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気になる記事のCLIP10 「傷付いた子 虐待の連鎖」

傷付いた子 虐待の連鎖

 朝日新聞 2010 9 28

 送って下さった新聞をフォトショでパッチワークした画像です ↓
Maria、忙しい中、綺麗に並べてくれてありがとう。

 新聞の見本です 画像をクリックすると大きな画像を見る事ができます。)







 児童養護施設・・・被害・成長し加害者に


 家庭で虐待を受け、児童養護施設に受け入れられた子どもたちの間で、弱い子がいじめられる「虐待の連鎖」が起きているという。戦災孤児の受け皿として始まった日本の施設は大規模なものが多く、大勢の子を限られた職員がみつため目が届かない実態がある。

「施設大国」の児童福祉のあり方が問われている」

 (田中京子)

 大人数 届かぬ職員の目

 両親に遺棄され、児童養護施設で育てられた男児がいる。施設内で年長の子から性的虐待を受け、うつ病に。高校生となり、今度は自ら他の児童に性的虐待をして退所させられた。

 あいち小児保健センターの心療内科部長、杉山登志郎さん(59)のもとには、こんな子どもが次々と連れられて来る。
 
 不眠、無気力、対人関係の困難、言葉や学習の遅れ。家庭や施設で虐待を受け様々な問題を抱えた子どもたちだ。

 ある児童養護施設で虐待が明らかになり、杉山さんが園長と聞き取り調査をしたことがある。35人の子どものうち、性的な被害も加害も無縁だった子はわずか2人。別の調査では、性的虐待を受けた子のうち男子は7割、女子は2割が加害者になっていたという結果もある。

 自分より弱い子に性的虐待をし、暴力で相手を屈服させる。被害を受けた児童が長じると加害に回る。親の虐待から逃れ、傷付いた心を抱えて施設に来た子どもたちの間に「虐待の連鎖」があると知って、杉山さんは衝撃を受けた。

 施設内でのいじめも深刻な問題とされる。虐待が子どもの脳の発達に悪影響を与えることも、研究者らの調査でわかってきた。乳児のころから大人を信じる体験を積み重ねていない子どもは「愛着形成」が不十分で、発達障害に似た症状を引き起こし、人間関係を築くのが困難になりたちだ。

 こうした問題の背景にあるのが、児童養護施設の主流は大人数の子が同居する大型だという現実だ。施設は子どもの数によって大舎制、中舎制、小舎制に分かれているが、20人以上の子を集めた大舎制が全体の6割を占める。

 国の最低基準では、職員の配置は小学生以上の6人に1人。現実には1人が十数人の子をみている施設が多い。しかも、夜間の当直態勢は手薄になりがちだ。「少ない職員が大変な仕事をこなしているのは確かだが、現状のままでは限界がある」と杉山さん。

 社会的養護が必要な子は全国的に約4万1千人。この10年で約5千人増えた。うち約3万1千人が児童養護施設、約3千人が乳児院で暮らしている。かつては家庭の貧困や親の病気で施設にやって来る子どもが多かったが、最近は家庭で虐待を受けた子の受け皿にもなっている。

 家族的な雰囲気 心開く
 
 子どもの集団を小さくすると、いじめや性的虐待などの「弱肉強食」は起きにくくなる。午後6時、食事に7人分の夕食が並べられた。ご飯にチンジャオロース、ジャガイモの白煮、味噌汁だ。
 
 「いただきます」
 「ジャガイモ残すなよ」
 
 どの家庭でも見られるだんらんの光景。だが、向い合っているのは児童養護施設の職員と、虐待を受け、連れてこられた子どもたちだ。

 横浜市泉区の児童養護施設「杜の郷」。敷地に5棟「家」があり、それぞれに3人の職員が住みこんで、6人の子と寝起きを共にしている。擬似家族のような形だ。ここで計29人の幼児と小学生が暮らす。
 
 師(もろ)康晴さん(68が)昨年6月に解説、一時保護所から子どもを受け入れ始めた。多くの子が1年近く、養護施設に「空き」が出るのを一時保護所で待っていた。その間、学校に行くことは出来ず、学習や言葉の遅れが目立った。

 親に食事を与えられず、コンビニのおにぎりを万引きして命をつないできた子。ゴミ屋敷のような家で暮らし、両親が行方不明になった子。子どもたちの目はどこかうつろで、心の傷の深さをうかがわせる。その多くが最初は緊張し、泣き叫んだ。

