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春は施設全部育ちにとって連帯責任を解かれ、自己責任へ向かう旅に出る季節

養護施設にいる間の問題

おバカなまま卒園してしまった

 誰もいないままに施設で食べられる事に感謝して生きる事を、家庭で虐待された子にとっては悪いとは言わないが・・・乳児院、あるいは、物心ついたら施設の長期入所児にとっては、誰もいない事に気づいてないのは自分ばかりで本当は(家庭から被虐待で措置された)周囲の子はわたしに誰もいない事には気づいていた事が今更ながら分かった。



 職員は、わたし達親が育てられない放置されていた子らには、その事に気づかせまいと愛着相手を設定せず、いかに誰も居なかったかに気づかせず、そのまま施設を出てくれれば、自己責任と言える、その環境と状況をあらかじめ設定していたように見える=むしろそれを孤児院的というべきか。

 わたしたちは捨てられた事実を知らないから捨てられたままに生きてしまった、もし気づいていたら、もがき、誰かにボンドしようとし、施設で真面目になんか生きていられなかった。まだ15歳よりも若い年齢で悲しみ、痛んだだろう。ワタシタチが苦しまなかったのは、誰もいない苦しみに気づかせなかった環境があったから。

 自己責任の季節だ

 自己責任という言葉が多く駆け巡る季節・・・心が毎年覚悟している、毎年名も知らぬ先輩たちを見送るうちに、自分の番がくる事はわかる。だけど、社会へ出ていった先輩たちはいつもその後どうなったのか分からなかった。

  わたしは、ここでこうして、誰に問うわけでもなく、ただとりあえず生きている。そういえば「お父さん、お母さん聞こえますか、僕はここにいる」という言葉を削られた文章が、数年前総理大臣賞を取ったそうな。その彼は今も一人だろう・・・。

 捨てられた子らの生き死には誰が気にするだろう?わたし達は「誰が産んでくれと言った!」と詰め寄る親もない・・・。生まれて生きている事がそのまま、自己責任

 親や家庭が機能せず、または虐待による怒りを持っている家庭育ちの人には絶対に理解不能で難解な心を抱えている、誰もいない人々が、誰もいない事に気付かずに生きている。

 連帯責任から解かれた自由を満喫しようとするあまり、自己責任に対峙せねばならない現実を知らなかった季節だと感じさせる。

 施設以外に知らない、一般的な家庭という環境を、まるで人生のオプションの様に、付け加えなくてはならない事実に向き合う時、わたしは時々めんどうになり、誰も居ないなら居ないまま生きるしかないと感じやすい。その感覚と戦わなくては、親が育てられない子を里親家庭へと言えない施設全部育ちの現実がある・・・。

 連帯責任からようやく解かれたあの感覚は忘れないが、同時に自己責任で生きる日々が自分を施設時代へ戻してしまう・・・。

 施設だけで育った子も家庭で育った子も同じと言われると、どうしても「ちょっと待ってよ、勝手に同じと言わないで」という気持ちになり、やるせなくなる。

 こういう心理を紐解けるカウンセラーがこの世にいるとは今のところ思えない。施設だけで育った者の心理は、道のない道の様子を語る事だし、頂上のない山登りに挑む事だし、誰も語り方を知らない世界の風景を語る事・・・。
 
 わたしが真に発信したい相手は一般社会というよりは、過去の何も知らなかった頃の自分ではないだろうか、そして、過去の自分のように今も、のほほんと過去を捨てられたまま生きる子たちに向けたものではないだろうか。
 
 捨てられている状態を捨てられたままに生きる自分を肯定していては、結婚し、家庭を持ち、子どもが生まれた時に爆弾が炸裂してしまうのだと、伝えたい。

|  養護施設にいる間の問題 | 10時21分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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