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わたしは子ども時代の自分を集団からどうしても引き剥がせなかった

養護施設にいる間の問題


 心の中には今も集団子ども

 わたしは、子ども集団ならばどうにか語れるが、わたしという個は未分化な為、この世に居ない気がする。子どもという言葉にも違和感を覚える。わたしは児童という言葉しか馴染みがない。・・・何が違うのだろうか。でも何かが違う。


 ともかく、わたしは自分がかつて子どもだったとは知らなかったし、児童として集団の中で規律正しく生きようとしていたし、生きていた。集団の規律を守ることはごく当たり前と感じていたし、他の世界を知らなかったのでその生活に強い抵抗感を持てなかった。

 その為なのか、大人の自分は、子ども時代の自分を(集団の中に居るだろう事は分かっているが)集団意識の中に紛れ込んでしまっていて、見つける事も引き剥がす事もできなかった。

 そういう状態で記事を書いているので、自我に基づいた記事を書く事に困難さがあり、本来子どもとはどういう環境で育つべきなのか、これは虐待なのかそうでないのか、という部分で立ち往生してしまいやすいのだ。でも、生まれて初めての絆づくりの成果として、わたしは固有の生命体としての意識が生まれそうな予感は、何となくある・・・。

 ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために♪
 
 わたしがブログに書いている内容は、わたし個人の事を書いているようでありながら厳密には違う。記事を書く時に脳裏に浮ぶ印象(イメージ)は、あの頃の集団子ども達の総合的な姿であり、その集団の中に自分もいるのだと思う。

 具体的な記事も、大人になってから再会した後輩の話であったり、ともかく他人の口を通して伝え聞いたものや、当時の集団の子ども達のイメージが多い。

 施設では「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために♪」という合唱をした事は覚えている。わたしは集団が最優先事項の世界で何の疑いも持たず生きていたので、声を張り上げて歌っていたように思う。

 初めに集団ありき

 自分に関する固有の出来事については、拾えた記憶は一瞬しか残っておらず、ある期間などは全くその時期を思い出せない。それでも強く印象に残っている幾つかの断片的シーンを、語り口を変えては何度も何度も書いている。
 
 その中で強い印象を持っている事柄の一つに「自分の頭が悪い為、同室の女子から、からかわれていた」という日常がある。そして、”頭の悪いわたし”は、自分の言葉をそもそも周囲に発しようとは考え付かなかった。

 そして現在、自由に書けるようになっても・・・わたしは、わたしを語っているようでありながら、実はあの頃の集団の子ども達の全体像を語っているのだ。集団の中に埋没している、自己を持たない、漠然とした自分たち児童は、集団の児童=自己イメージとして、心理の深い場所に残っている。

 図書室通いの真相

 わたしは自己肯定感というモノがないが、その中で特に今の生き方に影響を与えているものが「成績が悪い、日本語が理解できない」という事だった。その心理的影響は今も残っている。

 当時図書室で本を読んでいたが、必要な情報を欲し図書室に居たというよりは、集団のイジメから逃げようとしていただけなのだと思え、これはかなり情けない話だ。その日の出来事も覚えていられない人間がイジメを受けない訳がなかった。
 
 もしあの頃、わたしが明確に情報を欲して図書室通いをしていたら、それは成績に反映されるだろうし、学年で最下位に近いなんて事は無かっただろう。

 でも本当の問題は、成績が悪い事は施設では一切問題にならなかった為、成績が悪い事で悩まずにすんだ事だった。

 以上。
  

|  養護施設にいる間の問題 | 00時16分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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