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虐待を受けてなければ、施設だけで育ったとしてもむしろ恵まれていると?

養護施設にいる間の問題

 イラつきの謎

 わたしの人生は思えば他の人々からイラつかれる人生だった。幼い頃も大人となった今も、地味で静かな1人の人間が、誰に迷惑掛けるでなし、そのまま生きていた。でも必ずイラつく人々がわざと?近づいて来ては、何かを訴え、そして消えていった。わたしはわたしの人生を静かに受け入れ、生きていたに過ぎないのに・・・。


 わたしはもともと思考も深く出来ないし、ただ生きてるだけののろのろした動物のようだったので、施設の何が問題かも判らないし、その世界しか知らないので、ただ生きているにすぎなかった。

 そのようなわたしが今大人になって、そのままの印象をブログで語っている・・・。しかし他の、特に施設世界を知っている施設育ちからは、どうもわたしの発言は、どこか受け入れられないようなのだ。Mariaの記事には納得できる人々でも、わたしに対しては別の印象を持っているのではないだろうか・・・。

 わたしは「虐待の問題」をメインの切り口にはしていないので、そうなると、わたしの・・・たとえば電車の乗り方分からない的な語りは自己責任や責任転嫁と言われ、わたしの持つ問題は問題とはならず、逆に、わたし固有の課題であるという風に言われたり、怒りを持たれてしまう。

 虐待によらない限り、施設における他の事は、その子固有の問題となる。固有の問題は施設の問題にあらず、社会的養護の問題にあらず、個が責を負うのは当然なのだろうか。・・・たとえ、施設だけで育ち家庭を知らないとしても??
 
 それでも書く事に意味があるのか

 実はわたしは、Mariaが書く記事が素晴らしいので、彼女の記事だけで十分ではないかと内心思っていたし、実際その気持ちを彼女にぶつけた事もある。わたしはどちらかと言うと文章よりも、Web作成などの少し技術的な事がとても好きで、文章を語るよりも、そちらで表現していた。色々いじっていると夢中になり止まらなかった・・・昔は、1タグ1タグ思いを込めて、なんて言って楽しむ程だった。

 そんなわたしが日本語でいきなり文章を書いた。でもそしたら、人をイラつかせてしまうのだ。

 でも彼女はわたしの記事にも意味があると言ってくれた。それなら施設育ちのブログはみな意味がある事だと思い、少し気分が腐った。でも彼女はわたしに語る事を今も進めてくれる。

 この、他人を何故かイラつかせる記事を書く事をあえて進めてくれる彼女の真意というものが、今のところ全容が見えるわけではないけれど、どうやらこれが、いまの所、一定数必ずいる長期入所児の問題とリンクしているようだ。ただわたしはMariaを心から信頼しているので、深い所では安心している。

 その観点に立てば、わたしの問題は施設だけで育つ事の問題がメインとなり、虐待の有無は又、次の問題となる。しかし他の施設育ちは、家庭や施設における虐待や体罰の問題がメインとなっているので、虐待以外の問題については考える意味を持たないのでは?と気付き始めている・・・。
 
 閉鎖空間での児童からの暴力

 被虐待児が怒りを持っている事はよく知っている。ぬぐい切れない程に知っている気がする。自分が被虐待児ではない理由で怒りを買い、暴力を受ける時、その耳に聞こえるのは「お前に虐待されたオレの気持ちが分かるか!」という叫びだけ・・・。

 施設に保護されても救われない、あるいは、虞犯少年もかつては被虐待児だという事を、何故か納得させられている弱者としての年少児。

 ・・・神様に祈った・・・。
 彼らを呪いそうなわたしをどうぞお許し下さい。
 他人を責める自分を許して下さいと祈る日々がずっと続く・・・。
 でも、彼らの蛮行をお許し下さいとは、けして言えなかった。

 わたしは、だから、虐待された子の気持ちにうまく寄り添えないのかもしれない。捨てられた子がロールプレイのお人形にされていて、施設全部が好き勝手な箱庭で、彼らは教護院に行かないように工夫を重ね、その間もかつての被虐待児虞犯少年の怒りは止まらなかった。

 かつてのお人形達は、たっぷりと被虐待児の怒りを内面に宿されて、たった一人で社会へ出ていったように思う。わたしは施設に入所して来た元被虐待児虞犯少年達に、何かとてつもなく怒りがあるのかもしれない・・・。

 でも今は、今度は・・・かつての被虐待児達が、又、わたしの書く記事に怒りを持っているという状況。被虐待児が救われていないという事と、その怒りのベクトルがどこへ向かうかという事とを考えていけば、施設の問題は自ずと見えるのに、今は孤児はいませんと言われ、施設全部育ちや長期入所児童は、まるで、そう・・・生霊扱いである。


