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わたしは内心では暴力行為を繰り返す子が「自立支援施設」へ行ってほしいと思っていた

養護施設にいる間の問題

 逃げられなかった

 わたしは施設職員からの体罰や暴力よりも年長者がとにかく恐ろしかったと思っている。今でもコンビニの前で数人の少年達がいると1人でその店に入れない。過去に何かあったか記憶があるわけではないが、常に過緊張になってしまうようで、意を決してコンビニに入らなくてはならないと思いつめる。(何故か挑戦もする)

 そんなわけで、わたしは施設職員の体罰・暴力というものについても当然考えてゆく必要を感じるが、同時に、いわゆる家庭で傷ついた少年・少女達が施設で繰り返す暴力行為についても語らなくては、施設の問題全般を語った事にならないと思う。


 何処かへ行って欲しい

 とにかく子ども達は逃げられない、男子が職員と殴りあうのを見つめている小さい子達、机が飛ぶ、物が飛ぶ、穴が開く・・・。女子はリスカをする、洗面器いっぱいに真っ赤な血がゆれてる・・・。いつもいつもこんな事が普通で、自分が個人的に何かあったという以上に、施設全体が常にこのようだった。感覚が・・・どの感覚がまともな感覚か分からない。

 施設から出て行ってほしい、出て行ってくれないなら自分が必死に脱走するしかない。

 でも脱走しても施設から出られるわけがない、それに小さな子は何も説明できない、どうしたらいいか分からない、彼らが巻き起こす不良行為を止めようとする職員がぶん殴られ、職員は少年をホールドし(結局ぶん殴る)、そんな事ばっかり。

 「自立支援へ行くか!」と怒鳴られてもヘラヘラしてる少年達がいて、小さな子たちは飲み込めない塊をのどに詰まらせるようにして、固唾を呑んで見つめていた。

 傷ついた彼ら

 「彼らも傷ついているんだ、彼らは傷だらけの子ども達なんだ」と大人は言う。「彼らを守るのは大人しかいない」と。・・・でも内面で膨れ上がるわたしの感情は何処から来るんだろう。
 
 傷ついたなら何をしても良いのだろうか?傷ついたと言いながら小さな子をリンチしたり威嚇する子たちを見ていた。窓?を割っている子がいた。ガラスの破片を掃除する子がいた。でも、掃除する子を「その場を納めようとするズルい子」と断罪される。
 
 何が正しい事か分からない世界の中で、自分なりに事態を収拾しようとする心理が働いていた。たとえ親から捨てられ、施設より他に行くところが無くても、自分が住んでいる場所が荒れ果てて窓が破れて壊れて壁に穴があいて、それが普通であるという事が、たとえ、家庭で虐待を受けた彼らの心の傷だと教わっても、物心ついたら施設しか知らない子ども達にとっては、自分のいる場所がとことん破壊されていく事でもある。

 今のわたしは大人の立場として、言ってはならない事を言ってるのかもしれないけれど、あの頃、保護処分で児童養護施設措置になった少年達や虐待のトラウマを吐き出す少女達から、一刻も開放されたかった本音は自覚したいとと思う。

 あの頃脱走しても無駄な事も分かっていた。真面目に生きる以外に方法を知らない施設全部育ちが平和に生きる、静かに生きる事を望んではならないのか、親が育てられない為に、まるで、親が育てられない罪を負うように施設で満期まで育つ事を、大人になったわたしは今も納得し切れていない。

 傷ついた子どもという言葉そのものへの抵抗感
 
 だから、傷ついた子ども達という言葉には、わたしは今も未整理な心理が働くのだと思う。これも整理しなくちゃと思うけれど・・・その前になかなか言葉に出来なかった、大人の自分が言うにははばかられる言葉だと思うが、当時の気持ちを出来る限り正確に表現してみた。

 傷つけられたところまでは、被虐待児達も加害要素はないけれど、施設の中で再演している子供達が1人や2人じゃないって事実は言っておきたい。

 それはそれとして、親が育てられない要養護児童は単に世間知らずだけでなく、不必要な事も受け取る施設環境で生きるべきではないと思っている。どれ程施設が、家庭的な施設になるように努力しても、児童間暴力がいつ何処ででも起こりうる環境である限り、家庭的に育てるも何もあったものじゃないと個人的に思っている。

 #これは当時の年少者の本音として、大人としては言うにはばかられる言葉だと思うし、被虐待児の子が全て施設で再演するわけではありません・・・。でもそのリスクが常態化していて、乳児院・長期入所児はまじめに静かに生活する事が困難でした。

|  養護施設にいる間の問題 | 14時22分 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

和子6才いじめで死んだ―養護施設と子どもの人権

 この本は、年長児たちから執拗ないじめを受けて死んだ子どもの話。

 和子ちゃんは、幼児さんなのに、施設で大きい子たちからいじめられ続けた。

http://prayermaria.blog74.fc2.com/blog-entry-212.html

 死なないまでも、執拗にいじられ続けている子は未だにいると思うの。施設にいる大きい子たちは、小さな子へのいたわりの心は持っていない。大事にされている幼児を見ると、怒りにかられる。自分と同じ目にあわせたいと思う子が少なくない。

