいと思った。



 絆を持つ重要性を実感として感じてない自分が、なぜこのような内容の発信を続けるのかというと、それは、極端に表現すれば、育ちきった大人のわたしに大人との絆が必要なのではなく、将来わたしが間接・直接的に関わる事になる(なっている)幼い子どもたちに愛着関係や絆が必要だから、わたしは子どもの為に絆を学ぶ必要があるのだと考えることにした。

 自分が納得する世界観で生きるなら子どもの為の活動も含めて子どもにかかわる事をしなければいい。そうすれば結果として虐待したりネグレクトしたりせずにすむ。でもわたし達は子どもを産み育ててはいないけれど、仮にも里親さんを応援サイトを立ちあげココまでやってきた。

 その子どもに必要な環境を考えている自分が、子どもを産み育てていないからという理由で、育ちきった自分に絆はいらない、愛着も必要ない、固定された人間関係も必要ない、後は神様がなんとかしてくれると神様に丸投げするのか?と、自分自身に問わねばならない。

覚悟
 
 それは一人で生きてきた自分が納得するかどうかじゃない。きっと納得など出来ない。
 それは、大人のわたしが子ども達に必要な環境を真剣に考えるなら避けては通れない事。
 
 でも自分には無かったからといって自分の絆を維持しないのなら、他の子の絆も考える事などできないだろう。ブログ発信も、里親さん勝手に応援ブログも、STOPのサイトも、自分が関わる全てをやめる覚悟で背を向けなくてはならない事だと思う。もし絆を維持する事ができないなら、来年のブログの挨拶は出来ないだろう。その時はわたしは全て活動から手を引く事になるだろう。

 誰にも頼らず甘えず絆もなく生きてきた事を肯定したいなら、子ども達に絆を、甘えていい環境をとは言えない、二つの思考を両立させることはできないと、強く思った。

 これを年頭に考えていた。

| └ スタンス | 17:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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今更:乳児院・養護施設全部育ちには家族会も遺族会もないけれど

スタンス

今更気付いた事だけど

 乳児院・養護施設全部育ちには、とても当たり前の事だけど家族会も遺族会もない。細々と活動をやっていると他の活動も視界に入る。そして他の色々な活動の家族の支え合う姿を目の当たりにする。でも、わたし達は小さな作業をしながら、誰もいなくとも、誰も気に掛けてくれる人がいなくとも、家族がいない小さな子の声なき声を心に宿しながら作業してる事が、わたし達の現実を表していた。(ごめんなさい、現実には支えてくださる人がいるのに、心象風景は施設を出た直後なので、この表現です。)

 家庭で育てられない子には家庭や家族がいない。親がいない問題を世に発信しているのだから当たり前の事だけど、時々、他の人々の活動の芯の強さの背景に多くの家族会・遺族会の姿が見える。拉致された子どもの為に全てを掛ける、薬害肝炎、薬害エイズの問題についても、大事な家族の姿が見える。すごいなあとボンヤリ思う。

 わたしは、死のうが生きようが困る人は誰もいないという概念を身に付けて生きてきた。でもこんなわたしにも今は夫もソウルメイトたちもいる。きっとわたしに何かあったら少しは祈ってくれると信じられる。でも、わたしはもっともっと、小さなうちに家族を持ってほしいと乳児院のベビーベッドの子らを思う。

 家族会も遺族会もない子ども達、子ども達に何かあっても誰も声にするものがないという現実。そのすさまじいまでの虚無は、誤解でも何でもなく親のない子達の現実だ。
 
 突き動かされる気持ちのままに、日々、生きているけれど、昨日Mariaと会って語り合ったしみじみとした気持ちを、ほんのちょっと吐露したくなったので。
 
 誰かを責めたいのじゃない、ただ、誰も責める相手がいない現実を生きる事に時々、それでもがんばって生き延びられるように、親が育てられない子ども達の声なき声を発信していけるように、それだけを願っている事に気づいた。