 #ごめんなさい、今度は不快な記事かも・・・。

|  養護施設にいる間の問題 | 16時17分 | comments:9 | trackbacks:1 | TOP↑

akariさん、了解しました

 akariさん、お気持ちをありがとうございました。もしかしたら勘違いかな?と思いつつ、投げかけてみました。失礼しました。
 
 akariさんのレスコメントを読み、わたしもわたしが感じる事を書いてもいいのだな・・・とフラットな気持ちになり、力が少し抜けました。最近、力みモードだったので、本当に嬉しかったです。

 ありがとうございました。

 ・・・終わらない悲しみという言葉を読み、何故か何か気持ちが溢れそうになりました。変ですね、無愛着女がね・・・。

| Lei | 2009/12/01 07:44 | URL | ≫ EDIT

福来さん^^

 おはようございます、福来さん、いつも読んでます。福来さんに今年会えたおかげで、ブログを読む機会に巡りあえた事で、家庭の方の何が、焦点となるのか、少しずつ見えて来ている(あぶり出し風?)感じで、時には夢中になって読ませていただいてます。
 
 本当にありがとうございます。

「生まれてきただけでいいはずだ」
「中絶されるよりいい」


 この感じはよく分かります。わたしも福来さんのお話を読ませていただく中で「親の姿が無い・親から育てられていない」という事、特に小さな頃には母親や母親の役割が出来る人の存在がいかに大事な存在であるかと、考えさせられていました。この場合、確かに福来さんはご家庭だし、わたしは集団養育の場ですが、対象者が見えないという状況については、かなり似ていると思います。施設養育の場合、そこに流動的な人間の出入りがあるという点が特筆すべき部分ですが。
 
 特にまだ物心つかない頃の、ぬくもりの無い状態について、その世界観を子が受け取るのは自然の流れだと思います。

 この記事へのコメント、本当にありがたいです。

 福来さんが受けてしまった「中絶されるより~」という言葉は、丁度、施設育ちにとっての「路上で死ぬよりは良いだろう」という発言にも近いと感じますし、それこそ乳児院の子に対しては「中絶されるより~」という言葉に、そのまま代入され易いのですね。

 自分の状況を正しく把握する為には、その時の自分にとって正当な気持ちのままに感情を働かせる事が、安全である事と共に、とても必要だと感じるようになって来ました。

 気持ちに寄り添うって事は、やたら他人と比較して励ましにならない励ましをする事ではないと感じています。自分の幸福が人の悲しみの上に成り立っているなんて、たまらないですから。

 最近、色々と無愛着を掘り下げているうちに、何の問題もなさそうな、その子の受け取っている世界観を、まずは大事に寄り添う事がとても必要なように思うようになってきました。無愛着なわたしなのに、10年かけて整理していくうちに、だんだん、そのように思うようになってきました。
 
 福来さん、違う環境を語り合うわたし達だけど「命が慈しまれる」を考えるという点では、深く繋がっている課題だと感じます。

 自分の幸不幸を感じられないまま、子供達がどのような環境で生きるべきかを論じるのは、なかなか難しい事だと思うようになりました。その事を、考えていけるようにこれからも自分の整理をしていきたいと思います。

 本当にどうもありがとうございました、うれしいです。

 

| Lei | 2009/12/01 07:35 | URL | ≫ EDIT

Leiさんへ

はじめまして

いいえ。干渉しないほうがいいと書いたのは、LeiさんやMariaさんの活動に干渉しないほうがいいと書いたのです。お二人が書いていることはまっとうなことですし、もしお二人が口を開かれなければ「児童養護施設というところは、いいところもあれば、悪いところもある」で終わってしまい、ずっとLeiさんやMariaさんたちが書かれている終わらない悲しみは理解されないと思ったからです。

| akari | 2009/11/30 07:25 | URL |

Leiさんとは環境が全く違うけど、母親の存在がなかった私には施設で育った子や海外養子縁組出された人たちが自分と重なってみえます。

「生まれてきただけでいいはずだ」
「中絶されるよりいい」

そういうことを関係者の方が言う記事を見るたびに怒りがこみ上げてきて仕方ありません。なぜ「可哀想に」と他人の幸せと自分の幸せを比べ勝手に哀れむのか。それだけならまだしもより不幸な方と比べ、勝手に相手を幸せだと思い込ませようとするのか。中絶された子は自分と命の価値を比較されるために死んだんじゃないだろ!なぜ他人の不幸で自分の幸せを確認しなきゃいけないんだよ…って。

読むたびに怒りすぎて気分が悪くなることでやっと
自分は親に育児放棄されたって気がついてなかったけど、そのことで他人と比較されながら他人に価値を決められてきたんだなあ。そしてそのことにすごく腹が立っていたんだ。ということに気がつきました。