 1ヶ月が過ぎ、だんだん「自分の家」であることを理解すると、少しずつ職員に心を開いた。

 地域の人たちとの関係も深まってきた。地元の連合町内会長は毎朝、登校する子どもたちに声をかけてくれる。師さんは「家庭的な雰囲気の中で誰かに甘えたり、話したり、一緒に遊んだりしたという体験が子どもを成長させる。心の傷は簡単には癒えないが、そんな体験を1つずつ積み重ねて大人になってほしい」と願う。
 
 しかし、職員を手厚く配置するには予算が必要だ。師さんは市に小舎加算の要望書を提出。こども1人につき月額約6千円が認められ、子どもの数の半数の職員を配置することが可能になった。

 こうした小舎制は05年度の83ヶ所から、4年間で112ヶ所に増えた。施設の小規模化は少しずつ進んでいるようだ。
 
 英・韓は里親委託中心へ

 社会的養護が必要な子の9割が施設に行く日本の児童福祉は、国際的な流れから大きくはずれている。

 京都府立大の津崎哲郎教授によると、英国では1960年代末に日本のような施設養護はほぼ廃止され、今ではほとんどを里親に委託。年長児の治療施設が残っている程度だ。
 施設養護が主流だった韓国も2000年代前半に里親中心に改めた。

 日本でも目が届きにくい大舎制の問題が明らかになり、小舎制が少しずつ増えてはいるが、まだ少数派。

 「施設大国」の現実に変わりはない。津崎教授は「日本の施設に今でも大舎制が多いのは、施設経営のコストや職員の労務管理を優先した結果だ。子どもたちが求めているのは家庭のぬくもり。施設養護は減らし、もっと里親を増やすべきだ」と指摘している。



 
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| 気になる記事のCLIP10 | 06時30分 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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気になる資料「乳幼児が施設養育で損なわれる危険性」

 気になる資料

乳幼児が施設養育で損なわれる危険性 ← クリック

 京都府立大の津崎先生より、「子どもの養育に関わる全ての人に知らせてほしい」と 「The Risk of Harm to Young Children in Institutional Care(乳幼児が施設養育で損なわれる危険性)」を ファイルでいただきました。PDFファイルにしましたので、どうぞ印刷してお読みください。




乳幼児が施設養育で損なわれる危険性





 という資料を シドさんサイト へアップしただけではもったいないので、わたしとMariaのところでも紹介します。もしよかったら、ブログやサイトを持っている方で、気持ちが動いた方は、この資料をリンクして下さると大変嬉しく思います。(特に連絡不要)

 無愛着の根本の脳みそ(わたしのフェチ)のシナプスの話とか、すごい面白いです。ご自分でも印刷して読むと、じっくり勉強できると思います。

 子育て中の養育者さん達の、なんらかのヒントになりますように。

| 気になる資料 | 11時22分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ありのままの家庭を知りたいが、明らかにおかしい家庭は知りたくない

里親さん応援サイト・別館

関連記事 
ありのままの家庭モデル「それ」を知りたかった
人間の子の週末里親をやめてひよこの里親探しをしてた知人の話


 「ありのまま」についての自分の定義

 #ありのままというのは、身も蓋もないという意味ではございません。

  
 夫が彼自身の育った家庭を「ありのままの家庭はこんなものだよ」と言ってたが、色々あれど、養育者である大人が彼ら(子ども時代の夫ら)を守り通し、育て切ってきたのを知り、ありのままの家庭とは、地道に日々の子育てから逃げず、子供を捨てず、施設へ入れず、時にはやりすぎな母親だったりするが、愛情を示してきた親のいる家庭を、ありのままと定義した。

 その結果、

 子どもが愛着を身につける条件として、自分を育て続けた親がいるからこそ、人間関係を簡単に断ち切る事が出来ない愛着を身につけられると感じている。

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|  里親さん応援サイト・別館 | 05時17分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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加害児童は児童養護施設内虐待を語れないと思う

スタンス

 施設での虐待の連鎖の特徴

 わたしが施設にいた頃、暴力行為、精神的な暴力、性的な暴力、が、職員から児童、児童から年下児童、そして年下児童が年長者になった時など、施設内虐待の連鎖がごく普通にあった。

 施設の子の虐待の連鎖は施設にいる間に起こりやすいが、家庭内虐待の子の虐待の連鎖は、当人が親の年齢になった時に問題化・表面化するのだと思う。被害者から加害者になっていく経過の時間が、大きく隔たっている。

