メンタル整理衣食住足りてって・・・ 今現在、わたしは時々ご飯を食べ忘れる時がある。どうも、ご飯というものは自動的に出てくると感じるようだ。自分で
食事を作らなくちゃいけないのは理性で分かっているけれど、そこまでして、
料理に夢中になれない自分がある。ご飯を食べ忘れるから確かに一定以上は太らないけれど、全てにおいて栄養不足になる。だから必須栄養をサプリメントで補う。でもこれは味気ない。
施設ではたぶん、
食事が
家庭的であるという発想はなかった。ただ、
食事の時間になると放送が入り、わらわらと子ども達が集まり大
食堂でもぐもぐ食べるだけ。でも考えてみればあの頃、今、自分は何を食べてるのか知らなかった。
食事の楽しみが無いのだ。また、
食事は生きる為であり、楽しみであるという発想が無かった。
味も、この子の好みや体の為にわざわざ作った味では無いので、非常に一般化されている。その一般化された味はコンビニのお弁当の様で、特に自分で無くても良い様な、人を選ばない味だ。わたしはコンビニ弁当がなんとなく懐かしい。
わたし、衣食住は足りてたと思うけれど、自分でめし作れるほどの自立は難しかった。今も
食事の時間になれば放送が入る様な感じ・・・。そうすれば、行けばご飯にありつけるという、動物の本能の様な。
夫の場合 彼の家にゆくと、
姑が
夫の前に自信たっぷりに
料理を出す。
夫は何も言わずにもぐもぐ食べる。わたしももぐもぐ。でも、田舎の根菜類中心なので歯が折れた事もあり。でも不思議においしい。
料理を手伝われるのを嫌がる
姑なので、そこは、お客様な嫁であり続けているのだけど・・・。
夫はお
姑さんの
料理を不味メシ扱い、でもなぜか食べていてほっこり満足できるのだから不思議だ。子どもの事をお
姑さんはよく知ってるのだなと思う。
夫はやはり嬉しそう・・・。
コックは殺されないという自論 戦争で捕虜の中で一番殺される確率の少ない人は
コック、
料理を作れる人だと、
夫は言う。わたしが
料理ベタなので、そう言うのだろうが、食べるという行為は人を安定させるのだと思う。
でもそんな夫も
料理を作れない男。かいがいしい
姑に育てられたので、料理は女が作るべきと思っている。料理を作れなかった妻は責めるに値するが、料理を作らなかった夫はとくに責められない。
それは共働きでも同じ、どんなに夜遅く帰ってもご飯を作るのは妻の仕事、夫は主に麺当番。皿は洗えない、散らかし放題。その状況に慣れなかった自分は、嫁としてダメなんだと悩んだ日々。
家庭で育った事がない嫁。家庭で育ったけれど料理は女が作るものと育った夫との、微妙な感じは今も続く。しかし、1つ分かったのは、本当に外食や弁当が続くと、やっぱり体調を壊すという絶対的な問題がある。
施設の家庭的処遇の限界 わたしはご飯を炊いた事がないと言った時、キャンプで作っただろう?と言われたので、ピンときて、それ以来石釜でご飯を炊いている。家の中でキャンプの
食事状態。それが唯一の自炊だった。さすがに今は、色々お勉強しているが・・・身についていないので、わずらわしさの方が勝ってしまう。
家庭から来た子は、信じられないと思うだろう。でも、家庭を知らないって事は、自炊したり生き抜く知恵や力もないという事なのだ。
食堂に集合して、一般的な味の調合で飼いならされて、それを衣食住足りてというのは簡単だが・・・。
わたしは、料理を克服しなければ、きっと自然に死んでゆくだろうと何度も思った。
施設育ち女子が夫を選ぶ時、料理を全く作らない、作れない、作るのは妻の役目と信じてる、古いタイプの人を選ぶ時、相当の覚悟が必要と思う。しかも、自分には実家が無いから、料理の作り方を気楽に聞く親もいないのだ。