Firedragon戦記/絆なき者の記録

元・児童養護施設内マイノリティの自己主張ブログ

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読書感想文:「施設の子どもたち -集団養護の理論と実際-」を読んだ

読書感想文

 

 MariaとWolfから立て続けに本を借りて読みまくっている最近の自分だ。一時も本を手放さないので、さすがに夫から言われた。

 「家庭で主婦をやるのに、大学生や若手の研究者並みに発達心理や脳の勉強しないと家庭で主婦ができないとは・・・」と。一度本を読み出すと止まらないので多少怒りも混じってるかも【汗】。ともかくオール家庭育ちの夫は、わたしが愛着を手に入れる為の困難がようやく飲み込めてきたようだ。
 
 この本では施設にあって、家庭にないものは集団だと言っている。養護施設ならではの集団の特異性・・・いや、特性を最大限利用して、子ども同士、仲間同士で育ち合う素晴らしい環境を作者なりに提言している。
 
 だから少しも「養護施設は家庭だ」とは言っていない。むしろ施設は施設だとはっきり言明している。この点についてはわたしも腑に落ちた。

 たとえば



p25 本文引用

 施設はあくまで施設であり家庭にはなりえない存在なのである。又、彼らの大いなる誤解は「家庭に代わる」という言葉に惑わされ、ただ家族的構成の面で近づければよいとの表面的な捉え方が為され、「家庭に代わる環境」という事が前述したように「親に代わって家庭の果たさねばならない機能を果たすこと」なのだと考えないし、また考えたとしても、その機能が家族的体制ではないと果たせないと捉えられていることにある。

 養護児童にとって正常な家庭環境が望ましいのであれば、養護施設は不要である。

 養護施設があり、そこで児童を養護するのは、その特質である ”集団性”を利用して家庭の持つ保護的、教育的機能を果たし、かつ家庭では与えることのできない機能や効果が期待できるからに他ならない。


 
 という展開の方がわたしは体感的に理解しやすかったのだ。まさにそのような世界で強制的に生活させられていたのだし。もっと早く読んでおけばよかった。

 じゃあ、時々ブログで見かける施設職員たちは、全てが集団養護論容認派ってわけじゃないんだなという事も知った。派閥でもあるのかもしれない。「施設は大きな家族」などと言ってる人の事だけど・・・わたしにとっては、どっちもどっち。

 ともかく引用すればキリがないが、わたしは非常にこの本を興味深く読んだ。引用部分だけでも十分興味深く感じる。まだ引用したい部分があるので、また日を改めて。 もっとすごい事を言ってた部分を探してるんだけど・・・【本ってキーワード検索できないから大変】

 

| └ 読書中 → 完読 | 15:42 | comments:2 | trackbacks:1 | TOP↑

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読書感想文2:「しあわせな明日を信じて」乳児院・児童養護施設の子ども達の作文集

読書感想文

 関連記事 読書感想文:「しあわせな明日を信じて」乳児院・児童養護施設の子ども達の作文集

 


劇的な母との再会 山本春樹(十九歳・男性)

 施設で生活している子どもたちへ

 最後に、施設にいる子どもたちに伝えたい。施設にいることを恥だと思ってはいけない。逆に誇りに思ってほしい。多くの人は両親揃って一緒に生活し、何事もなく生活している。しかし、施設にいる子どもたちは、いろんな境遇の子と生活し、多くの行事を体験し、親と生活していいないという逆境を乗り越えているからだ。

 だから、施設によって生かされいるという意識をもって生活してほしい。そして、いつでも産んでくれた親への感謝を忘れてほしくはない。

 私は母親と会い、施設の話をするとことがとても後ろめたかった。しかし、一緒に生活し、そんな気持ちは一切消えた。施設への感謝の気持ちを、母親と一緒にかみしめている。

 生きるって素晴らしいということを教えてくれた施設に、感謝の気持ちでいっぱいだ。だから、どうか感謝の気持ちを忘れることなく、施設で生活してほしい。そこには、大切な何かがいつも転がっているから。 

 ※ 本文から引用部分をテキスト打ちしました。




当事者の語りの意義と可能性 貴田美鈴(岡崎女子短期大学教員)