 施設内虐待は、いわゆる児童間暴力という名の連鎖に陥り易く、非常にそのリスクが高い。上級生はたいがい小さな子を使って自分の事を無自覚に語ろうとする。

 なので施設内の場合は、児童間暴力というよりは、上級生から下級生への虐待の連鎖なのだという捉え方をした方が分かりやすい。

 家庭の子は明らかに養育者である大人からの虐待なので、幼い自分として被害者の立場で語れるが、しかし施設の子は、自分が上級生から何を受けたか無自覚なまま、加害者となる。つまり、施設児童の場合は、同じ場所に住みながら、加害と被害を同時に合わせ持ってしまっている状況だと思う。

 大人になっても、本当は自分の被害を語りたいのに、被害を語るという事は年少児童への自分の暴力も語る事となり、被害を語れないジレンマに陥り、その結果、施設を否定出来ずにいるのだと思う。 
 
 最近、わたしはそう思うようになった。

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| └ スタンス | 15時37分 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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施設出身者が地域で根付く絆づくりのあり方を模索して

SOUL FAMILY-project・別館

 偏見差別とその対象である人物の資質の形

 施設育ちは、バーサス一般社会という考え方をしがちだ。ワタシタチは確かに学校でいじめられたし、仲間はずれにされたが、でも今思い返すと、最初は学校の子も差別意識丸出しだが、やがてどうしても、当人同士の人格で付き合うしかなかった。

 彼らの親が偏見や差別意識を持っていて、子どもも影響を受けたとしても、相手が施設育ちだからどこまでもいじめ抜くという事はなかった。

 わたしは最初の頃はいじめられたが、そのうち学校の授業にもついていけるようになったら、一定の理解を得られ、クラスの中心的な存在の子から「また、○○ダンス一緒に踊ろうね!」と年賀状が来て、すごく舞い上がった事を覚えてる。

 #施設の記憶が全く無いのに学校の記憶があるのはちょっと変な人です我ながら。

 確かに偏見差別はあるが、最後の最後は人間対人間の関わりの問題なのだと気付かされた。クラスメートと施設にいる児童とは、何かが違っていた・・・。だから、わたしはだんだんクラスの子から好かれていると思うようにさえなった。

 それよりもわたしは施設内でのいじめや暴力がきつかった。学校へ行きたかったのも施設の暴力から逃れる為だったと言っても過言じゃない。少なくともクラスメートは、言葉が通じた。

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|  Soul-Family-projct・別館 | 06時15分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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気になる記事のCLIP10「児童養護施設の子どもたち--苦労しすぎた子どもの心は壊れます」

気になる記事のCLIP10

 

#最近は一週間程でネット記事が消えてしまうので全部引用します

 http://npn.co.jp/article/detail/66664679/

 昔、世界名作劇場というアニメのシリーズがありました。『赤毛のアン』『母を訪ねて三千里』『小公女セーラ』『家なき子レミ』『ロミオの青い空』など、どの作品も不遇な主人公がいじめや社会の理不尽と戦いながら、立派な人物に成長していく作品です。これらは美談として語られていますが、現実での不遇な状況下にある子どもたちは、はたしてどうなのでしょうか。

 親のいない子どもたちは孤児と呼ばれて、身寄りのない場合は児童養護施設に預けられます。これらの子どもたちは、施設に入園する段階で、心に大きな傷を背負っています。それは家庭崩壊などの大きな心の傷です。そして、施設入園後も、施設内で受けるいじめや体罰などの精神的苦痛を負った子どもたちは、その辛い体験を背負って社会に出るのです。

 幼少時に過度に精神的な苦痛を受けた子どもたちは、社会に適応する過程でも、さらなる大きな差別を受けるのです。そうした過程の中で成長した子どもたちが、社会への適応ができない社会不適応者、あるいは心の傷が深すぎて精神を壊され、精神障害者となる例も少なくありません。

 子どもには何の罪もないのですが、親のいない子どもたちは、一生差別と戦いながら生きなければならないのです。児童養護施設経験者から、犯罪に身を染める者が数多く出てしまう傾向が高い背景として、こうした社会から受けたいじめや差別が、原因の一つとして挙げられます。

 さらに、身寄りのない彼らはアパートを借りることすら困難です。なぜなら、彼らの保証人となる人物がいないからです。また、就職したとしても、学歴の格差が収入の格差に直結する現代社会においては、彼らの学歴の多くが比較的低いこともあり、結果として低い所得を受け入れて生活せざるを得ない状況が続いています。また現在の若年ホームレスの多くに、このような児童養護施設の卒園者が含まれているのも事実です。
 幼少時に、あまりに辛い経験をした子どもの多くは、その深い傷を生涯背負って生きていかなければなりません。

