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やっと言語化にこぎ着けても家庭で育てられなかった事は問題にさえならず

養護施設にいる間の問題

 凹み加減が大きい

 電車の乗り方分からない、家庭体験を一度も持った事がない、固有の相手がいた事がない。施設でも家庭でも虐待を受けた記憶もない当時の施設っ子は、外の世界を知っている他の子から軽んじられたり馬鹿にされたりして、それでも施設の中で粛々と生きていた。いつも騒ぎを起こし、自殺未遂から(リスカの方法を教えてくれた先輩が居た)度重なる脱走、職員と大立ち回り・・・などなど、ただ静かに暮らしたい子供達は、それら他児の影響を受け続け、どこにも逃げ場が無かった。


 今でもブログを立ち上げて、大人しく生きて来た施設世界しから知らない様子の元児童を羊と言い、施設エリートという言葉まで使い、思考停止状態とまで言っている外から来た元児童がいる。

 こうなると施設内虐待の元被害者も、家庭内虐待の元被害者も容赦がない。ただ単に施設で育っただけ、電車の乗り方が分からないだけの問題が、虐待以上の問題なのか?と責められている気持ちだ。

 しかし、羊たちは、実社会にでて

「電車の乗り方がわからない」 「○○の買い方がわからない」

と苦労をしているようです。

そして、それらを

「スキルを与えてくれなかった周りの者」

へ責任転嫁をはかっているように見うけられます。

はっきり言って、私もそういう事を周りの大人から聞いた事はありません。

教わった事もありません。 自分で他の方のやり方を見て覚えるのです。

それが当たり前!

と言っても、闘いを忘れた、牙を抜かれた者には理解されないでしょうね。


 
 偶然見つけたこの文章について、あまりにキツ過ぎて、言葉も無かった・・・。この引用部分はわたしが普段から記事にしている内容なので、わたしの事を意識している記事なのだと思って差し支えないだろう・・・。

 でも・・・。宗教的施設の職員でも出身者でもない人から羊と言われ、一体どうずれば・・・。この世界しか知らず、生きてきた・・・ただそれだけなのに。

 わたしは一般家庭で一度でも良いから育ちたかったという事に気づいた。一度で良いから親的存在から養育されてみたかった。その家庭の形の片鱗をほんの僅かでもいいから、知りたかった。外を知らない当時その世界に馴染み生きる事は、責められるべき事なのだろうか・・・。

 わたしはどの養育環境でも虐待されてはいけないと思っている。しかし当の元被害児童が、施設だけで育った(だけ)の大人しい集団を個性がないと言い、思考停止といい、大人になりその問題に気づき記事を書けば今度は責任転嫁と言い放っている。検索をするのが好きではあるが、嫌なブログを見た時はげっそりする。

 捨てられ、捨てられた事をそのままにされ、自らの脳で考える事を神様へ逆らう事とされている中でも、それでも考えようともがいた・・・あの当時の間違った生き方を語り、整理しているその状態を、家庭を知っている他の施設出身者から思考停止だと言われてしまっている事については、再びあの、精神的な環境へ戻されるようで堪らない。

 電車の乗り方について語るのは、それが施設では数パーセントの要養護児童についての象徴的な話だから。そんなの大人になってからで十分とばかりに言われている現状なのも理解している。

 わたしは、施設への措置の多様さからその人毎にゆずれない正義はあると思うようになった。その流れで、わたしは施設でも家庭でも虐待を受けた人の事を軽んじる事はできないし、その前提の上で、やはり施設だけで育ってしまった元児童の事をも軽んじる人については、どうしても対等ではないと感じる。虐待を受けた人は、捨てられた人を、そんな事ごときと思うかもしれないが、わたしにとっては、電車やバスに乗れなくて固まった出来事は大きすぎた。

 丁寧に育てられたこともなく、自己も確立できず、誇りも持てず、さらに羊の群れと言われ、思考停止と言われ・・・全く踏んだりけったりだ。脳みその冴え渡っている他の施設育ちから、どう思われていたか、改めて知る事ができた。情け無いけど、児童養護施設の世界で、捨てられている事に馴染んでいる子たちは、ある意味救いようが無い。わたしは、一体これから先どう考えれば良いのだろうとさえ思えてしまう。

 施設育ち同士で意見の対立があるのは施設時代からごく普通に見られる光景だったと思うが、わたしは少しでも自分の問題を考え、記事を書いてゆきたい。

 交通機関の使い方、料理の仕方、愛着、全てにわたって軽くゆるく、大した事のないように見えるが、でも、そのようなボーっとした子が外から来た子から虐待の連鎖に遭う事も多かった。

 おそらくそのブログの方はたぶん他児への虐待や暴力をしてないと良いが・・・、

 外から来た子が、自らを狼と言い、大人しい子を羊と言うのを読み、心が何となく苦しくなった。狼が羊をむさぼり食うようなイメージがまず、先に浮んでしまったので。わたしが普段交流しているWolfdad.とはぜんぜん違うイメージ・・・。

 今も施設の中の戦いが終わらない・・・それぞれの正義があり対立する。わたしは自分を正しいと思っているよりは、たった一つの家庭で育ちたかったとしか言えない。そのたった一つの家庭は虐待家庭であってはならないのは当然だし、虐待家庭から救われた子が、施設で虐待を受けては話にならない。それくらい考えられるが、それでも思考停止なのだろうか。

