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親が育てられない子には生い立ちの空白を埋める作業を安全な場所で固有の相手と紡いでほしい

養護施設にいる間の問題

 真実告知という言葉に出会い

 わたしは大人になってから里親さん関係の方と話す機会を持つようになり、やがて真実告知という言葉を知った。乳児院に預けられるに至った子のあまりに多すぎる空白を、どの里親さんにも埋め切れるわけではないらしい。しかし自分が育てる里子に対して、やがてその成長に応じて、伝えなくてはならない項目でもあるらしい。なのでその子の空白については重大な関心ごとであり、その子の空白をどのように伝えればいいのか、日々悩んでおられる事も知った。



 施設版?シンジツ告知

 里子との真実告知という作業を、それぞれの里親家庭では慎重に繊細に大事に考えられているという事を知ったが、同時にわたしはそのような話を聞いた時、施設の中で「お前はキチ○イの子だよ」などとからかわれたり、自分が書き綴っていた日記にまで当時の保母から「精神○者の子のあなたも将来同じようになる」などの言葉を書き込まれたりしていた事を思い出した。

 これらは何度かブログで書いてきた内容ではあるけれど、里親家庭での安全な大人との真実告知の場合と、施設内でのこのようなイジメとも付かない中での強引なイメージの作られ方の場合とでは、養育環境が全く違うので、施設では基本的に安全に作業する事ができないと気付いた。

 わたしは、親が生きている児童ではあるものの、親の情報や記録や育てられた体験も全く無い。わたしの一番の問題は自身の記憶が保持できないクセと同時に、生い立ちの空白を、施設内でからかいやイジメとして受け取った体験がある。

 わたしの知らない情報をさも知っているかのように伝えられ、からかわれ、それを肯定も否定もできる正しいソースに出会えなかった。

 自分を知る権利だけでなく守る事も・・・

 わたしにとって今も空白空白のままだし、これは死ぬ瞬間までそうだと覚悟している。わたしにいくら生存が確認できている生物学的な血縁が日本のどこかで生きているとしても、真剣に探し出そうとしてくれた人はいなかったという時点で、わたしははっきりと自分を捨てられている人間として、新しく自分で生き始める必要があった。

 又「安全」の捉え方についても、わたし個人は、家庭虐待の子にとって確かに保護体験を持つ事で、施設が安全であるという認識の側面がある事を知ったが、でも捨てられた子にとっては施設は安全ではなかったと感じている。

 情報についてもそうであるし、育ても面会にも面会にも来ない親が生存している事をもって、孤児は居ない事にされている。施設内に忘れ去られた要養護児童達は、施設で生きていた自分の課題を大人になって語れば、今度は単なる自己責任や、問題を語れば責任転嫁とされ続けていいのか?という疑問があり続けている。大人になっても語りは安全とは言えない・・・。

 忘れられた児童は生い立ちの空白が多すぎる上に、自分の記憶も空白の方が多い、そしてわたしの事を誰も見つけては「くれなかった」という考えを持つ施設全部育ちの子が多いと感じている。それなのに卒園時には、意図的に誘導された発言をしか当事者発言として世に出れなかった。

 施設用に手を加えられてしまうコトバ

 以前の話だけど、太陽寮の子が作文で「お母さん、僕はここにいます」と言ったらしい。彼は当時の総理大臣賞を取ったがその時の文章は施設の大人によって手が加えられていた。

 その子が書いた「僕ここ」発言が消えていて、一生懸命生きていきますのくだりだけがあったそうだ。(賞の前後のソースを知っている人から教えてもらった)

 意図的に手を加えられ(誘導かもしれない・・・が)、彼がここに生きている声無き声も踏みにじられてしまっているように感じた。結果的に施設で全部育った子の「僕ここ」発言を無かった事にされ、措置が切れたらあとは自己責任となる。

 ・・・今彼は、このいわば画竜点睛を欠いた文章の総理大臣賞を、どのように感じているのだろう?
  
 わたしにとって虐待の程度が軽いとか重いではなく、まず、この世界に誰もいない人生、誰からも固有の相手から育てられた事がなく、生い立ちの空白を埋める事もできず、施設の望む言葉を当事者の声、当人の声とされてしまうのが、元羊たちの現実なのだと思う。

 空白に挑む困難さ・・・

 わたし達捨てられた者は何の情報も記録も思い出も体験もない。へその緒も母子健康手帳も何もないのだ、霧で前も後ろも見えない中を歩いてゆくようなものだが、もし固有の人と出会えればその道も、少なくとも、孤独なものではなくなると思っている。

 というより、里親は育ちきった里子からやがて答えを受け取る事になるのだとしかいえない。わたしが直にお会いした里親さんは、あらゆる事について、育て親としての責任者として子の答えに対峙する用意があると感じた・・・でもだから、わたしは里親関連の記事が苦手でもあるのだけど、それは裏を返せば、見る勇気がないのかもしれない。

|  養護施設にいる間の問題 | 09時21分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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