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「家庭生活のイメージを持たずに育ち、家庭を築くこと」についての心情の整理

 家庭生活がイメージできなかった

 わたしは里親家庭にも時には虐待問題が起こると知り、今ではもう、むやみと幻想を抱かなくなった。(とはいえ、現実的な家庭生活をイメージ出来ないが)しかし、あえて主張したい事は、虐待環境でない一般の里親家庭を通して、一度くらい自らが子どもの立場で体験してみたかったという事だった。

 今整理作業を経て、いくら考えても、子ども時代の全てを乳児院・児童養護施設、あるいは物心ついたら児童養護施設だけで十年以上育ち、いきなり社会に出されて、今度は一般家庭を自らの力で築かねばならないという現実は、乳児院・児童養護施設全部育ちや・児童養護施設長期入所(十年以上)の児童にとっては適応しきれない現実なのだ。

 わたしにとってトラップだったのは、児童養護施設で育った事そのものにあった。わたしはわたしが知らない生物親の問題により、行政により施設に保護された児童として扱われてしまったので、施設保護を持って行政の一定の役割を果たしたと、された事にあった。

 ・・・だから、わたしは自己責任だと言われ続けて生きねばならなかったのだと思う。あくまで衣食住足りて礼節を知る。保護(施設収容とも言う)それ以上はオプション。

 親が育てる能力がないと、ここまで子どもが課題を背負うという事になると知った。

 #不妊の治療などをされている方、この記事は表現として、おそらくとても不快な文章が並ぶと思いますので、どうぞ続きを読まないでくださいますよう、お願い申し上げます。これは間違った認識を自分でもテキスト化する事で、改めて考えるためのお砂場のような意味合いがありますが、表現に配慮し切れていないと思っています。

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| ├ メンタル整理 | 05時06分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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施設には支援品や善意の品は送られて来たが、それを特に贈り物と意識してなかった

めんたる整理

 #善意の品は善意の品でいいと思う、一人の人間が”何かいい事?”をした時に、マスコミが追いかけまわしたら可哀想だとは個人的に思っている。

 ・・・けど、子どもに必要なのはたった一人の大人との出会い。支援する人は、それを与えられない事をも同時に知ってる社会の少し理解ある大人として、がせめて自分の気持ちを清算したくてお祈りに近い気持ちで、物品を置いていってるように(一方的だが)見えた。

 それは福祉という概念が定着している社会の日常に浸透している支援活動の意識とはなんだか違う、日本に古くからあるような、どこか申し訳なさに近いような・・・。顔を伏せて魂が静まるように願う人々の感覚のようなものを、感じる・・・。
 
 いつかそれが、本当に支援とか寄付というものが、もっと社会の中でごく自然に行われるといいのにと思えた一件でもあった。

 

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| ├ メンタル整理 | 11時09分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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自分が出た施設が(今はもう)かなり改善されている事を知った時

めんたる整理

 きっと”良い施設”を出たのだろう

 わたしが出た施設は良い施設との評判が元々高かったらしい。そのような施設だからわたしは、虐待を知らず?(定義が分からないという、のほほんぶり)に生きてしまったらしい。

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| ├ メンタル整理 | 07時15分 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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「非現実的な子どもに係る出来事には一切の被害者はいない」わけでなく、必ず未成年の子どもの脳は影響を受ける

めんたる完璧

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| ├ メンタル整理 | 06時27分 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

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「正月明けの職員の怒りっぽさ」に対して、どうやって配慮するかという悩み

めんたる整理

 正月明けの不機嫌な職員に対する心の癖がぬけない

 わたしは正月明けの職員の態度が苦手だった。彼らは「今日から仕事だ」と不機嫌な態度丸出しだったから・・・。家庭で家族とゆっくり過ごした職員は尚更、施設の子供達の顔を見ると「オイオイさっそく仕事かよ~」とブツブツ言い、不機嫌な態度だった。

 ・・・気を使ってしまう。職員は気づいてないと思うが、施設の子どもたちは腫れ物を気遣うように感じていた。家庭で過ごしている所を施設の児童に関わらなくちゃならないので仕事モードにならなくちゃいけない。職員のそんな傷ついているような態度に対して、どこにも行けずに正月を施設で過ごした子どもたちは変に気を使わざるを得なかった

 「ボクたちがいるから、彼らはゆっくり家族で休めなくてかわいそう・・・」と思っていた。彼らの気持ちを刺激しちゃいけない気分があったので、尚更滞り無く過ごす事に集中した。

 施設の子たち(全部ではないかもしれないが)は、そういう風に休み明けの職員の不機嫌さに気を使って、やんわりと遠巻きにしてた。保母も指導員も、職員の顔に戻るのには多少時間がかかっていた。

 今思うと、施設の子は家庭の子になる瞬間もなく常に施設の子なのに、一方家庭のある職員は、職員に戻るための時間がどうしても必要だったので、施設の子ども達は彼らの不機嫌さの意味も分からずに気を使っていたように思う。

 わたしは今も、なんとなく、その癖が抜けない

 休み明けのソウルメイト二人についても、もやもやする。わたしが電話したりして、嫌な気分にならないだろうかとか・・・。わたしが連絡取り、せっかくの正月気分に水を差すような態度取ってしまうことにならないだろうかとか・・・無愛着だけど気を使う。

