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読書感想文:「水子 中絶をめぐる日本文化の底流」を読んで2

読書感想文

 関連記事: 読書感想文:「水子 中絶をめぐる日本文化の底流」を読んで1



 本文の引用

 ヨーロッパの捨て子
 
 ジョン・ボズウェル【宗教と同性愛についての歴史学者】は最近の優れた研究のなかで、キリスト教の発展によって、子どもを始末するやり方のうちでも、道徳的観点から見て非難される度合いが最も低いのは遺棄の場合だという感覚が与えられ、これを背景にして遺棄の慣習が何世紀にもわたって高い頻度で行われてきた事実をはっきりと示した。

 さらに、望まれない子どもを投げ捨てるこのやり方はたいてい死のたんなる延期を意味した。ボズウェルは古代ローマから中世末期の時代に焦点をあてた研究をふまえてこう結論づけている。

 孤児院の壁の裏側で雇われ役人が社会の好ましからぬ結末を処理したから、子どもを捨てた親も、周りの市民たちも捨て子に対してそれ以上考えたり、配慮したりするには及ばなかった。

 孤児院でさえも孤児を長く世話する必要はなかった。孤児院が出現した時期から十八世紀に至るまで、ヨーロッパのほとんどの地域では大半の子どもたちが、入所後数年足らずで死んでいった。時代や場所によっては死亡率が九十%を超えた場合もある。


 
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|  わたしの本棚 つんどくリスト | 06時56分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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読書感想文:「水子 中絶をめぐる日本文化の底流」を読んで1

読書感想文・・・というよりメモ

 ★ 児童養護施設も経営している生長の家、中絶反対、水子寺、イデオロギー、極右、政治、祟りの用いられ方などに関する簡単なメモと本文の引用



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|  わたしの本棚 つんどくリスト | 05時30分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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読書感想文:歌舞伎町のこころちゃん

本を読もう

 ほぼ写真集

 

 Mariaが貸してくれた本

 この本のAmazonリンクから先にもレビューを投稿してる方々がおられて、なかなか興味深く読ませてもらった。わたしは保護されたその先にこそ興味があるので、あまり路上生活自体は取り上げてないけれど・・・。

 さて。

 こころちゃんが男の子ではなかった事、ダンボールをひろい集めて生きてた事、離婚した母親が児童相談所へこころちゃんを預けた事、今児童養護施設にいる事。

 こころちゃんの生物学的親は親としての役目を果たせないし、こころちゃんは児童養護施設でこれから先ずっと過ごすだろう事は分かっている事などなど、大体の話は把握した。

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|  わたしの本棚 つんどくリスト | 13時41分 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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読書:「賢者の贈り物」が実はこんなにいい話だとは知らなかった

読書をしよう

 関連記事ブログ:Mariaの戦いと祈り/賢者の贈り物 

 

 実はとても良い話だったとMariaの記事を読み、長い間なんという勘違いをしていたのかと自分自身であきれた。施設の図書室でどれ程想像をたくましくしても、家庭というものがイマイチ理解できなくて夫婦の形というものもよく判らなくて誤解していた。

   ▼▼▼ カン違い ▼▼▼

 一組の夫婦の貧しいながらもたくましく生きる話。妻は自慢の髪を売り、夫の為に時計に合う金の鎖を買い、夫は大切にしていた時計を売り、妻の為に美しい櫛を買った。

 その話を読み、こう思った事を覚えている。折りにふれ思い出す事もあった。この2人は互いにタイミングも空気も読めなくて必要のないモノを贈り合った話なのだと思い込んでいた。

 そして教訓としては同じ屋根の下に住んでいても、互いに相手の気持ちが判る筈もないのだと。
 
   ▲▲▲ ここまで ▲▲▲

 確かに読書感想は読んだ当人に委ねられているとは思うが、Mariaの記事を読み、とんでもなくすっぽ抜けているものがあるんじゃないかと感じつつある・・・。

 これでは夫婦の生活がなかなかうまくいかず、配慮が無いので相手をイライラさせてしまうのも当然だと思った。今回、色々と考えるきっかけになったMariaとのクリスマスサプライズのおかげで、わたしは子ども時代に読んだ本を、もう一度読んでみる気になった。流石に感慨深く思うだろう。

