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施設に入所してるのは虞犯少年だけじゃない、虐待の症状を表す子もいた

養護施設にいる間の問題


 朝っぱらから自殺未遂

 施設に入所している子の中には家庭で重篤な虐待を受けた後遺症で自殺未遂を繰り返す子もいた。朝になり、それを知るのだが、あまりにも唐突で、自分かってな行為だと子どもながらに感じていた。施設はいつも臨戦態勢だった・・・だから、このような騒ぎはしょっちゅうだった。  


 『・・・又リスカをしている』

 誰か小さな子が泣きじゃくっているので、トイレかと思い廊下に連れ出す。その子は今出て来た部屋を黙って指差す。その指の先の光景に、かたずを飲んだ。やがて大騒ぎの中職員が到着する。救急車がきたかどうか覚えてないが、後に、その子の命は助かったと聞くが・・・。

 でも、その部屋の中の変な感覚はしばらく消えなかったように思う。自分がそう感じるだけなのか、子ども達の部屋がなんだか一方的に汚された気がした。
 
 何度かこのシーンを過去に書いてきたが、改めてわたしは、この自殺未遂を繰り返す子にも怒りがあったのだと自覚する。大人の今、このような子に対するケアが重要である事を知っているが、ただ、子どもに過ぎなかった当時は、皆、小さく怒りの声を発していた。

 「何やってるんだよ、ここは学園だよ」と、小さく罵った子の気持ちに、本当はわたしも共感できる。平和な朝、いきなり衝撃的な現場を見せられて、怒りが湧いて当然なのだと思う。あの頃、わたし達は子どもだったのだから。

 でももし・・・あの時、彼女が死んだとしたら、わたし達は「彼女を救えなかった」という罪の意識に苛まれていたのかもしれない。そう考えると、本当に自殺未遂は他の人を傷つけると思う。

 お祈り
 
 そして、そういう事が起きると、必ずお祈りの時間が設けられた。その子の無事というか、神様にお祈りするのだけど、心理的ケアまで神様任せだった。

 施設には虞犯だけじゃなく家庭虐待の症状をさらけ続ける子もいて、そのような環境にいるうちに、変に肝が据わったような人間になっていった。施設では何が起きてもおかしくない。そのくせ、電車の乗り方が分からないとパニックになるような、ヘンテコリンな女になった気がする。

 リスカを始めとして、色々な態度を見せまくる被虐待児。自分の傷をこれみよがしにさらけ出す。心の作られてない小さい子がいてもおかまいなし。「自分の傷を、みんな、見てちょうだい」と言わんばかりで、それを見せつけられる小さな子はたまったものじゃない。

 その光景を見ていた幼児さんは、今どうなっているだろう。わたしは今でも、そういう夢を見て飛び起きる事がある。特に朝の早い時間になると、血の色が見えてくる事がある・・・。

 R指定な施設環境

 他の子が言っていたけど、

 「残虐なシーンが含まれてます」という映画を見ても感情が動かず、一般の社会人の中で生きていると、ふと、自分がここで普通に生きている事は間違いではないのか?という気分になるらしい。

 幼い子に見せてはいけない光景というものが世間にはある事は(社会人になった後で)知ってる。でも、施設にはそれがごく普通に溢れかえっていて、選択の余地もなかったので、何が子どもに見せたらイケナイ光景なのかが分からなかった。

 こんな風に、その子自身が虐待を受けてなくても、虐待を受けた子の症状を見せつけられ、虞犯少年の怒りにさらされ、時には未整理な大人(職員)の感情の影響を受け、まるで被虐待児の状態をコピーされたような形になる事もあると思うようになった。

 他人の被虐も刷り込みされる?

