Firedragon戦記/絆なき者の記録

元・児童養護施設内マイノリティの自己主張ブログ

2008年05月 | ARCHIVE-SELECT | 2008年07月

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妊娠を考える:「自分の面倒も見られない人が子どもを生むこと」について

養護施設にいる間の問題

知的障害者が子どもを生むこと

 ★わたしは個人的にこの問題【障害者のこと】について考えざるを得ない状況にありますのでこのような記事を書いておりますが、不快な方がおられましたら表現を考えますのでご指摘下さい。

生物学的親のもう一つの診断

 さて

 知的障害者妊娠について考えている事がある。

 ・・・というのは、数年前に福祉のケースワーカーから手紙があり、生物学的親が、知的障害者の障害者認定を受けているので、そのお金が下りる【専門的な事は判らないので間違ってたらすみません】とのこと。

 恐らく知的の障害者認定と生活保護認定のふたつを受けて、最期まで精神病院で過ごすのだろう。

 で、ケースワーカーの手紙で最後に結ばれていた言葉は「お母さんに声を掛けて上げてください、お金は必要ありませんから」と書いてあったようだが、その手紙はどこかに行ってしまったので確認できない。何よりも「声を掛けてあげる必要」をわたしは感じなかった。

 しかしわたしは、もっと早く彼女は知的障害があったのではないかとこの手紙を読んだ瞬間に思った。何故なら、一度だけ会った生物学的姉が「あの母親は精神病というか、頭がもともと弱い人なのよ」というような表現をしていた。そして生物学的親が姉にした事の内容を少し教えてくれた。

 その内容については割愛。つまり、姉は生物学的親の様子をきちんと把握していたフシがある。

 ただ、彼女の症状が若年性アルツハイマーなのか、性的トラウマによるPTSDなのか、境界性人格障害なのか、知的障害者なのか、総合失調症なのか。それはわたしにとって興味の事項ではない。

 わたしが理解できる事は、

 そんな人では、とても育児、教育をできる状態ではなかったろうし、将来についても子どもを引き取り、まともに育てる事はできないと、当時の児童相談所は判断できた筈だという事だった。つまり、養護施設へ丸投げされただけだと。

 さて、上記のメモを踏まえて、知的障害者妊娠について少し考えた。

自分の面倒も見られない人の生んだ子はどこへ

 生物学的親が早々に知的障害者の認定を受けていたとしたら、わたしも里親家庭への道が開けていたかもしれない。と考えるようになった数年前は、まだ障害者と妊娠についてテキスト化しづらかった。育てられてもいない家庭の養育環境について考えるのは非常に難しいのだ。

 「だいすき」というドラマ

 わたしはリアルタイムにそのドラマを観た事がないけれど、最近  veohという動画サイトにアップされているのを鑑賞した。そして知的障害者が子どもを生む事について考えさせられた。

 一話の簡単なレビュー

 ヒロインと夫は共に知的障害者だが、その2人が知り合い、夫が事故で死んだ後に、妊娠が発覚し、ヒロインが生家で母と兄と共に育てる事にし、結果、ヒロインは子どもを生んだ。

 ヒロイン以外には母と兄がいて、やがて生まれてきた子を育てるという筋書きだ。その中で障害施設の職員と母親が、ヒロインが子どもを生む事でこうむる色々な心配について語るシーンがあった。

 「自分の面倒も見られない人が子どもを生む、子どもが養護施設へ入ることになるかもしれないのよ」と。

 このドラマは、知的障害を持った女性が、

 子どもを生む選択をする
 子どもを施設に入れないで、自分で何とかする
 知的障害を持っていながらも健気な母親であるヒロイン
 生母が病気になった時、ヒロインは子どもを育てられるか?
 
