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捨てられた子たちを羨んでは去って行った人達の気持ちをあえて想像してみる

めんたる整理

 裏切った親を憎むエネルギー>施設職員の体罰への怒り

 わたしは一度くらい家庭で育ってみたかった。人生の一度くらい、ほんのちょっと家庭で育っても天罰は下らないと思いたかった。施設でいくら家庭から来た子から家庭の悲惨な話を聴かされても、最終的には、親への思いを口にする子が多くて・・・

 今思うとそれが、いわゆる「どんな親でも子どもにとっては親は親」という事にあたる部分だと感じた。しかし、その部分が子どもを一生縛るのかもしれないと思えてならない。反対にわたしの場合は、誰も親が居なかった事が一生を支配している気がするから、又問題が違うのだけど。


 わたしは(あまり現実を直視したくないけど)捨てられていて、親とのデータそのものが無いので「どんな親でも親は親」という風には考えられなかった。

 憎もうにも相手がいないから、結局怒りも浮かばない。でも・・・それが家庭から措置されて怒りを持つ子から見れば、思考停止の羊の群れに見えてしまうのかもしれない。家庭から来た子には理不尽な施設の収容生活も、元からいた子達にとっては、そこだけが現実だった。

 家庭から来た子は自分を裏切った養育親を憎めるのと同時に、施設職員に対しては、一定時間真剣に関わってくれる事を望んでいるように見えた。施設職員は親と違う事をとっくに知っている家庭の子は、職員は指導を受ける対象でだったので、特にそれ以上を求める気もなく憎む必要性が無い事を知れば、あとは整理できるみたいだった。

 家庭の子にとって親と施設職員では全く違うのだと思うが、でも、施設しか知らない子にとっては比較対象がない。
 
 深いところで元から施設にいた子は期待と裏切りを体験していない。人が定まらない施設世界が全てであるとしかいえない。期待が無いので裏切られ感もないという事。

 家庭の子たちはよく「大人には何も期待してなかった」というくせに、同時に大人という存在から裏切られた傷つき感が言語や行動ににじみ出ていて、施設をいつも壊しまくった。でもそれは、今思えば、施設の大人に対して怒ってるのではなく、自分の親に向けて怒ってたのだと思う。

 期待しないと言いながら怒る彼らも本当は期待してたように見える・・・でも、大人から裏切られた傷つきの症状のため心の整理ができないのだと思う。でも、わたしはもともと人間関係がシンプルすぎて、複雑に込み入らない分(一見幸せそうにみえたとしても)無愛着だった。

 最終的に、捨てられた子を羨んだ人達は、捨てられた子に誰もいない様子に憧れている様な印象があった。誰も居ない子の存在の軽さを、家庭ならではの重荷にあえぐ子たちは「いっその事誰もいない子の方が幸せ」だと言った。
 
 誰も居ない事が幸せに見えるなんて、わたしから見れば、幸せな苦しみに見えた。
 でも、誰かが居るからこそ苦しい人もいるのだと、少しずつ想像できるようになってきた

 ただ、同じ施設育ちといっても、捨てられて誰もいない子と、親から虐待されて入った子では全く違う。捨てられた子には、語るだけの体験が何もないけど、虐待された子には語り尽せない程の出来事があるようだ。


 #整理&編集中・・・。

  

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