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ひとりで抱え込み、ひとりで解決しようともがくスキルのない施設出身者

児童養護施設を出てからの問題

 自立という単語を聞くと

 物心付いた時、すでに覚えていた単語が「自立」という単語だった。たぶん、わたしは施設で自立という言葉を呼吸するように当たり前の意識としていたが、その定義すら分かっていなかった。意味を知る前に単語を語感でそらんじていただけ。

 そしてたぶん、わたしと同じ年くらいの家庭の子は、その頃はまだ黎明期で、安全な実親の腕の中で休んでいた頃ではないかと想像する。

 となると過去の整理をするにあたり・・・自立を急きたてられていた施設育ちの自分達は、その頃家庭の子は(機能不全でない家庭)発達段階的に、どのような状況にあるのかを、ある程度同期しながら考えた方が良いと思うようになってきた。


 たとえば日本史だけに向かうのではなく、その頃日本ではこうであったが、欧州などの世界では実際どのような状況だったのだろう?と考える必要性を覚えている。(当たり前なんだけどね)原始人に毛が生えた生活を日本人がしていた頃、世界では・・・というような視点を持つ必要を感じている・・・。

 又、それ以前にアマエとは?

 施設内外にはいつも「ジリツ」「ジコセキニン」「レンタイセキニン」というような言葉が空気中に漂っていた。息を吸う時には必ず入り込んでくる、施設児童にとっては耳にタコな概念だった。

 でも実際のわたしは、本当は自立という言葉に明確なイメージを持つ事ができなかった。「自立しなくちゃいけない」と言葉には出すけれど・・・その意味がピンと来ない。

 ただその単語はわたしにとっておそらく、誰にも迷惑を掛けず自分にまつわるすべてを1人で抱えて、方向性もわからないけれど、ただ闇雲に生きるしかないという、本当に宛てもない生き方でしか無かった。

 そして常に施設では「甘えるんじゃない!!」という職員の罵倒も飛んでいた。つまり、アマエという単語とセットのジリツという単語が優先的に、そこにある。

 ・・・なので、そのアマエの正体も又分からなくてはいけなかった筈なのに、今もアマエの正体が分からないまま、施設児童の自立を語る事が、最優先の問題でもあるのだ。

 甘えるんじゃない!と子ども達に叫ぶ職員のイメージを通して、見た事もないアマエが、悪い事だとは感じる事ができた。

 でもその結果、現在大人のわたしにとって、アマエ/甘えという語感はマイナスイメージであり、他の人に自分の事で何かしら、行動を起こさせることを迷惑行為と感じて、甘えといい、

 ひとりで背負って沈没するも浮上するも自己責任なのが施設的に正しい自立というイメージとして、内面に残されている。

 しかし、そんな状態で、たとえば生活に困窮しやすいリスクを持つ施設育ちは、たとえ周囲からのアドバイスがあっても、行政にきちんと現在の自分の問題を相談するなどの行動へ向かう事ができるだろうか?

 甘え自立について

 だがやはりここで考えておきたい。施設でいう「ジリツ」とは社会で通用する自立ではないし、施設でいう「アマエ」も家庭での「甘え」と同じではないという事が、最近の過去の整理で少しずつ分かってきた。しかし言語にするのが困難。

 ジリツという言葉に急きたてられている施設全部育ちは、そもそもアマエについても理解出来ていない。という根本を抑えて思考をめぐらせた方がいいと感じるようになってきた・・・。

 絆無き者社会的にも捨てられていること

 絆もなく、対象者もなく、だから当然マンパワーに頼る事のできない、1人絶海の孤島状態で生きる者として、サバイブする為のスキルも与えられず、入所中、施設育ちは「甘えるな」「自立しろ」「自己責任」「連帯責任」という連発を浴び続けながら育ち、

 卒園後には、その定義が一般の社会の中で(齟齬の為)正しく作用せず、施設世界しか刷り込まれていない全部育ちは、一つ一つ自分が社会の中でいかに孤独で、無力で、・・・・なのに、しかも、周囲に助けを求める事もできなくなっていくかを、悲しめない現実もあるという事・・・。
 
 とどめは、これ程の不適応な状況なのに、自分の事を悲しむ事も出来ず、他人に相談する事も甘えに繋がりそうで、ますます社会の中で口を閉ざしていくしかない・・・。

 だから、この無愛着を記事にするのは果てない道だと、最近ますます思っている。

|  養護施設を出てからの問題 | 09時17分 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

Mariaへ

 Maria、返事遅くなってごめん。PCの前で頷いただけじゃ足りないね、きちんと書かないと。

 Leiちゃんより先に答えてしまうけど、Leiちゃんも、あたしのコメントと変わりないと思います。

 あたしもLeiちゃんも、上記のような大人への期待はまったくありません。


 わたしは、施設職員に守ってもらおうとかいう発想が無かったので、文章化するとあなたと同じ考えになる。今回、代弁をありがとう。
 
 過去の育てられ方を整理している中で使う表現として「子ども達にはたった一人の大人が必要」などと書くので、わたしの望みや、本音に見えるかな?と思う。、

 ただ、普段の記事は里親さんを応援する立場で物言いしてるので、そのような文章表現になるだけ。

 それは小さな頃の自分の願いと全く同じではない。子どもの頃の自分は、職員を始めとする周囲の大人に何も望むべくモノは思い浮かばなかったので、最初何を言われたのかピンと来なかったので、返事が遅れ、ごめんなさい。