 という事を柱にしている話だとラフに捉えた。

 ただ、このドラマ、何度か保健師が「何かあっては困るから乳児院や養護施設へ」というが、今の所、全く里親という言葉が出てこない。

 ヒロインも「子どもが施設に取られる恐怖」を覚えていることにスポットが当たっている。

 知的障害のこの女性が、いくらめちゃくちゃな子育てをしていても「彼女は育児放棄をしてるわけじゃないから」と保健師の先輩職員らしき人が語っている。

 しかしヒロインは基本的に、家事・育児がうまく出来ないので、結果的には育児放棄に近い状態になりやすい。という状況にみえる。このあたりで、わたしも見てて不安。
 
 正直、本文でも懸念されているように、彼女をサポートする家族がいなくなったら、この子どもは即、施設行きだと感じさせられた。ともかく、子どもを施設に取られまいとヒロインや家族はがんばるが・・・。

 まだ最後まで鑑賞していないが、知的障害者妊娠についても考えさせられている。妊娠について、子どもを生んでない女が語るのはハードルが高いが、我慢して読んでくれてありがとう。

 だいすき!というドラマを全部見たら、感想文を書こうと思うが、まずは。

追記

 わたしはいかなる理由によっても、親として機能しなかった親は養育者としては認識できない。周囲から、いくら親側の事情を聞かされようと、わたしが1人で養護施設で生き抜いた事の理由付けにならない。

 わたしの望みは、子どもを育てられない状況の人が子どもを生んでしまった場合、遺棄児童同様、乳児院や養護施設よりも、里親家庭へ行ってほしいと望む。

 親が知的障害の場合、ほぼネグレクトになる。「家庭にありながら、親の温もりを全く知らない事の謎の一つ」に、わたしに関して言えば、知的レベルの低さの為、子育てを知らない生物学的親の側にいたので、結果的にネグレクトなってしまったのだと自分の乳児期を納得感と共に分析した。
 
 この記事はある意味カミングアウト【生物学的親の障害認定】なので、整理の為テキスト化に挑戦してみた。

|  養護施設にいる間の問題 | 06:30 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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現実:常にすぐそこに迫っている路上生活と対峙すること

養護施設を出てからの問題

 選択肢のない自己責任

 わたしは、もし離婚すれば路上に戻ればいいと何処かで考えているような気がする。過去にも下宿先などで色々あると、わたしはすぐに路上で一晩も二晩も寝泊りし、そのまま夜を明かして働きに行っていた。そしてそこに住めなくなったとしても、わたしにはイザという時には大地が寝床だと感じていた。

 職員はよく失敗した卒園生の事を語る時に「自己責任」を口にする。しかし成功して有名人になった卒園生の事は「うちの卒園生です」と語る。そして何かと大げさな【まるで里帰り状態】イベントを行う。

 しかし大抵の養護施設全部育ちは人知れず爪に火をともすように生きているのだ。

 かつての子ども達は使い捨てだと個人的に思っている。養護施設の職員を食べさせる為の頭数の1人として集団生活を送らされ、里親家庭へもいけず、社会で生きるスキルもなく、適応障害となり、集団生活のトラウマを抱えて生きる。そして措置解除になれば自己責任だと、使い捨てられる。

 だからわたしにとって路上生活はすぐそこに待ち構えている生活なのだ。比喩でも例えでもなく、現実以外の何物でもない。でもその現実は、実は子どもが真に望んだ選択ではない。寄る辺なき現実が、そうさせている。

 養護施設全部育ちが路上生活者になるとしても、それを自分で選んだ【自己責任】と言いきれるだろうか。この世に頼るべき親戚も縁者も故郷と言えるものもなく、生活に失敗しても頭を下げて帰る実家もない。中卒の施設育ちや高校中退の施設育ちが、身体が丈夫であるという理由で生活保護も受けられない。【元データ捜索中】

 路上生活予備軍

 養護施設出身者にとって、たとえ今結婚生活を何とか維持できていても、たとえ今何とか仕事にあり付けているとしても、路上生活がすぐそこに待ち構えている。離婚も一つの選択、退職も一つの選択、住まいを変えるのも・・・などという言葉は選択肢がある人たちの言葉だ。

 養護施設を「愚民養成所」と言った人【数年前のどこかの偉い人の侮蔑発言】がいたそうだ。「惰民養成所」とも言ったかな?あの言葉はキツイものの、確かに時折思い出してしまう。社会への適応障害だけでなく、天涯孤独なままにしておいて、社会的養護も受けられず・・・。

 だから今、何とかしがみ付いている施設出身者たちをそっと応援したい。少なくともわたし個人としては、選択肢の無い天涯孤独を選ばされてしまったとしても、それでも生きてゆく道を選ぶのは自分の責任において全うしたい。

