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つつがない家庭を維持するソウルメイトの背中を見ているうちに気づいた事

SOUL FAMILY-project.別館

 平凡日常の維持

 ふたりのソウルメイトと出会ってからのわたしは、彼らからそれぞれに有限無限に教えてもらっている事が多いと感じるようになってきた。

 つい最近までは全く意味のなかった彼らの無言の行動は、無言のメッセージとなり、わたしの中に静かに蓄積されていくみたい。

 つまりはBC(ビフォー・クリスト)ならぬ、BW(ビフォー・ウルフ)だねと冗談が出てくる程、わたしは特にMariaと、彼女よりも更に少し年上のWolfの、日々の彼の家庭での子育てぶりについて、波乱万丈な施設育ちが平凡日常を維持する事にどれ程の心血を注いでいるのかを、図らずも見つめ続ける事となってしまった。


 そこでいつも二人でたどり着く答えは「Wolfさんって、平凡な家庭を維持する事に渾身の力を振り絞って向かい合ってるのね」と事だった。


 わたしが無自覚な分、時間が掛かるのは申し訳ないが、わたしは結局のところ、オヤジの背中を見ている様なものではないかと感じる様になっている。MariaもそんなWolfに畏敬の念を抱いたり、共感したり、二人でWolfのやっている日々を語り合ったり・・・。

 壊すのは簡単

 施設育ちはこういっては何だがアブノーマルな日常(つまり破壊を前提にした日常が漠然とある事)しか知らずに育った。その感覚を保持したまま社会に出て家庭を作ったら、必ず、平凡日常への自分の戸惑いに遭遇する。その戸惑いが違和感に発展し、やがて、自分の感覚に沿った世界観へ戻そうとする心の働きへと移行する(又はし易い)。

 それが、無自覚に子ども時代からの感覚を優先したものであったとしても、そこへ戻ろうとする気持ちがある時、当人はどうすればいいのだろう?

 アブノーマルな子ども時代がいくら自分にとっては馴染み深いものだとしても、それは、社会的に見ればけして、ノーマルではなく、アブ(ab)が付く話なのだと理解していかなくては、静かで穏やかな日常の維持、それを保つ戦いからドロップアウトするのは当然なのだと思う。

 整理をしてきて思った事

 だから、育てられ方を整理しなくてはいけないと心から思っている。心の整理、育てられ方の整理が劇的に今の日常に効果を表さなくても、遠赤外線のようにゆっくりと伝わる形なので歯がゆく感じたとしても・・・。ただ、施設育ちの常として「今、答えを欲する」気持ちが優先する為、遠赤外線なんてゆとりを持つ事ができないのも事実。実際いつもエマージェンシーだったので対処療法的に生きるしかなかった。

 ・・・ただ、わたしはブログでテキスト整理をしてきて本当に良かった事が一つある。 
 それは、自分を客観視出来るようになった事。もう一つのわたしの視点がわたしを見る時、そこには等身大のわたししか見えないから。だから自分の問題が何か、ゆっくりと見えてくるのだと思う。

 戦いは終わった事を知らせる

 戦いは終わったが、今も生き延び続けている心は、まるで「心の慣性の法則」の様だ。長距離ランナーが急に走りやめられない様に、戦ってきた者たちも急に戦いをやめる事ができない。

 いくら、周囲の人と感覚が合わなくても、自分由来の怒りのオーラは収まる事がないし、果て無く生き延びようとし続ける。もし、わざわざ生き延びようとしなくても良い平和で安全な世界であるなら、その平和を今度は自ら壊して、そして生き延びようとする。そうしないと達成感がなく、また、何かが納得できないのだ。

 でも実はその納得できない気持ちこそが、平和な日常を維持する事の邪魔をするのだという事に気づかなければ、かつての孤高の戦士は平和を乱す単なるパーサーカーになってしまう。

 だからわたしは、ソウルメイトの維持し続ける日常がとても大事なものだと感じるのだ。怒りのエネルギーがありながら日常を維持する人をわたしは心から尊敬している。破壊の心を持ちながら平凡な毎日を静かにつつがなく維持する事のエネルギーの導き方はは、とても勉強になる。わたしも施設で必死に壊すまいと戦った気がしているから・・・。

 大人になれない養育者の犠牲者は子ども

 生物親の犠牲になった子どもたち全ては、子どもたちの為に自分の心と戦わなかった大人達の被害者達だと、改めて、思える様になってきた。(#もちろん親が心などの病気を抱えて、戦おうにも戦えない方の事では無いです。その場合は、子どもは施設だけで育つか、あるいは、施設保護もなくネグレクトされ続ける場合が多いが・・・)
 
 目の前にいる自分の子どもの犠牲よりも、かつての子どもだった自分の犠牲に留まり、整理しない人(子どもとしての自分が癒される事を優先する整理だけしか、しない)は必ずリアルの世界で生きる自分の子どもを苦しめ、その家庭を壊していくと最近のわたしは思い始めている。

 「かつての子どもである自分」が、今、自分が育てている現実の幼子を壊してはいけない。わたしは、子どもがいないけれど、何故かそう思うのだ。
 

|  Soul-Family-projct・別館 | 10時40分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

Maria、お返事ありがとう

 昨日は一日忙しくてレスポンスが悪くてごめんねMaria。今日は頼まれてる仕事もあるのでPCに向かいます。(#報告含む)

 Maria、施設全部育ちは家庭が壊れて家庭から引き離された体験を持っていない為、施設が一般社会とどれ程乖離しているか、自らでは確認しようがない事が、一番の問題だと思う。

 Wolfは彼の静かな戦いの中で、他の施設育ちには無い戦い方がある事を教えてくれているのだと気づくまで、えらく時間が掛かった。

 「考察」という意図も全くなく、単に感じた事を書いただけなのだけど、Mariaからそう言ってもらえるとうれしい。ありがとうね、返事を促しちゃってごめんね。なんだか甘えてしまったよ、今日の記事にあなたからのレスがちょっと欲しかったから。

| Lei | 2010/01/26 07:06 | URL | ≫ EDIT

もう戦わなくてもいいんだ…と、心が思えない

Leiちゃん、
「穏やかな生活」に満足できない施設育ちの心境を、如実に言い表した記事だと思うわ。これは、「考察」と言っていいほど。

 Wolfさんは、「静かな戦い」という表現をよく使うけど、家庭を壊さず、子どもを守り育てることは、施設育ちにとっては、文字どおり戦いなのだと思うの。

 あたしも、
もうここは施設ではないんだ…
過剰に身を守る必要はないんだ…
周りにいるのは敵ではないんだ…
信頼できる人もいるんだ…

と、自分に言い聞かせる日々。

心が、常に戦いに備えていたの。
または、逃げ出す準備をしていた。

Fight or Flight

身を守れなければ、逃げ出す。
逃げられなかったら…

もう、戦いと逃走の日々は終わった…
理性は理解しているのだけど、
心が、体が、まだ過去を過去と出来ていない。

頑張らなくちゃ…
周りを破壊せずに、
自分を壊さずに、
生き延びて、幸せになるために…

三人一緒に、頑張ろうね。

| Maria | 2010/01/25 23:42 | URL | ≫ EDIT














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