 この作文は、小学校四年生から八年間にわたり施設生活を経験した春樹君が、施設での生活、母親との再会、将来への夢を語ったものである。いわゆる「当事者」による語りである。これまで、児童養護の当事者の声は社会に対してほとんど届けられなかっただけに、これは貴重な声である。私達は、ここから学ぶ事ができると考える。

 【中略】

 春樹君も語っていたような子どもどうしのいじめや施設の規則の厳しさなど、多くの当事者の経験には共通する部分があるといえる。このような経験をしていながら、春樹君は「施設ってすごくいいところだったんだなと、今痛感する」「施設への感謝の気持ちを、母親と一緒にかみしめている」と語っている。春樹君をこうした心境に至らせたものは何だったんだろうか。

 【中略】

 春樹君は「施設にいることを恥だと思ってはいけない。逆に誇りに思ってほしい」と、施設で生活する子ども達にメッセージを語っている。このメッセージの背景には施設生活を友人・知人などに「知られたくない」という子ども【市川、二〇〇八】の存在があろう。

 施設で生活した人々は「施設出身者」とよばれているが「施設出身者」という言葉には、その人の「出自」を問うという社会的「スティグマ」のニュアンスが抜きがたく内包されている。【市川、二〇〇八】

 【中略】

 しかし春樹君は、こうした「施設出身者」としてのネガティブな部分ではなく、ポジティブな部分に目を向けている。施設での生活があったから、良い生活習慣が身に付いたし、母親を探すこともできたと語っている。

 なにより、親と生活できない逆境を乗り越えてきたと、自負している。こうした思いが、現在の彼を支えているのかもしれない。
 
 【中略】
 
 今後、当事者が声をあげていけるためには施設内での権利擁護とともに、もう一、二歩進んだところで、施設や地域の枠を超えた当事者団体、当事者への支援団体の活動や運動が望まれる。

 ※ 本文から引用部分をテキスト打ちしました。
 


 

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読書感想文:「しあわせな明日を信じて」乳児院・児童養護施設の子ども達の作文集

読書感想文





 ← カスタマーレビュー投稿内容(Amazon)

この本を読んで着目した点は、乳児院・児童養護施設の集団養護論に対する「優位性」に関する内容についての違和感でした。集団の「劣位性」としてあげられている養護施設内虐待や固定された相手に対する愛着の育たなさなど、色々ありますが、集団の「優位性」としてあげられている「仲間同士の育てあい」に言及している部分が、わたしには大人の不在を感じさせるものでした。

 子どもがたった一度の子ども時代を得がたいものとする為には、自分だけの固定された大人(養育者)が必要だと思います。子どもには何が必要かを考えた時に、自分が養育者にとって「かけがえ」のない存在となって初めて、理解できる性質のものだと思います。

 その後でなら、仲間との交流を考える事もできると思いますが、生まれた瞬間から集団生活を余儀なくさせられている子ども達は、いきなり集団のどまん中に放り込まれてしまうので、わたしは養護施設で育った者として、様々考えさせられました

 

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読書感想未満:神さまからの贈り物

読書感想

 自己関連記事 :お勧めの書籍:「神様からの贈り物」土井ホームの子ども達

 紹介したはいいけれど
 
 土井さん本人からの書き込みを読むうちに、わたしはこの本を今はじっくり読む気分になれない事を告白。一通りナナメ読み読書感想になってしまう。

 専門的な内容でもあるので読み応えは十分。わたしも読んでいて判る内容なのでどなたが読んでも理解できると思う。

 ただわたしは最初、この土井ホームがどういう位置づけなのかが気になりながら読んだ。やがて、高い専門性、治療、指導的、など治療として考えるならレベルの高い専門里親であるというイメージを持った。わたしは専門的な事をここでレジュメのように書く気力も元気も知識もないので、後は買った人が独自に判断される事を願う。

 「ホーム」という語感

 わたしはこの本の題名を読んだ時、二つの言葉がまず目に入った。一つは「ホーム」一つは「神さまからの贈り物」という言葉。わたしは一瞬、宗教系施設のイメージが浮かんだ。Mariaはカソリック系、わたしはプロテスタント系の児童養護施設を出ているので、神という言葉にはそれぞれ反応しやすい。
 
 宗教的なホーム?

