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「宗教の世界に哲学はいらない」と言われながら育った無愛着児の雑感

養護施設にいる間の問題

 異端児

 わたしは二度目の施設で自分を異端児だと感じていた。いや、自分では分からないのに異端児と皮肉を言われるのが嫌だと感じている事から、そのように侮蔑されて育ったようにも思う。(確証はないが、当時の日記には書いてある)今もこの部分は整理が進まない・・・。

 さて園児を「異端児」と表現する事が、その児への侮蔑なのかそうでないのか、どちらなのだろう?

 わたしは二度目の施設の中で浮いていた気がする。虞犯少年、被虐待児、捨てられた子ども達、そしてほとんどの職員がプロテスタント信者で構成されていた事・・・。わたしは迷路の中にいたように感じて・・・。

 何故かわたしの目には、彼らはムキになっているようにすら感じられた。そのうちの職員は小学生の自分たち?を、彼のキリスト教系の大学へ連れて行き「ここを出たんだよ」と教えられた・・・・。今思うと、何故職員の母校を見せられたのか、今も理解できない。

 


 わたしは考える葦である

 わたしは「考える葦である」という言葉がすごく好きだった。誰が言ったか分からないけれど、考え続けなくてはだんだんおかしくなっていくように思った。

 考え続ける事、施設の持つ宗教観へ向かわされる日々の中で、子ども達は常に「宗教に哲学は必要ない、幼子のように神を求めなさい」と言われた。
 
 「幼子?」
 
 親から捨てられ、愛着障害もほったらかしの施設で、宗教的には「幼子のように神を求めなさい」だと? と。あの当時、幼子という言葉をどう受け取っていたのか記憶にない。

 それでも「幼子のようにピュアになれなかった(らしい)わたし」は、考え続ける態度を嫌われたが、しかし、わたし自身は問題行動を起こす事はなかったので、施設でも持て余していたと思う・・・。

 プロテスタント系については、わたしは何故か新興宗教のように感じ、とてもカジュアルであり・・・でも、内心では、わたしは宗教的に「本物ではない」と感じていた。かといって、本物が何かも分からず・・・。

 わたしは、原初の場所に立ち返りたいと思った、そんな日々があったのだと思う。

 宗教の問題は今も続く

 宗教に縛られてしまった子ども時代というのも、人生を一生壊すかもしれない。この日本でわたしの宗教は受け入れられてない。むしろ、遠い欧州の法王の言葉など、夫の目の前の神棚と仏壇に比べれば取るに足らない。

 わたしは、夫の生まれた家で、神棚と仏壇に、わざわざ十字架を追加できないのだ・・・。何故、捨てられた子ども達に宗教観まで植え付けるの?と個人的には、一瞬闇のような感情が生まれた事もある。

 もうわたしは、他に生きる方法がないけれど、でも、何の色もついてない赤子が普通の家庭へ行ってほしいと願う。

|  養護施設にいる間の問題 | 02時21分 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

to パピヨンさん

 パピヨンさん、こんにちは。

でもあなたの施設の場合はLeiさんを信仰に導こうとした職員の方の努力があったのではないかと思います。方法が少し強引なのかな・・・?

 そうですね、ある意味宗教系施設の職員は、時として施設職員である前に信者になってしまうのかもしれませんね。牧師の園長を筆頭にリクルートする職員はほとんど皆、同じ大学か周辺の関係者だと聞いた事もあります。無用な対立を避ける為だとの事ですが・・・。

 無宗教の子どもには自分の宗教観を押し付けないのかもしれませんが、他の宗教の匂い?がする子どもには、自分の宗教観をスリコミたいのではないかと思います。

 それがムキになっているように見えたりしたのだと思います。

 自分でもこの記事をテキスト化するまではよくわかりませんでした。又ある職員からは「十字軍の蛮行をあなたはどう考えるんだ」などなど、苛立っていました。
 
 パピヨンさんにはがっかりするような記事となってしまったようですが、わたしは親の無い子が「神さまを親代わり」にせざるを得なかった施設という施設養育というものをこそ問題と感じています。
  
