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気になる本のCLIP10「部落差別とカトリック」を読み終わった

関連記事 「部落差別とカトリック」">気になる本のCLIP09 「部落差別とカトリック」

 感想文?

 カトリックは、女子パウロ会やカトリック教会における部落差別を自ら認知していますって感じの内容だなという捉え方をして読んだので、淡々と現実が綴られていて興味深い内容だった。シスターといえども日本人だし、シスターになる前は一般の家庭の娘だった事を考えれば容易に理解できる差別心だった。
 
 あとは、部落の方の体験話で構成されていて、差別が結婚や就職や、教会からも排除されている現実がわかった。


 養護施設の子差別と違う

 しかし、部落差別も又、地域やその家庭ごと差別を受ける話なので、わたしはどうも、ここにも、家庭が無い自分の問題が語られていない事に気づいた。差別意識というものは、その地域に住む年寄りから若い世代に伝えられ、受け継がれてゆく性質のものだから、「親のいない子ども達」の問題は語られていなかった。

 施設に入る子も被差別部落の子だけじゃなく、色々な家庭の子が集まっているわけだから、たとえ「○○学園の子」という差別を受けたとしても、差別を受ける地域の人として、一族として、家庭の中で延々へ受け継がれるタイプのものとは違う差別だなと思った。

 つまり、施設差別は、親のいないその子だけが差別を受ける話なので、それは家族が抱える(家族の共有する)問題とは違うのだ。捨てた血縁家族は、捨てられたその子の問題も一緒に捨てたんだから。

 部落差別にあった事がない 

 わたしはどうやら被差別部落出身らしい。だが、幸か不幸か家庭で育った事がない為に、差別を受ける民としてのアイディンティティを持たずに生きてきた。だから全くピンとこない。

 でもやっぱりピンと来てみたいので、誕生した場所に行ってみたが、どうもやっぱりピンとこなかった。無い袖は振れない。これは記憶を失っているのではなく、どうやら体験した事がないんだなと、直感で分かった。

 何よりも誰も知る人がいないのだから。家族みんなで差別を受ける体験をした事がないので、何とも言えないという感覚だった。

 悔しい思いも悲しい思いもしたことがない、という事が、その家族から捨てられているという事だと知り、それなりに複雑な気持ちになった。

 これもアイディンティティ

 その家庭で育てられなければアイディンティティが育たない。わたしは何故かカトリック教会には愛憎ないまぜな気分があるが、自分の血縁とやらには、その愛憎ないまぜの感覚とやらがない。

 最後に言い訳
 
 もし、このブログを読んでおられる部落の出身の方がおられましたら、不快感を持たれた部分がありましたら、お詫びいたします。この記事は、差別というものとアイディンティティの事を語っております、自分の整理の為でもあります。そして、どうも、差別というのも、部落の差別だけじゃなくレース的な差別も知っている気がするので、被差別部落の事だけでは語りきれない人類的な差別の問題を意識して生きているので、表現がわりと身も蓋もないです。

 他意はございませんので、ご了承いただけるとありがたいと思います。

| 気になる本のCLIP10 | 12時34分 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

誰も居ないとはそういうこと

 わたしに誰も居ないと感じたのは、資料の上では(戸籍とか)どこで生まれたか理解出来たとしても、わたしはそれを言葉で証明してくれる親戚縁者、血縁、誰とも会った事もない、探された事もないって事。

 この記事は語り方を慎重にと思ったけど、わたしには家族がいないから、こういう問題を共有する相手もいないという事。

 わたしは、資料を見て、ここの出身者と分かったとして、「だからそれが何?」としか言えない。わたしはずっと一人で、親がいない事を背負ってきた。

 わたしは、いろんな意味で自由だけど、いろんな意味で捨てられてるとも思う。

 子どもたちに誰かがいて欲しい・・・。

| Lei | 2010/01/30 14:54 | URL | ≫ EDIT

差別の問題は、生き方が問われるわね

Lei ちゃん、書いてくれてありがとう。
差別の問題は、本当にむつかしいわね。

 中学校の担任に勧められて、島崎藤村の「破壊」を読むまでは、部落差別の意味がよくわからなかったの。差別意識を持とうにも、前提となる情報が皆無で、なぜ、差別をするのかもわからなかったわ。

 でも、途中で家庭から施設に来た子は、部落差別のことも、養護施設の差別のことも、よく知っている子がいた。差別する側から、される側になったことがショックだったみたい。「施設に落ちぶれるなんて…」と言っていたから。

 印象的だったのは、「あの子はこれなのよね」と、親指を隠した手を見せたの。「そうなの? 大変ね」と意味もわからず返事したことがあったわ。

 途中から施設に入ってくる子たちが、それまでの家庭で覚えた差別意識を持ち込んでくる。差別する側も、差別される側も…

 ただ、物心ついたら施設にいた世間知らずな子たちだけが、わけもわからず、それでも、施設内マイノリティとして差別される。差別されている実感もなく…

 差別の問題は、本当に難しいわね。あたしも、誰も差別していないと言い切る自信がない。でも、学び続けなければ…
 自分の生き方が、常に問われ続けいるようなものだから。

| Maria | 2010/01/30 13:07 | URL | ≫ EDIT














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