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多くの人に愛されるという幻想を抱いて

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関連記事http://prayermaria.blog74.fc2.com/blog-entry-145.html

 すごいですね、あなたは多くの人に愛されているんじゃないでしょうか


 多くの人に愛される、多くの人から善意を向けられる、多くの人に・・・。わたしにもこう思う癖があってなかなか抜けなかった。本当は愛されるという事もどんな事かわからないし、多くの人というのがどれくらい多くの人なのかわからないし。

 わたし達は

 誰がいないから空虚なのかわからない
 
 まだまだ、心の中に固定された人が住んでいないAliceさん。でも、延々と多くの人に思われているという幻想を持ち続けるから、いつまで経っても落ち着かない。

 一生に逢える人は限られているのに、心の中が雑踏だらけでとても忙しい。多くの人は誰もわたし達を愛してない。多くの人は、自分のそばにいる人だけを、又は、心に思う人だけを愛しているんだという事を、わたしもまだ理解しずらい。

 それが、無愛着という症状。誰もいないのに忙しいくらい多くの人とすれ違い、大変疲れてしまった。これから先も多くの人に思われているという幻想を持つ限り虚無が心に広がっている事に気付けない。

 それにしても変なこと。

 虚無と混雑が一緒になっている。Aliceさんだってどれほど否定しても誰もいなかった、誰も今まで本気で関わる人がいなかった、それだけの事だと思う。

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|  整理中の課題&記事 | 16時59分 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

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「治療か反省か」朝青龍とわたしを共通項で捉える夫との微妙な空気

わたしは日本人だけど、にほんのこころワカラナイ

 いえいえけして見かけの事じゃなく、その適応障害ぶり。夫はわたしの事を適応障害だと思っている。対してWolfやMariaは、何か虐待があったのではないかと疑っている。医師の診断は受けていない。わたしは、自分が判らない。

 ただそれだけ。

 朝青龍さんという横綱がケガを負い故郷に戻った際サッカーをして、最初は反省しろ、謹慎しろという流れだったが(ここまでは本人も悪いと思うが)解離性障害という診断をうけ、治療の為昨日故郷へ戻った。故郷が一番安心する場所という捉え方だろうが、わたしは養護施設へ再入所したくない。

 夫は、かなりこの記事を面白がっていて、適応障害と日本の心を知らないわたしと横綱を同一視しては納得しようとしている。今のわたしは何を言おうが反省が足りない嫁。日本の家庭の心を学ぶ意志がない、郷に入ったら郷に従えという。

 夫からは「反省が足らん」と言われ、Wolfからも「努力が足りない」と思われ、何がなにやらわからない。それでもまだWolfは話し合う余地があるけれど、夫は寂しいというそんな理由一つで何をやらかすかわからない。

 孤独を重要視した事がないわたしのような人間にとって、孤独に追いやられる事を嘆く夫の悲劇度数は理解を超えている。わたしはどんな時も1人で飄々と生きてきたと反発したくなる。けして横綱のように、心が戻りたいと願う故郷を知るわけでなし。

 それなのに、適応障害の部分だけが夫にとっては重大事。

 「相撲協会は不器用だ、言わずもがなの事を言わなきゃいけない外人相手だと疲れるだろう」

 そういう風に彼が1人ごちると自分も責められたような気がする。日本のこころ、わからない。

 言わなくても伝わる事を説明する事もできない日本人が、どこか甘えて見える。契約社会じゃなくて、なあなあの人身御供のような結婚をして、一体何が自分の問題かすらわからない。

 「ほんとに治療が必要なのかな、わからん、サッカーやった事実はどーするんだろな、何でもメンタルへ持っていく・・・わからん」

 横綱についてはそうかもしれない。掟破りをした本人も指導すべき親方も両方いけないし、謝罪もなし。しかし夫はわたしと、そのチベットの人をごちゃ混ぜにして語ろうとするので、わたしは非常に混乱する。

