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11.11里親虐待事件を考える東京集会

sidoさんからの依頼、すっかり忘れていました。
二人のブログでダブルポストします。

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http://satooya-renrakukai.foster-family.jp/event/20091111tokyo-synpo.pdf
11.11里親虐待事件を考える東京集会
-大阪・里親虐待事件を考える緊急集会の報告会-

10月14日、大阪市の里親が委託児の女児(5歳)に6ヶ月の
重傷を負わせた容疑で逮捕されました。
新聞報道によると、「委託児として預かっていた女児(5)を
暴行し、6カ月の重傷を負わせたとして、大阪府警捜査1課な
どは14日、傷害容疑で、大阪市西区南堀江の主婦で里親だっ
た○○○○容疑者(35)を逮捕した。女児は下腹部を傷つけ
られ、直腸が裂ける傷があったほか、ほぼ全身に殴られたよう
な跡があり、暴行後半年以上たった現在も入院治療を受けてい
る。府警によると○○容疑者は『頑張って養育してきたが、夫
になついて私には反抗的な態度をとるのでついかっとなった』
と容疑を認めている。」とあります。

この事件を受けて、「二度とこのような事件を起こさないため
に、里親と委託される子どもの抱える問題、それらを支援する
体制について話し合う」ことを目的として、11月7日(土)、大
阪で「11.7里親虐待事件を考える緊急集会」が開催される予
定です。

関東でも、平成14年11月3日、宇都宮市の里親が3歳の女児を虐
待死させる事件がありました。その後も、何件かマスコミ報道
されています。
そこで、大阪の緊急集会に参加するメンバーからの報告を聞き
、私たち里親と関係者は何をすべきなのか、話し合いたいと考
えています。
急なことで会場の手配が出来ず、平日の夜の開催となりますが
、ご参加くださるようお願いいたします。

主  催  親が育てられない子どもを家庭に!里親連絡会
日  時  2009年11月11日(水)18時~21時
会  場  大久保スポーツプラザ 3階和室
〒169-0072 新宿区大久保3-7-42 (TEL.03-5285-1477)
アクセス  高田馬場(JR/地下鉄東西線/西武新宿線)下車徒
歩10分

会  費  無 料  資料代として別途500円程度お願いし
ます
申 込 み  当日会場へ直接おいで下さい。(先着70名)
問 合 せ  親が育てられない子どもを家庭に!里親連絡会
Mail satooya-renrakukai@foster-family.jp
http://satooya-renrakukai.foster-family.jp
Fax 044-981-3032

プログラム   第一部 11・7大阪緊急集会の報告会
11月7日に開催予定の「11.7里親虐待事件を考える緊急集会」
の報告と過去のマスコミ報道された里親の事件の概要を報告し
ます。

第二部 参加者同士の意見交換会
二度とこのような事件が起きないために、何が必要なのか、参
加者同士で意見交換をしたいと考えています。
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| └ 地雷原かも | 00時00分 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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わたしと比較的話が合う人は、ジサツするか精神科へ入院するか、どちらかだった

地雷原かな

彼らの迷路

 記憶については整理途中ながら、なんとなく自分の言いたい方向性がわかりつつある。無愛着に関しては、自分が何から本当は捨てられている事が問題なのかという部分を考えている途中。しかし、今日は単なる心情吐露を。


 比較的わたしに優しかった男子の先輩が精神病院に入っと聞かされた。彼がわたしと仲良くしているように見えたのだろうか?施設の保母か誰かが自分探しの旅で乗り込んだ?施設で、他の子の近況めいた事を、聞いてもいないのに教えてきた。プライバシーというものが全くない。

