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家庭・施設での被虐待体験を持つ人から謝罪と感謝の言葉を受ける事とは

メンタル整理

 ・・・人生、気になる事が多すぎる。

 脱走という共通キーワード

 わたしはまだ考え続けている・・・。この間、しばらくの間このブログ界隈で意見交換した施設育ちの方Tさんの文章のオーラの、一体何に反応したのだろうか?と考え続けている。そして最近、わたし側はどうやらTさんの持つ「脱走」というキーワードに反応したのだという事が分かってきた。

 施設育ちならば「脱走」というキーワードを聞くだけでそれぞれに固有の過去の出来事など思い返すだろう。わたしの場合も大人になった後、保母から「お前、脱走したのよ」と言われ、一度目はともかく二度目の施設には脱走する動機があまり感じられず、首を傾げ続けていた。

 そして今回、別の施設出身者の方の脱走という言葉に引きずられ、同じ何かを持つ人だと思い込んだ結果、最終的には互いの違いを深く認識するに至った。


 その方もわたしも過去に脱走体験を持っているが、その方は施設から脱走する目的と動機があり、ある意味、育て親が分かっているのだから、逃げ出した先の宛もあった。しかしわたしの場合はやみくもに動物園から脱走したサルに等しい状況であり、狩られて終わりなのは当然で、一度痛い思いをすれば、外へ興味を示す事は二度としない。

 単に動物園から逃げ出しただけ

 わたしは今でもたまに動物園にゆく。出来る限り野生に近い世界を再現した檻の中で動物がストレスだらけで歩き回ってるのを見ていると既視感に捉われるのだ・・・。

 そして同時に、出来るだけ家庭に近い家庭的処遇の児童養護施設のイメージを思い出し、ハリーポッターのファーストストーリーで、蛇エリアから蛇を逃がしたハリーの様子を語るヘドウィグになったような気分・・・。

 さて、さて話を戻して・・・

 実際あの頃、一度目の施設を脱走した時、山の中で生きられると根拠の無い自信を持っていた。宛てが無いという心配もなかった。自然が自分を生きさせてくれると思っていた。人間は誰一人思い浮かばなかった。やはりサル状態の思考である。

 今となっては「逃げ込む宛て」がある者だけが施設から脱走するわけじゃないと知った。たとえば何か怪我をしたり何かアクシデントがあれば、宛てが無くても動物は、その場所から脱走すると知った。

 だからわたしはきっと他の子を連れてゆく余裕が無いか、他の子を信頼できないかのどちらかではなかったかと思う。
 
 そういうわけなので「脱走」というキーワードだけでは互いに話を進める事が出来なかった。施設内虐待や家庭虐待をテーマの一ページ目に持っている人と、捨てられている事・捨てられ続けている事をテーマの一ページ目に持つ両者では、いくら同じように、児童養護施設を出て、脱走というキーワードを語っていても、

 両者、互いに「あなたの課題は私のメインテーマじゃない」という事が嫌というほどよく分かるのだ。もっと平たく言えば「あなたが逃げたのと、私が逃げたのは、違う脱走なのだ」という事なのか。

 今となってはその方との会話が興味深かっただけに、全てのコメントを削除して去っていかれてしまったのでもったいない気もする。その時は意味が分からなくても、後になって意味が意味として理解できる場合もあるから。

 そういうわけで自分も一旦書いた記事はなるべく削除しないようにしたいが・・・これも施設育ちの性なのか、飛ぶ鳥跡を濁さずとばかりに、自分の荷物を全部引き上げて去っていくのは困ったものだ。
 
 Mariaはそのコメントを見て、Mariaとわたしの2人について書いてあったので「何であたしまで?」と思ったらしい。

 無愛着なのはわたしだけで、Mariaまで言われると思わなかったらしい。そう言われてわたしもムカッとして「Mariaだって無愛着だよ!」となり、どーでも良い事で言い合い未満になったものの、なんとなくむなしくなった。

 どちらにしても、施設内虐待に怒れるTさんは去り、残されたわたしとMariaには、コメント消されても言われた言葉だけが、2人の内面に残ったとしか言いようがない。今はもうないコメントへ色々思っても仕方ないのは分かってるけど・・。

 この無愛着ブログを見て、何故謝るだけじゃなく、感謝だけじゃなく、両方の言葉が同時に書かれなくてはいけなかったのかだけ、気になる。

 どちらか一方の言葉なら、わたしもまだ、あえて誤解したり逃げたりできるけれど 「私よりも辛い状況だったんですね(たぶん、こういう文章)すみませんでした&ありがとう」と言われた時、どうしてもすぐに返事が出来なかった。

 傷を持つ子たちが捨てられた子たちを見た時に生じるモノ

 ・・・虐待で傷ついた子は施設に当たり前のように居た。でも彼らはその対象者に怒りを持っているが、ふと、捨てられて無愛着な状態の子たちを見た時に「私は確かに酷く虐待されたけれど、あの子たちみたいに捨てられてるよりはずっとマシだわ・・・」という風に整理作業する子が相当数居た。

 そんな時、捨てられた立場の子たちは、リアクションの取り様が無かったのだと思う。捨てられて自分勝手に生き延びている子たちは、被虐待児の目には、特別のメッセージとして映るのかも・・・。

 まあ、これ以上考えてもしょうがないので、しばらくリアル世界で考えを続行する。

| ├ メンタル整理 | 06時47分 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

右のサイドバーにあるdiigo

 初めましてカナンさん。心情が如実に表れているHNなので本当に心に染み入ってきます。

 わたしも暗中模索です。わたしは趣味の一つに検索があって、色んな、気になるワードから世界を感じています。

 ドイツの赤ちゃんポストの流れを読むと、慈恵病院のコウノトリのゆりかごが、何をまず優先順位として開設されたのかを読み取る事ができると思います。命が守られ、家庭で子どもが育てられる事を優先事項にしているのです。しかし、日本の行政的な問題が立ちはだかっている事を感じます。
 
 サイドバーに、大きく2つのブックマークを配置しています。デリシャスとDiigoですが、もしよろしかったら、カナンさんの整理の方向性にフィットするものがあるかもしれません。

 追記

 今、少し忙しくしてるので言葉が足りない部分があると思いますが、どうかご容赦下さいますよう・・・。

 言える事は、どこから手を付けて良いか分からない気持ちは分かりますし、それ以前に、何が問題なの?施設で育っただけでしょう?と思っている事、

 その事をまず、本当はどう感じてるかなんだと思います。

| Lei | 2009/11/02 08:26 | URL | ≫ EDIT














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