 だからいつも、正月明けのソウルメイトには「もう仕事なんだから電話しましたよ、休みじゃないから良いでしょう?」というようなノリでしか電話できず・・・。

 家庭育ちの夫は、わたしのこういう考えなど全く意味不明らしい。親と子、親戚・長い付き合いなど、好きな時に常に連絡を取り合える仲らしい。

 わたしには、そんな風に居るのが当たり前な相手がいないらしい。
 些細な繰り言だけれど、わたしは平日が始まってくれてホッとする。

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| ├ メンタル整理 | 08時23分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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被虐待児の施設内での表現を、規制が無い状態で見せ続けられてきた結果、思う事

メンタル整理

 関連記事 子どもが性的対象になるコミックなどを子どもの目に触れさせない条例について賛成


 規制しない(できない)大人

 #この記事は、”本来なら必要でない情報を規制しない事=事実上責任とる人がいなかった”という観点で、自己整理しています。


 施設では職員の手も回らなくて、被虐待児のお砂場と化している状態を放置するしかない状態だったと思う。

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| ├ メンタル整理 | 06時31分 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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無愛着な人間は愛着が無くても特に困らないが、困るのはむしろその人間に愛着を持つ周囲の人なのだ

メンタル整理


 愛着について


 無愛着人間に「愛着」を意識させる作業は、里親にとって言葉で説明できない程の切なく、辛い事の方が多い大変な作業ではないかと感じるようになってきた。

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| ├ メンタル整理 | 22時38分 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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施設入所時代から「いっそ捨てられた方がマシ」と何度も聞かされてきた

メンタル整理

 #でも、捨てられている事と自由はそもそも違うという事のようです。だって捨てられたり養育放棄されて施設だけで育つ事は隔離や収容であり、およそ自由とは違うから。

 本当に捨てられている子たちの問題も知らず
 
 捨てられてしまった気分の被虐待児はいっそ捨てられた方がマシと言い、捨てられて生きざるを得なかった子たちは「里親家庭へ行きたい、たった一人の育て親に巡り会いたい」と望む。その気持ちの何が間違い?

 被虐待児は施設に保護されるけれど、施設で捨てられている子は里親家庭へ保護されないの??

 時々・・・いや、何度もこの夢「いっそ捨てられた方がマシ」を聞かされてきた。施設に「預ける」なんて一見キレイな言い訳がましい言葉より、児童養護施設に置き去りにされてる児童は、迎えに来ない大人、いつか現れるカモシレナイ誰かを待たされ続けてきたというのに、誰も居ない事ゆえの問題を知りもしないで「自由でいいな」と言われてしまう。

 施設職員になった人も元々育った家庭に怒りを持ち、整理してない人が多く、時々、家庭の無い子ども達を見て、色々な事を言っていた。

 児童養護施設の内では、施設職員も、家庭で虐待を受けて傷ついた子も、今思うと彼らは同じ立場の目線を持っていた。彼らは施設にいても家庭から逃れられないという怒りを持ちながらも愛着があるから、苦しんでいた・・・。

 同時に、誰もいない無愛着児ではあるが、捨てられたり養育放棄の末、児童養護施設に長期入所している子ども達が自由に見え、どうしても「うらやましさ」を覚えていたようだ。

 彼らは自分の虐待を認知しつつ、一方では、捨てられている子ども達をも見ていて、その自由に見える様子に怒りを覚え、体罰やリンチも、そのような子達へ向かう時は、心にブレーキが掛からなくなりやすかった。

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| ├ メンタル整理 | 08時25分 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

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無愛着(愛着障害)にも自分とは別のタイプの無愛着人間がいる事を知った

施設にいる間の問題

 他のタイプの無愛着

 わたしは自分のタイプの無愛着しか知らなかったが、最近になり、他のタイプの無愛着人間もいるという事を学んだ。

 わたしのタイプは、自己完結型で他人が出る幕がない。失敗も成功も自分なりに受け止め、それをもって、他人に対してその場限りであれ依存するような発想もない。ただ、固定されない人間の間を歩くだけで毒にも薬にもならない人間だ。

 でも他の無愛着人間のパターンは、人を時に道具のように使い、幾人もの間を渡り鳥のように歩き、結果として利用するタイプ(?)のように見える。彼らは人を利用して生きているので、人に小手先だけで甘えた態度を取る事ができる、そのくせ、その人を信じる事はない。

 実は、施設時代にも不可解ながら、誰彼かまわず甘えるタイプの子はいて、こっそりチョコをもらったりしていた話を聞かされた事がある。わたしは集団にそむいてチョコをくれると言っても貰わないタイプだった。仮にもらっても付き返すだろう。

 わたしは自己完結なので、愛想もよくないし人からは心を閉ざしているように見えるだろう。でも別のタイプの子は、だれかれ構わず依存しているように見え、その実、内面は無愛着なので、単に他人を道具のように使い、叱られれば、次の脈がありそうな人を利用する。

 ただ、どちらも「無愛着」なのは変わりない。

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| ├ メンタル整理 | 04時47分 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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