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たぶん愛着を知らずに育つと大人になってから夫婦生活がうまくいかない

メンタル整理

 タイトル見ると、すごく当たり前な・・・でも凹

 乳児期のマザーなるものが感じられない

 わたしの無愛着は法的な位置的に近しい人(夫など)との心的関わりだけでなく、法的な位置的に近しい人との肉体的な関わりにも影響を与えてるのではないかと思えてならない。

 乳幼児期、一度めの施設に入る前に、施設的なる場所にいた(保育所のようなところへ放置されていたと仮定)という風に思うので、誰かから抱っこされた事が無いのだと思う。
 


 分かりやすく言うとつまり「ぬくもり」を知らないのだ。どうやらぬくもりを体験した事がないようなのだ。この歳になるまで(成人女性として)、誰とも個人的な関わりを持たずにいきなり結婚をしたので、自分が誰からも触れられたこと、ぬくもりを与えられたことが無い事に全く気づかなかった。#いや、触れられるっていうのはもっと整理が必要だけど。

 ほんとは養護施設の中でも要養護カテゴリに入る児童だった自分は、虐待を受けたケアじゃなく愛着の構築をしなくてはならなかったのだと思う。しかもそれは施設の中では育めないもので、固有の人間関係が必要だったのだ。

 赤ん坊はどう育つか想像するが

 わたしの場合、モノの本の教科書的な赤ん坊が育てられる風景がどこにも見当たらない。感覚もそうだが教科書でお勉強してもその内容が入ってこない。赤ん坊は気づいたら3才くらいになっているものだとしか言いようがない。そしておっぱいも理解できないし、乳をくれる人は父なる者だと勘違いしていたり、自分に都合の良い世界を持っている。

 モノの本で、赤ん坊が女性に抱っこされているのを見ても何も感じない。自分に関係があるように感じないのだ。その子は、何故ゲージの中のベッドにいないのか、ちょっと不思議な気持ち。それに挿絵での女性の肌の露出を気持ち悪いと感じたり、大人の女性の事を見た事がないだけでなく、どこかグロテスクに感じたり、それで怖くて遠巻きに見る・・・。

 わたしは赤ん坊は厳しい試練の中にあるというか、洗礼を受けたらもうその道をしか歩かないものだと思っていたのかもしれない。こんなイラストのように、女の人に抱かれているなんて少しおかしいように思え、その感じ方と現実的な愛着の構築の問題が、自分の中ではうまくこなれていない。

 肉的なもの

 わたしの住まいは精神的な場所にしかなかったように思う。肉的なもの、匂い、触感、視覚、などなど愛着を作るにおいて必要なものを、人なるモノからは受け取れず、絵本の中の神話の世界にしか見出せなかった。頭でっかちの教条主義的な感じでもあり、自分が子どもだった事が無いばかりか、他の人間を肉的な地獄にいるような人々だという風に見下していたように思う。

 撫でられる
 
 でも大人になり、頭を撫でられた時に、うまれて初めての感触に驚いて、その感触を追求したくなって「これはなに?」「今、ふわって頭に手を置いたでしょう?それは何、何?」と問い続けるしかないのかもしれない。

 大人になってから生まれてはじめて人から頭を撫でられた事に気づくなんて、まるで冗談のように聞こえるかもしれないが、だけど、本当に乳児院から児童養護施設全部で育つと、固有の相手から頭を撫でられる事が無い為に、誰か1人くらい頭を撫でて通り過ぎていっても覚えていられないんだと思う。

 夫婦関係

 触られるのが好きではないが、それは虐待の影響なのではなく、一度も触られた事のない自分の人生において、生まれてはじめて夫から触られる事が、わたしにとってはいきなり性的な事なのだ。

 だからわたしの気持ちとしてはまるで夫から発達の途中をすっ飛ばした性的な関わりが、どこか性的な虐待のようにすら感じてしまい、その準備がいつまでも出来ていない自分としての気持ちが現れ、相手を拒絶するのだと思う・・・。

 でもそれはまるで、客観的に見える態度としては、性的虐待を受けた人のトラウマのようにも似ているので、もしかしたら、愛着の問題に気づいてもらえず、いろいろな方向性を見誤るかもしれない。
 
