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子にとっての養い親は植物にとっての土に似ているという概念が新たに加わり

メンタル整理

 原初に出会うモノ

 最近読んだ本 の影響を少し受けている。にとっての養いは植物にとっての土に似ているという概念が新たに加わり、さらに考えなくてはならなくなった気がする。

 「どんなでもどもにとっては」という言葉を散々施設界隈では聞くが、なぜ良いども達は自ら選ぶ事ができないのだろう、その養育環境を幾種類か体験し、その中から選べないのだろう。

 大地がその種を育てるに十分ではない、あるいはカラカラで汚染された土だとしたら、その種は一羽の鳥によって見つけられ、その種が十分育つ為の別の肥沃な大地へと運ばれて欲しいと望む。


 彼らのそれは知識ではなく悪知恵

 あの頃、施設にいたころ、わたしは家庭から来たたちを「知識をいっぱい持っていて、同じどもとは思えない」と思い、同時にそのようなたちからは「Leiのバカ、知的○○○」などとと哂われていた。

 わたしは、彼らが色々な事を知っていて教えてくれたらしいけれど、どうしても彼らに賛同できずにいた。わたしは聖書があれば道に困らないと思っていた。彼らの知識を、わたしは覚える必要はないと感じていた(らしい)。

 でも大人になった今考えてみると、そのたちの知識といいうものは「今思えば全て悪知恵だったのだ」という事に気づいた。彼らは、盗みのやり方、人の騙し方、脅し方、すかし方、リンチ、詐欺、と色んな知識をひけらかしていた。

 時の某大臣の言葉を借りれば、わたしにとって『児童養護施設という場所は悪知恵の総合商社のようなもの』だった。

 わたしは今、あの時の彼らの悪知恵は、それぞれ彼らの育成の中で会得したものだという事に思い至った。彼らはの日常の生き方や、行動をコピーし、彼らの世界観をそのまま施設の中で店開きしていた。

 でもわたしは彼らのように生物からの影響を受けていない代わりに、自分で何が必要かを日々考えていたので、ある意味悩まずに、自分の思考錯誤だけに没頭できた。

 生物学的毒親の間違った行動が人を信じられないどもを作る

 今では、家庭の人たちのブログや発言などを読む中で、生物の生き方を信じる事の出来ないどもの葛藤はかなり複雑なものではないかと想像するようになった。

 わたしはいつも答えをシンプルに出してきた。「悪い事は悪い、良い事は良い」と言い切って来られた。

 でもそれは、わたしに今まで、思考の選択を悩むほどの複雑な人間関係が一度も発生した事がなかったからだと思う。

 でも彼ら家庭からの措置の子が基本的に人を信じられないのは、施設に入所する前のの行動を見せられる事で、の姿を通して人を信頼できなくなったのではないかと想像している。

 これが、無愛着なわたしと、彼ら愛着障害児との生き方、ものの考え方の違いとして、施設の中にも在り続け、わたしは施設の中で常に「マイノリティ」という感覚を持ち続けているゆえんではないかと思う。

 誰かがいる事の葛藤

 今まで、誰かがいる自分を想像できなかった。しかしソウルメイトとの交流を経て、いくらか愛着のようなものが感じられるようになり、色んな本を読むようになり、今、ほんの少しは誰かが仮にいたとしたら、というif文が付け加えられつつある・・・。

 わたしは、捨てられ切っていたのだと思うが、その為、悩みが全く発生しなかったのだという事に気づきつつある・・・。

| ├ メンタル整理 | 10時42分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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