 さまざまな問題行動を起こす子ども達を積極的な受け皿として里親家庭を築いておられる土井さんだが「規範」として子ども達に何を柱として教えているのだろう?とふと気になった。専門性の高い知識を持っておられる方なので、その繋がりなどをたどり、子どもの問題を分析しておられていて、その内容を体験記としてまとめておられるが、今ひとつ、宗教観が抜けないのは気のせいか。

 何よりも、もし違う宗教系の施設からやってきた子は、この家の宗教と対峙せねばならない。そこをどう考えているのか漠然と気になった。わたしはプロテスタントの施設を出たが、施設時代を通して職員の目を盗んで【バレバレだったらしい】毎週、カソリック教会へ通っていたが・・・さて、神さまの贈り物の神さまって・・・何の神さまだろうと考え込んでしまった。

 個人の情報

 前出した、子ども達の様子を書いた体験記についてだが、土井さんの名前が本名であるかぎり、子ども達の匿名性が完全に守られているとは思えない。子ども達に了解をとっているとしても未成年である以上、あからさまな身体症状や行動やらを詳しく書く事に不安を覚えた。

 わたしは、土井さんとのやりとりでMariaが子どもの不幸をネタに・・・という表現を使ったのは、子どものトラウマを体験記として書く里親がそれくらいの意識でもって、子どもの情報が吐露される事への大人の意識に問いかける言葉だと思ってる。むしろ大人の方がそれくらいの意識を持っているものだと思っていたので、思わぬ反応に少し驚いている・・・。

 さて本文・・・【汗】

 この方は一見、誰も書かない内容をオープンに発表してる印象ではあるが、他の里親さんたちは子どもの個人情報が漏れる事を心配して、なかなか、語りたくても語れない現状があるという事はわたしも理解しているつもり。

 問題行動を起こす子たちと暮らす事

 わたしはネグレクト家庭出身なので家庭虐待の措置児童ではない。なので、わたしは固定された相手との安定した環境で生活したい。専門性が高かろうが、問題行動を起こす子ども達の中で過ごすとしたら、わたしは耐えられそうに無い。

 ようやく施設を出られたのに、里親家庭へ行っても相変わらず虞犯少年や問題を抱えている少年達の中で住まわせられるとしたらこれは、あまりにキツイと感じた。養育里親の大事さをとても強く感じた。

 最後に

 恐らく、川の流れに例えるなら、生後三ヶ月以内ならば養育里親が関わるべき話だと思う。家庭や施設で傷ついた少年達の話は、さらに川の流れを下ったところで必要となるのかもしれない。だから里親家庭と一口に言っても、役割があるのかもしれない。

 簡単に感想文未満を書かせていただいた。加筆修正するかもしれません。あまり詳細に読んでいませんのでツッコミどころ満載の感想文だと思います。

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お勧めの書籍:「貧困襲来」

読書中

生活保護削減反対 ← 関連HP/もやい 




 この間、Mariaが「一時間で読めるわよ」と、一冊の本を貸してくれた。ついつい引き込まれた・・・。湯浅氏のHPやもやいのスタッフの方のブログなどを読む機会も多いので、本を読むのは自分にとって自然ななりゆきだったが、改めて読むと現実が身に染みる・・・。 

 わたしはこの本を乳児院・児童養護施設全部育ちの事を念頭におきながら読み進めた。

 養護施設を出て社会に出ると、今まで棚上げされていた問題が一気に振りかかってくる。本人は1人で生きてゆくだけで精一杯だけど、その1人で生きてゆくことが施設全部育ちにはさらに難しい。

 この本を読んでいると、たんに絆がないとかそのような表現では追いつかない。実際のセーフティネットが全くない事の現実を突きつけられる。

 ホームレスになるまでの段階が施設育ちの場合、極端に短い。家庭で育った人がホームレスになるまでの幾つもの外されてゆく安全弁の段階を、養護施設全部育ちは施設入所期間中に全く改善されないまま過ごす。社会的養護下にあったにも関わらず、施設にいる間に、その子どもに関わる色々な溜【ため】が与えられず、改善されず、修復もない。

 自分も色々なモノの無さを身に染みて生きてきたが、自らの努力だけではどうにもならない現実があると知った。施設で散々聞かされてきた自己責任という言葉が意味をなさない。同じように施設を出ても、社会に出ても何とかやていける子は、出身家庭の機能がどこか活きている子たちばかりだった。