 これらの子どもに対する社会からの差別をなくすことが、今一番求められていることではないでしょうか。

(白井正雪)



 たどる道
 
 この記事は、身寄りのない施設出身者の事を語っているので引用。施設にいた頃から、必ず辿る道のように感じていた、上記の問題。親だけでなく親戚縁者もいない現実がここにある。

 >これらの子どもに対する社会からの差別をなくすことが、今一番求められていることではないでしょうか。

 わたしは数件の結婚話を、相手側の親から断られた。(当人同士は関係なし)丁寧な手紙を受け取り「うちの息子には勿体無い女性ですので、どうぞ、このお話を無かった事に・・・」と。どれほど偏見差別に反対している人も、対岸の火事では無くなった瞬間(例えば、自分の子どもが連れてきた)に、本音が現れる。

 施設でも”身寄りのない”児童は要保護児童と言われるが、施設を出たあとも身寄りのない現実を歩き続けているのだ。

| 気になる記事のCLIP10 | 04時46分 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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これからは「絆無き者の記録」を終えて「絆作りの記録」へ

 スタンス

 これからは絆無き者としては記事を書けないと思う。かつて絆無き者だったとは言えるかもしれないけれど・・・ここを卒業して次の場所で書こうと思う。

 施設集団の呪縛を解く

 わたしをわたしらしめていた「虚無」「絆無き者」は、施設時代を通して作り上げてきた自己だった。施設という集団の世界で一人生きる中、自分自身で自己を作らなくては、すぐに集団に引きずられ、自分を保つ事は出来なかった。施設の児童は自分で自分を育てるしか、施設という暴力のリスクの高い世界では生き残れなかったと感じていた。

 しかし施設を出て、一般社会に出たら、もう児童養護施設集団の独特な思考ではやっていけない。今度は会社や地域コミュニティと交わり、関わりながら健全な(特殊な集団ではない一般社会)大人としての意識を作らなくてはならなかった。

 児童養護施設の集団世界しか知らない元児童にとって、それはとても困難な作業で、それゆえ、育てられ方の整理作業が必要だった。ソウルメイト(絆相手の二人)はそばにいて、このお砂場的ブログでのわたしの表現のそばにいてくれた。

 時には自分の表現のまずさの為に荒れてしまった時も辛抱強く見守ってくれて、アドバイスをくれた。この日々の積み重ねがあるから、もう「絆無き者」とは言えなくなった。
 このブログは、わたしにとっての、児童養護施設という集団で身についた考え方から脱却する為に必要な場所だった。

 無自覚から自覚へ至る

 わたしは結婚後、彼(夫)の家庭のありのままの家庭観を教えてもらった事になるが、惜しいことに彼は、自分の育った家庭を言語化できなかった。非言語的に教え伝えられて来た彼の家族の歴史なので、彼は無自覚なままでも有り続けた家庭を勉強しなくとも良かったのだ。

 だからけして彼が間違ってるわけじゃない。一般の家庭で育つとはそういう事ではないかと思う。むしろ施設全部育ちの自分が、大学のゼミに通うかの如く、家庭や親子や愛着や心理を学ばなくては家庭の概念が分からない事こそ、自分の過去の育ちに欠損があったと感じている。

 そこを無自覚なまま結婚したが、悩んでいた頃、ネットの掲示板で語るようになったWolfが、今ではリアル世界での指導員のような役割として向きあってくれた。

 わたしが夫と意思の疎通が出来にくい時は、家庭でそだった夫の言いたい事と施設で育ったわたしが困惑している事を、うまく翻訳してくれていたのだと知り、だんだん自覚へ至らせてもらえた。
 
 わたしはそのお陰で、曲がりなりにも整理作業が出来ていると思っている、WolfとMariaには感謝。


 次へ

 このブログでは、言いたいことが次の段階へ向かってしまい、語れなくなってきた。いくら無愛着な気持ちや虚無の感覚を書こうと思っても、今となってはソウルメイトがいるので「さほど虚無でも孤独でもなく・・・」これはこれで、もう、虚無の吐き出しは緩やかになったのではないかと思う。

 次へ向かう事を考えようと思う。今度は絆づくりを言語化してみようと思うのだが、さて、これも又大変な事なのだが。

 覚書でした。
 

| └ スタンス | 06時37分 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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強制引取りと放浪と公園生活と学校へ行けなかった為の学年遅れと