 昨日、Mariaと作業しながら2人で、つらつら語ったことの、ほんのおすそ分け。

 「この子に何かあったら黙っていない」

 家庭で育つ事が出来ない子らが、そういう大事な人に会えるようにと願ってやまない、とてもとても強くそう思った。家族というのは、命の誕生も死も含めて家族だなんて誰も知らなかった・・・。誰も教えてはくれなかった。

 でも、誰も教えてはくれなかったけれど、小さな命を育む事の意味を大事に考えていきたい。


| └ スタンス | 09:44 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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養護施設出身者である事の課題に向かう

スタンス・・かな

 関連記事 家庭出身の施設当事者たちの課題… 

 番組を見て思った。

 家庭から保護されたものの、施設が子どもの精神的ケアや親の治療のプログラムの施設としての役割を果たせなかった事で、卒園後に全てが圧し掛かってくる彼らの苦悩がストレートに伝わってきた。

 そうか、彼らは親の事でこんなに苦しんでいるんだと思った。顧問が施設全部育ちでは代表もなかなか本音を言えなのではないかと感じたりもして少し歯がゆい。

 わたしも家庭の問題を抱えさせられていたと思っていたが、彼らと同じ課題を抱えているわけではないと改めて知った。その理由は、わたしは物心ついた時にはすでに施設にいた事と、数ヶ月は強制引取りがあったとはいえ、すぐに二度めの施設へ保護されたから、親と過ごしたデータがないからだ。彼らは、親との愛着が出来上がった上での施設措置だったので、里親家庭への委託も彼らの問題ではないのだろう。
 
 彼らが「親から養育放棄された子や乳児院から来た施設全部育ちの事」がピンと来ないのは当たり前なのだ。

 番組は30分だったけれど、養護施設を通り過ぎていった家庭措置の子のその後の問題がとても理解できた。彼らの問題は家庭の問題なのだと強く感じられる構成だった。

 養護施設がいつの間にか孤児院といわなくなり、今では親のいる子がほとんどと言われる。いまや施設には捨てられたのではない子たちもいるのだ。その事からも、彼らは自分が捨てられたという整理に立つ事はできない。

 日向ぼっこは施設を理解してほしいと言うが、その中身は「世間の間違った誤解に基く認識・偏見」に対して憤り、自分達が持っている施設像を改めて世間へ発信すべきと思ったのだろう。
 
 「養護施設の子はかわいそうではない」という主張が強かったのも番組を見て理解した。家庭から施設へ保護された彼らは、施設へ捨てられた子とは違う問題を持っているのだ。

 彼らが偏見に対して怒りを持っているのも、テレビを見てMariaとも話したのだが「彼らは自分達が捨てられた子ではない事を主張したかったのだ、親に恵まれない子どもじゃない、施設にいるのは捨てられた子たちだけじゃないという気持ち」が募ったのではないかと話し合った。

 わたしやMaria、Wolfさん、Edwardさんたちは、施設で全部育つ事を問題としているが、彼らは家庭の問題を抱えたまま施設に入所し、施設では解決できなかった事を問題としているのだと知った。
 
 これではかみ合うわけがない。
 という事で、細々とした事に気付いたので、

家庭で育つ事の出来ない子ども達を原則里親家庭へと、これからも発信していく。


 

| └ スタンス | 14:16 | comments:0 | trackbacks:1 | TOP↑

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殺意も無愛着な関係だった生物学的親

スタンス
 
 捨てられると思ってオノで夫を切り付け殺害した妻の動機が、驚くべき事に「捨てられるくらいなら殺そうと思った」だった。

 ある意味、殺意と愛情に関して、何かすごいと思った。

 もしかしたら施設出身者のAさんが、わたしが生物学的親から刺された事をやけにうらやましがってた理由とは、このような場面を想像したからではないか?と思う。

  それはともかく・・・。

 Aさん、やっぱり無理心中は親による子どもへの明らかな虐待だと思っています。この国ではその部分について親の気持ちを慮るような空気が根付いていると思います。


 以下、少し事件絡みの体験記ですので苦手な方は読まない事をおすすめします。(苦手な方からご報告を受けました、感謝します)

