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初めて鏡を見た時自分がどの人種なのか正しく認知出来たように思う

めんたる整理

 一生が旅をしているようなモノだと感じやすい乳幼児時代を経て、児童養護施設だけで育った事で無愛着に拍車がかかったのだとソウルメイトは、わたしに言った。

 黒髪と黒い目

 自分がどこに所属しているのかを知らない事がテーマの一つであるわたしは、実は初めて鏡を見たのは、意識して思い出せる限りでは、二度目の施設からの事だった。

 ボブカットのアジア人の黒目の子どもだった・・・。黄色い肌の・・・。正直、裏切られた気分だった、自分の姿が自分の世界観にマッチしていなくて、鏡がきらいになったと思う。鏡を見た事がなかったので、今まで何も知らずに過ごしていたと知った。


 耳がなじんだ言語からも捨てられて、急に人生が転換し、縦書き日本語書記になり、マス目のついた作文用紙の中に、一文字一文字、離れた、一文を、しっかり書くだけで疲弊した。

 わたしは小学一年を体験してないので、さくら、さくらが咲いたよという国語の教科書を見た事がない。さくらの美しさもきちんと知らない。算数が苦手なのは、ワンプラスワン「イコール=2」が、急に、いちたすいち「は?なんですか」という、は?が、イコールと同じ事に気付かず、パニックだった。年齢があがり、等号(=)の基本的な意味がわかり、安心した。

 でも耳こぴの必要性はすごく感じていたので、日本の言葉の奥ゆかしい雰囲気にのめりこんでいった。とはいえ、施設で聞く言葉は日本語版スラングだらけなので、わたしはごく普通に、とんでもない発言をしていたと思う。すべては施設時代の耳からの情報。

 国、人種、言語、それら

 大人になってから・・・

 わたしは、最初は誰がわたしを捨てたのか、当事者となりえそうな人を探したい気持ちでいっぱいだった。でも、施設を巡っても大人になってから福祉ワーカーの仲介で生物と会っても「この人達はわたしの担当者じゃなかった」と意識させられた。生物は「産んだ後の事は私は知らない」とだけ言った。わたしも彼女の顔を知らない事に気づい。父に至っては会った事がない。

 わたしを育てた人が誰もいない、責任を問える人が誰もいない・・・これは結婚後、なおさら静かな恐怖として、心に忍び寄っていたように思う。夫と姑を見ていて、じわじわと沈み込んでいっちゃう何か・・・。

 無縁社会どころか、自分は自分なりに努力して過去探しをして、でも、結局誰にも行き着けなかった過去がある。自分の過去の探索の失敗である。Mariaに付き合ってもらって施設へ行き、Mariaの施設へ一緒に行き、ふたりとも、写真も残されてなかった事を虚しく笑うしかなかった・・・。

 だからわたしの中では、自分で自分の一族から、望んで無縁となったのではないのだ。

 いない人を憎めない

 そこでわたしは考えた、いつも流動的で移り変わってしまう大人は、実・施設職員・その他の大人限らず、ずっとそばにい続けなかった人に責任をとえないし、なにより現実的なのは、問える立場にないということ。

 いまだかつて、誰の子どもでも無かったわたしは、育てた責任を誰にも問えない立場なのだと思う。そして、自己責任の気持ちが当たり前に育っていった。

 絵本と翻訳

 わたしに一番初めに知った絵本の内容は大雑把に「博物館の恐竜の骨の標本と、少年の脱走劇・・・」だった。それはザラザラした質のいいとは言えない、甘い香水まじりの紙で、すべて横文字だった。わたしは耳で聞いていた印象と絵本の言語をマッチングさせる作業をしていたと思う・・・。

 わたしは今でも、日本語もそれ以外もとんでもなく意訳する。それは耳が最初で、文法をぶっとばして覚えてしまったから、テンションに乗じて会話する癖があるから。空気を読んでたと思う。
 
 言語を覚えるのに文法から入る子なんていないと思ってた。湯水のように浴びる、浴び続けているとそのうち、口がもごもご動いて、自分でも言いたくなる。自分でもその言語を発したくなる。くちばしが伸びてきたセキセイインコのように、ごしごし自分の歯を削る。

 それなのに、突然それが遮られたら、いきなり、縦書き右の書記になったら?左利きが右利きに矯正されるのと、すごく似ている。

 でも、その事を一体誰に責任を向けるのか、分からない。でも鏡を見た時、わたしはこの国、黒い髪と黒い瞳の人達のそばで生きる方法がわたしにとって、今は一番大事な事なんだと知った。

 これは、人種について認知したあの時を思い出して書いているので、内容は問わないで。ただしさとか間違いではなく、ただ、そう感じたと。
 

| ├ メンタル整理 | 10時28分 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

一番困った部分は

 アムリタさん、おはようございます。

 >記事を読んでいてReiさんの血縁の両親に対して、私の中に怒りが湧くのは、きっと親子という関係に、ある程度の固定観念が自分中にあるからなのだと思います。

 たぶん、親子として出会いを果たした時から自然発生的に生じるであろう母性への期待や、過去の育てられ方を通してイメージしている家庭観と、自分の現在の立ち位置など・・・色んな内観が生じるはずだと思います。

 生活保護を受ける生物的親をなぜ扶養できないのか、最後に理由を書く欄(テキストエリア)が設けられていました。

 わたしは、テキストエリアに言い訳を書きたいのではありませんでしたので、白紙にしました。

 すると、

 「ここが一番大切なのにね、たったひとりの親なのにね」と電話で福祉担当の人に言われました。

 実は、「親子そろって、税金を使うのですから、責任と義務を果たすのは会社で働いてるあなたには当然の事」というような(電話だし、言葉そのものか自信ありませんが、内容は合致)事を言われて、電話の線を抜き、電話恐怖症になった覚えがあります。

