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無縁死が一般社会で問題化される様になり、施設の子の問題も見えてくる

めんたる未整理

 記事を書く動機となった番組 NHKスペシャル 無縁社会

 孤高じゃなく単なる孤立

 1city

 My PICShere  →元画像 original HDR画像に挑戦してみただけ。


 自分探しを姑に命じられ

 「あたしゃ(姑さん)自分の子(夫とその姉)の足跡が何処にも無いなんて忍びなくて死ぬに死ねない。あんたにも絶対過去があるハズ、親の体が悪くても親戚があんたの来るのを待ってるんだから、あんたの生まれ故郷、育った施設を見てきて、報告しなさい」

 と言われ、夫も母親の言ってる事が世間に照らし合わせても、珍しく?真っ当な事を言ってると思い、一時期、わたしが生まれたとされる地、育ったとされる複数の施設を訪ね歩く事にした。

 それが自分探しのキッカケで、わたしは特に自分を探そうという発想自体が無く、姑の剣幕に押された形だった事を、今更ながら言っておこう。姑の言葉に対しての本心は、自分に興味が無いので自分がどう生まれてどう育ったかなんて、いちいちやってられないと感じていたから・・・。

 


誰も、何も(残って)いない
 
 昨日NHK無縁死という社会問題についての番組をやっていた。30分位しか見る事ができなかったが、番組のナレーションで、確か「生まれた時にはあったものが、だんだん外れていき、人生の最期になって、孤独に亡くなっていく人が多くなった」という様な事を言った。

 わたしはそのナレーションに少しイラっときた。その方が悪いのではなく、自分は人生の最初に何があっただろう?と考えた時、少しずつ外されてきたモノなど最初から無く、人生の最初から、誰も、何もいない施設全部育ちはどうしたら?という気持ちになった。 
 この様な社会は、施設の子ども達だけの潜在的なテーマだった頃は社会問題ではなかった。孤独死が社会問題化するまでは、誰からも問題にされた事のない話だった。

 この社会でひとりで生まれ、ひとりで生き、ひとりで死ぬ事はさほど特別な事に思えず、この事をごく自然に受け入れて生きてきたように思うので、社会問題化している無縁死というテーマの切り口に、知らずイラッとしたのだ。

 路上で生活していても、絆が無くても、保証人がなくても、成年後見人がいなくても、無縁死が普通でも、派遣切りが施設の子だけの問題だった時は、社会問題ではなく、個人の問題で、自己責任の範疇だったのだ。

 人生の最初から全ての繋がりを絶たれている状態の子ども達の行く末が無縁死で、献体になり、無縁仏になり、寺に集団で埋葬されるのかと思うと、わたしは今、この結婚が本当にふんばりどころなんだと思えてならなくなった。

 わたしにとって当たり前だった世界は、一般社会に増えた時に問題化される。わたしが今まで頑張ってひとりで生きてきた、頑張りは一体何だったんだ?と流石に思えた。
 
 誰も居ないという状態は本当に異常な状態なんだ、きっと・・・。だけど誰も子どもの頃に、施設の子がひとりである事を問題とした人がいなかったのだ。社会問題化してほしい、もっともっと。きっと人間には、ひとりで生きる事に恐怖を持つ世界が必要ではないかと思う。

 社会の人にとって一番恐ろしい無縁状態が、施設の子にとっての日常だったという事を正しく認識できる社会の概念になってほしい、意識が育ってほしい、本当に。

| ├ メンタル整理 | 06時18分 | comments:10 | trackbacks:0 | TOP↑

DVDに焼いてあげる

Lei ちゃん、
録画してあるから大丈夫よ。
今度会ったときに渡すわ。

| Maria | 2010/02/03 18:26 | URL | ≫ EDIT

再放送見忘れた

 Maria、再放送終わったんだよね・・・。しまった、見そこなったです。

| Lei | 2010/02/03 13:58 | URL | ≫ EDIT

応援しています!!!