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| └ スタンス | 07:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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返信:自分の過去を肯定するあまり同じ過去を他の人に投影する

スタンス

日向ぼっこ代表様

 本当は公開質問状への返事を待っていたのだが、その返事がまだないので仕方ないから、この間のTBされてきた記事への返事をここで細々返す。言葉が「です・ます調」ではなく「だ調」で申し訳ない。ケンカ売ってるわけじゃないのだが、一言念のため断りを入れておく。



日向ぼっこ:過去は変えられないから・・・

以下引用

私が「第1回児童部会社会的養護専門委員会」で意見させていただいた時に「施設で生活していたことと今の気辛さを必要以上に結び付けている現状がある」といった発言(※文末参照)に関して私が施設で生活する以前に家庭で生活していたがゆえ、施設のことは語れないと思われていると捉えました。

そう思われることに関して残念ではありますが
、レイさんがそう思われること自体を否定したり反論したりする気持ちはありません。
色んな意見があり、色んな人が意見を言い、それが政策や援助の改善に繋がればと思っています。



コメント

 わたしは「養護施設だけしか過去がない」者が、今の生き辛さを語る時に過去からの育てられ方を検証・再検証する事を「必要以上」とは思わない。

 更に、

 代表が「施設入所前に家庭で育てられた事」をもって施設の事を語れない(あるいは語る資格がない、あるいは、権利がない)などと言ってるかのように話を持っていかないでほしい。「残念です」と勝手に結ばないで欲しい(汗)。わたし達は施設全部育ちの声も施設出身者の声として載せてほしいと伝えていたのだ。

  わたしも施設に入る前は家庭にいた(ただし一切の記憶がない)。乳児院入所を体験していない。だからといって乳児院の問題を語る資格はないと思わないから、日々記事を書いている。しかし、乳児院にいたかつての子どもの声の代弁者ではないので、その体験を持つ人の話を黙って聞く。

 わたしは施設から高校を出た。だからといって中学で卒業していった子ども達の事を語れないなどと思わないから、施設で全部育てられて中学を卒業した子ども達の事を書いている。しかし中学で施設を出た子どもの声の代弁者ではないので、その体験を持つ人の話を聞く。

 だから、代表が、施設に入所する前は家庭にいた事を持って、施設の事を語る事をけん制するつもりは一切ない。だけど、気になる表現については問いただす姿勢を持っている。

 上記の事を踏まえて、わたしなりに返事をしたい。


 
私が「必要以上に」という言葉を用いたのは自分自身に対してもその傾向を感じるからです。

父にされたこと・見せられたこと。
母にされたこと・言われたこと・聞かされたこと、されなかったこと。
施設の職員にされたこと・言われたこと、されなかったこと。
そして、これらに方向付けられて歩んできたそれまでの私自身の人生。

自分の上手くいかない面を過去のこれらに結びつけると、自分のことを幾らでも割り引いてしまえます。
それをすることは結局、自分が自分の人生の主人公であることを放棄してしまうことと同じです。



コメント

 わたしは、

 乳児院の子どもたちに里親家庭への道を整備する事が大人の自分に出来ることだと(家庭維持+絆づくり+過去を整理しつつ)認識している。

 わたしは過去生き延びたであろう自分を否定しないが、子ども時代の全てを養護施設で育った過去を否定する。なぜなら、社会で生きて生活する今のわたしは、接する人々の多くは家庭で生まれ、育ち、家庭で人生をまっとうする生活を主軸にしている事を知ったから。

 施設で全部育ち切った自分の過去を正当化するあまり、子どもが乳児院・養護施設で中学で卒園という名で追い出され、親戚縁者も相談者も誰もいない状態で路頭に迷わせる事をしたくない。

