PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --時--分 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

小学校の担任教師へわたしはきっと愛着未満のようなものを抱きつつあった

養護施設にいる間の問題

 愛着のない施設児童も・・・

 学校でもわたしは無愛着だった。面倒も一切起こさないし目立たないし勉強も一生懸命やるが、勉強どころではない状況に陥っている事に自分で気づけなかった。でも先生は気づいていた・・・。

 たとえば学校で使っているノート。全て使い切ってしまった時、施設に新しいノートを頼む必要があったが、職員がいつも「税金で暮らして良いご身分だなあ」と言うので、出来る限りノートをもらわないように工夫していた。

 その工夫というのは、最後まで使い切ったノートの鉛筆の文字を消しゴムで消して、ノートを真っ白にしてもう一回リサイクルする方法だった。でもその方法の欠点は、過去に習ったことが全部消えてしまうし、消しゴムもすごい勢いで減っていく事だった。(浅知恵・・・凹)


 先生は、ある日そのノートを指し示し、教室でわたしを立たせて、びんたした。わたしは先生が本当に困っている様子がうかがい知れた。ぶちたくないけど、どうやってわたしの本当の気持ちを引き出したらいいのか検討もつかない。(子どもをぶつことを正当化する話じゃないですが・・・)

 先生はよく「私に分かる言語でしゃべってちょうだい」と・・・。
 でもわたしは、何も言えなかったと思う。施設の事情とかも先生に言う発想がなかった。

 掛け算を覚えて

 でも、担任の先生にぶたれた事で自分なりに考えた事もあった。それから何故か勉強を、どれ程遅れがちでも、記憶ができなくても、とにかくひたすらがんばるようになった。

 案の定、掛け算を全部言えるようになった時、先生はよろこんでくれた。そして掛け算を覚えたら表彰状を渡す事がお約束だったけれど、(他の子は全員もらっていたと思う) でも、それをわたしが(クラスで最下位なので)断ったのだと思うが・・その時黙ってわたしを見ていた。(表彰状を持ち帰らないクセはこの頃から?)

 その目というか、雰囲気というか、何故かわたしは切ないような思いを持ちながら思い返す。今までは一方的にその先生を責める気持ちがあったのに、今は、不思議とそれが感じられない。ただそれは施設職員には全く感じられない、オーラのようなものだった。表現が難しい・・・。

 クリスマスカード

 わたしはその先生に、学園のクリスマス会に来てとお願いした。先生はパッとうれしそうな顔をしてくれた。だから先生は来てくれると思ってた。

 でもクリスマス当日、先生は廊下で手作りのクリスマスカードを渡してくれて、多くは語らないで去ってった。

 「私は行けないけれど、いつもあなたを思ってますよ、劇、お歌、がんばってね!」とカードに書いてあった。丁寧に作られた、ステキなカードだった。

 でも、最初は嬉しそうだったのに行けなくなった先生の立場を大人のわたしはよく分かる。もしかしたら施設職員との会話があったのかもしれない。

 1人だけ、特別扱いしてはならないので、先生としては「ここまで」で精一杯、でも「これ以上」は範囲を超えてしまうのだと思う。ほんの少し、たった一人くらい誰かいたと思いたいわたしの幻想かもしれないけれど、でも、そう思っておきたい自分も確かにいる。

 無愛着はわざとじゃない。ただ、相手がいれば、愛着が呼び水に呼応して湧水になっていくんだと思う。まるでボーリング作業のよう・・・。でも、そうなんだと思いたいのかも、いや、きっと。

 ただ、施設では児童が勝手に愛着相手を作る事は(相手は担任の先生だし・・・)マチガイなので、わたしの心にはいつのまにか、マチガイとされない、堂々とした愛着相手が捨てられた子には必要であると思うようになったのだと思う。

 捨てられたままの施設児童にとって、誰にも文句言われない相手を得てこそ、真に生きられるように感じ始めていたのかもしれないが、絆が成就しなかったので答えは得られなかった。