 愚痴

 親のない子を乳児院と養護施設で一貫養育【つまりは長期(10年以上丸々)の施設入所】させようと考えてる人間もいるようだが【データ検索中】

 ・・・その人は、子どもの最善の利益を考えていないので、将来、この国に還元できる人間を育てる事がどういう事かを、頭脳内で図式化できていないらしい。

 いや、もしかしたら、一貫養育を推進する大人にとって、その子自身の最善の利益などは考える必要がないのかも。親のない子たちは何しろ使い捨てだから、この社会不適応な元施設っ子が生んだ子が、又、乳児院に預けられれば、この乳児院・養護施設長期入所サイクルは連綿と続くから・・・。

 まあ最後の言葉は単なる愚痴だけど書いておく。

|  養護施設を出てからの問題 | 07:38 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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読書感想文:「世界中の愛を全部ください」&「もう学校には行けない」

読書感想文
 
乳児院と施設の観念が染み込んでいる里子の、里親家庭と学校への適応の難しさ

 関連記事:Books 世界中の愛を全部ください / Books もう学校には行けない











  「世界中の愛を全部ください」

固定された大人との関係よりも子ども集団を気にする癖

 題名で表現されているように、彼女の世界観は知らないわけじゃない。その観念から生じている自己否定と口の悪さ、施設を出て里親家庭へいっても、いまだに指導員や保母に対するのと同じ態度を続け、子ども集団の中での自分の立場ばかりを気にする癖。

 その里子の態度が理解できなくて困惑する里親夫婦。この本での彼女は施設での体験を里親に語りつつも、彼女自身では言語化できない事柄は、学校での実際の行動で語っているように見えた。

 わたしはこの本を読んでいて、5才まで席を置いていた乳児院や養護施設で彼女がどのような集団生活を送っていたか垣間見える気がする。すぐに消える職員である大人には興味も期待もなく、常に子ども集団だけが死活問題の彼女は、里親家庭に行っても集団生活の影響下で生きているように見えた。

「支配と被支配」の発想

 子ども集団とその影響という視点からこの本を読むと、彼女は学校で、集団の中のスケープ・ゴートを選び、幾つかのグループの中のどれかに所属し、そこで実質的な支配権を得て、グループの中心人物である自分を裏切らせない為に、影で他の子の弱みを握り、陰口をばら撒き、周囲の子にかしずかせる事でグループ内での安定を得ようとする。
 
 それは彼女が身を置いていた施設での子ども達のやり口だと考えれば、わたしにはシンプルに話の内容が理解できる気がした。彼女は施設での子ども集団の支配の世界観を、里子になっても、一般社会の学校で再演しているように見えた。

信頼なき裏切り

 彼女が頻繁に口にする「裏切られた」という言葉は、支配と被支配の世界しか知らない彼女としては、この表現が彼女の精一杯の表現。彼女にとっての裏切り者というのは、彼女の支配の及ばなくなった相手の事を指す。信頼による裏切りではなく、彼女の支配から逃れる事が裏切りのようだ。

 それとは別に、施設の集団生活の場合、けん制から抜け出す子や、職員と少しでも多く話す子は、それだけで集団を裏切る、裏切り者になる。

 彼女のぐちゃぐちゃ心理がよく出ていると感じるのは、彼女の家に後から入ってきた幼い里子に対する抑えられない嫉妬と怒りの部分。

 【彼女視点では】里親の愛を一身に受けているようにしか見えない年下の里子を苛める事が許されない里親家庭での、彼女の「とぐろ巻きの思念」について、里親夫婦は理解しきれていない。

 もし施設なら、大人から可愛がられる子はみんなでリンチすれば事はすむ筈だったのだと思うが、里親家庭では許されない行動。彼女は、飼い犬にまで怒りをぶつける。

 この時点で彼女は自分を今まで施設に帰さずに関わってくれている里親の覚悟に気付いていない・・・。

 そしてその苛立ちは学校でも・・・。目を合わせない子をちくちく苛める、理由にならない理由で親友とまで言った子にムカつく子のレッテルをはる。

 彼女はまるで児童養護施設の親分肌の女子だ、わたしは、彼女はその気配をぷんぷん匂わせる文章を書いていると感じた。

 「もう学校へは行けない」

 次の巻も基本的には集団にロックオンしている彼女の意識が感じられる。集団から少しでも外れると神経症の様相を呈するなど、彼女はまだ集団の世界を強迫観念のように意識しているように見えるし、そのため、里親子関係の問題にまで心が向いていないように見える。