 物心ついたら施設にいる長期入所児童が羊の群れに見えるのであれば、暴力を振るうのは必然だと思う。自分を「狼」と呼称することで、弱肉強食の世界を容認するのだから…

 でも、「羊の皮を被った狼」というよりも、「狼と思わなければ過去を受け入れられない羊」にしか見えない。

 Leiちゃんの記事は大人げないと思わない。養護施設の真の姿を語っているだけ。それに、かつての加害児たちが苛立っているだけだと思うな。

| Maria | 2009/12/09 06:24 | URL | ≫ EDIT

大人気ない親記事だけど・・・

 Maria、返事をありがとう。

 非行を繰り返す子さえ施設に居なければ、単に捨てられただけですんだし、単に無愛着だけですんだと思う。

 養護施設を孤児院と言わなくなった為、かえって捨てられたままの長期入所児童の姿が見えなくなったと思う。捨てられている子の事は、何処で育とうと関係ないかの様。

 施設の中には私達が子供の頃には虞犯行為を繰り返す子が被虐待児として施設の中に溢れていた。

 施設長期入所児が大人になりブログを書く様になったと同じように、元虞犯少年や被虐待児だって大人になりブログを書いているから、あの頃の構図のまま意見が対立しがちなのは当然なのだと思う。

 今回、施設のルールを守る子達を思考停止の羊と表現している人もいたけど、見方を変えれば彼らにとっては施設のルールや集団の生活を乱す事を何とも思わないし、集団生活や施設のルールを基本的に守る必要をも感じていなかったんだと思えてならない。

 そしてそういう子は当時、確かに居た。いつもそういう子達が施設の生活をかき乱していた。そしてわたしみたいな真面目人間はカタブツとして揶揄やイジメの矛先にされていた。

 今回の親記事は、大人としてどうかと思う内容だけど、それは自分でも認めるけど、でもやっぱり施設のルールを守らない子達に迷惑していた元児童としては自分の気持ちを書いておきたかった。

 だって何故虞犯少年が地域に居られず施設に入って来たかというと、地域では居られないほどの問題児だからでしょう?でも、その子たちは地域から姿を消しても、その問題児と一緒に育っている施設の捨てられた子達は、とばっちりを受けているだけだと思う。

 だから、施設は被虐待児や虞犯少年の為に存続してていいから、どうか親が育てられない子達だけは、施設から救われてほしいと思ってる。

| Lei | 2009/12/09 00:31 | URL | ≫ EDIT

Lei ちゃん、
書いてくれてありがとう。

 小学校高学年や中学生になって家庭から来る子たちは、全員とは言わないけど、家庭で不適切に扱われていた子が多かったと思うの。

 その結果の非行で入ってくるのだけど、その非行行為を恥じるどころか、自慢げに話す子も少なからずいたの。
 我慢することをしらず、ルールを守る子を馬鹿にし、気分しだいで小さい子を殴る子もいた。「おまえらにおれの気持ちがわかるか」といいながら、怒りを小さい子たちにぶつける。

 そんな子は、いつも職員から体罰を受けていた。だけど、自分が悪いと思っていないから、隠れて小さい子を殴り、「チクッたらボコす」と脅しをかける。

 職員よりも、いつもそばで生活している大きな子たちが怖いから、小さい子たちは何も言わない。いつもおびえて暮らしていたの。

 あたしは、「親に虐待されたら何をしても許されるの?」と理不尽なものを感じていた。

 小さい子や弱い子に手を挙げる子たちは、自立支援施設に行って欲しいと思うのは、Lei ちゃんだけじゃない。あたしも、心からそう思う。

 職員よりも何よりも怖いのは、怒りを吐き出す年長児たちだったの。養護施設は、大きな箱庭で、小さな子たちをパペット(人形)にプレイセラピーをして、パワーを取り戻し、出て行ったの。

 一番弱い子が安心して暮らせる場所でなければ、安全場所ではないの。児童間暴力のこと、ずっと言い続けようね。

 あたしもLei ちゃんも、やられはしたけど、弱い子に手を挙げなかった。だから、堂々と被害を語ることができるの。加害に回った子は、自分の被害を語ることができない。自分の被害を語れば、加害の行為が自分を責めると思うの。

 あたしたちがネットで発信を始めて8年になるけど、いろんなかつての加害児たちがやってきては消えていった。

 加害した子たちも救われてほしいと思うけど、それは、あたしたちの問題ではないの。小さい、弱い子たちほど、安全で安心できる里親家庭で育ってほしい。もちろん、子どもを虐待しない里親家庭で…

| Maria | 2009/12/08 22:38 | URL | ≫ EDIT














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