 そういう子と比べられて「他の子はちゃんとやってる」と責められても困る。まるで本人が怠けているかのような言葉が多かった。たった一度のチャンスさえ活かしきれない養護施設全部育ちの問題を、本人の問題に摩り替えられてゆく。

 親も親戚も兄弟も一切寸断されてしまっている者は、全く溜がない状態で、ワンチャンスで生きねばならない・・・。

 こんな風にブログを書いている自分も明日どうなるかと内面では覚悟している。その覚悟が正しいかどうかもわからない、ただ、結果を引き受ける生き方しか施設育ちは学んでいない。それは結局自己自滅への道へ至りやすいという事だ。

 ・・・なんと言って良いか判らないが、ともかくご紹介。湯浅氏の言葉は一つ一つ重い。養護施設の虐待問題や里親関係でこのブログへ来られる方々も、よろしかったら本記事のリンク先から、もやいHPへ行かれてお読みくださるとうれしい。

 わたしは、里親という道を選び、小さな子の絆相手になろうとして下さる方々に、この本を読む事によって、新たに感謝の念を覚えた。そしてわたし達児童養護施設全部育ちが、自分が思うよりも厳しい現実を、ある意味その危うさを認識できないまま、社会へ放出されるのだという事も理解した。

| └ 読書中 → 完読 | 01:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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読書感想文:「世界中の愛を全部ください」&「もう学校には行けない」

読書感想文
 
乳児院と施設の観念が染み込んでいる里子の、里親家庭と学校への適応の難しさ

 関連記事:Books 世界中の愛を全部ください / Books もう学校には行けない











  「世界中の愛を全部ください」

固定された大人との関係よりも子ども集団を気にする癖

 題名で表現されているように、彼女の世界観は知らないわけじゃない。その観念から生じている自己否定と口の悪さ、施設を出て里親家庭へいっても、いまだに指導員や保母に対するのと同じ態度を続け、子ども集団の中での自分の立場ばかりを気にする癖。

 その里子の態度が理解できなくて困惑する里親夫婦。この本での彼女は施設での体験を里親に語りつつも、彼女自身では言語化できない事柄は、学校での実際の行動で語っているように見えた。

 わたしはこの本を読んでいて、5才まで席を置いていた乳児院や養護施設で彼女がどのような集団生活を送っていたか垣間見える気がする。すぐに消える職員である大人には興味も期待もなく、常に子ども集団だけが死活問題の彼女は、里親家庭に行っても集団生活の影響下で生きているように見えた。

「支配と被支配」の発想

 子ども集団とその影響という視点からこの本を読むと、彼女は学校で、集団の中のスケープ・ゴートを選び、幾つかのグループの中のどれかに所属し、そこで実質的な支配権を得て、グループの中心人物である自分を裏切らせない為に、影で他の子の弱みを握り、陰口をばら撒き、周囲の子にかしずかせる事でグループ内での安定を得ようとする。
 
 それは彼女が身を置いていた施設での子ども達のやり口だと考えれば、わたしにはシンプルに話の内容が理解できる気がした。彼女は施設での子ども集団の支配の世界観を、里子になっても、一般社会の学校で再演しているように見えた。

信頼なき裏切り

 彼女が頻繁に口にする「裏切られた」という言葉は、支配と被支配の世界しか知らない彼女としては、この表現が彼女の精一杯の表現。彼女にとっての裏切り者というのは、彼女の支配の及ばなくなった相手の事を指す。信頼による裏切りではなく、彼女の支配から逃れる事が裏切りのようだ。

 それとは別に、施設の集団生活の場合、けん制から抜け出す子や、職員と少しでも多く話す子は、それだけで集団を裏切る、裏切り者になる。

 彼女のぐちゃぐちゃ心理がよく出ていると感じるのは、彼女の家に後から入ってきた幼い里子に対する抑えられない嫉妬と怒りの部分。

 【彼女視点では】里親の愛を一身に受けているようにしか見えない年下の里子を苛める事が許されない里親家庭での、彼女の「とぐろ巻きの思念」について、里親夫婦は理解しきれていない。