 でも名前も顔もよく思い出せない人だ。だから近況のようなものを聞かされても、反応のしようがなかった。

 ただ、彼【だと思うが】から、

 「ボクは施設育ちにしてはけっこう弱いのかもしれない、おまえがうらやましい」と、何処かの時点で言われていた事があった。何の話をしていた時なのか定かじゃないけれど。

 わたしは確かに強かったけれど、彼もわたしから見れば強く感じられた気がする。でも彼は新興宗教にはまり続け【実はわたしもだけど】やがて、精神の病院に入院したと聞かされた。もう彼はあまり言葉を普通に交わす状況じゃないとも、誰かが言っていた。でも誰がが精神の病院に入ったと聞かされても驚きはしなかったが・・・。

 養護施設で生き抜いた子は、わたしの目から見ればどこか心の一部が動かないまま笑顔を見せる子が多いと感じていた。彼もそうだったのだろう。

 とりあえず生きてたみたいだけど、ほんとうに「とりあえず」すぎて。

 でも人生というものは、とりあえず生きられたじゃ、その後、より良く生きられない。養護施設の最低基準の呪いの為に、入所中の児童もも大人になった元児童も、少しでも幸せを追求してはいけないと思いながら生きていたとしか思えない。

わたしの迷路

 わたしと比較的話が合う施設の子もそれぞれ何か抱えていて、やがてこの世からいなくなったり、精神を保てなくなったりするようだ。大体は行方不明か死の知らせ、生きていても精神の病院。

 わたしもそのような施設の子の現実を曖昧にして、何も考えない時期を呆然と過ごしてきたのかもしれない。「声なき声」を持つ子たちは、いつしか声そのものを発する事ができなくなると知っているが、運命のようなものだと、運命論へ逃げ込んでいた。

 過去を考えないように生きてきたのかもしれない。迷路の奥のミノタウロスに出会わないように、なるべく自分の心と対決しないようにと生きてきたのかもしれない。生き延びたいという気持ちが強すぎて、自分の混乱を見捨ててるのだろう。

 過去を整理せずに生きる事が一番、弱いことだけど、過去を整理するには、時には命のやりとりが生じると感じる。命を掛けて謎を知りたいか、命を保ち、謎を知らないまま、ぼんやりと生きるか・・・。施設の子が自分の謎を探る旅はそれぞれに茫漠感が広がるばかり。

 それとも、他の道があるのだろうか。

(:


 施設の子達同士は、古い知り合いに会うと、「今は誰が生き残ってるんだろう」とつい考える癖が身についている気がする。戦争世代みたいに、零れ落ちていく命を、どこかの意識が確認する生き方、あまり良いものじゃない、が、それが現状。
 

| └ 地雷原かも | 10時20分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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うぇぶ担ひとりごと「作った素材を作り終わったらすぐに捨てちゃいけない」

地雷原かな?

 昨日はMariaのブログが繋がらなくて参った。彼女の撮った写真を使ってヘッダー部分の画像を作ったりするのが少し趣味になっているので、昨日のFC2の障害で画像が消えたのはショック。今はサイトを作る事はほとんどなくなり、実に個人的な趣味に埋没中。

 昔は、素材屋さんに写真をお借りして、ご挨拶をして、リンクを貼って、著作表示して・・・ロイヤリティフリーと言われても、何となく気になったり。

 今はMariaの撮る写真で、色んな事が出来るようになった。昔は自分でも撮ってたのだけど味も素っ気もない自分の世界観に少し嫌気が差していた。STOPのウェブをしていた前の人【前任の人?】の感性はすばらしいものだったから、対して無味乾燥な自分を自分で自信が持てなかった。だからSTOPのトップページの信号機の写真を見ると、エドワード氏にも申し訳ない気がしてた。

 そんな時、Mariaが写真に興味を持ってくれるようになり、瞬く間にわたしの表現も別の形になり、新しい翼を得た。彼女の撮る【その瞬間】は奇跡的なショットと個人的に呼んでいるほどのもので、わたしは一気に「素材屋さんの写真」へのご挨拶巡りから開放された。