 わたしは甘いのだろうか・・・そもそも被虐待児だらけの場所に親が育てられない子が長期入所している事が、将来大人になってからも、このような精神的な軋轢を生む事になると思う。ただ一度で良いから家庭で育ってみたかったという思いは、それくらいの軽いレベルなのだ、施設に於いては。

 以上。
 

|  養護施設にいる間の問題 | 12時55分 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

昨日の記事は下書に・・・

カナンさん、おはようございます。

1度目の施設と2度目の施設では両方宗教施設じゃない
んですね。1度目の施設が体罰がきつかった事も知りました。
私の目には宗教系の施設は恐ろしいものがありました。
体罰や虐待じゃなく精神がコントロールされる感じがしました。
でも神さまを好きな方にそれを言うのは気が引けました。
でも従順さを羊と例えられては逃げ場がないですね。
私の親戚の施設職員は宗教系だけは避けてました。
カトリックとかプロテスタントとか関係なく・・・。
私はあれから随分お2人のを読ませていただいてます。


 真面目にルールを守ろうとしても施設では物笑いの種でした。あの頃の世間知らずをようやく認知しても、それを文章化すれば安全ではなくなると知りました。

 自分の生き方や考え方の問題を文章化する時、やはり緊張しているものです、あの頃信じていた感覚が世の中でいかにズレていたかを知る為に語る事は、施設全部育ちの元真面目児童にとっては、大人になった元他児童から、再びバッシングを受けやすい事だと知りました。

 でもよく分かりました。たかが施設で育っただけと自分の生い立ちを表現するクセがわたしにはありましたが、この、まるで評価するような言い方は、あの頃、周囲から摺りこまれた感覚でもあると・・・。
 
 それほど、親が育てられなくて物心ついたら施設しか知らない子の問題は、全く問題とはなっていないという事。その問題を今まで語ってきた人々は、里親さんや問題意識を持ってきた人々だけなんだと・・・。
 
 カナンさん、でも神さまを親代わりにはしていません。人間的な親から人間的に育てられる経過をとても必要としているんです。

| Lei | 2009/11/25 06:53 | URL | ≫ EDIT

カナンさん、コメントありがとうございます。

 あのブログは、カナンさんだとは思っていません。カナンさんは、ちょっとした示唆で気付かれて、コメントを訂正されたのですから…

 あのブログの性格の悪いコメントは、中卒や高卒に論破された怒りがにじみ出たと思っています。あの方は、苦労して大学を出られたようですが、乗り越えたものが、乗り越えられぬものへの傲慢な態度をとっているとしか思えません。
 この方にとっては、施設と学校の往復しか知らない、文字通り、中卒や高卒で電車に乗ったことのない施設育ちは存在しないのでしょうね。

 でも、あたしたちは、こんな雑音を気にしていません。捨てられいる全ての子どもたちを、施設ではなく家庭で育てて欲しいと主張し続けるだけです。
 「がんばれ!養護施設」ではなく、その養護施設そのものをなくして欲しいと訴え続けます。

 コメント、とても嬉しいですわ。

 Leiちゃん、あのブログ記事に対する記事を書いたわ。読んでね。

| Maria | 2009/11/25 00:26 | URL | ≫ EDIT

キツイですね

Leiさん、こんばんは。
このブログは私じゃないですよ。
この間トリアージの件でMariaさんから説明受け
少し整理されたので、あれから色々考えてます。
Leiさんの神さまへのちょっと強い思いは
実際の親がいない事で親の代わりにされるんですね。
私は育てられていた親との積み重なりがあります。
1度目の施設と2度目の施設では両方宗教施設じゃない
んですね。1度目の施設が体罰がきつかった事も知りました。
私の目には宗教系の施設は恐ろしいものがありました。
体罰や虐待じゃなく精神がコントロールされる感じがしました。
でも神さまを好きな方にそれを言うのは気が引けました。
でも従順さを羊と例えられては逃げ場がないですね。
私の親戚の施設職員は宗教系だけは避けてました。
カトリックとかプロテスタントとか関係なく・・・。
私はあれから随分お2人のを読ませていただいてます。
何が言いたいのか最初は分かりませんでした。
Mariaさんははっきり虐待を受けてられてるのですから
Leiさんに対してもっと強硬なのかと思いました・・・
でも実際はLeiさんに対してとても真摯と思いました。
このブログの方と近い考えを持っていた私ですが
今となっては、捨てられている事そのものが問題では?
と感じるようになってきました。
私はブログを開くまでの暇もありませんが、色々と
考えています。
施設を出た人がLeiさんがおっしゃるように多様すぎ。
そして自分の問題が一番で、他人が軽く見える。
こういうのが精神的にも負の連鎖になってると思います。
でも責任転嫁・・・私もトリアージとか言ってたので
似たよなものですね。本人の言語化が安全になされないのが
施設出身者の現状ですね、家庭の方はもっと語りを守られて
いるように思います。
なんかごめんなさい。

| カナン | 2009/11/24 20:03 | URL | ≫ EDIT














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