 もし施設なら、大人から可愛がられる子はみんなでリンチすれば事はすむ筈だったのだと思うが、里親家庭では許されない行動。彼女は、飼い犬にまで怒りをぶつける。

 この時点で彼女は自分を今まで施設に帰さずに関わってくれている里親の覚悟に気付いていない・・・。

 そしてその苛立ちは学校でも・・・。目を合わせない子をちくちく苛める、理由にならない理由で親友とまで言った子にムカつく子のレッテルをはる。

 彼女はまるで児童養護施設の親分肌の女子だ、わたしは、彼女はその気配をぷんぷん匂わせる文章を書いていると感じた。

 「もう学校へは行けない」

 次の巻も基本的には集団にロックオンしている彼女の意識が感じられる。集団から少しでも外れると神経症の様相を呈するなど、彼女はまだ集団の世界を強迫観念のように意識しているように見えるし、そのため、里親子関係の問題にまで心が向いていないように見える。

 様々な理解しがたい態度を示す里子に対して、里親が「お前は私たちを散々振り回しておいて!」と怒る場面があるけれど、彼女は自分が里親を振り回している事に気付いているとは思えない。彼女の関心は今も子ども集団にあり続け、里親の悲しみ、苦しみに気付く心的な余裕もないように思う。
 
 読後感

送信者 Mariaのストリート通信


 わたしは里親さんがたにこの里子さんの生々しい言葉を読んでいただきたいと思う。施設出身者のわたしにとって気持ちのよい文章ではないが、養護施設がどのような世界観なのかが感じられると思う。ぜひお勧めしたい。

 里親家庭へ行くのは、5才では遅すぎると感じさせる本だが、一方で、5才でも養護施設の世界から身を離したからこそ、この生々しさをそのまま体現できたのかもしれないと感じた。

 最後に

 彼女が書いている、学校の交友関係の悩みのように見える事柄を、わたしは養護施設の子ども集団の絡みの延長として捉えたので、彼女の必要以上の過激さと不安の状態が、養護施設の子ども集団の世界を知らない人は何の事か判らないと思う。

 ただわたしがこの本を読み始めた時、彼女の強迫観念的な態度は学校の交友関係の問題に見えなかった。学校の事を彼女は書いているのに、その内容は丸ごと施設での上下関係や、集団関係、職員とのやりとりを再現しているようにしか見えなかったとだけ、告白しておきたい。

 同じ子ども集団でも、学校の集団と施設の集団はその関わり方や影響の度合いは違う。彼女のかもし出す文章は施設時代の匂いがぷんぷんしている。これだけパッケージングされた文章もなかなか見当たらないと感じた。
 
送信者 Mariaのストリート通信


 飾らないストレートな彼女の表現を読む事で、彼女の生きてきた5年が見えてくる。やはり養護施設は子ども同士縛りあう大人無き世界だ。その影響は里親家庭へ行っただけでは修正しづらい。認知の療法などのレベルのように感じた。

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暴行死:「和子6才いじめで死んだ」 養護施設での集団暴行

読書感想未満





 集団の暴行の様子が詳細なので初めは読書が進みませんでした。しかし、社会的養護の元にある児童養護施設の子ども達が本来持っているはずの権利について理解しやすく説明されていて、職員の義務とその違反について等、よく理解できました。ただし、施設出身者の方の中には、この内容の各部分がキツく感じられると思います。どうぞ気をつけて。


 ここから先は、集団による暴行の内容に触れています、引用部については注意しながらお読みください。
 
 

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荒廃のカルテ:少年識別番号「1589番」として呼ぶ方が馴染み深い

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 Mariaから、荒廃のカルテを借りて読み終わった。← ありがとね。
何度か紹介されているのをあちらこちらで見かけたが、読んだのは初めて。

 今はとってもお安くなっているので、1500円以上お買い上げで送料無料との事ですので、ご興味のある方は、左のAmazon.co.jpから、どうぞ。やはり自分で文章を書くのもいいけれど、時には触発されたいので、他の人の事例も勉強せねばと思いました。


 
 この本の前書きで、ある児童精神科医が少年の鑑別結果について分析している。



 「このケースは特異なものではりません。私のところにやってくる親の期待過剰や幼児期の母子関係のつまづきで人間的コミュニケーションができない子どもの症状とそっくりですよ」と分析。