 でも、そんな言い草も通じない怒れる人を前にして、何を語っても裏を読まれ、何を伝えようとしても、誘導され、一体口を開いて話せない事にどんな問題があるというのか。

 反省か治療か・・・・。

 たぶん最初に反省ありき、その後治療なのだろうと思う。

 それとは別にまったく、わたしは何がなにやらわからない。郷がわからない以上、何に従うべきかもわからない。自分の固有の理念ではいけないなら、わたしは夫の家庭の全ての理念に従うべきだろうか、どうみてもおかしいと感じる事さえも。

 夫はかつて言った。

 「せめて本当に帰国子女なら許せるのに、日本で住んでいながら家庭がわからないと言われるとどうしても許せない気分になる」と。

 日本の人はどこで許容範囲を設定しているのだろう。ちなみにわたしは相撲はスポーツだと思っていた、強い事が法律だと思っていた。強さは傲慢になりやすいから、自分を律する必要があるのは理解できるが、わたしの感覚では力が強い、声が大きい人が一番強く感じて仕方ない。

|  整理中の課題&記事 | 07時21分 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

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「幻想の養女話と嘘つきな子」へ感じた同級生の本音

リリー

整理作業

 過去の自分を探すノウハウは判らない。どうやって誰に自分の事を聞いたらいいか分からないから、出身施設へ行った。でも何も出てこない。
 
 次に心当たりがあるのはクラスメート。

 「あの当事のわたしを覚えてる?」なんて間抜けな質問をするものだから、クラスメートは驚いていた。

 「なに、どうしたの?自分の事くらい覚えてるでしょ?私の事覚えてるから訪ねてきたんでしょ?」

 矢継ぎ早に言われながら、高校時代は覚えてる度合いがまだ高いという事に気づく。そう、そのクラスメートの事を覚えてるというか、夫が覚えていてくれてるので忘れないですんでいるような気がするものの、まだクラスの事は覚えてる。

 すると、変な表情をしながらもクラスメートは答えてくれた。わたしが門限が夕方四時半だから速攻で施設へ帰っていた事を教えてくれた。
  
 「でもレイちゃん、養女の話はさすがに信用してなかったよ、ごめんね」と彼女は言い出した。
 
 当時わたしは彼女に真剣に「わたしは、もうすぐ養女になるの、もうすぐ引き取ってもらえるんだって」などと言っていたらしい。わたしはそんな事を言った記憶がまったくない。クラスメートは高校にもなって誰が養女にするんだろうと思っていたらしいけれど、

 同時に心の中で「親のないかわいそうな子だからついつい嘘を言ったか、誰かが親になってくれる世界を想像しちゃったのかな」と思っていたのでその話を否定しないで聞いてあげてたそうだ。

 たしかに常識があればその年齢で、しかも生物学的親もいるのに誰が養女にするというのか、まったく今も心当たりがない話だけど、誰かが自分を引き取ってくれるという夢想でも嵩じて周囲に話したか、高校生にもなって困ったものだ。

 長い間クラスメートは、少しわたしを嘘つきだと感じていたようで、大人になってから会ったからこそ気楽にそのような心情も語れるのだと知った。確かに嘘を付いていたのだろうと思う、それとも夢と現実が区別がつかなかったのか・・・。言った事を覚えていない。

 ただ、宗教的な施設での教えからすると、大いなる嘘つきになってしまう。必ずしも嘘を付かないとは言えない側面を他人から聞かされた自分としては、嘘を付いた事くらい覚えておけよ、と過去の自分を叱りつけたくなった。

 以上 

*

|  整理中の課題&記事 | 17時13分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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「親から捨てられた子たちの事」を夫と話した

・

養護施設を出てからの問題

 「児童養護施設における子どもたちの自立支援の充実に向けて」 をざっと見ると、都道府県別の詳細もなく有効回答数も408だった。項目はなかなか細かく設定されていると思う。とり急ぎリンクしておきます。#エドワードさん、ありがとうございます。今年は確か平成19年だから、去年作成されたおととしのデータなのですね。