 様々な理解しがたい態度を示す里子に対して、里親が「お前は私たちを散々振り回しておいて!」と怒る場面があるけれど、彼女は自分が里親を振り回している事に気付いているとは思えない。彼女の関心は今も子ども集団にあり続け、里親の悲しみ、苦しみに気付く心的な余裕もないように思う。
 
 読後感

送信者 Mariaのストリート通信


 わたしは里親さんがたにこの里子さんの生々しい言葉を読んでいただきたいと思う。施設出身者のわたしにとって気持ちのよい文章ではないが、養護施設がどのような世界観なのかが感じられると思う。ぜひお勧めしたい。

 里親家庭へ行くのは、5才では遅すぎると感じさせる本だが、一方で、5才でも養護施設の世界から身を離したからこそ、この生々しさをそのまま体現できたのかもしれないと感じた。

 最後に

 彼女が書いている、学校の交友関係の悩みのように見える事柄を、わたしは養護施設の子ども集団の絡みの延長として捉えたので、彼女の必要以上の過激さと不安の状態が、養護施設の子ども集団の世界を知らない人は何の事か判らないと思う。

 ただわたしがこの本を読み始めた時、彼女の強迫観念的な態度は学校の交友関係の問題に見えなかった。学校の事を彼女は書いているのに、その内容は丸ごと施設での上下関係や、集団関係、職員とのやりとりを再現しているようにしか見えなかったとだけ、告白しておきたい。

 同じ子ども集団でも、学校の集団と施設の集団はその関わり方や影響の度合いは違う。彼女のかもし出す文章は施設時代の匂いがぷんぷんしている。これだけパッケージングされた文章もなかなか見当たらないと感じた。
 
送信者 Mariaのストリート通信


 飾らないストレートな彼女の表現を読む事で、彼女の生きてきた5年が見えてくる。やはり養護施設は子ども同士縛りあう大人無き世界だ。その影響は里親家庭へ行っただけでは修正しづらい。認知の療法などのレベルのように感じた。

| └ 読書中 → 完読 | 17:29 | comments:0 | trackbacks:1 | TOP↑

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お勧め映画:JuNO

お勧めの映画

  

上のリンクは映画のチケットやDVDじゃなくて文庫本です。

 先ほどMariaと2人でこの映画を観る約束をした。1人では少し力がほしいところだった。観たらそれぞれに感想文を書くと思う。

 まずは「世界中の愛を全部ください」を読み始めた。
 

|  興味の対象 | 15:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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時間と価値:子ども一人当たり職員と会話できる平均時間

SOULFAMILY-project.・別館

送信者 Mariaのストリート通信


 自己関連記事: 施設の中の無愛着児童は「後追い」しない

 保母の時間外労働とその責めを負う子ども

 施設でA子という子が保母に愛着を持ち、職員から「お前は○○姉さんの給料を支払えるのか!」と責められた事で、今でも彼女は自分のために相手に時間を使わせる事が出来ないと言っていた。彼女は乳児院から養護施設で全部育った。そして愛着相手を探したのに叱責された。

 彼女は叫び返したそうだ。
 
 「あたしのお小遣いを全部使って良いから、それで払えるならいくらでも払います!」って。その話を聞いた当時、わたしは彼女の話に何も感じなかった・・・。何をこだわってるのか判らなかった。
 
 施設の子ども達にとって希少な大人資源だし、さらに子どもと関わる職員の時間は労働である。労働時間外に子どもが保母に愛着を持つとA子のように叱責される・・・それが施設という世界。

 わたしは彼女がせっかく語ってくれた「彼女の傷つき」をその当時、理解できなかった。わたしもまた、誰もいない世界を当たり前として生きていたから、彼女の愛着へのコダワリが全く理解できなかった。

 時間的価値とあらたな認識

 その感覚が身に付いているので、わたしはソウルメイトからたしなめられる。わたしは人と話す為の体内時計が3分以内なので、3分過ぎるとソワソワ電話を切ろうとするのだ。

 たぶん彼らは、わたしの施設仕込みの「1人あたりの持ち時間の感覚」を直そうとしてくれてるのだと思う。わたしにとって、相手の時間を奪うような気分が嫌なのだと気付いた。A子と同じ施設で育ったのだから、こういう感覚になるのも当然といえば当然。
 
  そして結婚して家庭を築くという事についても、・・・まだ家庭に住んでいる事についての現実感が無い。どこか浮ついた夢の中のような感じ、家庭に住む事が非日常だという感じ。この感覚はあまりに根強く、いっその事、生まれ直したいほどだ。