 「表面上に現れている症状」から「そもそも違う問題」を一括りにされる事への拒絶反応を覚えながら読む。物心ついた時に施設だったという事について、母子間の分離体験も、母子間のつまづきも全く意識すらせず、ただ施設にいる事に気づいたという、人生の始まり方について、こんなに乱暴に家庭の期待過剰ケースとそっくだと告げられることへの、いかんともしがたい思いを持つ。

 わたしは気が短いので端的に。

 最終的には、少年側は、地裁で無期懲役の判決を受けて控訴したものの、高裁では棄却されて無期懲役の刑が確定したという事実のみ。



 当時控訴者の弁護人を引き受けた山下弁護士が控訴趣意書の柱に精神鑑定をおいたのもその為だ。

「一審で、規範意識の鈍磨が著しいと言うが、では何故鈍磨したかについては一言も触れていないのです。修の成育歴と、鈍磨の原因は重大なかかわりがあるのです。修のこうした人格発達における障害を修の責任と言えるでしょうか」

 一審で、弁護側の生育歴の主張があっさりと退けられたとおり、現在の日本での刑法理念は、規範意識を覚醒させる機会が、だれにでもあるのに、自らの責任で鈍磨させた点に犯罪責任を求める事で成り立っている。これまでの判例でも、鈍磨の原因にまでさかのぼって人格の発達問題に踏み込んで判決を出したケースは、ほとんどない。



 この後、最終的に高裁で無期懲役の懲役刑が確定された。

  

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読書感想文 Sickened 母に病気にされ続けたジュリー

完読 関連記事 本の紹介 キーワードの意味

病気を作り出して病院へ通わせ続ける母親

 PCの世界でウィルス除去ソフトなどがあるけど、まことしやかに、彼らは自分でウィルスをばら撒いて自分でウィルス除去やワクチンのソフトを作り売り出している?などと噂している人がいて、確かに真偽の程は定かじゃないけれど、そうかもしれないとチラリ思った事がある。

 ミュンヒハウゼン代理症候群はこれに近い事を我が子でやっちゃうんだな・・・と呆然。Mariaから借りて読み進めるうちに結構、心理的にキタような・・・。ここ最近家庭の虐待の話を連日書いているのは、この本の影響もある。
 
 以下は本の感想というよりは、本を読んだ事でつらつら考えた事を書いてみる。でも、以下は内容が具体的である為、地雷となる恐れがありますので、親子関係で傷つけられた人は読むのをお控え下さい。


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読書感想文「児童養護施設と被虐待児」施設内心理療法家からの提言

読書中  完読 読書感想文

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本文から引用

 児童養護施設には被虐待の子どもだけではなく、その他の家庭崩壊に至った子ども達が共に生活している。子ども達のトラウマは児童養護施設に入所すること自体もすでにトラウマティックな体験であり、虐待の事実が記録として書かれていなくとも虐待が原因で入所した子どもと同じようにトラウマ、ストレスを抱えている事が考えられる。

中略

 

児童養護施設施設の生活環境は家庭の環境と違い、心理療法的アプローチも一般の家庭から来る子どもたちの心理療法とは違った特性を持っている。



  • 養育者は家族ではなく、職員である。

  • 生活環境は、家族だけではなく多くの同年代の子どもたちとの共同生活である。

  • 子供達は施設生活以外に生活の場が存在している。

  • それぞれの子どもたちは違った生活環境の中で、その幼少期を送り、何らかのストレスフルな体験を持っている。

  • 生活はプライベートなものとなりにくい。

  • 施設によって様々であるが、衣、食、住に自由な部分が少なく、世話をする大人を中心としてまわることが多い。

  • ホーム内でトラブルが発生したときに、子どもを移動させたり、養育者を変えたりすることが可能である。

  • 子どもの生活の場は、個人的というよりは社会的な場である。


これらの生活環境の違いから子どもたちの心理療法の際に見られる一般との違いとしては



  • 明確な主訴と呼ばれるものがあまり見られない。あるいは、集団生活の中での協調性のなさが主訴になることが多い。

  • 終結と呼べるような生活環境、人格の変容はあまり期待できない。

  • 生活環境が他の子どもとの共同生活であるために、対象となった子どもの生活環境を調整することは難しい。

  • 生活環境が普遍的でなく、頻繁に変化する可能性がある。

  • 他児との関係の中で、心理療法の内容が子どもの口を通して他児に伝達される。

  • 子ども本人の意思ではなく、他児の妨害によってセラピーにこられなくなることがある。





読後感、ざっと受けた印象による感想文



 題名のスタンスが、被虐待児に重点を置いているので家庭から措置された虐待児の起す様々な行動による現れ方について重点的に述べられている。その上で改めて、養護施設は生活の場であるべきとの意見を念押ししている。施設には被虐待児だけじゃなく、要養護の児童も住んでいる事を述べている。
 