 でもわたしは、福祉担当が言うような、たったひとりの誰かが何も浮かばないんです、憎しみも愛も・・・そのたたひとりが誰なのか、何なのか、どういった関係なのか、

 情報のない海の中で、何かを決定するような文章を書くのは、わたしはどこか「ワナ」のように感じて、何も書きませんでした。そして書かなかったからこそ、わたしは、わたし自身をかろうじて生き延びさせる事が出来たと思います。

 福祉の方は家庭で育った方なので、当然育てられてなくても、親への愛着があると誤解していました。でもそうではない、乳児の脳の事から、ボンドの事まで勉強してない福祉の人は、ただ「たったひとりの産みの親」を振りかざすばかりでした。

 育ててもいない生物親が、施設全部育ちの毒親になるケースです。産みっぱなしで育てていないなら、生物学的の子どもに救いを求めるなと、言いたいのです。ある意味、潔さといったら変ですが、その位の覚悟をしてほしかった。

 しかし、子どもに生き方を見せるつもりもない生物親の事ですから、施設へ入れて、育った頃に面倒見てもらおうとしたのだと思うと、バカバカしい限りです。

 それくらいなら、早期に里親と出会いを果たし、ひとりの人に育ててもらった事を通じて、共有した時間の長さを、エピソード記憶として残しつつ、出会いを通して、生きてきてよかったと思いたかったのだと思います。

 それが、本当は言いたかったのだと思います、あの記事では。たぶん。でも、最近、コメントが長文でごめん。元記事並ですね・・・。

| Lei | 2010/05/17 08:02 | URL | ≫ EDIT

私も感情的にコメントしてしまってすみません。
絆が無いから相手に一切の感情が湧かないというのは、おぼろげにですが想像が出来ました。
記事を読んでいてReiさんの血縁の両親に対して、私の中に怒りが湧くのは、きっと親子という関係に、ある程度の固定観念が自分中にあるからなのだと思います。

『扶養依頼について』
の記事を読んでいるときも、怒りを通り越して涙が出てきました。
こんなことがあっていいのか、と。

一度も会ったことが無かったという、お姉さんとのやり取りも、凄くイメージが湧きました。
Reiさんの文章は、イメージがつかみやすく読みやすいです。

| アムリタ | 2010/05/16 20:51 | URL | ≫ EDIT

説明不足でごめんなさい

 すみませんアムリタさん、こんにちは。一生懸命レスを下さったのに反応がちゃんと安定してなくて・・・。

Reiさんの産みのお母さんの一言に、なんていうか、イラッとしました。でも、「産んだ後の事は私は知らない」という一言に

 この部分ですが、大人になり会った生物親から、言われた事はもう少し実際は、なんというか・・・「私は、虐待するような事は一切なかった」という言い方だったのですが、その聞いた意味を理解出来ませんでした。日本語なのにうまく翻訳出来ないんですね。方言がキツイせいもあるのでしょう。

 ケースワーカーはそれを一緒に聞き、わたしを責めるように見て、「あなたは親御さんから虐待されていないし、ただ育てられなかっただけなのよ」と言わんばかりに感じていて、実際、質問しても同じ答えでした。

 施設に入れっぱなしで、全く育てない事は虐待じゃないのか・・・という点がここにありました。

 このブログには、生物親に関する記事が幾つか出てくるのですが、物心ついたら施設にいて、後は、多分脳が乳幼児期に固定された大人として、定着しなかった大人だと思うので、他の人との区別がつかなくて・・・

 そのおばさんが、何か言っても何も感じていませんでした。それをどう説明すればいいのか、わからないのですが、育ててない人について、怒りも何も湧かない・・・。

 だけど、施設ですべてを育った後で、親が生活保護を受けるので、その書類が来て、福祉ワーカーに連れられ、数回会い、知らないおばさんに会わされたとしか、言いようがありません。

 その・・・昔の記事を持ってきました。最近、新しく書かずに昔の記事をもってきてごめんなさい。

 扶養依頼について
 http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/blog-entry-224.html

 仔猫を捨てる時は二度と戻って来られない程遠くへ捨てにゆく
 http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/blog-entry-85.html

 かなり古い、2006年~2007年の頃の時点での記事です、そして、今は自分なりに気づいた事は「親が存命している為に、施設だけで育てられてしまう子たち」もいるという事を知りました。
 
 もちろん、乳児院からの子は「親が不詳・不明」の事が多く「いつか現れるかも知れないから」と称して施設全部育ちになってしまう。

 わたしの場合は、存命している事は福祉も知っていましたが、施設の卒園を待つように、福祉から「親を面倒みなさい」という書類と電話が来て、ノイローゼになりそうでした。

 そんな日々をふと思い出しました。

| Lei | 2010/05/16 14:25 | URL | ≫ EDIT

Reiさんの産みのお母さんの一言に、なんていうか、イラッとしました。
でも、「産んだ後の事は私は知らない」という一言に私が思ったのは
てことは産んだことは認識しているんだな。ということでした。

ある程度の容姿と性格は、育ちで変化しますが、遺伝子と気質は変わりません。

育てていない親として、容姿(太っている、痩せているなど)や性格は責任を問えなくても、この世に産んだことの責任は問えると思います。
血縁の親を責めて、なじって、Reiさんの人生が好転するなら、それくらいのものは、相手に背負ってもらっても良いんじゃないでしょうか。

事実がそうでも「産んだ後の事は私は知らない」なんて言葉、受け入れるべきじゃないです。
凄く腹が立つ。そんなこと、許すべきじゃない。

| アムリタ | 2010/05/15 15:21 | URL | ≫ EDIT














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