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「境遇に負けない、誰も居ない人生に負けない」なんて言葉はとことん現実を見つめてから言え

養護施設を出てからの問題

 言い訳にする勇気

 誰も居ない事を言い訳にせずに社会に出て、1人で生き、今もまだ誰も居ない事を言い訳にしない為、絆づくりから背を向けてしまう癖について、深く考えている。

 これからわたしは、自分の境遇をとことん「言い訳にする」つもりだ。誰にも出会えなかった事、誰にも出会えなかった事にも気づかなかったお人よし?な過去。

 そこを語らなくして、本来ならどう育ちたかったかなんて考える事はできない。そして大人になっても、自分が孤独な過去を言い訳にしないのなら、整合性を保とうとするあまり、今、誰も居ない事も受け入れるしかない。出会ったとしても、出会いそのものを排除、あるいは無かった事にしてしまうだろう。それほど養育環境のスリコミは強くその後の人生に影響する。

 「言い訳にするな」と言われてきたので、どんな些細な事も言い訳のように感じる癖がある。だから、それなりの勇気が必要でもある。世の中の人が思う以上に、前向き宣言させられる施設育ちの心の癖があるのだ。

 だから、わたしは過去に里親家庭に行けず、施設だけで育った事を言い訳にしていきたい。実感の無い前向き思考からは脱却しなくてはならないから、実感のありすぎる孤独を語る。わたしは孤高と孤独を勘違いもしていた。単に捨てられていただけなのに・・・。

 乳児院・養護施設全部育ちはやっぱり、自分の孤独を恐れつつも意識する時期が必ず来ると思う。

 きっと、
 
 夫を見ていると、人生のうまみは全て子ども時代に詰まっているように見える。だから子ども冥利に尽きるような、幸せそうな過去回帰を見ていると、なぜか目を背けたくなる。

 だから・・・わたしが言えるのは、全てを受け入れてくれるたった一人の誰かに子ども時代に出会ってほしい。

 多くの人からの善意やお恵みをかき集めて空き缶に詰めても、固有の相手の、1人分の”想い”にも満たないと思う・・・。悲しいがそれが現実・・・。

 多くの人から励まされたと思わなければ、誰もいない現実を受け止められない施設全部育ちの心境が、捨てられた子ども達が里親家庭へ行く道をけん制する働きになる。【誰も居ない自分を知りたくないから】

 施設当事者さんたちは、家庭からの措置組がほとんどなので、問題は実親との関係にある。しかし、乳児院から施設全部育ちの人たちが「多くの人から愛情をもらった」と語るのを見ると、自分の無自覚を突き付けられる気分になる。
 
 だから・・・

 わたしは、自分に誰もいなくても、子どもには本来何が必要なのかを考えられる大人であり続けたい。その為にもわたしは誰も居なかった過去を問い続け、問題視していけるようになりたい。

 以上

|  養護施設を出てからの問題 | 05時06分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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