 たとえわたしか家庭で(たぶん)ネグレクトされていたところを「施設があったから生き延びられた事実があるとしても」それをもって「親から捨てられた子どもたちが乳児院・養護施設で子ども時代の全てを育つ事を見過ごす事」はできない。
 
 「自分の人生の主人公である事を放棄する、しない事」と「今、乳児院にいる子ども達が家庭で育つ権利を発信する事」は、わたしは別の分類としている。

 なぜなら、自分の叶えられなかった何かを追及すればするほど、理性から離れてゆき、本来子どもには家庭が必要であるというシンプルな回答が得られなくなるから。

 人それぞれの過去への向い方までわたしは言及しないが、大人であるという事を意識すれば、相対的な立場の子どもの将来へ向けた最善の利益に繋がる発想をもてるかどうかという事だと思う。



過去の事実はどんなに努力しても変えられません。
捉え方を変えるしかすべはないと考えています。
その「自分自身を不幸にしない捉え方」が施設で育まれればと思います。
そして、施設職員が単なる「ケアワーカー」ではなく「援助者」であるのであれば、それこそが彼らの大切な仕事だと私は思います。



コメント

 職員から叱られているような文言だという感想を伝えておきたい。これを書いている代表は「自分自身を不幸にしない気分」でこれを書いているのだろうかと他人事ながら思った。

 わたしは、職員が単なるケアワーカーでさえないと思っているので(主観)施設に実家機能という追加機能が装備されたら養護施設だけで育てられる子どもが家庭で育った事になるなどとはいくら何でも思わない。

 これからもこのスタンスは変わらない。
 それでは。

| └ スタンス | 09:14 | comments:2 | trackbacks:1 | TOP↑

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支持:「日向ぼっこへの公開質問状」について

スタンス

支持している記事 http://prayermaria.blog74.fc2.com/blog-entry-182.html

 Mariaの公開質問状を支持する。確かに無視されるかもね。この質問は2人で何度も会い何度も話す中で、自然に口をついて出てきた疑念でもあり、Mariaの親記事を全て読み、改めて問題提起したいと思った。わたし達(2人の)養護施設出身者は「養護施設当事者意識」という言葉を鵜呑みにしたくないと思っているので、エドワードさんへの支持も同時に表明する。


日向ぼっこ代表への公開質問

 ひなたぼっこ代表は、先日の社会的養護専門委員会において、以下のように発言し、意見書にも同文を記載しています。
 
>私たち「日向ぼっこ」はまだ1 年半ですけれども、活動
>を通じて、養護施設に限って施設生活は改善・充実してい
>て、インケア中の子どもたちが施設に対して不満を持って
>いるということは少なくなっているのではないかと感じて
>います。

 これは、どのような根拠で発言されているのでしょうか?
 最近では、栃木県の普恵園では、理事会が養護施設を廃園する決定をし、60人近い入所児童が路頭に迷おうとしています。
 また、神奈川県の聖園子どもの家では、情報公開請求により、施設職員から多数の児童への性虐待が判明しています。
 おなじように社会的養護専門委員会に出された施設内虐待を許さない会の意見書では、「平成19年3月末現在、8年間で約26か所の施設に対して改善勧告等が出され、勧告が出されないまでも施設内人権侵害が発覚した児童養護施設は72ヶ所を上回り、これは日本の養護施設の13.6%(1割以上)に当たる」とあります。 

 どの程度の養護施設と児童数を調査し、「インケア中の子どもたちが施設に対して不満を持って いるということは少なくなっている」と判断されたのでしょうか。根拠となる資料をお示しください。