 そんな資料を見ていたら、会社を休んでいる(夏風邪の為)夫が言った。

 「オレなんか大学も行ったけど、今でもひとり立ちなんてできないよ。中卒で出るのが大変とか高卒で出るのが大変とか、家庭育ちの自分から見たら大差ない。高校まで施設から行っても結局世社会で苦労するのがおちだろ。この世に誰も家族がいない問題は解決できてないんだから、それが幸せだと言われてもなあ・・・」

 「反対に家庭の子なら中卒でもやっていける、帰る場所も親もいる。施設の子だから中卒がダイレクトに響く」

 だそうである。 まあわたしが「昔より高校進学率が高くなり、私立もいけるようになったみたい」と言ったのに対する彼の答えだけれど、確かに夫をみていると大学を出ていても家族の支えがあって何とかやっている。養護施設の問題は庇護と管理下におかれていた環境から、突然外へ1人で出される事なので、全ての子が高校へ行ってもその後の苦労は変わらない。

 でも論点がズレるといけないと思い、進学率に絞ったわけだが、やはり根本的な問題は進学率が100%になったところで解決するかどうかという事だと感じる。処遇の質が良くなるに越した事はないけれど、わたしも高校を出てからかなり大変な思いをした。世間に対する予備知識が無かった事や、
一番の問題は、社会に出た時に継続・固定している大人との関係が一切ない事だった。

 高校も施設からだけじゃなく、高校時代限定でもいいから通わせてくれる里親家庭があればと思う。

 なんだか夫の話、サラッと言われると妙に空虚感にとらわれる。彼にとっては当たり前に感じられる事を語っているだけ。でもわたしにとっては未だに、もっと手前で立ち止まっている気がする。がんばって生きているんだけれど、がんばれない時、疲れた時、うまくいかない時、この世に誰もいない空虚に飲み込まれそうになった。

 #少しブルーな記事になってしまった。
 

|  養護施設を出てからの問題 | 17時43分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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ブログの扉に書いてある文章への思い

スタンス

  表紙の言葉を少しばかり解説しておく。表紙の言葉に不快感を持つのならそこで引き返すものと思っていたので、表紙の言葉に怒る人がいて驚きを禁じえない。表紙付けたのは無用な争いを避けるのが目的だったのに、表紙の言葉が争いのきっかけになってしまった。

 でも、さすがに少し書いておこう。



- ご挨拶とご警告 -

 この警告は、6年以上ネットで家庭虐待サバイバーと自称する方々から侵入を受け続けた施設育ちであるLei&Mariaが、侵入者が間違って入ってこないように設置しています。

 あたしたちは、ものごころついたら養護施設にいました。このブログは、子ども時代の全てを養護施設で育つことの問題をテーマにしています。

 家庭虐待の方のつらさは知らないので共感できません。というか、特定の人からの継続した虐待は、虐待者が移り変わっていく施設育ちには理解できません。理解したくないのではなく、理解の元になる知識がありません。施設では、雑踏の中での暴力・性暴力がメインです。

 「家庭虐待」と「施設で捨てられ続けること」を比較されても、そもそも家庭を知らないので、理解できません。(Lei&Maria共通)

 そんな施設がイヤで、中卒、高校中退で施設を出る子が大半なので、家庭虐待を受けながらも、親の金で大学に行った方の気持ちを理解してあげることができません。あっ、これは中卒のあたしのひがみも多少入っていますので、スルーしてください。(Maria)

 ちなみにわたしも中学で施設を追い出されるか職業高校かの究極の選択しかない実情を憂いている、今では家庭から普通科の高校へ行きたかったし、中学から受験へ向けて静かに勉強したかったと思うので、やはり施設へしがみつかざるを得なかったというイジケが多少あります。すでに不快な方はどうぞお帰り下さい (Lei)