 自分だけ違う空気の層

 わたしは自慢ではないけれど会社ではキビキビとロボットのように動けるが、家庭ではスイッチが切れてしまう。家庭では必要な事以外の何を気遣い、何をすればいいのかわからないので、会社のデスクにある、未決と既決の箱を一時期用意していたほどだ。

 昔、夫が「オレの事は放っておいてほしい」と言ったので一週間くらい、相手の意思を尊重して放っておいたら「本当に放っておく奴がいるか!」と怒られた。それなら彼もそんな事を言わなければいいと反論した。
 
 すると彼は言った。

 「ホントは寂しいから構ってほしくて、ワザと放っておいてほしいと言ったんだよ!」と。そのややこしい話を聞いて、余計に混乱した。物事ははっきりすっきりストレートに言わないと伝わらないと思ってたから・・・

 でもこの件いらい、彼は物事をハッキリ要望として提出するようになってくれた。

 言われた事以外できない人間にとって、相手が喜びそうなことを想像するのは実はとても大変なことなのだ。特に施設では余計な行動をしてはならないので、結局は指示待ち人間になってしまう。

 コトバが共通の意味を持っていない

 夫やソウルメイトはわたしと付き合うのは本当に大変なことだと思う。割り切る事を覚えれば付き合えるとは思うが、人間には心があるので、東京ガスのガスパッチョガール?みたいな意訳だらけの女子は、CMだからこそ可愛いのであり、本当に居たら付き合いづらくて仕方ないだろう。

 これって、もはや病気のレベルかとだんだん心配になってきた。特に悪い事はしない人間なのだけど、怒りを持たれやすいのは困ったことだと感じた。

 なので、も1回「賢者の贈り物」をじっくり読んでみようと思った。

 以上

|  わたしの本棚 つんどくリスト | 17時54分 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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読書感想文:「津山三十人殺し」を読み終わって

読書感想文



 わたしの気になるテーマは「閉鎖社会」

 実は八つ墓村という言葉ってすごい言葉だなと漠然と考えていた。わたしは、この八つ墓村というネーミングにインパクトを覚えたのと同時に妙にリアリティのある響きをも感じていた。

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|  わたしの本棚 つんどくリスト | 08時19分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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これから読む本:「愛されたいを拒絶される子どもたち」

これから読む本



 少し使い勝手が良くなりそうなアマゾン

 Amazonプライムが期間限定で一ヶ月間無料だというので、ちょっとだけ?会員になった。これに入ると本来は年間3900円払えば同居家族2人分まで、配送料が無料だという。本好きで本ばっかり買ってる同居家族が2人もいればお得なようだ。

 もともとアソシエイトに興味はなかったんだけれど、画像のリンク付きで本を紹介できる利点が感じられて随分長い間利用している。でもアマゾンはコンビニ受け取りが出来ず不便だった・・・しかし、最近はローソンの店舗で受け取れるようになったと知り、食指が動く。【自分の家の側にはないが・・・】

 でもいつもMariaから本を借りてばかりいて申し訳ないと思ってたし、ちょっと宣伝のようだがメモ代わりに・・・。というか、アソシエイトの部分は自分都合・・・。便利そうになったのは、本を買う立場の会員として。

 この話のさわり

 わたし自身はまだこの本を読んでいないが、世間にある愛着障害関係の本は種類が豊富で驚いている。余剰にあふれ返ってるイメージすらある。

 とはいえ・・・アマゾンで他の人がレビューを書いているのを読んだ。養護施設に保護された子どものケアについて書いてあるようだが、さてさて・・・。

|  わたしの本棚 つんどくリスト | 05時50分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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お勧めの書籍:「神様からの贈り物」土井ホームの子ども達

興味の対象これから読む本

 参照記事:2008/06/10付 西日本新聞朝刊

 