 今、無愛着なわたしでも、愛着はとても大事な感覚だと思う。わたしは今、Mariaの言葉だけじゃなく表情やいろんな部分も大切に感じていきたいと思う。彼女がわたしの為に使ってくれている日々の時間を、時間ドロボウにならないように、大事にしていけたらと思っている。

|  養護施設にいる間の問題 | 20時35分 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

大人の視点を持つようになった

 Maria、おはよう。面目ない・・・そうなのよね。あなたに出会った頃は先生にぶったたかれた、しか、覚えてなくてね。そればっかり言ってた気がする。

7年前(いえ、もう8年前かしら)、初めて会ったときから、この話を聞いていたけど、最初は、ノートすらもらえない施設の子の現状を理解しない教師という位置づけで聞いていたわ。

だけど、今回の話は、もっと深く切ない内容になっているのね。

 うん、あなたと絆づくりをしている中で、大人としての「心」を感じるようになり、わたしは他の視点も持てるようになり、大人として、あきらかにおかしいのに自分では何も言わない子に対しては、なすすべがないと思う気持ちが、先生にはあったのかな?と考えられるようになってきた・・・。

 又、わたし、たぶんクリスマスカードの話をしてなかったんじゃないかと思う。びんたもクリスマスカードも同じ先生なんだよね。わたしは、それを別々に考えていたんだ・・・。

 それと同時にわたしは、愛着の問題と同時に、施設独特の世界観が地域の中でうまくやれてなかった事を、今更ながら考えている・・・。
 
 切ないっていう言葉は、切ないんだよね?きっと。
 わたしもこの親記事で「切ないような思い」と書いているし、
 Larkさんも「切ない」って言うんだけれど、翻訳できないよ・・・。自分で言っておいて、なんだ?だよね・・・。
 
 ごめんね。でも不思議と嫌じゃない。
 この言葉は日本人独特かな・・・。

 自分でも、切ないの意味をこれから考えるつもり。

| Lei | 2009/10/22 07:50 | URL | ≫ EDIT

なんか切ないわね…

Leiちゃん、

 7年前(いえ、もう8年前かしら)、初めて会ったときから、この話を聞いていたけど、最初は、ノートすらもらえない施設の子の現状を理解しない教師という位置づけで聞いていたわ。
 だけど、今回の話は、もっと深く切ない内容になっているのね。
 
 好きで無愛着になったわけじゃない…
 
 小さい頃は、誰か愛着相手を求めていたのだと思うの。
 
 いつか… どこかで… 誰かに… 逢える日が来る…
 
 そんな、茫漠とした感覚だけが残っている。
 
 無愛着の子だって、苦しくないわけじゃあない…
 
 心に思う相手がいない苦しみは、胸にぽっかりと穴が空いている感覚。
 
 心の空虚さは、物理的な痛みを体に与える。
 
 呼吸が困難になるほど、胸が痛くなる。
 
 それでも、頑張って生きるしかないの…

| Maria | 2009/10/22 07:11 | URL | ≫ EDIT

自分で、何書いたかよく分からない気分

 larkさん、おはようございます。

 先生にビンタされたのはみんなの前だったので、当時、何とも言えない気分になったと思うのですが、大人の今、考えてみたら。わたしはノートを取り替えない事で、非常に効率の悪い(というか学習できない)状況だったのですね。

 先生は大人だから、わたしが事を納めようと子どもの浅知恵でその場を乗り切ろうとしても、それはわたしの為にならないと知っていたのだと思います。

 でもわたしは絶対に施設の事を言わないで、それなのに行動だけは先生の不安をあおるので、たぶんビンタしたのだと感じています。

 #ただ、分からなければ殴るという発想はいけないと個人的には思います。

 ・・・

 先生は見てみぬフリが出来ず、問題をあらわにしたのだと思いますが、わたしはそんな先生の態度に、どこか信頼できるものを感じて、その流れでクリスマスの話になったのだと思います。

 結果としては・・・わたしの現状に照らさないしきい値を無視したフライングでしたが、たぶん、当時としては一番頑張った愛着未満のような気がします。

 コメントをありがとうございました。

| Lei | 2009/10/21 09:59 | URL | ≫ EDIT

Leiさん、こんばんは。

切ないお話ですね。
読んでいて胸が苦しくなりました。

学校の先生も立場上、
思うようにできなかったのだと思います。

子供と関わりを持って良いかどうかなんて
いったい誰が決めることなんでしょうか。

「ここまで」の、しきい値が
あまりにも低すぎるように私は思います。

| Lark | 2009/10/21 00:34 | URL | ≫ EDIT














http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/tb.php/1064-0a558680

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。