さらに、

>しかし退所後、抱える生きづらさが大き過ぎるが
>故、その原因が施設で育ったことと必要以上に結び付けら
>れてしまっている現状を感じています。

 この「しかし退所後、抱える生きづらさが大き過ぎるが故、その原因が施設で育ったことと必要以上に結び付けられてしまっている現状」とありますが、「必要以上」と判断される根拠は何なのでしょうか。
 養護施設だけで育ち家庭を知らない方が、社会での不適応症状を、自分の努力不足を顧みずに、全て養護施設で育ったせいにしているとの趣旨でしょうか。
 この意見は、どの程度の数の施設出身者を取材しての感想なのでしょうか?
 Edward氏からは、卒論の取材を受けたと聞いていますが、卒論を取材した方々からの感想なのでしょうか?
 現在の日向ぼっこのメンバーから受ける感想なのでしょうか?
 日向ぼっこ座談会を以前されたと聞いていますが、その座談会に参加された方々の話を聞いて、代表が感じたことなのでしょうか?
 ひょっとして、ネットで発信している私たち施設出身者のブログ発言に基づいた意見なのでしょうか。

 そして、代表の分析対象となった方々は、その分析に賛同されたのでしょうか。分析対象となった方々の背景を、個人情報に抵触しない範囲でお答え下さい。

>一般の家庭がパー
>フェクトではないように、施設もどの子どもにとってパー
>フェクトになることは難しいと思います。

 代表は、養護施設側の意見を代弁するために委員会発言をされたのでしょうか。それとも、養護施設児童に対して、「施設はパーフェクトではないから我慢しろ」と諭しているのでしょうか。

>「虐待の世代間連鎖」に関して、中にはこの表現そ
>のものが虐待の世代間連鎖論を支持するととらえる人もい
>るのではないでしょうか。

 「虐待の世代間連鎖」と表現することが、虐待の世代間連鎖を支持するという論拠は何なのでしょうか。誰がそのように捉えるのでしょうか。根拠となる資料を示して下さい。

>「虐待の世代間連鎖」が「被虐待
>児は長じて虐待をする」「虐待者はかつての被虐待児であ
>る」という単線的な言説を通じて、マスコミなどによる相
>乗効果もあり世情に流布されていますが、こうした言説が
>被虐待児へのエンパワーメントにつながらないことは自明
>であります。

 「虐待の世代間連鎖」などを「単線的な言説」と言われますが、どう単線的なのでしょうか。さらに、「虐待の世代間連鎖」の流布がエンパワーメントにつながらないことは「自明の理」と言われますが、どう「自明」なのでしょうか。

>特別な専門的ケアを
>受けることで子ども自身が「自分は病気」ととらえる弊害
>がないか、疑問が生じます。

 病気になったら医者にかかるのが当然なように、トラウマを持った子どもは、「特別な専門的ケア」を受けるべきだと考えますが、「自分は(虐待の後遺症で)病気」になったと正しく認識することは、なぜ「弊害」になるのか、お教え下さい。

>「児童養護施設職員による虐待
>事件」に関して。児童養護施設における施設内虐待の発生
>は非常に深刻な問題です。しかし一方で、他の社会的養護
>の方法においても虐待事件の発生は十分考えられることか
>ら、児童養護施設だけでなく、社会的養護全体で虐待が発
>生しないための方策が必要です。また家庭的養護において
>も同様のことが言えます。

 最初に「インケア中の子どもたちが施設に対して不満を持っているということは少なくなっている」と発言されていながら、「施設内虐待の発生は非常に深刻な問題です」と発言されるのは矛盾を感じます。施設内虐待を受けている子どもたちは、それでも不満を持っていないとの趣旨でしょうか。
 「家庭的養護」がここで唐突に出てきますが、家庭的養護についての言及が文中に一切無い中で、「虐待」に触れたここでのみ出された理由をお教え下さい。