 意識化させない無愛着の環境

 現時点でのわたしは、1人の大人がじっくりと1人の子どもの育ちの側にいる事を【子ども達が実感として味わえるために】固定された大人との出会いを保障してほしいと思い、書いている。

 子どもに関わる労働時間=金銭的価値・報酬を求めるのなら、施設的関わり方じゃなく里親とのじっくりとした関わりを求めたい。わたし個人としては里親という労働報酬があっても良い、もし、たった一人の大人になってくれる人がいるならと、思ってる。【個人的意見】

 
送信者 Mariaのストリート通信


 施設の子たちは、自分は大人の貴重な時間を奪うに値する存在なのか?と常に問われるような感覚が抜けない。そして他の子が抜け駆けをしないように、互いにけん制する。

 でもそれは本当は、子ども達の感覚は間違っている。誰もたった1人の固定された大人を得られない環境下で生きている事こそを問題視したい。

 1人の大人の時間を奪ってはならない感覚を子ども達に持たせる乳児院・養護施設の世界観で生きると、無愛着や愛着障害を症状として捉えるチャンスも持てず、施設を出ると「単に変わり者」でおしまいになってしまう。

 施設だけの世界しか知らなければ、家庭ならば通常である愛着行為や発達心理が問題行動であるかのように植えつけられる。

 そのような世界で育った子が大人になり、子どもの愛着を受け止められる大人になれるかどうか、考えていきたい。とことん考えるべきだと思っている。

 「自分の為に時間を作る大人がいるのが確保されているのが前提」で、「その質やら、付き合い方やらは次の課題」だ。

 まずは誰か1人、固定された相手がいる事を当然としてほしい。相手が居なきゃ期待もしないし裏切られる事もない、よってPTSDにもなり様がないというのが自論。

 どうか固定された育ての親を子ども達に与えてほしい。裏切られて傷つき感を持てるほどの相手に・・・傷つく事を体験した事のない子ども達の為に。

 ★時々親記事を修正しました。
 文章が落ち着くまで少し掛かるようです、わたしの記事の書き方の特徴として。

|  このブログについて | 14:52 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

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乳児院・養護施設で育ち15才で初めて里親家庭へ行く事

 SOUL FAMILY-project.別館

 生き方を否定される気持ち

 わたしはこれまで、わたしの生き方や態度やマナーについて全く指摘を受けずに生きてきた。わたしは自分を問題意識を持って客観視した事はなかった、でも結婚後に家庭を知らない事に気付き、せめて中学・高校からでも良いので里親家庭へ行けたら何かが違うと思っていた。しかし、中学・高校で里親家庭へ行けて間に合ったのか?という問題を最近知った。

 先日ある里親さんから「15歳で来た子が1年で施設へ帰された」という話を聞き、その大まかな内容が、今、わたしが絆づくりをしている上での課題とまるで同じ内容だったのでインパクトを受けた。やはり里親さんの生の証言はリアルだ【当たり前だけど】。

 その16才の子は、里親家庭で急に自分に注目が集まり、あれこれと細かく生活態度や食事のマナーや口の聞き方など、至る事で注意を受けるようになり「今までの生き方を否定された」と怒り、施設へ戻ったそうだ。

 問題化されずにいたからこそ

 その子にしてみたら施設では全く問題とされなかった行動を、一つ一つ問題視される里親家庭は苦痛であったろうと思う。というか、わたしの事を話しているかと勘違いする程、その子はリアクションが似ていた。今まで何ら問題とはされなかった無愛着が里親家庭で問題化する事に怒りがわいてしまう。・・・怖いのかもしれない、捨てられていた事に気付くのが。

 わたしも、時々Wolf【絆づくりをしている人】から細かく愛着の無さを指摘されるとカチンと頭にきてしまい、

「わたしのこの行動は今に至るまで何ら問題化しなかった、もしこの態度が問題ならとっくの昔に【子ども時代に】職員会議に掛けられ、何がしかのペナルティを与えられ、愛着を嫌という程身に付けさせられた筈、だからわたしを問題児童のように扱うな」と言ってしまうようだ。