 #ただ、これはもっと慎重に個人的レベルで整理するつもり。自分でも何故そう整理するのか、ここで結論は出せないので・・・。

 愛着

 愛着という言葉に愛着を持った事がなかった。夫は愛着という言葉を聞くと色々イメージできるらしい。わたしは愛着と聞いても、いちいち辞書でその意味を調べなおさくちゃいけない。
 
 無愛着というものは、ほんとは治療レベルなのかと思うけれど、乳児院や施設を満杯にしてから里親家庭も検討レベルなので、愛着の問題に気づかない当該児童はいつまで経ってもその問題の治療を受けられず、いつまで経っても明るく孤独に生き、人を忘れ、人の思いに気づかず、自分が親になった時、効率の良い施設へ入れようとしてしまう。

 子を施設へ入れるリスクの一番高い人は、かつての「単に施設で育っただけ」の親なのではないかと思えてならない。

 #編集中

| ├ メンタル整理 | 07時28分 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

Leiちゃん、冷静になってくれて嬉しいわ。

プロキシ確認したら、ドイツのプロキシなのね。
IPは知られたくないけど、文句は言いたいのね。

>わたしは乳児院+施設全部育ちの人の意見には耳を傾けようとするあまり、

この方は、施設全部育ちとは言っていないのよ。

>0歳から乳児院、養護施設育ちで、かつての無愛着児です。

とあるから、里親家庭に行って、無愛着が治ったのかも知れないし…

でも、プロキシ経由で書き込むような人の書き込みが、どこまで本当のことか判らない。乳児院・養護施設と言えば、あたしたちが返事するとウソをついたのだと思うの。

 愛着の必要性を訴え、「施設では愛着が育たない、子どもは施設でなく里親家庭で育てるべき」というあたしたちの主張への賛同もない。そもそも、関心がなさそう。
 このブログの一番のテーマなのに。

 この方は、「無愛着」と「人嫌い、オトコ嫌い」「人間不信」を混同している節があるの。無愛着だって、肉体的欲求はあるし、オトコが嫌いなわけではないの。
 問題は、誰にもでも平等にしてしまうこと。あたしも、彼に泣かれて「何でみんな仲良くできないの。あたしは誰のものでもない。」と逆ギレしたことがある。愛着が出来てきた今、彼が泣いた理由も、何となくわかる気がする。

 無愛着は、本人は困らないけど、その人に愛着を持つ周りの人が困るの。

| Maria | 2009/11/06 07:46 | URL | ≫ EDIT

うっかり答えるところだった・・・

 Maria、本当にありがとう。わたしは乳児院+施設全部育ちの人の意見には耳を傾けようとするあまり、相手が何を聞いて来たのか、嫌味なのか、悪意があるのか考えもせず答えなくちゃと思いがち。

 あなたが昼間アドバイスしてくれたのにごめんね。このマーガレットさんは海外からのプロキシ通して書き込みしてるし、とても筋を通して話そうなんて気はないと判断したので、アクセス拒否にする。

 ただ、あなたもレスしてくれているので、マーガレットさんの一度目のレスだけは残しておこうと思う。一見ごく普通の問いかけのような形だけど、わたしがこの人に返事をするとしたら、夫婦関係の書いてもいない事まで踏み込んで書く事になってしまう。

 プロキシで書き込みしてくるような人に自分の事を問われるままに書いちゃいけないなと反省。たしか最近、そういう親記事を書いたっていうのに → http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/blog-entry-1073.html さっそくハマり掛けた。自分の事だと見えなくなるので、返事を書いてくれて助かった。

 Maria、ありがとうね。誰にでも問われるままに自分の内容を返すのも無愛着の特徴の一つだと思う。もうこの人には答えません。

| Lei | 2009/11/06 01:14 | URL | ≫ EDIT

マーガレットさん、こんにちは。
共同管理人のMariaといいます。

>無愛着を研究する非無愛着者のレポートのようだと思いました。

レイちゃんが「非無愛着者」といいたげなコメントは、ケンカでも売っているのでしょうか。
レイちゃんが無愛着なのは、ご主人も、絆づくりをしているあたしもよくわかっている話です。
あなたが、「かつての無愛着児」というのはよくわかりませんが、もし、そうであるならば、どうやって無愛着で無くなったのでしょうか?
そちらのほうが、よほど気になります。
日本には、アタッチメントセンターのようなものはないし、精神科医も、愛着治療をできる方は聞いたことがありません。