 まず、児童養護施設という場所を著者の立場から大きな家庭であると表現している部分はどこにもない。あえて言うならば家庭で虐待を受けた児童にとっては、養護施設は臨時的に身を寄せる場所として位置づけられており、施設職員は代替的な父や母と位置づけるも、心に虐待をする親とはいえ親のイメージを固定化しているので職員と愛着を作る事を優先せず、結果として施設での人間関係は淡白なものになっているという表現に留まっている。

 その一方で児童は常に他の児童との間で職員の愛情を争奪している状態である事をも述べている。しかし児童養護施設では親を固定化できない要養護児童に対し、同じ職員が愛着を継続して与える事ができない場所である事を、1読者であるわたしは彼よりも更に強く言いたい(ぶつぶつ)

 反対に、乳児院から来た子どもは実親の内的イメージを持っていないので親との問題ではなく乳児院で関わった職員、施設へ措置された後の職員を内的に持っていて、セラピストに対しても職員の態度、声音を再現していると語られている。

 その上、家庭がプライベートな私的な空間であるのと対比して、児童養護施設は社会的な場所であり、人の侵入があり人間関係は流動的であり、血縁によらない子ども集団の複雑な人間関係の為にストレスに晒され、常に緊張を強いられるお互いであると書いている。

 施設という場所が社会的な場所であり、規則に縛られて生活せざるを得ない為、被虐待児は最初は追従的ではあるものの、長い時間を掛けて鬱積がたまり、思春期の頃には「支配された」事に対する怒りを向け、激しい衝動を見せるようである。

 この本では家庭ではない空間である児童養護施設としての独特性が、かなり具体的に説明されている。養護施設という場所は、養護施設に集結する人間がそれぞれに育った家庭の文化が対立する場所でもあり、とくに子どもをケアする立場の職員同士の養育の姿勢を、同じ理念の元、揃える必要性も説いている。

 

少し違和感を感じた部分もあるけど・・・



 この本は被虐待児を中心に考察されていると考えればそんなに困惑することはないが、施設が一般社会とのズレが少なく、規範も一般社会のそれと隔たる事がないかのように記されているのが気になった。

 しかし著しく一般の社会の平均的な家庭とは隔たった生活をしてきた被虐待児にとっては、養護施設の生活のルールは社会的な生活を根気よく教える場になる。そうでない要養護児童にとっては施設生活のルールだけで生活する事で負うリスクが当然高くなる事を念頭に読んだ。

 又、乳児院から措置されてきた子どもの抱える問題を、被虐待児の抱える問題と同じ位の重要度として扱っているものの、里親委託の必要性については特に強くは述べられていない。あくまで児童養護施設における療法家としての意見として視点を集中させている。

 これら本に書かれている事はあくまで「虐待されたけれどいつか共に住める親を内面に持つ児童の立場に立って書かれている」ので、そのつもりで読む必要を感じた。

 養護施設の生活そのものが愛着の固定を阻害している事は筆者も分かっていると思うが、家庭でネグレクト虐待を受けた子どもにその無愛着な症状が顕著であると述べられているに留まり、施設でその無愛着を助長させられているとははっきり断言しづらい印象を受けた。

 そして養護施設で被虐待児からもたらされる普通の児童への暴力などについても軽く触れられているが本の中心ではない。とはいえ触れられている事自体、画期的と感じられた。

 又、心理職員と直接処遇職員の間で起こる潜在的、表面的な対立にも触れられていて、心理職員を直接処遇職員と混同しているケースまであるとの事。あくまで被虐待児に対する予算として心理士の配置を計上されているので、互いに協働することの必要性を説いている。

 ・・・非常に長くなるので、この辺で。

 最後にMaria、貸してくれてどうもありがとう。
自分で紹介しといて自分で買わなくてごめんなさい。

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