 そうするとWolfから「愛着がない事を問題視されなかった事を理由に、自分には問題がないと言うな」と怒られる。

 こういう、しょうもない内容【里親家庭的には問題】で怒られる大人の自分がやたらに情けないのでこちらもますます頑固になる。

 その16才の子が事細かに里親から言われた内容と、わたしがWolfから言われている内容は年齢こそ違うものの、重複する部分もあり、特にメンタル部の「全く甘えない」「1人で生きている」ところを、いい年になってから注意を受ける事の、なんとも言えない情けなさを感じるのだ。

 でもその里親さんもショックを受けているらしい・・・。乳児院から養護施設で15まで育ち、とって付けたように里親委託をされても、結局施設へ戻ってしまう現実を、他人の話を通して垣間見た気分だ。施設側はこの状況を「里親家庭で傷ついた子が施設へ戻ってくる」と表現する。里親のところへ委託される頃には立派な無愛着になっていると言うのに・・・。

 不調の原因の語られない部分

 わたしが、だから、もし中・高校生で里親家庭へ行っていても、その16才の子と似たようなパターンに陥るような気がした。もちろん、里親の力量や知識などによる部分も多いが、大概、家庭で育った里親は、施設で全部育った子の独特な感覚と心理と行動に、神経が疲れて参ってしまうようだと知った。

 愛されたくて様々な問題行動を起こす子には慣れている家庭育ちの人でも、養護施設で手も掛けられず、自分で勝手に生きている野生のような子に、里親はショックを受け、どうしても打つ手が無いような気分にさせられるようだ。
 
 生まれて1年後では遅い、生まれて三ヶ月以内に里親委託されなければ、あとは年齢差はあまり感じなくなる・・・。乳児院・養護施設という場所では愛着が一番初めに淘汰されるのだから。

|  Soul-Family-projct・別館 | 08:18 | comments:2 | trackbacks:1 | TOP↑

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お勧めの書籍:「神様からの贈り物」土井ホームの子ども達

興味の対象これから読む本

 参照記事:2008/06/10付 西日本新聞朝刊

 


 引用文

■「内面の復元力を信じて」

 北九州市若松区の里親、土井高徳さん(54)が、児童虐待などで心に深い傷を負った子どもたちとの暮らしをつづった「神様からの贈り物 里親土井ホームの子どもたち」を出版した。土井さんは本紙生活面で「土井ホームの子どもたち」を連載中で、読者から大きな反響があり、掲載1周年を機にまとめた。ホームでの生活を通して、子どもたちが希望を見いだし、回復していく様子がつづられている。 (簑原亜佐美)



 まだ読んでいませんがご紹介だけさせてもらいます。わたし個人としては「ホーム」という語感にドキッとするのですが、これは養護施設の施設名に多く使われるホームと音が同じだから。こちらのホームは施設じゃなく里親家庭なのだ・・・。



 後に読んだら感想を書こうと思います。ご興味のある方は上記リンク先からご覧になって下さいませね。

|  わたしの本棚 つんどくリスト | 22:52 | comments:11 | trackbacks:0 | TOP↑

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不定期レビュー:瞳第11週「じいちゃんのいない夏休み」

不定期ドラマレビュー


 里親家庭の「愛着障害」・・・。

 無愛着女のわたしが言う話か?と思わぬでもないけど、愛着障害の親子の話がわたしの頭の混乱の元だと感じた。

 機能不全家庭出身の里子を育てる大人自身が愛着の問題を抱えたままでは、子ども達の前で「反発ばかりする子【百子】」を見せてしまうのだなと思った。

 娘の百子と父親の勝太郎の確執は、実はその底に信頼があるからこそのものという流れにしたいのかもしれないと感じつつ、でもそれは、家庭から捨てられて施設へ入れられた里子たちには理解が難しいと感じた。

 「底流にはお互いの信頼があるから親子喧嘩ができる」という製作者側の意図を感じるものの、でももし自分が里子なら・・・里子の立場からこのドラマを見るのは心理的に混乱をきたす。

 里子たちが機能不全家庭〜施設経由からの委託の子たちなら、恐らく親どうしの喧嘩を見て傷ついているし、整理できないものを抱えているのに、里親家庭で、その家庭の親子の未整理な愛着障害につきあわされるのは正直キツイ。

 難しい親子を里子たちの前で晒し続ける・・・「それも現実の家庭だよ」と捨てられた傷を持つ子ども達に伝える話なのだろうか?捨てられた子ども達にスタンダードは必要ないのだろうか。子ども達は愛着の何たるかを知らずに生きてきてしまったのに、この家庭の持つ課題はとても難しい。