 実は、今までバッシングを受けてきたのはMariaよりもLeiの方だった。いさかいの元になる言葉を書いてきたのだからバッシングを受けても仕方ない面はあるが、このぶっきらぼうな語り口調に加えて、家庭育ちにとっては頭にくるキーワードを書いてきた事が原因のようだ。それだけに今回はMariaへの攻撃がショックだった。

 hasigotanがそもそも引っかかった部分は、上記引用文の

 そんな施設がイヤで、中卒、高校中退で施設を出る子が大半なので、家庭虐待を受けながらも、親の金で大学に行った方の気持ちを理解してあげることができません。あっ、これは中卒のあたしのひがみも多少入っていますので、スルーしてください。

 という部分だと解釈しているが、この文章から家庭虐待が軽んじられてると思えたのだろうか。わたしもMariaも実はシンプルな思考だ。家庭の人は親との関係性の中で習得せざるを得なかった色々な心理的ゆさぶり方法を知っているようだけど、養護施設はデジタルな世界だから複雑な思考は持っていない。

 書いた言葉を額面通りに受け取ってほしい。

 だから「理解できません」というのは、文字通り「知識がないからわかりません」なのだ。それ以上の気持ちは絶対にない。理解できませんという言葉を深読みしないでほしい。単に別のカテゴリだという意味だ。

 わたし達は家庭で育った事が一度もないけど、家庭を知らない人なんてこの世にいる筈がないと思う限り、全ての表現は家庭育ちの人にとっては悪意ある言語に見えるのかもしれない。

 この辺りは家庭の人は複雑な心理をしているから、わたしやMariaが思ってもいないような(家庭虐待への軽視とか)事まで想像する事があるのだなと、今回の事で知った。

養護施設の進学に関する心理

 養護施設の子は虐待を受けようがネグレクトであろうが中卒で働きにゆくのが前提だ。高校へ行くのは特別措置費だという事。高校へ行けば行ったで辱めのような気持ちを持たされ高校へ行く。耐え切れずに中退する子が後を絶たない。施設を出ても親がいなかったり当てにならず、お金の当てもない。

 でも家がある子はそんな施設から高校へ行くのがいやで家庭から高校、大学へ行く子が1部いる。

 そのような子たちが施設から高校へ行く子をどんな風に見ていたか知り最近衝撃を受けた。実はこれは非公開のSNSのやり取りにも抵触するので、その中身を言えない。言えないけれどわたしは非常にショックを受けた。

 親からお金を出してもらって学校へ通う子たちが、施設へ残る子へどんな蔑みをもっていたか、又、世間の子でも虐待をされた事をネタに、お金を出させ続けている子もいたが理解できなかった。わたしにはそのような生き方がわからない、今を1人で生きるので精一杯だからわからないという意味の扉言葉だった。

 6年もの間、わたし達は家庭で虐待を受けたと称する人たちから怒りをぶつけられてきた。だからかまわないで欲しいという意図で書いたのに・・・こうなってしまった。

虚言発言と言われた事について

 「虐待を受けたのは嘘だ」という言葉はようやく被虐を言えた人を激しく傷つける。それは心理の世界では絶対的な禁じ手。下手するとウツになり無自覚な自殺へ追い込まれてしまう。今はMariaの命を今はひたすら心配している、本人は自覚がないけれどそういう状況まで追い込まれて解離している。普通に生活を送りながらも、どこか虚ろな状況だ。

 あなたは相手が一番傷つきそうなコトバを武器のように使用するが、それはあなたが過去において一番傷付けられたコトバなのかもしれない。あなたはコトバの効果を計るところがある。あなたが本来大事にしている言葉を無作為な武器にするな。

 わたしは少なくとも傷ついているhasigotanの被虐を疑う事はないし嘘だと思わないし言わない。何故なら記憶のあるなしに関わらず、Mariaの行動全てが被虐を示していると知ってからは、他の人の姿も見えるようになったから。当人のカミングアウトなんてわたしにはどうでもいいの実は・・・。

 わたしはMariaと6年以上つきあってきていて、彼女が今も過去の後遺症に苦しんでいるからこそ、hasigotanの決め付ける表現に衝撃を覚えた。Mariaの計り知れないダメージを心配した。

