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施設長期入所児は現実的な親像を知らないまま、ファンタジーの親にボンドする

養護施設にいる間の問題

#愛された記憶は繋がり続けるというCMをどこかでみた。

 嘘つきとファンタジー・ボンド

 施設にいた頃、脳みその中に親の情報や家庭の情報がないまま生きていた。でもやがて小学校の宿題で自分の生い立ちや家族の事を宿題に出された時、非常に困った様な覚えがある。(これは小学生なら避けて通れない道らしい)

 この時期はクラスメートも他人の家族に興味津々なので、不思議ちゃん扱いな自分にも「Leiちゃんのお父さんってどんな人?」と聞きに来る子が幾人か現れた。

 わたしは迷わず「あのね・・・お父さんは、ひげが生えててステッキを持っていて、悪い事をすると両手を出させられて、フルネームで呼ばれて、順番に鞭でぶたれるんだよ・・・」てな、よく分からない人物像を思わず語っていた。クラスメートは「ふぅ~ん、何かすごいね」と言って向こうへ行ってしまうが、そのとたん、自分が今クラスメートに言った幻想の父親像は役目を果たして消えてしまうのだった。

 今度は、又、同じクラスの別の子が同じ様な質問をして来たとしたら「私のお父さんはね、背が2メートルもある大きな人で普段は沢山の人を雇って石切り場で石を削って加工してる」とか、全く違う人物像を語り、しかも、さらにファンタジーはパワーアップしている。

 そして石切り場の役人は役目を果たして消えてしまう。他のクラスメートが3人目、4人目尋ねて来たとしてもわたしは特に困る事なく、それら幻想の人々を並べ立てただろう。

 ただ問題は、わたしから聞かされた父親像は、クラスメート達の中でもいつも一致しない為、どうしても嘘つき、というレッテルを貼られる事だった。当然好かれるわけがない。

 結局、宿題か課題か分からないが、それはどのように乗り切ったか全く記憶に無いが、何とかしたのだろう。




 わたしはその場を切り抜けなくてはいけないと思ったから、頭の中にあるイメージの、いわゆる父親をその度に思いつくままに語っていたに過ぎないが、クラスメートは現実の家庭の中で現実の父親・母親から育てられているので、わたしが語る話は、丸ごと嘘っぱちになってしまうのだった。

 書いていて今気付いたけれど、わたしは父親像が無いんじゃなく、正しくはその場で思いつく限り何でも表現していたのだ。しかもそれは、元データがどこかというと、施設の中の図書室にある、イラスト付きの小説の中の登場人物達だったのではないかと、小学生の頃の自分に対して、大人の私は今、疑いの目を向けている。

 自分では小説に埋没しているので、それが現実のお父さんやお母さんの様に設定していたのかもしれない。

 でも自分では、それが客観的に見て嘘だと気付いてない。自分では毎日の様に色々イメージを作っているので、嘘ではないつもりなのだと思う。又、職員も流動的な施設環境で育っている日々なので、自分が語る父親像が嘘だという証拠が無いのだ。だから、わたしは嘘をついている認識もなく、平気でべらべら頭の中にあるイメージの父親像を語っていたらしい。

 ただ、絶対に言える事は、それら人物像は架空の人なので実感も感情も無く、むしろ、自分にも親がいるんだ的な、感覚に酔いしれてしまっている状態だという事。脳内ドーパミンだっけ?が刺激されて、気持ちが舞い上がったのは確か。

 そうまでして、現実には誰もいない事を受け止める事ができず、何としても、誰でも良いから誰かがいたかもしれない、あるいは、そのステッキを持ったひげのおじいさんが現れて、出エジプト記ばりに自分を救ってくれると思ったかも・・・。

 そんな風に頭の中には、いつも、不遜ながら創造神も負けそうな1つの脳内世界が溢れかえっていた。施設の子はそして総じて、そのような表現をする子が多く、親との接点のある子は「あいつ」とか「あんな親」と言っていても、親との接点の無い子の創造力は何処までも広がっていた。
 