 やはり、親子のモデルとしてのそのスタンダードが愛着障害により、素直になれない娘と父親像としてスリコミさせられるのは怖い、不安。特殊な家族愛は里子たちの、それぞれの過去の整理に影響を与えると感じた。
 
 学びの場としての里親家庭

 家庭の人にとって家庭は選べないし理不尽なものだと思う。それはおそらく生まれてしまったその家庭ごとの課題だと思う。でも行政の手が入り、保護を必要とする子ども達が機能不全家庭から保護された意味を理解してほしい。機能不全家庭・養護施設全部育ちの脱却の為に、施設では学べない家庭・家族を学んでほしいと望む。

 里親家庭なら何でもいいと思わない、わたしは施設にも生物学的親にも求める事ができなかった良質を里親家庭へ求めてしまう・・・。

 施設だから許されない我侭も、仮にも親と名乗ってくれる人へは心のどこかで宛ても無く期待する。自分だけの家庭、自分だけの場所、自分だけの人に恐れがある状態の里子たちが、居て当たり前の自分だけの養育者と思えるには、大人側の覚悟が必要だと思う・・・。

 ただ里親になればいいんじゃないと思う・・・。わたしを教え諭し導く大人から学び、いつかわたしもスタンスをきちんと持てる人になれればと思った・・・。

 せっかく出会いのチャンスがあったのなら出会ってほしいけれど、子どもが問題行動だらけの大人のフォローを必要とする状況は、里子には難しいと思う。ダメな大人たちを徹底的に見せ続けられた彼らは、愛着障害の大人をフォローする事はできない。もしわたしが里子なら、そんな大人の態度に迷い続けるだろう。

 という事で複雑な気分でドラマを見てしまう最近なのだった。

| 不定期レビュー | 11:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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不定期レビュー:瞳第10週「急ぎすぎた幸せ」を見て

不定期レビュー

 感想を文章化しづらい

 Mariaから「瞳の施設訪問のところだけで良いから見てほしいの、そして感想を教えて欲しいの」と言われたので一週間分を見てみた。

 瞳が里親研修の後、恵子の居た施設へ訪問するという一連のシーンを見て、突拍子もない事だけど、昔キ○タクが出てた養護施設ドラマを、ふと、思い出した。唐突過ぎるかもしれないけれど、作り手側の示したい匂いが似てるように感じられた。家庭的な養護施設という匂いが似ている。

 里親家庭への理解の一つに、制度だけじゃなく、里親家庭へ迎えられる前に里子が居た世界を出来るだけ等身大で伝える事は大事だと思う。しかし、里親家庭の描写に家庭育ちの人が敏感であるように、養護施設の描写にも養護施設出身者は敏感に反応する。

 里親家庭へ来る前の子ども達の世界を丁寧に奇をてらわずに描いてほしい、別に特別な物語を求めているのではない。冷静で丁寧な描写がほしい。

 恵子の態度に関する違和感

 小学校低学年の三年間だけ居た子が養護施設へ結婚の報告に行く気になるだろうか。里親がいるのに職員をパパと呼ぶ事も違和感を感じるし、たとえば里親家庭から恵子が逃げ出して「パパはこの職員だ」と大立ち回りをした過去があるなら、パパとまで呼ぶのも何となく判るが、実質的には勝太郎が養育者である里父であるのだから、恵子の職員への親しげな行動の根拠がよく分からない。

 男性職員をパパと呼ばせる児童養護施設

 養護施設は実親の家庭復帰を前提に子どもを長期入所させているので、わたしも記事に書く事が多いが、基本的に養護施設では、パパなどと養育親の呼称に相当するような呼び方をさせないものだと認識している。

 わたしの知ってる施設では、お兄さん、お姉さんと職員を呼ばせていたが、それを改め、今では「先生」と呼ぶ事にしたと聞いた。

 ドラマでは恵子から「○○パパ」と呼ばれても当たり前のような顔をしている職員にも違和感を覚える。職員は職員なのだから、恵子がたとえ「○○パパ」と呼んでも「今は君のパパは里父さんだ」としっかり教えてほしい。施設を必要以上に家庭風に描こうとすると、それなら、里親家庭が何のために必要なのかボヤけてきてしまう。

