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身体を密着して育てられた期間が無い事と懐かしい匂いを知らない事と

めんたる整理

 潔癖症とは違う不適応感

 一般の家庭に入り、何よりも衝撃を受けたのはトイレやお風呂や寝室が共有であるという事だった。

 誤解をしないで読んでいただきたいが、わたしは夫を自ら選んで結婚をしたと思うので、わたしはこのような生活空間に異論はない筈だった。

 しかし生活者が渾然一体になっている生活環境を体験した事が一度もなかったので非常に(静かに)衝撃を受け、まずはそれに慣れるコトが最初にやるべき事だった。もちろん全てを感覚に沿わないからと否定した事はないが、ものすごい衝撃だったのは確かだった。

 施設では男女は風呂もトイレも部屋も全く別だった(筈)ので、どうしても、女子と男子が共に使用?するという自体がエマージェンシーそのものであり、覚悟を求められる事であり、わたしにとってはアメニティとは言えない状況に感じらる状況だった。

 ・・・という予備知識がないまま、この衝撃を説明すればおかしな方向へ行っていただろう。


 つまり、よく潔癖症と勘違いされるがそれは違うという事なのだ。むしろ潔癖とは正反対な雑さも施設育ちの特徴なのだから・・・。

 わたしの場合は施設しか知らないので、お風呂に男子がいる事、トイレも男子と共有という感覚が全く身についていなかっただけと知った時、この結婚生活が生まれて初めてのわたしにとっての家庭生活の始まりだという事を、考え始めるきっかけになった。

 五感と情報がシンクロしない

 わたしは鼻が馬鹿だと思う。耳はそれなりに相当良いが、匂いから情報を得る事ができない。だから相手と手を繋ぐ、HUGなどのスキンシップに対して、特定の相手についての情報としては懐疑的なところがあった。

 夫とは結婚前から結婚後に至るまで自ら手を繋ごうとしないし、相手から求められて繋ぐも、すぐに外れてしまうという状況だった。なぜ手を繋ぐのか、なぜHUGするのか、なぜ・・・全てがショックだった。

 匂い時系列がある?

 川島あいさんが亡くなった養母の着ていた服の香りを「懐かしい匂い」と言っていたのを理解できなかった。わたしには懐かしい匂いという言葉の意味が実感として入って来なかった。

 匂いが懐かしいという事は、それは過去において彼女が嗅いで来た匂いの中の、どんなステイタスを持った状態なのか、ものすごく驚いてしまって・・・。なぜなら彼女はそれこそ処理能力を超えた程の大勢の匂いを乳児院で嗅いで来ただろうし。

 わたしは何か懐かしい匂いというものがあるのだろうか?と考えたとき、過去の施設へ行った時、そこに匂いの情報が何もなかった事を思い出した。匂いを何も覚えてないのか、それとも匂い自体が無かったのか・・・。

 わたしは時々自分を製品のように感じる事がある。それも工場で作られたようなイメージを持つことがある。匂いのない世界、無菌の、白い・・・。

 でも、そんな事をリアル世界で言う気になれなかった。少なくとも、匂いに基づいて人を探し当てる事ができる人ばかりの中で、懐かしい匂いが何も無いとは言い辛いものだから。

 これもたぶん、無愛着な感覚の一つなのかもしれない。

| ├ メンタル整理 | 08時52分 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

指導員や保母は親ではないのですね

「親をやめる」ってことは、普通の概念としてない。

 やはり、夫のリアクションによく似ていてびっくりします。家庭の人には何もかもが驚きなのですね・・・。

 akariさんのおっしゃる通り、一般の家庭概念では「親的な役割を持っている養育者が担当を外れる」という事は本来有り得ないという前提があります。

 特に家庭での幼子にとって、人が変わり続ける事は非常事態ですが、乳児院・施設で関わる職員は、家庭の親ではないので、施設ではそれは非常事態ではなく、ごく日常であるという事が恐ろしいのだと思います。

 さらに、乳児院によっては、職員を「○○先生お母さん?○○ママ」と呼ばせたりします。

 この状態で里親家庭へ委託されれば混乱するでしょう、担当を外れる職員を「お母さん」とインプットされた脳では、里母に対するイメージも、お母さん=移り変わりゆく人、という認識をすで持っている可能性があると思います。

 ちなみに、わたしが出た施設では職員を「お兄さん、お姉さん」と呼ばせていましたが、子どもが混乱するので「先生」と呼ばせるように修正したそうです。

 後に、園生の女子とお兄さんが結婚しました。ますます頭が混乱する様な気がします。特に社会に出て常識が身に付いてくればこそ。

 まあ、どっちにしろ、施設だけで育つ事に家庭風なトッピングをしても、施設は施設でしかないという事だと思います。

 akariさんの率直な意見のおかげで、夫の驚きがスムーズに伝わる様な気がします、ありがとうございます。

| Lei | 2010/01/29 02:01 | URL | ≫ EDIT

「親をやめる」ってことは、普通の概念としてない。おかしい。傍から見たってまったくおかしな世界。レイさんがひっかかるのは、当たり前のこと。

| akari | 2010/01/28 20:57 | URL |

serenさん、はじめまして

 はじめまして、どうぞよろしくお願いします。

「児童養護施設の孤児収容施設としての役割は薄れ、昔と違い、衣食住を与えればそれですむというのでは無くなった」というポイント。
 
> 裏を返せば、相変わらず一定数必ずいる「親が現れる事もなく乳児院で育ち切り、そのまま児童養護施設へ措置された子どもたち」って、相も変わらず「衣食住足りて礼節を知る」とばかりに放置され、満期になれば措置解除になって、
 