 わたしは写真を撮るのを今は少し控え、わたしが好きな素材の選別やパターン配置などにうつつを抜かしている。全体的な組み付けみたいなものを考えるのがどうやら好きだという事に気付いていった。好きな事を好きに表現し、でも彼女の撮る写真の中の雑多な中にある特別な一瞬を取り出して、テンプレート【ブログサービスを借りてる場合は、元テンプレート作者がいるから、甘えさせてもらっている】に組み込み、写真素材として使うことができる行幸に酔った。

 だから、いえ、なのに。

 「捨てる」という問題がここでも出て来てしまった。

 わたしは一生懸命作ったものをいとも簡単に捨てるらしい。昨日はMariaが画像のバックアップを取らなかったわたしの無愛着さにショックを受けて、又、どうしょうもない喧嘩をした。

 いえ、どうしようもないのは自分だわ。

 彼女の撮る写真が好きで好きで、いつも、これらの写真のメッセージ性をピシピシ感じているくせに、わたしが素材として利用した時点で、つまらないものになってはいないかと危惧してしまう。野生を野生のままにしておけず、エフェクトばかりかけて、テンプレの写真素材としている自分の感覚が好きになれなかったり・・・。

 でも簡単に捨ててはいけない。

 わたしはMariaの撮る一瞬をこよなく愛してやまないから、彼女の撮った写真を使ったわたしの写真素材を捨てる事は、彼女の気持ちを受け取った自分の気持ちを無かったものにするに等しい事だと思った。わたしも自分の撮った写真を理解してくれる人がいるとうれしかった。あの信号機の意味を理解してくれたと思われるあのカメラワークをした人【NHKのカメラの方】に、個人的ながらもありがとうと、思うから。

 悲しませてばかりでごめんね、Maria。
 変わっていけるようにがんばるよ、あなたの為にも。

 うぇぶ担のシゴト【あくまで趣味】にも愛着というものが関係するのだと知り、世界が少し広まった気がします。ただあまりに無愛着すぎて、自分が気持ちを込めて作ったものさえ捨てる人はあまりいないらしいと知った。


 わたしはどうせ何も可能性のない人間だと思っていた。

 高校時代に読書感想文で新しい枠を付けて貰うほどの賞をもらった。先生の一人が「すごいぞ、親御さんが喜ぶなあ」と言った。その時の感想文は「ハーレムの熱い日々」という日本人ジャーナリストの撮った写真と文章に関する感想文だった。わたしは、写真というリアルを証拠とした現実世界の人々にただ魅せられた。

 わたしは・・・でもその賞状の捨て場所に困っていた。施設では、いつも捨て場所に困る話ばかり・・・。あの時は、捨てる事の意味を問わず、捨て場所探しをしていた。今思えば、それほどの何かを評価されたのなら、少し得意そうにうれしく話しても、きっと本当は神様の天罰は下らないのかもしれない。

 でも、得意になること、うれしくなることも、きっと不必要な世界で育ったんだと思う。その癖を何とか、何とか、少しでも自分の等分で考えられるようになりたい。

| └ 地雷原かも | 09時30分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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驚愕:子ども達は愛着の為にも「生きていていい?」と問う人に出会う必要がある

地雷原??

 関連記事:
勝手に生きる:「生きていていいですか?」と人に問わない

Mariaのブログ
「生きててもいい?」なんて聞かない
聞く相手がいるから聞ける言葉


 さっきわたしとMariaは昼休みに話していて、わたし達にとって突拍子もない視点に気づいた。

 2人で何となくぞわぞわと悟った・・・。

 「ねえ、わたし達って、もしかしたら自分一人で生きて来た事を自信たっぷりにこれまで語ってきたけど、もしかしたら、子どもは大人に依存して生きる事を前提として良いのだし、この世に受け止められた気持ちを構築する為に、生きてていいですか?と問うのはごく自然な欲求ではないだろうか?」

 わたしは当然Mariaに生きてていいのかな?と問うても許される相手だし、もちろんMariaが生きていてほしいといつも思っている。わたしは彼女が居ない世界なんていらないと思う。わたしの人生に当然居る人。