>治療・専門的ケア機能の強化が医療モデル化の方向へと過
>度に進み過ぎると、専門家依存や薬漬け、医療への囲い込
>み現象が生じてしまうのではないでしょうか。

 トラウマ治療のことを指すのだと思われますが、トラウマ治療が「専門家依存や薬漬け、医療への囲い込み現象」にどうして結びつくのか、説明をしてください。
 それとも、トラウマ治療は重篤なものでなく、「治療・専門的ケア機能の強化」は不要とのお考えでしょうか。
 トラウマ治療の専門家から危惧が指摘されての根拠ある発言だと思われますが、その方の論文などをお示し下さい。

>子どもに
>よっては必ずしも上級学校への進学のみが適切とは限らな
>い場合があります。例えば学校の成績は振るわないが手先
>が器用でいわゆる技能職など「ものつくり職人」などへの
>道が適している場合もあります。

 高校全入の時代において、全ての子どもが高校進学するのが当然の権利であると考えますが、どのような子どもが「上級学校への進学で適切でない」のでしょうか。「もの作り職人」を否定しませんが、高校を卒業してからでもいいのではないでしょうか。
 
>終わりに、さまざまな意見をさせていただきましたが、
>私たち「日向ぼっこ」も児童養護の当事者団体としてでき
>ることに精一杯努めたいです。10 年、20 年後の社会的養
>護の下、施設で生活する子どもたちの多くが施設での生活
>を負い目に感じることなく、自らの人生を切り開けるよう
>に。

 私たちは、Edward氏とともに、「乳幼児は原則里親委託」「子ども時代の全てを施設で育つのはシステム虐待である」と主張してきました。 Edwardさんも、代表に、施設出身者の立場から「子どもは原則として家庭で育つべきだ」として、里親制度の推進を進言しています。
 10年後、20年後は、養護施設がなくなり、欧米のように、子どもの権利条約第20条「子どもの家庭で育つ権利」に従って、大半の子どもが施設ではなく、里親家庭で育つことを願って発信しています。
 私自身は、施設で集団リンチをうけ、小学生のときに施設内で集団レイプを受けたトラウマで、施設出身者と聞くだけでふるえが走り、そのような方たちと会うことは出来ません。そこで、直接会う必要のないネットで「子どもたちを施設ではなく里親家庭で育てて欲しい」と微力ながらに訴えています。いわば、日向ではなく日陰で活動している状況です。
 今回、そのような、他の施設出身者の意見や願いが排除され、「里親制度推進」への言及が一切無い意見書を出されたのは、どのようなお考えからなのでしょうか。
 ちなみに、Edward氏は、施設内虐待を許さない会の意見書を起草する際、ネットで意見を募集しています。
 
 代表及び日向ぼっこは、乳幼児時期から、子ども時代の全てを養護施設で育つことを是としているのでしょうか。
 それとも、養護施設で育つ子どもが、虐待のない健全な里親家庭に行くのは、「子どもの最前の利益にならない」とお考えなのでしょうか。

 代表の意見は、厚生労働省の諮問機関である社会福祉審議会児童部会社会的養護専門委員会という公的な場での発言ですので、当然、社会的な責任を伴うものだと考えます。そして、その発言は、根拠に基づいたものだと思います。
 
 ですので、以上の質問に、ぜひお答え下さい。ご返事は、ご自身のブログで結構です。



 わたしのこの親記事はMariaの作成した公開質問状への支持をあらわす為にUPしたものだ。わたしはまだMariaほど心と脳味噌が整理されていないので、文章になり切れないが彼女の質問状に全て同意する意志をここに表す。

 その意志を形にする為に親記事を書いた。
 
 施設出身者への退所後支援団体というものが必要なくなる時代を目指してわたし達は発信している。

 わたし達は社会的養護にあったかつての児童が、アフター・ケアや退所後支援を前提とせず、一般社会の中で普通に生活する事が可能で、大人の義務と権利を果たせるように自立させるのが目的だ。

 その為に、子どもの発達心理を断片化させるような施設長期入所に異を唱え続け、同時に里親さんの意識へも働きかけていく所存である。

 




 

| └ スタンス | 06:23 | comments:13 | trackbacks:0 | TOP↑

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