 家庭の人を軽んじた事などない。施設の子は自分の事を説明すると「エゴイスト」だと責められたからうまく説明できないだけ。面倒だから「どうせあたしは」と口を閉ざして消えてしまう。

 Mariaが社会生活を一生懸命やっているのも虐待がなかったからじゃない。それとは別に家族のいない1人の身では自分の食い扶持を自分で稼がないといけないだけ。身軽に楽しく生きているわけじゃない、むしろ普通に生きる事が彼女の戦いだ。

 一方、養護施設でたんに捨てられたLeiは何が問題かさえ判らない。無愛着の問題を持つので、愛着が前提にある家庭虐待のフィルターごしに説明しても無理があると知ったから、別カテゴリだと言った。でもそれは家庭の人の虐待を軽んじたのではない。

 これはLeiが書いた説明だからMariaは又少し違うのかもしれない。でも自分なりの説明を一応書いておく。この世に家庭や家族を知らない人がいるという事は信じがたい事かもしれないが真実だ。家庭の人にとって自明の理が、施設全部育ちには通じない事が多いという事だ。

 わたしはつまり最後は、ボタン1つの核兵器よりも素手の殴り合いに温もりを感じる。それなら相手の体温が感じられる生の言葉のつぶてを投げた。IPを初めとする情報の錯綜で神経をすり減らすのも勝手だが、わたしはめんどくさい事は嫌いだから、そのまま書いた。

 ★hasigotanへTB済み

 以上。


| └ スタンス | 09時13分 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

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モノを捨てられない人は、モノを捨てない人だと気付いた

liliy2007

Maria2007

養護施設にいる間の問題

 夫はモノを溜め込む人だ。わたしはモノを捨てる人だ。夫が大事にしているモノはわたしにはガラクタのように見え、最初の頃はばんばん捨てていた。

 部屋はもぬけの殻のようになり、わたしはモノがない空間を見てようやく落ち着く気分になった。夫は小さな頃からモノをほとんど捨てないで生きてきたので、会社から帰ってきてスッキリしすぎた部屋を見るなり

 「何故オレの大事にしてるものを捨てちゃうの?」と嘆いた。

 わたしから見ればゴミを捨てただけだった。でも何の相談も無く勝手にモノを捨てる事に激怒した。わたしは、人がモノを大事にする感覚が理解できなくて、薄汚れてきたり壊れてきたり使わなくなったら捨ててきた。

 ちいさな頃からモノを大切にしてきた夫は、モノへ愛着を持っているという事に気づくまでかなりの時間を要した。人への愛着がないのにモノへの愛着もある筈がない。

 わたしは、施設では私物という感覚が育たなかった。自分のモノも他人のモノも境界がなくて、いつも共有していたので、モノへの特別な思いが育たなかった。

 でも、結婚したり絆作りをしているうちに、だんだんモノへの自分だけが感じる価値が育ってきたように思う。他の人からみれば単なるモノは、自分にとっては大事なモノ。それが少しだけ判ってきたような気がする。相変わらず薄い感覚だけど、まったく無かった頃よりは良くなった。

 施設時代には気付けなかった。みんなのモノは、言い方を変えれば誰のモノでもないから、誰も責任を負わないところがあった。誰が壊したか判らないおもちゃは修理もされずゴミ箱へ投げ込まれる。

「みんなで責任を持って使いましょう」という言葉は、その前提として私物感覚があり、責任を持つという事が判っている方が理解しやすい。

 「養護施設ではモノが乱暴に扱われる」と嘆く大人が多いけれど、私物を持った事がない事と愛着を知らない事によるものであると、わたしは思う。

 最近わたしは、夫へのモノに対する扱い方の評価がグレードアップした。夫を「モノを捨てられない困った人だと思っていたが、今はモノをむやみに捨てない人だ」と気付いた。このような感覚を大人になってから育てるとなるとかなり時間が掛かる。何が問題かを考える時間も含まれるので・・・。

 

|  養護施設にいる間の問題 | 19時56分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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はてなは2chと繋がっているのか??