 だけど施設育ちの心の癖は自分だけにあるんじゃなく、やはりMariaにもあって、今まで弱みを相手に見せたらダメとか、つまらない丁々発止を繰り返すわたしに対して、悲しそうな表情を見せていた彼女だけど、今回は、2人とも度肝を抜かれた気分だった。

 わたし達は、あまりに、すっぱりと一人で生き抜いてきたので、心細さや相手からの無条件の承認やら、たぶん愛着の構築の為には必要と思われる、色んな愛着行動の一環?を全くせずに生きてきた。

 なんだか、これはこれでとっても悲しいという事を2人で話した。

 ひまわりの咲く庭という本の中の主人公の問いかけに、いつもどこか、自分にはない心の動きを見て驚いたりしたのだけど、それで良いとは正直思ってなかった。施設育ちは誰にも問わずに生きるものだと思い込んでいた。そして「そういう人が居るのね、ふ~ん」とどこか他所の話との思いで傍観していた。

 でも考えてみたら・・・。

 もしわたし達にも大事な相手がいたら、子どもの頃に、世界から受け止められた実感を得たくて、聞いたかもしれない。その人にとって「わたしってあなたにとって大事?」と聞きたい。

 「あたし、生まれてきてよかった?」と、聞いてみたい、答えがほしい。

 それは、きっとうれしい返事を期待して、きっとわたしを受け止めてくれる答えを期待しての質問。

 でも養護施設には、問う相手が誰もいなかったんだと知った。2年や3年で居なくなる事が判ってる人に対して、質問したいという発想が育たなかった。

 #ねえMaria、目からうろこだったよ。思わず記事にしちゃったよ・・・。 

 

| └ 地雷原かも | 15時18分 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

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「みんな愛してるよ」と飲み会で宣言する癖

わりと地雷かも

大人になった元無愛着児童として

 会社に居た頃、飲み会で酔うと普段は大人しいくせに「みんな愛してるよぉ!」と言うのが口癖だったらしい。後で聞くと男女の区別なくキスしたり抱擁したり、普段と全く違う態度を取るので「飲ませると面白いキャラ」だという評価が下った。【最近は大人的になりました】

 確かに頭の片隅ではわずかに記憶が残っている。同じ職場に彼氏もいたのに端っこから順番にハグしまくったらしい。彼氏は友達から同情され、なんとも困ったそうだ。

 で、彼氏が

 「少なくとも、全員に抱きついたりキスしたりするのはやめて」と言った。

 すると、何か自分を否定されたような気がしてこっちもムキになった。

 「一番人道的で平和な対応をしているにも関わらず、その言い方はないんじゃない?」と言った。

 彼氏は、

 「何がどう平和なんだよ、たんに軽いだけじゃないか」と逆ギレ。

 わたしはまあ飲んでる時は特に、調子に乗る癖があるので最近は控えているけれど、ひどい飲み方になると、となりの宴(知らない会社の人たち)に乱入してまで知らない人に抱きついたりキスしたりする癖があるようだった。

 そういう時のわたしは内公的な態度は影を潜めてしまうらしい。もしかしたらわたしの素は暗くないのかもしれない。【何をもって暗いというのかわからんが】
 
 酔っ払いになっているわたしは、誰彼かまわずフレンドリーになってしまう。陽気でいいのかもしれないが、他の女子からはこういう癖を持ってる為にいろいろ誤解されてしまった。

 いわゆる「まじめな顔して意外よね~」と給湯室でささやかれるタイプ。

 でも何が悪いのかよく分からなかった。あの頃の女子の頭のつくりが今も分かったとは言えない。だいたいこういうことが続くと会社でハブにされ転職せざるを得ない。でもあの頃は何がどういけないか教えてくれる同僚はただの一人も居なかった。
 
 でも最近は、職員のブログなどで

 熱血教師ばりに「子ども達が大好きだ」「みんな良い子達だ」「みんなわかってくれ、彼らは本当は寂しがりやの普通の子ども達なんだぁ~~!」と吼えているのを読むとめまいがする。