 わたしも気づいたら確かに神を厳しい父性と感じていました。しかし親ではないのです。与えられなかった人間的な親と、神を同一にしてはいけないと思っています・・・。

| Lei | 2009/09/15 14:25 | URL | ≫ EDIT

to 福来さん

 福来さん、コメントありがとうございます。福来さんのコメントで、宗教系施設の、福祉施設の側面だけでなく、宗教的な側面の影響もかなり受けていたのだと、気づかせていただきました。

 わたし自身、今まで出身施設の宗教的な部分をメインに記事を書く事は少なかったのですが、何か「宗教的な事は批判であれ肯定であれ、個人の意見を言うべきじゃないモード」をスリコミされていたのではないかと、感じました。
 
 今思うと、外へ連れて行かれる機会のめったにない施設の子が、どうして職員の母校へ連れていかれるのか、それがキリスト教の大学だから許されたのか、よくわかりません。後は他の子の記憶では、空軍のイースターのパーティーにも連れて行かれたとか・・・。話は逸れますが、わたしはたまにイースターエッグに関するニュースを見ると、気持ち悪くなります。

 ・・・さてさて。

 外からは一般の施設なのにその中身はかなり宗教色が濃かったのかもしれません。書いてみてわかりましたし、レスをいただき、さらに、感じ方が一方的にわたしがオカシイのではないと思えました。

 この部分は少しずつ整理を進めていきたいです。
 ほんとうにありがとう。
 

| Lei | 2009/09/15 14:05 | URL | ≫ EDIT

おうえんしています

全て信仰が悪いわけではないと思います。

>プロテスタント系については、わたしは何故か新興宗教のように感じ、とてもカジュアルであり・・・でも、内心では、わたしは宗教的に「本物ではない」と感じていた。

私自身は宗教があったからこそ生きられたと思っているので
それに施設で育った事はあまり苦痛の理由自体にならないと思って来ました。
それがあたり前だと思ってました。
親が居なくても神さまが親代わりでした。
賛美歌の時間には涙が出てきました。
これからも応援させていただきたいのですが・・・。
Leiさんの信仰が揺らぎませんようにお祈りします。
何といって声を掛けたらいいのか失礼な事を言ってるか心配ですが
私は今も聖書を読んでいますから、宗教系施設を出て個人的ですが良かったです。
もちろん他の宗教系施設などでは虐待もあるとの事ですから、一概には言えませんね。でもあなたの施設の場合はLeiさんを信仰に導こうとした職員の方の努力があったのではないかと思います。方法が少し強引なのかな・・・?
色々と言って失礼しました。これからもおうえんしています。

| パピヨン | 2009/09/15 12:46 | URL | ≫ EDIT

個人的にとても共感を覚えた記事でした。
児童擁護問題とキリスト教系の団体(または信者の方)ってとても密接に問題があったので…。でも決してキリスト教自体を責めたいわけではないのに、調べていると何度も何度もこの問題にぶち当たるのが本当に腹立たしくて辛くて。カトリックであるLeiさんもこのように思っていたのか、ととても貴重な意見を拝見させていただきました。

子どもを「異端児」と呼んだり(異端てかなりイヤな意味ですよね、信者の方にとっては)、出身校を見せに行ったりちょっと頭をひねってしまう価値観です。それが神の教えだとでも言うのでしょうか。

一般の人間が興味を持たない福祉系はどうしても宗教系団体が多くなる、結果宗教を小さいころから教えこまれるということになってしまうので、本当に責められるべきは各国政府の福祉対策なんですが切っても切れない場所にいますね。

率直な宗教観や葛藤を読ませていただくのは本当に貴重な体験です。Leiさんがこの記事を書くのはどれほどの勇気がいったのだろうかと思いました。私にとってはとても大切に思いたい記事です。

| 福来 | 2009/09/14 09:14 | URL |














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