 はてな地雷原

 hasigotan警報の、過去の騒動についてのリンク集は、もとはといえばわたしが情報収集したもので、過去に同じような事をしていないか?という意図の元、作成したものをヒントに作られているように感じられる。それを施設サバイバーさんという人が採用し、そして今は燈台守さんがブログで開示している。(自意識過剰かな)

 hasigotanのところの連投コメントといっても、施設サバイバーさんのは単細胞な怒りのコメントで、トラバもコメント欄も書けない状態にしておいて、hasigotanがMariaに言いたい放題書いたから、彼は結果として数回連投になっただけ。

 ただ、他のHNを使い連投しているかどうか判らない。でもわたしは施設サバイバーさんはやる動機がないと思う。彼はコメント欄が開かれ、議論できればよかったと思う。だからコメント欄を開けと言っていたのに、他の方が押し寄せて、誰が誰だか分からなくなったという事だろう。

 とくにブログをもっていない人への警戒が強いhasigotanが、一体ブログを持っていない人の何に警戒しているのか正直わからない。自分に隠すものがなければ、自分が主張したい事があれば、何であろうが真正面から語り合えた筈なのに・・・。、

 燈台守さんのブログのリンク集、中にはリンクを外してほしいと言ってる人もいるようだが、彼は基本的にそのまま表示させておくつもりのようで、反応がない。

 燈台守さんがリンク集を作った目的も、わたしがhasigotanは過去にも似たような事をしていないか知りたいという目的と合致するかどうかわからないが、たぶん彼の文章を読む限りにおいては、同じ意図だと思う。燈台守さんは施設サバイバーさんの知り合いか、それとも同一人物なのだろうか、いづれにしてもHNはひとつにしてくれたらありがたい。迷わないですむ。
 
 施設サバイバーさんはhasigotanに直談判しに行った唯一の人だ。わたしが一週間固まっていた時に、彼は先陣を切って乗り込んでいってくれた。今まで関わりが無かった人なので目が点だったけれど。

 彼のコメントは「卑怯だぞ、きたねえな、コメント欄開け」とか、そういう語録で構成されていたコメントじゃなかっただろうか。hasigotanはコメントを消してないと言いながらも、ブログをもっていない人の書き込みを全部Mariaのせいにしてコメントを削除しているし、

 「Mariaさんとは別人です、IPも調べて下さい」と言ってる人のものまで削除している。IPを調べて下さいと言ってる人を疑う根拠はなんだろうか?と反対に不思議に思う。hasigotanには2ch世論のような大応援団がついているようで、詳しい人も多いみたい。

 でもこうなると技術の問題じゃない。核戦争も技術が行き着くと恐ろしくなって、最後は石の投げ合いへ戻っていくと思う。
  
 最後は当事者同士の問題なんだよ、部外者は関係ない話だ。
 
 当事者間で議論できないのは限界がある。判ってもらおうとは思っていないけれど、本人同士が全く接近しないまま、大量の聴衆だけが押し寄せている始末だ。燈台守さんという新たな人が又どういう人が判らないが、本当によく調べていて、こちらは女2人なので申し訳ないくらいだ。でも、まだ相手がどのような人かわからないので、その部分で不安が残る。

 はてなって一体何?何故2ch風なの?
 たんに便利なツールとして使っていたのに、違う使い道になってしまっているの?はてなブクマって何だ?今はわたしは別のブクマを使用し始めている。誰にも見つからないソーシャルアノテーションなんてばかげているが・・・。


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| └ 地雷原かも | 07時36分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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養護施設の廊下の壁にはいつも汚れた穴が開いていた

sky

養護施設にいる間の問題

関連記事「家庭から持ち込まれた施設内での虐待の連鎖」と「施設内暴力環境」と子どもたち 
 
暴力性に懐かしさを覚えつつもフリーズする

 今回の事は養護施設の世界観そのままだった。養護施設には被虐待児が保護されてくる。自分がされた事を施設内でくり返していた。やってはいけない事を知らない子が何人も入所してくる。