 引用文

■「内面の復元力を信じて」

 北九州市若松区の里親、土井高徳さん(54)が、児童虐待などで心に深い傷を負った子どもたちとの暮らしをつづった「神様からの贈り物 里親土井ホームの子どもたち」を出版した。土井さんは本紙生活面で「土井ホームの子どもたち」を連載中で、読者から大きな反響があり、掲載1周年を機にまとめた。ホームでの生活を通して、子どもたちが希望を見いだし、回復していく様子がつづられている。 (簑原亜佐美)



 まだ読んでいませんがご紹介だけさせてもらいます。わたし個人としては「ホーム」という語感にドキッとするのですが、これは養護施設の施設名に多く使われるホームと音が同じだから。こちらのホームは施設じゃなく里親家庭なのだ・・・。



 後に読んだら感想を書こうと思います。ご興味のある方は上記リンク先からご覧になって下さいませね。

|  わたしの本棚 つんどくリスト | 22時52分 | comments:11 | trackbacks:0 | TOP↑

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読書感想文:「子どもを病人にしたてる親たち」

読書感想文

自己関連記事読書感想文 Sickened 母に病気にされ続けたジュリー


代理による代理ミュンヒハウゼン症候群


 
 野生のカンに照らし合わせる

 以前、母に病気にされ続けたジュリーという本を読んで驚いたついでに「子どもを病人にしたてる親たち」を買って一日でほぼ読み終わった。

 読んだ事でジュリーの話同様、子どもを看護する事に熱心な親によって病気を作られていくという事を納得できたという事と、そうして育った子どもが大人になってから、親と同じような行動をしてしまうという連鎖を意識させられる内容だった。

 たとえば【これは自分の持つ感覚だけど】この家庭の子ども達は、どうして揃いも揃ってこんなに深刻な病気や障害を抱えているんだろう?しかも、何故かその障害は、後天的に思えるものか、そうでなければ、出生の際のほんの些細に見えるうっかりや、配慮のなさが連続している・・・という、外から見て少し違和感を覚える事柄が、気付きの発端になる場合が多い。でもさらに追跡できないのは、その親の看護に対する強い意志があるので、熱心な親としか扱えない。でも実は・・・リスクの高い事をわざわざ選んだ結果、そのようになるなどなど・・・。

 又は、全く親も子も被害者であるにも関わらず、医療のミスの訴えを周囲にこぼしながらも医師や機関を訴える行動を起こさない・・・ひたすら熱心に看護する母親なのだけど、その盛り上がりように異様な感覚を覚える。

 何よりその症候群の疑いを強く持つ理由として、あまりにその人の子は他の子も何らかの障害や病気の為、薬漬けになり続けていて、周囲からもおかしい?と思われている。

 個人的に偽ミュンヒハウゼンに興味がある理由は伏せておきたいが、そのような親元で育った子は成人しても医者離れができない、いつも不調を訴え、いつも病気が続き薬を貰い続け、それが何年も延々と続く。それは病気でなくては自分に存在価値がないと本人が思い込んでいるように見える。
 
 だから緩慢と続く病気の状態を劇的に直そうとせず、若いのに病院で貰った薬の袋をいっぱい抱えて、カプセルを飲み下している。それはもうすごい状況だと思う。わたしは自分で生き抜いたという自負があるので、こういう症候群の人の心情に理解を示せないので本を読むしかなかった。

 その様な親の元で育った人も他人にこれを連鎖する。もしその人の近くにいる人が一瞬でもくしゃみをしようものなら「ほら、くしゃみした、病院へ行った方がいいよ」と言われ、ただのくしゃみを最悪の病気の初期症状だと言い始める。そのような人の前ではくしゃみ一つできない。
 
 確かに本を読んで影響を受けた結果、あなたはこうだとは言い切れないが、本の内容とほぼそっくり同じ状況が続いていると感じたなら疑ってみてもいいと思った。こういう家庭は里子を迎える事は出来ないと思ったし、実子も生み育てる事に不安を覚えるのではないかなと感じた。

