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親像のないまま、捨てられている児童は自分の事を自分で勝手に育ててしまう

養護施設にいる間の問題

 自己完結型無愛着児童(勝手に命名)

 施設では親との事を引きずっている子がけっこう居た。わたしは親の事を引きずる子を見て、何故施設で離れて暮らしているのに、親の事を覚えていられるのか理解出来なかった。「そんな忘れられないものなの?」と感じていた。

 わたしは夫の事も一週間生活しなかったら忘れてしまいそうだから、当時の子ども達の哀しみは理解の外にあった。


 でも今は思う。彼らには彼ら固有の相手との繋がりを感じた時代があったのだ、だからこそ、愛したり傷ついたり憎んだりできるし、何よりもけして相手を忘れられないのだと・・・。でもそれは苦しそうだ・・・と今なら思う。

 わたしは「子どもにとっては親(実親)が一番」というような事を言われると、誰の事を言ってるのか全く分からなかった。わたしは、無意識領域の強い人間なので、自分が世界のどこに位置しているのか判らいなまま、自分を見つめる誰かの目や、自分を抱きしめてくれる誰かの手を必要とせず、自分で自分を見て、自分で自分を丸まって温めてた。

 それはセルフケアのようなものでもあった。そういえば、思春期クライシスもひとりで勝手に乗り越えてきたので、愛着については誰も必要としなかった。しかし、施設では職員たちから遠巻きにされていたように思う。今考えれば、悪さをしないのに警戒されていた児童というのも珍しい。

 支配される子どものパターンを知らない

 だから、子どもにとっては親が一番と言われてしまったら、わたしのような自己完結型児童は、まるでエラーを指摘されたようで多少嫌な気分になる。子ども時代の親的役割は自分自身だったので、自分にとってはスーパーバイザー/Superviserを心に宿していたようなものだ。
 
 当時の職員はコントロール支配を家庭で受けてきた(らしい)ので、児童を一列に並ばせて、同じ髪型をさせて、軍隊のように一糸乱れぬ行動を 「この自分が指導している事実」 に酔っていると感じていた・・・。

 わたしは支配と被支配の感覚を知らないので、子どもとして不当に扱われるとはどういう事か?などに鈍いように思うものの、何かに取り付かれてる大人は興味深かった。

 しかしそんな児童を見て、一部の、トラウマとしての支配欲を潜在的に持つ職員は心理的地雷にはまると思う。子どもらしさをその児童から引き出したくなるかも・・・。そして絶対的な権力者が誰であるのかを、文字通り骨の髄まで教えてあげたくなる。

 わたしが育った世界は、福祉施設であり宗教系施設でありそれぞれの家庭育ちが持ち込んだ吐瀉物で溢れかえっていたように思う・・・。

 その中でわたしは、自分を自分で育てるしか方法がなかったように思う。わたしはあの頃、自分を子育てしたように思うのだ。施設は汚く、掃除しても穢れていて、病んでいて廃病院のように感じていた。

 自分を育てた自分

 自分には父性のイメージがあったが、それは本の中にテキストの中にあった。まるで謎を解くように言語を追跡しなくてはならなかった。自分が困ったとき、人に頼れなかった。自分を育てた自分が何を元データに自分を育てたにしても、生身の人間を介して諭され、導かれる事はなかった。
 
 ハードマザーもソフトマザーもなく、わたしの中には概念的なものしかなかった。
 
 追記

 たぶん、家庭の子どもは、自己完結型無愛着児童として生きる自由もなかったのではないだろうか。わたしは捨てられた結果、捨てられ続け、ごく自然に身につけた自己完結型だが、家庭では、自分が育てた子に責任を持つのが育ての親として求められるので、子どもはやはり子どもなのだと思う・・・。ただ、この子どもの立場は、機能不全家庭・機能不全里親家庭ならば苦痛なのだろうと考えるようになった。

|  養護施設にいる間の問題 | 08時20分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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