 被虐待幼児のファンタジー・ボンド

 わたしが幼児さん担当だった時、4才位の子がおおよそ、下記の様な事をあどけないままに語っていた。わたしはふーんと当時聞いてたんだけど・・・。

 「アタシの親、刑事なんだよ、悪い人を捕まえるんだよ、いくら隠しててもダメなんだ、お父さんが捕まえるもん」などと言っていた子は、生後1年位から乳児院~施設に措置された子だけど、たしか父親の虐待で保護されて来たと誰かから聞いていた。

 その時は、その女の子の話をぼんやり聞いていたが、今はその子の脳に与えたストレスが感じられる。・・・たぶん、その子のお父さんが刑事なのではなくて、たぶん、本当は、彼女を虐待した父親を捕まえに来た刑事を、お父さんと設定したのかもしれない。そうしないと、何かが壊れるのかもと思うのだ。

 具体的な人物像の欠如とファンタジー
 
 自分の脳を考えると、全く何のイメージも持たない世界で生きるのは意外に大変な事だから、何か目標物を探そうとしていたらしい事だった。自分が生きている事を理解する為には、どうしても、幻でも良いから目標物を必要としていたのだと思う。

 子供でも、宛てもなく生きる事は大変な事なので、宛を作るために、仮想の相手を作り、ボンドするなんて・・・ちょっと自分で書いていて、ほんとかい?と思わぬでもないが・・・ええい、書いてしまえ、少なくともほんとに感じる事だ。

 穏やかに誰かに安心して愛着を作り、生きられる環境は、質の事をいってるのみならず、脳みその整理にも記憶のソート作業にも影響するし、又、何が現実で何が幻なのかを分化できるように考える事を容易にする。

 施設育ちは、特に施設しか世界を知らない子は、しばしば幻の世界で生きていて、夢遊病のようでもあり白昼夢の中で生きているようでもあり、生きているのに生きている事に気づけない、かといって、死んでいるわけではいという、あの世とこの世の中間にいつまでも漂い続けているように見える。

 何が出来るか、なにが必要か

 家庭を一度も体験した事のない子供を施設から放り出し、今度は、アフターケア事業だなんていって、施設の子の自立のお手伝いと称して、支援事業とやらを増やすくらいなら、施設の子が施設の子として外へ出される前に、乳児院の子や3才未満でネグレクトされている様な子に里親家庭を与えてほしいと思う。

 小学生の頃の自分は、ファンタジーとリアルの区別がつかず、それに気付く事もなく、嘘つきと言われても文句を言えない生き方をしてたんだなあ・・・と感じる。施設全部育ちの持つこのファンタジーボンドの根は深いと思うし、施設も家庭も体験している子達とは、全く、持つ問題が違うと意識させられている。

 

|  養護施設にいる間の問題 | 07時10分 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

これだ!

 Maria、どうして分かったの?
 これだわ、

 説明も聞いてたのと同じだわ、
 まさかあなたから教えてもらえるなんて・・・。
 ありがとう、本当にありがとう。
 これ素敵だよね、
 
 ルーブルだったんだ・・・。そうかあ。

 2度目の施設なんかで、

 手のひらを太陽に透かしてみれば、真っ赤に流れる僕の血潮・・・

 という歌の時に、突然この絵が浮んでびっくりする事が何度もあったんだよ。この絵、明かりをキリストの小さな手が覆っていて、血のぬくもりが見えるでしょ。

 わたしはキリストは人の子として生きるという事をまるで象徴しているようにも感じていた・・・。ああ、止まらんのでやめる。ありがとう、本当にありがとう。

 ルーブルってフランスにあるんだっけ?


| Lei | 2009/12/18 08:11 | URL | ≫ EDIT

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作「大工ヨセフ」

http://www.ntv.co.jp/louvre/description/pict12.html

ルーブル美術館所蔵のジョルジュ・ド・ラ・トゥール作「大工ヨセフ」という絵。これじゃないかしら?