気になる番組のCLIP10

 今頃motherを観た影響

 motherというドラマの事でMariaが別スレでコメントを書いているので、わたしも自分の事を少し。

 わたしにも、数カ月間の放浪生活と逃亡と公園生活の記憶がある

 一度目の施設にいた頃、手続きを取らずに「散歩に連れていく」と言い、強制引取りをしたらしい女がいた。だがもう就学児だったので学校へ行かなくてはならない。なのに、その女の行動により、学校へ行けなくなった。

 その女は実親らしいが、それを知ったのは大人になってからの事で、しかも二度目の施設の施設長から、生物親から強制引き取りをされて学校へ行けなかったので、児童養護施設間を渡り歩き、学校も一学年遅らせたのだと知った。

 わたし自身、強制引き取りの後の事はよく覚えていないが、しばらくどこかに住んでいたらしい。

 わたしは昼間ひとりでずっと座っていた。その間、その女の姿は見えないので、どこかへ行っていたのだろう。学校はもちろん行っていないので、通報があり、担任だとかいう先生が教科書を置いていった。

 教科書は必要ないという事で、ゴミ箱へ捨てにいった。それは印象深く切ない気持ちで覚えている。

 だが、やがて隙を見てそこを逃げ出し、公園で一人で水を飲みながら生きていた。学校へ行く登校時間になると、小学生たちのランドセルが輝いて見えたのは覚えてる。光があたっていたのかもしれない。
 
 生まれてすぐに何処かへ預けられ?就学児になると施設へ入れられ、途中でその女は実親という理由で手続きもせず強制引き取りをした。見たこともない女を実親と思った記憶が一つもない。

 強制引き取りをしても結局学校へも行かせず、変な人達と会わせて、それを里親になってくれる人を探す為と、騙されていたように思う。(あいまいだが)
 
 あのmotherというドラマでは、知らないおばさんの勝手な行動を母性と位置づけてるが、学校にも行かせてもらえない生活や、自分の名が伏せられ死んだ事にされている事が、子どもにとっての親の態度とは言えないと思った。

 わたしは、死んだ子どもという言葉には感情を抑える事が難しい。感情的に死ぬ、肉体的に死ぬ、存在そのものが死ぬ・・・そんなことをしては絶対にいけない。その、死んだ子としての自我が、施設で育ちきる事への説明は、誰からもなされない。

 わたしの体験の場合は生物親と母性をリンクする人が多いが、あのドラマでは、他人だが母性があるという位置づけだった。母性という言い訳については、かんべんしてほしい。大人は養育者となった瞬間から自分の問題を整理しながら、自分をある意味捨てて、これからの人生を生きる子どもの最善の利益の為に考え尽くして欲しいと思った。

 病を持つ親の問題

 ただ、わたしを生んだらしい生物親の一連の行動には、その突発的な行動を説明するだけの診断名が付いている。それは総合失調症という病気だそうだ。

 ともかく考えなしの行動は母性が行わせるものではなく、病と病に至るまでの彼女自身のトラウマから発生したものだと思っている。当然大人どころか、一般人としても生きられない。

 ただ、その診断名を聞き、子どもにとっての養育者には、何が求められているかを考えた。

 さらにmotherというドラマを見て、あの女教師も生物親と同じような病を持っているのだと思った。(そう感じた)

 母性を言い訳にせず・・・

 あのドラマを見ても不快になるだけ。どんなめちゃくちゃな行動も「母性」という言い方をして、被害者の口を閉ざすようなところがある。

 反対にいえば、どんな行動も母性と言えばそれで説明が付くのか?と疑問に思う。元被害者のわたしとしては、大人の思いつきの行動は子どもへの母性とは関係ないと思う。ただ子どもを使った過去の自分の心の吐き出しだと思う。
 
 極端かもしれないが、子どもへの虐待も、きちんとした大人として厳しく育てたい親心がさせた行為と言われたら、子どもは言葉を失うと思う。

 だから、ほどほどな態度の大人はいらない。子どもと向かい合うっていうのはガチンコで、しんどいなどとは言っていられない。わたしは夫を育てた姑の姿を通して、彼を羨ましいと思った。

 その羨ましい気持ちは大事な気持ちだと今は思う。大人なら子どもに対してしっかり大人をやろうよ・・・と思わせた。

 言いたいこと

 わたしの考える母性とは、子どもが健全な愛着環境の元、自立していけるように後押しする家庭環境を与え続けることで、養育者である自分は捨石になっていく覚悟をする事だと思う。