パンの奇跡が行われると人々は感動して、イエスを王に推し立てようとした。そういうところにすわり込んでおれば、奇跡を行なうような人の弟子であるから、それだけで鼻高々となれるわけである。ところがイエスは、弟子たちを海へ-海というのは聖書ではだいたい不安を意味しているが、不安の世界へと送り出された。その世界では神を否定し、神のわざは見られない。イエスが来られても、それが幽霊のようにしか思えない。実体が伴わない。神が、イエスが、十字架がと言っても、言葉だけがから回りする世界である。そういう世界へ弟子たちを追いやられた(中略)
 恐れるのが人間であって、恐れるということをそれほど恥じる必要はない。そこで「わたしだ、恐れることはない」と言うかたの声を聞くとき、恐れは喜びに変わる。困難や苦しみがあっても、武士は食わねど高楊枝のように、歯をくいしばっているのは、信仰生活ではない。痛いときには痛いと言うし、腹が立つときには腹が立ったような顔をしてもかまわないと思う。しかしそれがつづいたのではだめである。そこで、わたしだ、恐れることはない、という言葉によって、その状態から救い上げられるところに平安が、また勝利の生活が与えられているのである(榎本保郎、昭和55年、「新約聖書一日一章、主婦の友社、163ページ)。

| akari | 2010/02/02 22:00 | URL |

akariさん

 おはようございます。いつもありがとうございます、そうですね、ひとりに戻ってはいけないのですね。

| Lei | 2010/02/02 12:43 | URL | ≫ EDIT

れおさん

 れおさん、すべてご覧になったのですね。わたしも絆づくりが必要だとソウルメイトから言われた時、全くピンと来ませんでした。でも、この番組を見て、縁故に頼れない人、そもそも孤児で縁故がない人が、長い間社会から放置されていたのに、今頃になり、ようやく、問題が具現化したかのような切り口だと感じました。

 再放送、わたしももう一度見ようと思います。コメントをありがとうございます。

| Lei | 2010/02/02 12:41 | URL | ≫ EDIT

Mariaへ

 おはよう、朝は雪かきで電話出れなくてごめんね。これからは愛着の問題、アタッチメントディソーダーの問題が語られてゆくと思う。

 その流れで乳児院・物心組(物心ついたら施設の子)の事ももっと声を大にしていかなくちゃと思う。がんばろね。

| Lei | 2010/02/02 12:36 | URL | ≫ EDIT

Leiさんへ

もう、ひとりっぼっちじゃないです!!!

| akari | 2010/02/01 20:01 | URL |

私も見ました

こんにちは。
昨夜全部見ました。

正直言って、今さらかと思うことが多々あります。
国民保険未加入の子どもがいて、病院に行けないとか…たとえばこういうことも、実は私が子どものころも1学年に一人か二人はいたと思います。

それが不況になって多くなったから、騒ぎ始めた…。

頭数が増えなければ、残忍さを帯びてこなければ、誰も問題意識を持たない…。
とても残念でならないのですが。

自分のトラウマに関する報道を見聞きするとき、相変わらずその切り口に苛立つことがあります。
なかなかそう簡単には整理がつかないものです…。

再放送、あるんですね。
また見てみようと思います。

| れお | 2010/02/01 17:08 | URL |

再放送するみたいよ

[字]NHKスペシャル「無縁社会~“無縁死”3万2千人の衝撃~」
2/3 (水) 0:45 ~ 1:45 (60分)
NHK総合・東京(Ch.1)

録画するわね。

| Maria | 2010/02/01 07:53 | URL | ≫ EDIT

見たかった…

Leiちゃん、無縁死という言葉は、初めて知ったわ。

でも、Leiちゃんのいうとおり、ものごころついたら誰もいないのがオール施設育ち。

 あたしも、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」のとおり、どこかで野垂れ死ぬイメージしか持っていなかった。
 いまも、そう。

 虐待も、貧困も、この無縁死も、昔から施設の子たちには当たり前のことだった。それが、増えすぎてきたから、施設の子たちだけの問題ではなくなり、社会問題となっていたのだと思うの。

 カナリヤが一匹死んでも問題にしないけど、大量死するようになって、ようやく危険だと騒ぎ始めたのね、この社会は。

| Maria | 2010/02/01 07:46 | URL | ≫ EDIT














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