 捨てられた子自身は、家庭で虐待を受けてない。でも、被虐の状況が見える気がする。それは施設という真っ只中で生きていた結果の一つだろう。

 ただ、もうそうなったら、今度はその子自身、わけも分からず自ら被虐待児のようになってゆくのではないだろうか。親から捨てられ、乳児院、あるいは、物心ついたら施設の子は、施設に入ったばかりの時は、全く色のない状態なのに、その色を色んな人から付けられていくのだから。

 「施設には虐待で保護された子がいます」とは、こういう状態の事を指しているのだという認識に立ち、これからも考えてゆきたい。施設だけで育つとは、又、こういう状態の事を指してもいるのだから。

 施設だけで育った事の問題は、捨てられているだけじゃなく、他の子の後遺症の影響を受けて育つ事でもある。このような事が頻繁にあると、何がオカシイ事なのか分からなくなってしまうと思っている。



|  養護施設にいる間の問題 | 11時07分 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

Leiさん おはようございます。

正常な状態で読み返してみると
かなり変なコメントでした(汗)

失礼しました。

| Lark | 2010/02/20 08:26 | URL | ≫ EDIT

自己満足でも良いと思うのです

 Larkさん、おはようございます。

自己満足と思われても、構わないと思っています。
不愉快に思われたら、削除していただいて構いません。


 最初の頃は、キツイ事ばかり言ってましたものね、わたし。最近は少し気持ちが変化してきました。自己満足でも、継続して関わり続けてくれる大人がいれば良いと思う様になってきました。

最近は泊まりの出張が多くて、
クタクタになるのですが


 そうですか、子どもの存在に力があるなんて知りませんでした。すごいですね、わたしは誰かの力になる存在だった事が無いので、うまくコメントできませんが、

 Larkさんを力づける事ができるその子は、あなたにとっては「居ない子」ではないのですね・・・なんだかすごいです。

 

| Lei | 2010/02/20 07:20 | URL | ≫ EDIT

はい、もちろんです。

 DCIさん、ありがとうございます。

少し脱線しますが、きちんとした文章になっていますでしょうか・・(現在多少アルコールが入っていますので・・)

 もちろん、大丈夫です。丁寧にお気持ちを聞かせてくださり、わたしの整理もとてもし易い面があります。

 わたしも同様に、アルコールの勢いで記事を書いたり、後でびっくりして下書きにしたりしていますので、DCIさんもレスを書いたものの、もっとしっくりする自己表現などが見つかりましたら、ご自由に編集などをして下さいませね。ここは整理する場所ですから。

 わたしも、整理中ゆえ「現時点では・・・」という但し書きが無いと、なかなか不安な気持ちが薄らがない時があります。

 ですから、お互いに少しでも自分の気持ちのままに、近づいて行ければいいと思います。

 わたしも、虐待を受けて無いと言い切った後で、無性に不安に駆られている始末です。言い切ったのに、なぜ不安?という気持ちです。

 あるいはもしかしたら、他の子が家庭などで受けた虐待と自分自身が独自に持っている問題を仕分けしたら、もう少し・・・記憶のなかった時期の事が自然に残る(浮かび上がるというか)のかもしれません・・・。

 それにしても、長い間、多くの手付かずの宿題を放置していたツケが今頃になって、開かずの引き出しから出てきた様な気持ちです。

 コメントほんとにうれしいです、ありがとうございます。ご自分の心と付かず離れず、ゆっくりと整理出来るといいですね。

| Lei | 2010/02/19 11:28 | URL | ≫ EDIT

全部ごちゃまぜの養護施設

Leiさん、こんばんは。
レスありがとうございます。
実は私の02/17/20:22付のコメントは一度削除して書き直した方が良いのか、付け足し(補足)のコメントをしようか等々と迷い、何度か貴ブログに訪問させていただいたのですが結局そのままにしています。

Leiさんのレス、拝見させていただきました。(私の施設でも守秘義務違反はありましたが)Leiさんのこの記事では、事前情報を知った上での状況を描写されているのですね。
整理中の記事にこの表現はおかしいのかもしれませんが、心中お察し申し上げます。