 子どもよりも、自分の感情を優先していては、子どもは安心して育たないし羽ばたけないし、大人になっても自立出来ないと思うのだ。余談だが、昆虫の世界や動物の世界では、大人は子どもがよりよく生き延びられるように決死の戦いをしてるのを見て、いろいろ勉強になった。

 #重ね重ね、子ども育ててないのに・・・すみません。

| 気になる番組のCLIP10 | 06時45分 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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ありのままの家庭モデル「それ」を知りたかった2

めんたる整理

 関連記事 ありのままの家庭モデル「それ」を知りたかった


 1の補足
 
 #1の記事で、ありのままという表現をした為、少し説明が必要になったと思うので補足します。

わたしが書いた「ありのまま」とは、地域で家庭で育つ事を言い、けして、養護施設の不定期な行事としての、家庭体験学習の事を言っているのではない。また、家事や子育てに関わるレスパイトの事を言ってるのでもない。

 わたしは、今も施設での家庭体験学習で何も学んだ事はなかった事を時間的な損失だと思っている。児童養護施設も、家庭的な事を教える努力をしているとして、家庭体験学習を通して家庭イメージを学ばせせていたようだが・・・わたしは、その施設内イベントに出てくる家庭を家庭とスリコミしてしまった気がする。

 ありがちなのが、「家庭を知らない施設の子どもたちにひと夏だけ、家庭の味を体験してもらいたい」というような、夏休みイベントなどについて、わたしは「家庭というのは特別なイベントでしか体験できない場所なんだ」と感じていた、子どもの頃の感覚を思い出してしまった。

 ありのままとは、施設イベントとは違う、本物の一般家庭の事を指す


 人によっては、たとえ施設の家庭体験イベントでも、家庭を学習できれば良いと反論する人もいたが、わたしの場合、それでは「ありのままの家庭」を知る事は出来なかった。たぶん、施設での家庭イベントで事足れりの人は、施設に来る前に家庭生活や愛着関係を体験している子たちだと思う。

 家庭を学ぶのなら実践的に長期に学びたかった。養護施設の家庭学習イベントではなく、地域でごく一般の生活をしながら(グループホームじゃなっくて・・・)、一般の家庭の感覚を身に付け、地域のありのままの家庭モデルを出来る限り、知りたかったという意図で、ありのままと書いた。

 夫などは、彼自身何、家庭を勉強したつもりはなくても、家庭で育っただけで家庭イメージや愛着の感覚を持つ事が出来、地域周辺のいろいろな家庭モデルをイメージ出来ている。

 わたしも、家庭についてなら、確か夏休みなど施設で何かイベントをやった筈、ボランティアのおばさんなどが施設へ来た事があるから、家庭を知っていると高をくくっていたが、今となっては、とほほな現実だ。だから育てられ方を整理しているうちに里親制度を一筋の光のように感じるようになったが、
 
 しかし、ここ最近は、里親なら何でも良いと言えない事に気づいた。わたし自身、大人同士とはいえ、絆作りを意識して繋ぐ事がいかに大変であるか(主にMariaたちが努力してくれている&現在進行形)つくづく(筆舌しがたい)身にしみている。主にわたしが無愛着なのでWolfに大変な苦労をかけている・・・。

 これが自分の育ちを整理していない里親なら、親を知らない子どもとはどういう発達なのか、意識して育てなくては、家にきた子に虐待をしてしまったり、施設へ戻したりする里親もいる。わたしとしては、そんな不幸な里子が居なくなってほしい。

 里子の抱える問題に向かい合える里親

 乳児院から委託された子は発達障害や色んな問題を抱えているリスクが高く、いわゆる難しい乳児や児童を預かる立場の里親になり易い。そのような里子の行動は、養育者の心を乱して傷つき感を与えます、さらに、愛着で結びついてはいないので、懐かない事に怒りを生じやすい・・・#数え上げればキリがありません。

 だから、里親になってくれるなら、どんな方でもOKとは言えなくなって来た。その為には、里子の前ではしっかりした大人であって欲しいと望んでいるし。里子が来る前に、親たる自分自身の事をしっかり整理して欲しい。

 里親が大人でいてくれなければ、里子は子どもとして心をゆっくり発達していけないと思うので。とはいえ、わたし自身、子育てした事ないのだけど、施設出身者として思った事を書きました。

| ├ メンタル整理 | 01時29分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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