逆に私が「私は母親がいないけど体罰を受けていないからお前より幸せだ」と言ったら絶対怒るでしょうに… 他人は自分と幸不幸を比較するために存在してるわけじゃないですね。

Leiさんのお怒りは非常にまっとうなものだと思います。
なんで勝手に幸せだと決めつけるのか。
仮に幸せだったら攻撃していいのでしょうか?
不幸自慢している限り前には進めないのに。

| 福来 | 2009/11/30 07:17 | URL |

akariさんへ

 初めましてakariさん。

 > 私は虐待親がいましたが、彼が私を虐待したことを心底後悔していることを知っています。彼が私のことを心底愛していたことも知っています。Leiさんの心の姿はすごくつらいことがわかります。

 施設に入所してくる子も、そのように表現する子がいました。関わりがあれば、将来修復する事も可能ですが、捨てられてしまった場合は、その関わりそのものがありませんので、修復しようもありませんし、虐待について許す許さないの選択もできません。

 また、施設の児童間暴力の場合、単なる暴力でそこにその子である必然性はありません。次から次へと入っては出て行く子たちを、許すも許さないもありません。

 >あまり干渉しないほうがいいと思います。

 いや、この言葉がわたしの態度に掛かっている言葉ならば、わたしは基本的に誰にも干渉しておりません。単に無愛着な記事を書いているだけですから。
 
 思い違いでしたらすみません。

| Lei | 2009/11/30 06:50 | URL | ≫ EDIT

どんさんへ

 はじめまして。コメントを大変感謝しています。どうぞ資格が無いなどと思わずに書き込みして下さい。もし、何か意見が違うと思った時はその旨お伝えしますから。

> 自分は一番不幸だということを拠り所にしている人が、自分は電車の乗り方は知っているから、自分より幸せそうなLeiさんに知った顔をされるのが許せないのでしょうか。

 ご自分が不幸な状態にあった事を認め整理する事はとても必要で、その認知を足がかりにしてこれからどう生きるか模索できると思います。
 
 比較も、他人の置かれた状況を知る事により自分の状況を知る事にはなると思いますが、それが単に不幸の比較だけで終わってはいけないと個人的に思います。

 どんさんのご意見で、やはり発達に応じた社会での行動を求められる事は、ごく当然の事なのだと思え、少し励まされました。ありがとうございます。社会的な年齢・発達というものを施設の子は知らないのですね。

| Lei | 2009/11/30 06:45 | URL | ≫ EDIT

Leiちゃん、
トラバしたから読んでね。

| Maria | 2009/11/30 00:16 | URL | ≫ EDIT

この世で誰も自分のことを思ってくれることがないというのは、とても苦しいこと。私は虐待親がいましたが、彼が私を虐待したことを心底後悔していることを知っています。彼が私のことを心底愛していたことも知っています。Leiさんの心の姿はすごくつらいことがわかります。あまり干渉しないほうがいいと思います。

| akari | 2009/11/29 23:22 | URL |

私はここに書き込む資格はないなと思って、三日くらい悩んだのですが、擁護する書き込みが現れないので失礼いたします。
私はLeiさんの、「電車の乗り方を知らない」問題について、私も問題だと思います。子供時代には出来ない事が許されるけれど、大人になってから、周りが難なく飛び越えているハードルで立ち止まる事は辛いです。
そしてLeiさんは、里親家庭へ、と主張されていることのどこが責任転嫁なのか。遠くから見ていると、何に対して怒っているのかわかりません。
自分は一番不幸だということを拠り所にしている人が、自分は電車の乗り方は知っているから、自分より幸せそうなLeiさんに知った顔をされるのが許せないのでしょうか。
不幸自慢では一生幸せへの道が見えないと思います。
ジブリの魔女の宅急便、この話は、原付免許位しか資格(力)のない若者が都会に出て、自分の無力さと戦いながら生きて行く話だと宮崎監督がおっしゃっていて、原付どころか電車の乗り継ぎがうまく出来ないのは大変です。
私は親が少しだけ変っていて、やはり社会に出て、ちょっと悲しい思いをしました、要はどんな育て方されたのという評価をうけるのですよね。でも私の話しは大したことないので書く資格はないですが、Leiさんは冷静にまとめてらっしゃると思いました。

| どん | 2009/11/29 17:14 | URL |














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ファンタジーをはぎ取る身も蓋もない語りに苛立つ人たち…

 もう10年くらい前のこと、がんばれ!養護施設出身者というサイトで、EdwardさんがLeiちゃんの掲示板の書き込みに対してこういっていたの。...

| Mariaの戦いと祈り | 2009/11/29 23:35 |

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