 わたしが教えられた言葉は、

 「飛ぶ鳥後を濁さず」という言葉でした。卒園の準備をする子ども達に向けて職員がよく言ってました。serenさん(#・・・セレンさんの方が良いのかな?)、書き込みに整理したコメントを下さりありがとうございました。
 

| Lei | 2010/01/25 08:22 | URL | ≫ EDIT

いえ、大丈夫です

akariさん、

 ありがとうございます。もちろん今までのやり取りの経緯からも、あなたについては安心しています。ですが、ふと、不思議に感じてしまったのです。

 今まで一生懸命書いては来ましたが、きちんとその意味がそのまま伝わっているのか、もしかしたら、解釈が違うまま、ここまで来てしまっていないか・・・なんて、そんな風に思ったものですから。

 この「誰も対象者がいた事がない」という問題に気づく事ができる人は、家庭で育って来た方々、あるいは施設育ちだとしても、家庭を持つ事によってこの問題に気づいていった出身者か、だと思えば、この不思議さも多少緩和されます。

 施設育ちが長ければ長いほど、この記事が理解出来ない、理解しづらいという法則があるので、いつも一番理解してほしいと感じている、彼らには届かないのが一番さびしい事かもしれません。

 自分が誰にも出会わないままでは、気づく事の出来ない性質の問題ですから。

 いつもありがとう、迷惑だなんて事はありません。また、迷惑と感じた時ははっきり、迷惑と申し上げますので、安心して下さいませね。
 
 

| Lei | 2010/01/25 08:15 | URL | ≫ EDIT

レイさんこんばんは。

私は別に里親とか虐待とか、それほど興味はないんですよ。確かに親とは本当に仲が悪かったんですけど、虐待というほどでもなかったんです。

私がレイさんのブログが好きなのは、昔とてもたくさん身も心も捧げるくらい勉強したことが役立つからです。たとえば、まったく対象がはっきりしない喪失は、悔やめないことが悲しいんじゃないですか?
 その視点から見ると、レイさんやマリアさんの訴えていることのまっとうさが本当によく見えて、援護射撃したくなってくるんです。そうですね、課題があるとしたらレイさんたちの夢や目標をなんとか私なりにですが応援したいです。迷惑だったらごめんなさい。



| akari | 2010/01/24 19:29 | URL |

課題の仕分け

「児童養護施設の孤児収容施設としての役割は薄れ、昔と違い、衣食住を与えればそれですむというのでは無くなった」というポイント。
 
 裏を返せば、相変わらず一定数必ずいる「親が現れる事もなく乳児院で育ち切り、そのまま児童養護施設へ措置された子どもたち」って、相も変わらず「衣食住足りて礼節を知る」とばかりに放置され、満期になれば措置解除になって、出がらしのダシの様に廃棄されるという事。

 そういう解釈でLeiさんとは違う、もう一人の施設育ちは考えてますよ。

 施設は子どもたちそれぞれの課題の仕分けすら出来てない状態でしたね、今思うと。あなた期せずして色々なモノを広い集めている途中なのですから、一生掛けても整理して下さい。

 初めまして、serendipityと言います。めんどくさかったらセレンとお呼びください、どうぞ。

| serendipity | 2010/01/24 09:30 | URL | ≫ EDIT

単なる1施設出身者なので・・・

 akariさん、

 わたしは、里親になりたい人が、自分が家庭で虐待を受けた子の事が気になるのか、それとも、親が育てられない子の事が気になるのか、いつも、このブログ記事へレスコメントされる方々の様子から、何かを読み取ろうとして来ました。
 
 でもakariさんは、どちらに課題を強く感じているのか不思議と見えない気がします。

 家庭の方が、捨てられている事に向かい合う元施設児童のボヤキを読み続けて下さる事に不思議さを覚えますが、でも、とても感謝しています。

 たぶん、きっと、あまりに違うのでしょうね、虐待の問題と、捨てられた問題は・・・。

 変な事を言いまして・・・うまく言葉になりませんが。

| Lei | 2010/01/24 08:48 | URL | ≫ EDIT

「愛する(love)」ことの本質のうちのひとつは、「抱きしめ合う」こと。一般的な日本文化だとちょっと違和感があるけど、お母さんが赤ちゃんに一番してあげることは、「抱きしめてあげる」こと。触れ合うこと、目と目を合わせること、声を掛け合うことなんかもこれにつながる。

戦争や犯罪などで何年も会うことがなかった愛し合う親子が会うことがかなった時、日本人でも「抱き合う」。

| akari | 2010/01/23 17:22 | URL |














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