 以上。

| Lei | 2009/10/14 09:10 | URL | ≫ EDIT

分かりました

 たまさん、返事が今頃になってしまいました。たまさんのコメントにより、当時確かに存在していた、施設全部育ちの子たちと家庭を知っている子たちの間にあった見えない違いを、言語化する助けになりました。ありがとうございます。

 最後にスキルという表現についての言い訳を

 わたしが「スキル」という表現を連発して記事を書いた為、思ったよりもその定義が広範囲になってしまったと思っています。

 わたしにとって社会的スキルとは「電車の乗り方」「挨拶の仕方」「バスの乗り方」などなど、中学・高校を出たらさすがに、この程度は知っていて当然と思われる範囲の事です。いくら無知でも、です。
 
 後で改めて記事で整理しようと思いますが、馬鹿にされない為に大学にゆくとか、試験を受けるとかでさえ、施設全部育ちにとってはハードルが高すぎる、雲の上の目標物です。(目標物でさえありません、本当は・・・)

 自分の努力でもちろん何とかなるでしょう。バスの乗り方も電車の乗り方も・・・。

 しかし社会に出た18才がつまづく第一歩が、電車の乗り方をマスターする、という状況では、流石に世の中を歩く事が怖くなり、精神的にも無力感と情けなさとやらでいっぱいになります。

 ですからわたしは、出来る子、賢い子よりも、出来ない子に意識が向きます。そのつもりで記事を書いていますので、記事の表現もそのような子たちを意識したものが多いのです。

 最後なのに長い返事になりまして失礼しました。たまさんの戦い、心の中で応援しています。

 それから、たまさんの言葉は目障りなどではありませんでしたが、確かに立場が違うと感じました。それ以上でもそれ以下でもありません。

 でも、コメント依頼という事で、たまさんの気持ちを尊重し、管理者として削除させていただきます。(この時間、たぶんMariaは就寝中だと思うので、明日の朝、ブログ主の彼女に告知してから作業します)

 貴重でなかなか聞けない意見を、どうもありがとうございました。

| Lei | 2009/10/13 02:44 | URL | ≫ EDIT

大人は期待する存在ではなく、従う存在なの

たまさん、

>Leiさんの記事や、コメントを読み直して感じたのですが、Leiさんは施設職員も含めた周りの大人に対して
>愛情や、優しさ、ぬくもりといった、暖かいものを求めていたのではないでしょうか。
>子どもとして、愛して欲しかったし、守って欲しかった。 そして導いて欲しかった。
>そんな気持ちが、コメントや記事の中に現れていて、発言の基をなしている気がします。

 たまさんと、あたしたちの違いは、この感じ方に如実に表れています。

 Leiちゃんより先に答えてしまうけど、Leiちゃんも、あたしのコメントと変わりないと思います。

 あたしもLeiちゃんも、上記のような大人への期待はまったくありません。
 
 大人とは、子どもがただ従う存在としか思っていません。

 刑務所では、囚人が看守に上記のようなことを求めているのかしら?

| Maria | 2009/10/13 00:38 | URL | ≫ EDIT

戦わない施設育ちへの怒りを表されても…

たまさん、こんにちは。

>この記事を読んで、私が常に他の施設出身者に厳しい考えを持つ理由が、やっと分かった気がします。
>「スキルがない」ではなくて、「思考を止めた」という気がしています。
>言い換えれば、「虐待に屈服した」「無駄な抵抗を止めた」になるかも知れません。

 「スキルがない」話と、「思考停止」は、まったく別のカテゴリの話だと思います。
 ニューギニアから日本に連れてこられた方が、電車の乗り方や電話のかけ方などの文明生活のスキルがないことを、「思考停止」と言っているに等しいです。

 アメリカの奴隷解放運動でも、すべての黒人奴隷が奴隷制度反対の運動に参加したのではありません。奴隷制度を当然のこととして受けいれ、その奴隷制度が廃止されたとき、その奴隷制度の廃止に反対した黒人も少なからずいたと読んだことがあります。
 
 奴隷制度に反対するものたちは、奴隷制度に賛成し奴隷にとどまろうとするものたちを、まさに「思考停止」と思ったのでしょうね。たまさんのように…
 たまさんは、物心ついたら施設に居て、自我が確立されていない子どもたちが、奴隷のままでとどまることに、"怒り"と"戸惑い"を感じたのでしょうね。