 呼称の問題を軽んじないこと

 この回の話の場合は里子や施設の子が大人をどう呼ぶかをかなり雑に流している感じがした。実際に里親さんの体験話によく出てくる、里子が実親と里親を、どう呼び分けているかという事柄は、里親にとってとても神経を使う慎重な課題なのだと感じている。

 子どもが、どの苗字を使用するか【これは少しドラマで触れていたが・・・】親をどう呼び分けているかなど、突然職員をパパと呼ばせる以外にも、説明にもう少し工夫がほしい。

 最後に

 Mariaから電話がきて、わたしが上記のような感想を言うのに対して

 「色々あるけどレイちゃん、里親さんのドラマってこれしかないのよ、応援するしかないでしょうね」と返事が返ってきた。Mariaのいうように、ドラマの水準を問うよりも里親制度を伝えてくれているドラマだという事が、このドラマの現実でもある。作り手側も養護施設で育った者の心情を描ききれるものではないし・・・。

 ただ、里親制度を伝えてくれるドラマなら何でもいいのか?という事にはならないから、Mariaと共に、時々不定期にレビューを書こうと思う・・・。【努力目標】

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読書感想文:「子どもを病人にしたてる親たち」

読書感想文

自己関連記事読書感想文 Sickened 母に病気にされ続けたジュリー


代理による代理ミュンヒハウゼン症候群


 
 野生のカンに照らし合わせる

 以前、母に病気にされ続けたジュリーという本を読んで驚いたついでに「子どもを病人にしたてる親たち」を買って一日でほぼ読み終わった。

 読んだ事でジュリーの話同様、子どもを看護する事に熱心な親によって病気を作られていくという事を納得できたという事と、そうして育った子どもが大人になってから、親と同じような行動をしてしまうという連鎖を意識させられる内容だった。

 たとえば【これは自分の持つ感覚だけど】この家庭の子ども達は、どうして揃いも揃ってこんなに深刻な病気や障害を抱えているんだろう?しかも、何故かその障害は、後天的に思えるものか、そうでなければ、出生の際のほんの些細に見えるうっかりや、配慮のなさが連続している・・・という、外から見て少し違和感を覚える事柄が、気付きの発端になる場合が多い。でもさらに追跡できないのは、その親の看護に対する強い意志があるので、熱心な親としか扱えない。でも実は・・・リスクの高い事をわざわざ選んだ結果、そのようになるなどなど・・・。

 又は、全く親も子も被害者であるにも関わらず、医療のミスの訴えを周囲にこぼしながらも医師や機関を訴える行動を起こさない・・・ひたすら熱心に看護する母親なのだけど、その盛り上がりように異様な感覚を覚える。

 何よりその症候群の疑いを強く持つ理由として、あまりにその人の子は他の子も何らかの障害や病気の為、薬漬けになり続けていて、周囲からもおかしい?と思われている。

 個人的に偽ミュンヒハウゼンに興味がある理由は伏せておきたいが、そのような親元で育った子は成人しても医者離れができない、いつも不調を訴え、いつも病気が続き薬を貰い続け、それが何年も延々と続く。それは病気でなくては自分に存在価値がないと本人が思い込んでいるように見える。
 
 だから緩慢と続く病気の状態を劇的に直そうとせず、若いのに病院で貰った薬の袋をいっぱい抱えて、カプセルを飲み下している。それはもうすごい状況だと思う。わたしは自分で生き抜いたという自負があるので、こういう症候群の人の心情に理解を示せないので本を読むしかなかった。

 その様な親の元で育った人も他人にこれを連鎖する。もしその人の近くにいる人が一瞬でもくしゃみをしようものなら「ほら、くしゃみした、病院へ行った方がいいよ」と言われ、ただのくしゃみを最悪の病気の初期症状だと言い始める。そのような人の前ではくしゃみ一つできない。
 
 確かに本を読んで影響を受けた結果、あなたはこうだとは言い切れないが、本の内容とほぼそっくり同じ状況が続いていると感じたなら疑ってみてもいいと思った。こういう家庭は里子を迎える事は出来ないと思ったし、実子も生み育てる事に不安を覚えるのではないかなと感じた。

  ★・・・感想文というより単なる思いになってしまい【汗】すみませんでした。そしてもちろん全ての病気の子の親がこうだと言っていません。ほとんど疑いない程、実際に重なる部分がある場合について書いています。

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