  ★・・・感想文というより単なる思いになってしまい【汗】すみませんでした。そしてもちろん全ての病気の子の親がこうだと言っていません。ほとんど疑いない程、実際に重なる部分がある場合について書いています。

|  わたしの本棚 つんどくリスト | 08時12分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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読書:他の養護施設の子の話と自分の過去との心理的距離間

わたしの本棚:読書に関する思考錯誤

 思わぬ読書ラッシュで、思考が貝のように頑迷になるまえに、ここで文章化トライしておこう。リアル世界でわたしを知っている人以外にとっては、わたしはアノニマスな筈だから。

他の施設の子の本を読むということ

 「和子6才いじめで死んだ」の余韻に包まれて日々生活しているが、人間の感度については時々、精巧とは言いがたいアバウトなわけ方をしているなあと感じてもいる。

 施設のこういう話を読んだ時の、奈落の底を歩いているような失望も希望もない懐かしい感覚を文字通り懐かしいとしか表現できない事に少し苛立ちを覚える。こういうのはなつかしい感覚に浸されるという表現でいいのだろうか、判らない(やれやれ)

 さて。
 
 今回、和子さんの暴行死の話を読み、救われた思いがするのは、淡々と分析する項目が並び、必要な資料が本の大部分を占めていたので、心が付いていかなくても読み進める事ができる内容であった事が、わたしにとって救いだった。

 しかしその代わり、感覚的なものに触れた部分があったようだが、その部分で立ち止まらなかった。『事件の表面に現れている事実としての結果』と『結果を受けての分析と裁判内容』へ自分自身が埋没してしまい、読み終わった時点では、何かの気配が、空中に浮かんだままである事を、放置するつもりだった。

 でも本当は、この本に乗じて自分の都合の良い様に、話を作っていないかという自分への強い不安があり、自分の感覚はうそではないのに言葉にするとうそを付いているようで、そこをツッコミ入れられるのがイヤで、文章化というものをせずに放置する事にしたというのが実情だった。
 
他の施設の子の話を読むときの感覚

 昔、恩寵園の話を読む時、読み終わるのがやけに早いと自分で感じていた。きっとさりげなく読むのを避けるシーンがあったのだろう。本を手にとって読むけれど、自分の中では焦点があわせられずに現実を淡々と記載したシーンだけを読んだ。でもどのシーンを避けて読んでいたのか、その問題のシーンを忘れてしまったので指摘できない。

 神の国寮の話の時もそうだった。施設の話をしているというのに感覚というものがなかった。どの部分を読んでも昼間の夢を見ているような感じだった。
 
 岡山の裁判の場合は傍聴する時に、半分だけ記者モードになっていた。でもさりげなく避けるシーンがあったような気がする。何故か音声に出したり文章に出したりする事に対して、自分の事とは違う世界なのに、自分の何かまでもが、世間に漏れ出すような、暴露?発覚?なんと言えばいいか判らないけれど、外へ流れる事への抵抗がアンダーグラウンドで働いている。とりあえずハイテンション。

あくまで自分の感覚は保持しておきたい

 こういう気持ちのまま、他の人の本を読み進めると考えがまとまらなくなり、どれが「自分独自の感覚か、今読んでいる本に記載されている内容そのものか」判らなくなってくる。

 でも和子さん事件の内容は、筆者の個人的な感想は最小限にとどめてある為、読者である自分が感想や気持ちを書いても、きちんとそこは識別できるので、他人の表現を借用していないか心配せずとも安心して、気持ちを放出する事ができた。

家庭の子の話を読むとき

 改めて思うが、家庭の子の話は、わたしにとっては地雷ではなく遠い世界の話で、使う共通キーワードも少ないし、世界観というものが全く違うという事が今回(自分なりに)わかった。あるゲストの方とのやりとりで、無知の涙の主人公が養護施設へ入っていればという話を受けて、議論が少し起こり、今まで読む事を控えていた施設を出て罪を犯した子、入所中に暴行死した子の、2つもの本を読んだ。

 この後、無知の涙を手に入れて読んでみようと思う。 

|  わたしの本棚 つんどくリスト | 06時48分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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