「わたしには誰もいない」という言葉は言う相手がいてこそのもの
Mariaの戦いと祈り http://prayermaria.blog74.fc2.com/blog-entry-57.html でもね、人は恨むにも、対象が必要なの。イメージに向かって怒りをぶつけることは出来ない。親の顔も知らない、覚えていない、親への思いも無いのに、相手に感情をぶつける事は出来ない。 職員も移り変わる。顔なんて覚えていない。 |
わたしは日々矛盾を感じている。WolfやMariaに出会ってからというもの「わたしには誰もいないんだから!」と連呼するようになった。誰かがいるのが変なのだ、違和感があるのだ、夫や絆相手の2人に会うまではそんな事を言う相手もいなかったから、単に毎日生きてがんばっていた。
人は単に1人の時は1人である事を自覚しない。他の人が現れてからようやく今までは1人であった事を自覚する。
家庭で育てられてなかったという事実も、家庭を持った今だからこそ自覚する事であり、施設を出て精一杯の人生を1人で生きている頃は自分が家庭を知らない事を自覚できなかった。後から爆発するタイプの遅延式の爆弾のように、養護施設だけで育てられる問題というのは、後で大問題として降りかかってくる。
だから「家庭を持った、1人じゃなくなった」という現実へ対処できなくて家庭をぶち壊して消えてゆく施設出身者が多いのだ。消えればすべてが解決すると思い込んでいる子が多く、大概、消えてゆく。それは捨てれば問題が解決するとばかりに親から乳児院に捨てられていった自分の過去を正当化するかのような行為。もちろん我が子を施設へいれてしまう施設出身者もいる。
消えないで留まらないで関係を維持しながら生きるのは、捨てられた過去を土台として生きてしまった施設出身者にとっては大変な努力を必要とされる。
施設で全部育てられるという事は、人生の今までの価値観を総入れ替えしなければならない程の思考の転換が必要だという事なのだ。
| Soul-Family-projct・別館 | 11時01分 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

























ひとりごとも、自己との会話なのかも
Kasumiさん、こんばんは。わたしも独りで自分に話しかける事がありましたし、日記にも、父親役が出てきたりしてました。
そうやって、誰かに語るように自分に語りかけたりして工夫していたのかもしれませんね。
| レイ@Kasumiさんへ | 2007/03/19 22:39 | URL | ≫ EDIT