 なんとなく

 飲み会の時に

 「みんな大好きぃ~!」と嬌声上げてる自分と施設職員のイメージ像が重なるようで、けっこうびっくりしたもんだった。
 
 そうか・・・

 このような形でコピーしたものもあるのか・・・無形文化財の継承者じゃあるまいし、かなり長い間落ち込んだ事がある。
 
 わたしが子どもの育つ環境について漠然と考え始めた理由も、大人時代の自分がかなりズレているのではないか?と気付き始めたから・・・。いくつかの出来事は、点なのかもしれないが、いろんなエピソードの点を繋ぎ合わせると、きっと育てられ方の全体像が見えてくるように思えてきた。それでもソウルメイトたちに会うまでは、まだよく分からなかった、彼らと会っても認知に十年掛かっている。

 「みんな大好きぃ~!」も判っててやってるなら良いけれど、少なくともあの頃の会社での飲み会では、何も判ってなかった。単に衝動のままに行動していただけだった。

 無愛着な態度は誰にもなつかないだけじゃなく、誰にでも愛想を振りまく面もあるのだという事だ。養護施設の子達はきっと、誰も信用しないのに誰にも愛想を振りまいて、次にあったらコロッと忘れてしまうのだろう。こういう大人のわたしは、子ども時代も似たりよったりの態度であったろう。それを無愛着児童と言ったのはそもそもWolfなんだけれど。だから病院で診断を下されたわけではない。



 

| └ 地雷原かも | 17時38分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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タッチタイピングとショートカットを覚えこんだ理由

特定のキーワードから逃げ出す心理


 施設出身者らでつくる施設退所者支援組織「日向ぼっこ」が掲げている「居場所」「同じ境遇」「独りじゃない」という考えはきっと世間的には何らおかしくはないし、むしろ世間の人々が持っている養護施設の子が助け合っているイメージをそのままキーワードとして採用しているようにも見える。それはそれで、彼らの「何かを支えて」いるのだろうと思う。
 
 でもわたしは、よりによって彼らが採用しているキーワードが最も、気付いたら距離を置いている言葉の羅列なのだと気付いた。それは彼らのせいではないし、これはわたし独自が持つ何かしらの因果関係が潜んでいる課題だと認識している。

 「居場所」
 
 脱走したら連れ戻される場所である施設を居場所だと感じられない。わたしにとってのスリコミは養護施設に対してあまり良いイメージを与えてくれはしなかったようだ。居場所は自分の心に構築しなくてはいけないと思った。居場所は拘束されたり収容されたりする事と同じではないと思った。

 「同じ境遇」

 よくある言葉として「同じ境遇の子ども達どうし助け合って生活している」というものがあって、それを大人になり、ふと耳にするだけで、耳はふさげても反応した自分の本音はふさげないと思った。同じ境遇などじゃない。チガウ措置理由の子ども達同士が喰らいあっている。他の児童が他の児童を「お前の親は○○病」「お前の親は○○所へ入ってるんだよな」といじめる。チガウ措置理由、チガウ家庭の子同士の、迎えにも来ない互いの親の事を蔑む空間。

 「独りじゃない」

 集団に入れない子を問題視する集団養護。たった一人の大人と愛着を作れない子が集団の中に身を置いても流されていくだけ。自分ひとりで自分を育てて「集団に染まらない」「集団に流されない」という決意を持ったとしても、養護施設では、集団に入れない問題行動のある子として断罪される。

 時にはみんなの前に立たされて「独りだけ別の行動をとってごめんなさい」と言わされる。とことんその個人的行動を議題にあげられる。独りじゃないと思った事はない、独りになる自由もなかっただけだ。

 以上、彼らの持っているキーワードが何故自分を引かせるのかを、自分の感じ方のままに書いてみた。これらの整理により気付いた事は、わたしにとって一番怖いのは、何も考えられずに流されてゆく事だと知った。自分がしている事の意味を自分が把握しないと取り返しがつかない事が多いと知っているので、わたしは一人で生きる事を選んだ。

