簡単な説明
映画の紹介ページ 記録映画「葦牙あしかび」 → http://www.kazesoyo.com/
紹介文引用
<子どもたちの“こころ”を作る物語>
1990年から顕著になってきた児童虐待は年々拡大し、かろうじて救われ、施設に保護されている子どもの数は3万5千人に及びます。これは幸運にも保護された児童の数です。表に表れない数は30万人とも推定されています。
未来の担い手である子どもたちの受難の先に見えるのは、ほころび始めた私たちの社会です。
岩手県盛岡市にある児童養護施設「みちのくみどり学園」は盛岡市だけにとどまらず、岩手県の様々な地域と連携し、子どもたちの“こころ”の回復に取り組んでいます。一関市室根の太鼓合宿、西和賀町の生活体験合宿。そして、職員と子どもたちの共同作業から生れる弁論大会。
この作品には“人・自然・文化”のつながりを活かした子どもたちの“こころ”を作る物語が描かれています。
被虐待児に必要な施設の形 この映画は
記録映画なので淡々としている。作りこんでいない日常の様子が綴られていて、時には、ちょっと頭が痛くなりそうな場面もあった。
しかし、家庭で虐待を受けた子ども達が、
みちのくみどり学園で少しずつ心の整理をしていく様子や、将来の家庭復帰を視野に入れつつ、実親と当人と兄弟の関係をも保持しながら、同時に、虐待を受けた事で生じやすい、子どもの怒りのコントロールをどの様にアウトプットさせていくのか、その手法などとても興味深く見る事ができた。
個人的には「児童養護施設」という役割の本来的な意味というものをとても意識させされた映画だった。この学園はもともとは「昭和32年に
虚弱児施設として創設された」という流れがあり、他の多くの児童養護施設との違いは、その部分だと思う。
普段記事で書いている児童間暴力など、
みちのくみどり学園でも実際起こってる様な、気になる場面は随所にあった。しかし、おそらくそれでも、
被虐待児が取り合えず収容され放置されたままの施設とは明らかに違う趣を感じる事はできた。
とくにインタビューの中で男子高校生がすでに「虐待の連鎖をしない様にする」事と「親になった時に子どもに連鎖しない様にする」と自分の言葉で語っている姿を見た時は、後ろ頭をぶん殴られた気分だった。
自分が10年近くブログで、ああだこうだと、書いていて何とか形になりそうな文章を高校生で言えてるのだから、あの頃の自分は、虐待しない様に自分で自分の頭をカベにぶつけるのが精一杯の、言語化以前の動物だったと思えてならない・・・(凹)。
思ったりより長い映画で見終わった後、少し頭がガンガンしてしまった。でも良い感じに静かで派手さは無く心に残る映画だったという印象が残った。見てよかったと思う。里親家庭を勉強するのと同時に、他の施設の事を見るのも勉強になると思った。
そんな風なへたくそな感想です。