>私は親の顔を知らない、おそらく抱かれた事も授乳された事もない(だろうと思います)0歳から乳児院、養護施設育ちで、かつての無愛着児です。

あたしもレイちゃんも、物心ついたら施設にいて、それ以前の過去の情報はありません。乳児院で育ったのか、施設の前で捨てれていたのか不明です。

>無愛着を自認して自称しておられる方が、

無愛着は、レイちゃんが自認しているのではなく、ご主人も含め、周りの人がそう認めているのです。レイちゃんも、「無愛着」の概念がもっとも自分の状況に当てはまると認識して、無愛着と言っているだけです。「愛着」ができなければ、「無愛着」の本当の意味が理解できないと思います。

>結婚出来た事(と、そこに至るまでの関係を築けた事)が不思議ですね。

別に、結婚を申し込まれれば、その意味がわからなくても、断る理由がなければ、愛着がなくても、単なるルームシェアリングで一緒になります。
思いがなければ結婚できないのは、愛着があるからなのでしょうね。たまたま申し込んだ相手がいただけの話です。

>今まで一度も御主人と一度も抱きしめ合った事も、触られた事も、手を繋いだ事も、同衾した事もなく、結婚生活を送られてるのでしょうか?

愛着がなくても、相手の求めに応じるのはあるでしょう?
特に断る理由もないし、そもそも自分を捨てているのですから。
断るのは、ご自分の体に愛着を持っているのではないかしら?

>共感出来ない怒りをぶつけるわけではなく、単なる疑問です。

無愛着にアイデンティティを求めているのか、「元祖」無愛着を名乗りたいのか知りませんが、無愛着なあたしたちは、よそのブログに乗り込んでまで、無愛着を主張しません。無愛着にすら無愛着ですから、どうでもいいですわ。

| Maria | 2009/11/05 19:03 | URL | ≫ EDIT

あなたは無愛着をとても熱心に勉強されてると思いますが、かつての無愛着児である私は、あなたのブログを読み、無愛着を研究する非無愛着者のレポートのようだと思いました。
私は親の顔を知らない、おそらく抱かれた事も授乳された事もない(だろうと思います)0歳から乳児院、養護施設育ちで、かつての無愛着児です。
無愛着を自認して自称しておられる方が、結婚出来た事(と、そこに至るまでの関係を築けた事)が不思議ですね。
今まで一度も御主人と一度も抱きしめ合った事も、触られた事も、手を繋いだ事も、同衾した事もなく、結婚生活を送られてるのでしょうか?
共感出来ない怒りをぶつけるわけではなく、単なる疑問です。

| マーガレット | 2009/11/05 12:17 | URL | ≫ EDIT

目下整理中なので

 こんばんはカナンさん。確かに仰るとおりですね。施設の子は家庭に恵まれない分若年で結婚する事が多いです、自分の周囲でもそうでした。

 これはわたしの整理なので全ての施設出身者に当てはまるとは思いません。カナンさんは小学から施設という事だそうですからそれ以前は家庭にいたという事になります。あなたの中に家庭が分からない事が分からないという気持ちがあるとすれば、わたしのこの記事は奇妙で、触られた事が一度もないと書かれても納得できないかもしれません。

 実際乳児院でも固定された相手じゃなきゃ、色んな人が頭を撫でてくれる機会はあったと思います。

 施設でも虞犯少年や家庭虐待の子は壊れた家庭のイメージを持っていたので、それを何とか変えるようにすぐに結婚してる子が多かったように思います。

 でもわたしのように養護児童の方は何故か結婚しても子どもがいない人が多く(たぶん今も)自分もその中の一人です。偶然とはあまり思えません。ふれあいを通して作る絆へ至れないように思うのです。

 確かに親記事の中のあなたの指摘した部分には多少無理があるようにも思います。ただ、これは性的なものを穢れたものとしたプロテスタント系の施設の考えの影響ではないかと思います。
 
 だから性に向かう事が出来ない理由を全て虐待のトラウマとして考える事は、わたしについては難しい気がしています。環境による性の教えの影響も根深いものだと思います。

 ただ・・・

 わたしは施設で育ったので虐待された子達を沢山見ざるを得なかったので、虐待された子の影響を受けながら育ったのは確かです。その事も今に影響を与えてるとは思いますが、自分自身が虐待を受けた記憶が全くないので、虐待の線は考えにくいと思っています。

 捨てられて生きる事はもっと文章化を精緻にしたいですが・・・。

| Lei | 2009/11/05 00:42 | URL | ≫ EDIT














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