 そして、わたしは「養護施設へ戻りたいという心理を持つ」他の児童養護施設出身者のブログも時々読んだりする時に、措置理由の影響がそれぞれの思考の根底にあるという事も更に理解した。

 わたしは養護施設に伴うキーワードをキーボードを覗き込みながらタイピングするのが嫌で、あまり意識せずとも体で覚えてしまおうと思い、タッチタイピングを猛特訓(訳ありで、少し左指が動き辛いので訓練になってしまう)した。あまり意識を強く持ってそうしたわけではないのに、タッチタイピングを覚えてからは記事を書く時の疲弊感が少なくなった。養護施設という言葉をショートカットキーにしてしまっても良いのかもしれない。

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| └ 地雷原かも | 01時37分 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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虐待を受けてない証拠を探す旅というアプローチ方法も?

地雷原かも

幾つかの考え方の種類

 記憶がない場合、虐待の可能性を疑うだけでなく、虐待を受けてない可能性も同時に考える必要があるというのは理解できる。親から捨てられて施設だけで育つ事が虐待なのだという考えもあるので、今回は意味が広すぎるのでそこにはあえて触れず、

性的虐待を受けたかどうか

 についてAliceさんは考えたいのだと思う。わたしは診察を受けた事が一度もないから丸ごと文章が例題のようなものだろう。Aliceさんの夫さんは医療関係者だそうだ。きっとわたしの文章のおかしさ、虐待を受けたとするには不可解な言動も見えてくるのだろう。

 ただしこれは全てわたしのテキストを読む限りであり、テキストではない三次元のわたしと接しているのはWolf、Maria、夫などリアル世界の人々だ。でも、このゲストの中にお医者さんがいらっしゃいましたら、このテキスト分析して下さい!っていう気分だ。

 わたしは考え方としてAliceさんの考え方は、新しい提示だし、何もかも性的虐待へ繋げられていいものかどうか、わたしについては、危ぶんでいる。

 わたしは単に過去を知りたいというだけであり、でも生活があり、就職活動などもしていたり、リアル世界が慌しくなっているので、Aliceさんに答えきれないものが多い。

 あとよしてほしいのは悪意に繋がる怒り。

 Aliceさん、論点を1つずつにしてほしい。阿修羅さんのこと、Ayuさんのこと、学歴のこと、虐待のこと、順番にいこう。Mariaをコバンザメとしたくなかったら、普通に資料的な考察なども交えて、きちんと一つ一つに対処してほしい。

 はっきりいってAliceさん絡みで一番困るのは、論点を何に定めていいか判らないところ。交通整理をしてから議論を投げてほしい。

 それと同時に非公開では落ち着いて体験記を書き切ってみてほしい。体験記をもうこれ以上書けないというところまで書いてないあなたは、やはり迷いがありすぎる。

自己制御不能な怒りや悪意は邪魔、ムダ

 今は整理した方がいい事がたくさんあるのだろう?そこの混乱ぶりを指摘させてもらう。わたしはこの態度は基本的に変わらない。冷たい性格だと思おうがモチが低いと思われようが、記憶について何とか考えられればそれでいい。何も思い出せてないからかも知れないが、何が問題か判らないという感じなのだ。

 怒ってる場合じゃないと思う、人生は短いよ。カウンセリング受けてるヒマもない人間はかなりPCやってる時間も限られているんだ。

| └ 地雷原かも | 07時08分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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はてなは2chと繋がっているのか??