 施設の壁はいつも靴の痕がついていた。いくら掃除を徹底してもすぐに汚くなった。窓ガラスは割れていた。でも又すぐに割れるからそのままにしていた。乱暴な言葉遣い、俺という女の子たちは確かに多かった。家庭では被害者だったけれど、施設へ保護されたとたんに加害者になってしまう。

 家庭で虐待を受けた子を被害者の側面だけで見ていると、その子がやっている事がぼやける。今回の事で、あまり認めたくはないが、わたしらしくもなくFBのようなものになった。
 
 怒鳴り声、罵り声、男の職員1人では手が足りなくて増員される。

 周囲の子に伝染する憎悪。狂喜じみたほかの子達たちは、ひたすら鼓舞している。みんな多かれ少なかれ虐待を受けて施設へ入ってきているので、すぐにその場が戦場になる。

 上記は覚えている光景ではなく、この一週間絶えず心に侵入していたイメージ(雰囲気)だ。あの人のオーラがかもし出すイメージは家庭で虐待を受けた子のものと言うより、家庭で虐待を受けて措置されてきた施設の子を彷彿とさせていた。

 記憶ではないから厳密には体験と言えない。でもこの一週間、ずっと日にちの感覚が判らなくて、この一週間を忘却しそうな予感がある。うまく言えないけれど、この出来事を忘れていく前にメモを残しておこうと思った。

 ネットでは言葉の暴力性に限定されるが、リアル世界の養護施設では壁に穴が開き、家庭から来た子はリスカをくり返し、警察が来て、少年と少女は互いに性的暴言を吐き散らかし、小さな子を裏庭に連れていき、職員もおかしくなり、保母もヒステリーを起し、

 子ども達はみんな精神が焼き切れていた。

 ネットでFB注意を促す事の重要性を今回の事でよく知った。わたしは虐待を受けてないからFBはよその人の話だと思い込んでいた。だから今回の自分の精神に起こった出来事をカテゴリ分けできない。でも、3日しか記憶がないような気がする。一週間も経っていたのに・・・。

 わたしもMariaもブログに入り口を付けた事は間違いじゃなかったと思う。どういう傾向のブログなのかを示す事、その入り口の文章に怒りを向けられたけれど、そこから引き返す自由をわずかでも選択できるのは、自分に出来る精一杯だと思った。

 これがFBなのかどうか知らない。でも、まるでこの世にいないかのような数日間だった。こんな大人が変な話だけど・・・。

# 建物の描写は自分が大人になってから行った施設の荒れ具合を見て、自然に浮かんだ風景です。





|  養護施設にいる間の問題 | 18時02分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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里親手当てが倍増される事で、ますます問われていく里親の質

気になる記事のCLIP


記事引用元 毎日新聞記事 

<里親支援>手当倍増7万円、都道府県に拠点 厚労省方針 (毎日新聞)

 虐待や親の不在などの理由で、家庭で暮らせない子供たちの受け皿を手厚くするため、厚生労働省は23日、子供1人当たりの里親手当を倍増させ、各都道府県に1カ所程度の里親支援のための拠点を置く方針を決めた。施設が中心となっている今の被虐待児らの受け皿を家庭的な環境に近づけ、併せて里親支援を強化する狙い。08年度概算要求に盛り込む。


コメント

 ひさしぶりに良い記事を知らせる事ができる。この話は何となく漏れ聞こえてはいたのだけど、その話を教えてくださった里親さんは「ますます身が引き締まる、里親の質を更に問われる」と言っていた。

 もちろん監査も入るが里親自身が子育てをしていく中で、愛されずに育った子がどのように振る舞いがちであるのかなど、どうしても避けては通れない壁にぶつかる。その時に、里親自身が親からどのように育てられたのか、実子には通じた事が里子に通じないのは何故なのかなど、考える材料が山ほど出てくると思われる。

 金銭的な手当てもそうだけど、このような、他人の子、問題を抱えた子を育てる里親独特の悩みを持った時に抱え込まないですむ環境の整備も充実していけるものと期待したい。


 
 

|  気になる記事のCLIP2007 | 15時35分 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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