> 今も、「他の子の虐待の後遺症としての吐き出しの影響について」語る人はだれもいません。わたしは自分は虐待を受けた事がないのに、虐待された子の話を、何を聞いても驚かないので、不思議だと思い続けていました。

なるほど。理解できる気が致します(そして、この辺りの文章はとても貴重なものと個人的には感じています)



>そこでわたしは施設という養育環境がどんな場所だったのかを改めて考え始める中、ぐ犯、家庭での虐待児、遺棄児、養育放棄児など、ひとつの施設にこれだけの措置理由の違いの子が収容されているのだという事を、テキストとして書いてみたという感じなのです・・・。

 >大人になっても、かつての施設出身者同士で意見の違いがあり、どうしても対立の構図になりやすいのも、このようなバックグラウンドの違いがあるのかな?と思っています。

 >わたしはあくまで、親が育てられない施設全部育ちの子どもの問題を考え、発信するという立場なのですが、マイノリティなのでうまく語りきれない実情があります。


背景等は承知致しました。ご説明ありがとうございました(本当はこのような雑音?なく語れればよいのでしょうけれど・・ 尚、私は措置理由不明のカテゴリーです。いつの間にか(なぜか)施設にいて、いつの間にか施設を退所していたというのが実感です

少し脱線しますが、きちんとした文章になっていますでしょうか・・(現在多少アルコールが入っていますので・・)


| DCI | 2010/02/19 01:43 | URL | ≫ EDIT

変だなと思う事があったので整理してみたのですが・・・

 おはようございますDCIさん。コメントを本当にありがとうございます。

施設に措置された理由が被虐でなくとも、被虐の子が施設内で虐待行為の再現等(虐待行為の再現というのは推測にすぎませんが…)を行なうので、ある意味、施設出身者は全員虐待を受けた事があると言えるのかもしれないと思いました…

 そうですね。あ、でも補足します。わたしの施設では子どもの措置理由が漏らされていました。個人情報の守秘義務なんて職員にはありませんでした。わたしも職員から他の児童の入所理由を聞かされました。いきなり本題に突入するので、聞かない自由もありませんでした。

 その為、この記事の子が家庭での重篤な虐待を受けていた事を知っておりました・・・。で、あらかじめ、その子が吐き出しをする子である事も予備知識として持たされておりました。その理由で施設に入所したからです。

 だから、・・・とても子どもながらにその子を責めてはいけないと思ったり、でも、度重なる自殺未遂を見せられた怒りとの間で、とても複雑な気持ちでした。

 予備知識がある以上、もしその子が自殺未遂に失敗して命を落としたら自分たち、同じ部屋の子の責任問題になるとまで覚悟してました。

 今も、「他の子の虐待の後遺症としての吐き出しの影響について」語る人はだれもいません。わたしは自分は虐待を受けた事がないのに、虐待された子の話を、何を聞いても驚かないので、不思議だと思い続けていました。

 この記事は、その自分自身への自問自答でもある気がします。

 そこでわたしは施設という養育環境がどんな場所だったのかを改めて考え始める中、ぐ犯、家庭での虐待児、遺棄児、養育放棄児など、ひとつの施設にこれだけの措置理由の違いの子が収容されているのだという事を、テキストとして書いてみたという感じなのです・・・。

 大人になっても、かつての施設出身者同士で意見の違いがあり、どうしても対立の構図になりやすいのも、このようなバックグラウンドの違いがあるのかな?と思っています。

 わたしはあくまで、親が育てられない施設全部育ちの子どもの問題を考え、発信するという立場なのですが、マイノリティなのでうまく語りきれない実情があります。

 長くなってごめんなさい、最後まで読んでくれてありがとうございます。今この時点ではこのような感覚です。引き続きがんばります。

| Lei | 2010/02/18 06:23 | URL | ≫ EDIT

措置理由に関わらず施設出身者の多くはかつての被虐待児と言えるかも…

Leiさん、こんばんは。
施設に措置された理由が被虐でなくとも、被虐の子が施設内で虐待行為の再現等(虐待行為の再現というのは推測にすぎませんが…)を行なうので、ある意味、施設出身者は全員虐待を受けた事があると言えるのかもしれないと思いました…
>自分の傷をこれみよがしにさらけ出す