 でもね、"家庭"という価値観を知っているたまさんと違い、職員に反対し、自我を主張することは、法律違反や神に背く行為であると感じる価値観を持っている子どもたちも少なくないの。
 職員に逆らうのは、奴隷制度の中で立ち上げがった一部の黒人のように、今までの価値観を全否定することに等しいの。
 
 Leiちゃんから聞いた話ですけど、津山二葉園の裁判では、卒園生たちは職員が怖くて、被告席が見えないように、ついたてを立てて公判に臨んでいたの。証言中も、感情が嵩じて言葉が出せずに、しばらく中断したことがあったというの。
 
 あたしだって、いまだに施設の職員が恐いし、どこの施設が判られてしまったら、ブログを閉じて会社を辞めて逃げ出したくなるほどの恐怖があります。
 施設では、職員に逆らうのは、奴隷解放を求めて戦うに等しいと言ったら、理解出来るかしら?
 
 乳幼児期から施設で育ったオール施設育ちにとって、途中から入ってきた家庭育ちたちは、施設のルールを乱す存在のように感じていました。白人専用席に座るという法律違反を犯す存在のように感じていました。白人に逆らう奴隷解放運動家たち奴隷社会を乱すものと捉え、迷惑に思っていた奴隷の気持ちが理解出来るような気がします。
 
 あたしも、全体のことを考えずに「自己を主張」し、施設のルールに違反し、「みんな」に迷惑をかける家庭から来た子たちへの怒りがありました。

 "自由"の価値を知らないものにとっては、"自由"を主張する解放運動家たちは、迷惑な存在だったのです。

 あたしもLeiちゃんも、"自由"を知り、"自由"に生きることを経験し、ようやく、"自由"を主張することが出来るようになりました。
 
 奴隷状態にいるものにとって必要なのは、まずは、"啓蒙"だと思います。
 "家庭"という文化に啓蒙され、ようやく、奴隷状態である施設の異常さを知り、考える始めることが出来るのだと思います。
 
 たまさんが怒りを感じた施設育ちたちは、「思考停止」なのではなく、思考の基礎になる情報や価値観を持っていないのだと思います。
 
 あたしは、たまさんの"上から目線"に、ときどき戸惑いを憶えます。Leiちゃんの記事に便乗して怒りをはき出すたまさんに、「怒り」を憶えるときがあります。
 たまさんは、オール施設育ちたちを、○○だと断定します。あたしやLeiちゃんの記事に関するコメントにも、そのような傾向があります。あたしの感覚にはマッチしませんので、反応しようがないことが少なくありません。
 
 出来ましたら、ご自分のブログを立ち上げ、そちらで、意見を述べるのがいいと思います。必要なら、トラックバックをして…

| Maria | 2009/10/13 00:29 | URL | ≫ EDIT

削除&表現を変えました

 たまさん、取り急ぎ。

Leiさんの記事に対して、削除して欲しい部分はあります。
過去の自分への悪口部分です。


 そうですね、たまさん。わたしも自分の記憶力や学習能力の低さについては極度のコンプレックスを持っていて、たまさんには何の関係もない話を用いて、いらぬ条件反射のような反応をしてしまいました。ここは自分の治すべき所です、とても失礼しました。

 この親記事のたまさんの一度目のレスコメントへの、わたしの反応レスの、件(くだん)の場所を削除、そして文章を修正させていただきました。

 言ってくれてどうもありがとう。

| Lei | 2009/10/12 20:39 | URL | ≫ EDIT

確かに厳しい意見ですが

 こんにちわ、たまさん。

この記事を読んで、私が常に他の施設出身者に厳しい考えを持つ理由が、やっと分かった気がします。
「スキルがない」ではなくて、「思考を止めた」という気がしています。
言い換えれば、「虐待に屈服した」「無駄な抵抗を止めた」になるかも知れません。


 そのように見えますか。【一部削除】

 わたしは、子ども時代全てを通して成績も非常に悪く、何故本を読んでいたのか不思議です。実際、問題解決の為にどんな情報を必要としたら良いのか、悩んでいたフシがあります。

 確かに厳しい意見ではありますが、今は言葉が浮びませんので、重く受け止めます。

 何が虐待になるのか、判ってなかったというのもあります。物心ついたら施設から人生が始まっていたので、その集団生活を疑わず生きていたのだと思います。

 わたしのブログ記事は過去の自分の生き方への否定記事でもありますので、厳しい意見も仕方ないと思いますが、「思考を止めた」という部分については、そうなのかな?と過去の自分の考えをトレースしている最中です。

 でも、ご意見をありがとうございました。

 追記

 たまさん、レスを消されたようですが、丁度あなたへの自分のレスを投稿した瞬間と重なりました。

 もし引用文などが残ると困るようでしたら、その旨お伝え下さい。引用部を消して、レスを残させていただきます。

| Lei | 2009/10/12 18:14 | URL | ≫ EDIT














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