| Maria | 2009/12/17 17:53 | URL | ≫ EDIT

探している絵画があるのMaria

 大工ヨセフ様の作業場でランプの光に照らされて、微笑みながら父の仕事を見ている幼子キリスト。

 でも彼は、罪人の為の張り付けの十字架を作る職人でもあったと聞いていた。だからこの絵画は、悲しい、未来を暗示する絵画だと思う・・・。
 
 小さい時に絵画集を沢山見ていたその中で、大好きな絵画だったけど、探し方が分からない。Maria、題名が見つからない・・・あなたのレスで瞬時に浮んだんだけれど。

 わたしの中では、ヨセフ様は世界観の重鎮の1人、聖母マリア様と同じくらい。わたしはこの絵画を見れば、それが分かると思うんだけれど・・・。目立たない事よりも、無くてはならない存在だと・・。

 

| Lei | 2009/12/17 14:39 | URL | ≫ EDIT

Maria

Maria、ありがとう。
 
 施設の子たちには、小さいウチから里親家庭に行って、リアルな人間の父親、母親イメージを作り上げて欲しい。それが、将来の家庭イメージの源となるのだから…

 そうだね、あんなの親じゃない、あんなの家族と言えない、と思う家庭イメージも無い為、今も家庭を作れてない気がする・・・。子供も作れてないし・・・。

 家族、家庭が全くイメージ出来ない育ち方の責任は誰にもとってもらえない。だから今乳児院にいる子をターゲット指定して主張しているんだけど・・・ね。

| Lei | 2009/12/17 07:16 | URL | ≫ EDIT

akariさん

 おはようございます、akariさん。

 コメントをありがとうございます。

 >子どもの育成に不可欠なのは絶対的で排他的な愛

 そうなのですね、人生の初めから、自分だけを愛されようとする事がエゴイストになる環境で育ちましたからakariさんの一言は、ガツンと来ました。

 当たり前の事が当たり前でない。この様な環境に馴染んだ子が里親家庭へ行けばどうなるか、目を覆いたくなる気持ちです。

 

| Lei | 2009/12/17 07:11 | URL | ≫ EDIT

Leiちゃん、

あたしのファンタジー・ボンドは、聖家族だと思う。

血縁ではないけど、幼子キリストと聖母マリア様を温かく守るヨゼフ様。

聖書でも、ヨゼフ様のことは、あまり出てこない。どちらかというと、影の薄い方。それでも、大工をしながら家族を養っているヨゼフ様は、あたしの父親のイメージなのね。

考えてみると、聖家族は、非血縁家庭なのね。そして、女の子がいない家庭。

あたしは、黙々と働くけど、あまり自己主張をしない影のような相手を選んだのかも知れない。ヨゼフ様のイメージのように…

それにしても、正しい家族イメージがないというのは、困ったものだと思うの。虐待家庭のようにゆがんだ家族イメージも困るけど、小説や聖書から借りてくる家族イメージも、困った問題だと思う。

あたし、おならをする彼が許せなかった。でも、人間なら、おならだって出て当たり前なのよね。

生身の、等身大の人間らしさを持った家族イメージがなければ、空想にボンドしたイメージのまま相手を選ぼうとしてしまう。
施設の子たちには、小さいウチから里親家庭に行って、リアルな人間の父親、母親イメージを作り上げて欲しい。それが、将来の家庭イメージの源となるのだから…

| Maria | 2009/12/16 23:36 | URL | ≫ EDIT

親から子への愛は絶対的で排他的なもの。知らないが施設職員から入所した子たちへの愛は平等をめざすもの。子どもの育成に不可欠なのは絶対的で排他的な愛。

| akari | 2009/12/16 19:06 | URL |

自分を支える固有の大人がいないというのは、とんでもないこと。そんなのは、サルでも、ネコでも経験しないとんでもないこと。これなしにはしっかり育つこと、大人になって難局を乗り切ったり、人に優しくすることは本当に難しいと思う。心理的なものは目に見えないだけに軽視されがち。でもこうした固有の相手がいないで育ち、18になったら自立なんて言葉で外に出されるなんてまるで大切な臓器をカットされたまま、外に出されるようなわけのわからないこと。小さいころからの統一された愛着や思い出は、本当に大切。大人になってから補えるものではないし、どこにも売っていない。取り返しがつかない。

| akari | 2009/12/16 18:18 | URL |














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