 はてな地雷原

 hasigotan警報の、過去の騒動についてのリンク集は、もとはといえばわたしが情報収集したもので、過去に同じような事をしていないか?という意図の元、作成したものをヒントに作られているように感じられる。それを施設サバイバーさんという人が採用し、そして今は燈台守さんがブログで開示している。(自意識過剰かな)

 hasigotanのところの連投コメントといっても、施設サバイバーさんのは単細胞な怒りのコメントで、トラバもコメント欄も書けない状態にしておいて、hasigotanがMariaに言いたい放題書いたから、彼は結果として数回連投になっただけ。

 ただ、他のHNを使い連投しているかどうか判らない。でもわたしは施設サバイバーさんはやる動機がないと思う。彼はコメント欄が開かれ、議論できればよかったと思う。だからコメント欄を開けと言っていたのに、他の方が押し寄せて、誰が誰だか分からなくなったという事だろう。

 とくにブログをもっていない人への警戒が強いhasigotanが、一体ブログを持っていない人の何に警戒しているのか正直わからない。自分に隠すものがなければ、自分が主張したい事があれば、何であろうが真正面から語り合えた筈なのに・・・。、

 燈台守さんのブログのリンク集、中にはリンクを外してほしいと言ってる人もいるようだが、彼は基本的にそのまま表示させておくつもりのようで、反応がない。

 燈台守さんがリンク集を作った目的も、わたしがhasigotanは過去にも似たような事をしていないか知りたいという目的と合致するかどうかわからないが、たぶん彼の文章を読む限りにおいては、同じ意図だと思う。燈台守さんは施設サバイバーさんの知り合いか、それとも同一人物なのだろうか、いづれにしてもHNはひとつにしてくれたらありがたい。迷わないですむ。
 
 施設サバイバーさんはhasigotanに直談判しに行った唯一の人だ。わたしが一週間固まっていた時に、彼は先陣を切って乗り込んでいってくれた。今まで関わりが無かった人なので目が点だったけれど。

 彼のコメントは「卑怯だぞ、きたねえな、コメント欄開け」とか、そういう語録で構成されていたコメントじゃなかっただろうか。hasigotanはコメントを消してないと言いながらも、ブログをもっていない人の書き込みを全部Mariaのせいにしてコメントを削除しているし、

 「Mariaさんとは別人です、IPも調べて下さい」と言ってる人のものまで削除している。IPを調べて下さいと言ってる人を疑う根拠はなんだろうか?と反対に不思議に思う。hasigotanには2ch世論のような大応援団がついているようで、詳しい人も多いみたい。

 でもこうなると技術の問題じゃない。核戦争も技術が行き着くと恐ろしくなって、最後は石の投げ合いへ戻っていくと思う。
  
 最後は当事者同士の問題なんだよ、部外者は関係ない話だ。
 
 当事者間で議論できないのは限界がある。判ってもらおうとは思っていないけれど、本人同士が全く接近しないまま、大量の聴衆だけが押し寄せている始末だ。燈台守さんという新たな人が又どういう人が判らないが、本当によく調べていて、こちらは女2人なので申し訳ないくらいだ。でも、まだ相手がどのような人かわからないので、その部分で不安が残る。

 はてなって一体何?何故2ch風なの?
 たんに便利なツールとして使っていたのに、違う使い道になってしまっているの?はてなブクマって何だ?今はわたしは別のブクマを使用し始めている。誰にも見つからないソーシャルアノテーションなんてばかげているが・・・。


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| └ 地雷原かも | 07時36分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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気がすまない

地雷原かそうでないか判らない

 気がすまない
 忘れられない

 一日中、その事を考えてしまう。
 もうやめようとソウルメイトに言いながら
 何故こんな思いをしたままやめなきゃいけないか

 どうしても理解できない。 

 気がすまない。

 わたしはやはり怒っている。Mariaも当然そうだった。
 一日中とらわれ続けていた、コトバに、怒りに・・・。

 放っておいて良い話とそうでない話がある。

 大人の態度を取ろうとするあまり、野放図な子どもの
 ような大人のコトバに反論もせずにいるなんて・・・

 この場合、放っておいて良い話とは感じられない。
 随分怒らないで生きてきたから怒り方を忘れた。

 でも自分たちがもういいやと思う時でなくては
 やめることはできない。
 

| └ 地雷原かも | 17時30分 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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