理解できる気がします(私のいた施設でもありました)


一般社会ではニュースになるような出来事が、施設では普通の日常としてありましたから、社会に出てしばらくの期間、どうしてこの出来事がニュースになったり、ここまで騒がれるのか理解できないという事態に何度か直面した事を思い出しました。


施設は到底子どもの健全育成の場とは言えないと思います。


上手に纏めたコメントをできませんでしたが、とても分かりやすい記事を書いて下さりありがとうございます。


失礼します

| DCI | 2010/02/17 20:22 | URL | ≫ EDIT

心霊モノがそうだった

 Maria、オハヨウ。

 社会に出て、スプラッターみたいなものに興味を持つ人たちが理解出来なかった。非日常も、その中にいれば日常になる。慣れてしまえば、それが当たり前。好きこのんで映画で見る心境が理解出来ない。

 うん、わかる気がする。わたしにとっては心霊モノがそうだった。浮かばれない霊とか、死に切れない魂とか、この世に未練を残した死霊とか、ゴーストものを、何故みんなこんなに好きなのか、と思った。

 だってクリスチャンとしては、まず、迷う魂を悪霊にしてはならないでしょう?だから、彼らの声を聞くという役割を持っていた気がするけど、それを趣味的なレベルまで低める事は出来なかった。

 わたしは真面目に将来の夢は、考古学者と・・・エクソシストだったからね。・・・はぁ。(その為には神父にならねば・・・という大問題があったのだが)

 わたしは廃墟とかも惹かれる部分があるんだけど、でも、それは他の人と違う感じ。わたしにとってのノスタルジーな感じは廃墟なのかもしれない。

 でも他の人は、神秘的、見たことがない、新しい楽しみ方なのだと知り、びっくりした。
 
 日常と非日常については、改めてテキストにしたい。ただ、このエントリについて、家庭で虐待を受けた人の事を責めるような文章ではないかと、気にしていたのだけど、

 わたしは家庭で虐待を受けた子を責めたいんじゃなく、きちんと心のケアをされなければ、施設の中で虐待の連鎖の環境をつなげてしまうよという、気持ちの表れとして残しておく事にするね。

 家庭虐待の子を責めるのは正しくないけれど、その様な傷を見せつけられる、親から捨てられた子の心のケアも全く無いと言いたかった。


| Lei | 2010/02/17 08:22 | URL | ≫ EDIT

血が飛び散るのは日常?非日常?

 子ども同士の殴り合い、いえ、リンチも日常の世界だった。

 ものごころついたら施設にいたあたしには、施設のルールに従うのは当たり前のことだった。周りの子に迷惑をかけない。施設に迷惑をかけない。

 だから、職員から殴られることも少なかった。唯一殴られるのは、他の子のミスで一緒に殴られる連帯責任の時だけ。

 でも、殴られない割には、あまりにも、血に慣れすぎていたみたい。

 リスカという言葉も、幼児期から知っていた。あたしは大きい子たちが、なんでリスカするのか判らなかった。職員は「身体髪膚これを父母にうく」みたいなことを言って大きい子たちを諭していたけど、「父母」も意味がわからなかった。

 社会に出て、スプラッターみたいなものに興味を持つ人たちが理解出来なかった。非日常も、その中にいれば日常になる。慣れてしまえば、それが当たり前。好きこのんで映画で見る心境が理解出来ない。

 せめて、慣れてしまわない小さいうちに、施設の暴力的な虐待お砂場から救い出されて欲しい。

 慣れても、慣れなくても、時折血が飛び散る環境は、子どもの心にいい影響を与えないと、
 血が飛び散るとニュースになる社会に出て思うようになった。

| Maria | 2010/02/17 07:35 | URL | ≫ EDIT














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