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「知っていて当然、理解できて当然」に応じ切れない施設の子

めんたる整理

 よく考えたら2年間学校へ通えてなかった

 #とはいえ不登校なのでなく、境遇のため、いけませんでした。

 二度目の施設では一年遅れで学校へ行き始めたと表現したが、よく考えると実際は小学三年の年齢でありながら、それまで学校へ通った事がなく、IQテストなどを含めた審査ののち、小学二年から小学校へ通う事となったのが、現実的な考え。

 なので、小学一年生を体験した事が全くなかった。読み書きの基本や、算数の基礎となる数字を知らないのは当然で、生まれて初めての足し算を掛け算でやり過ごした。しかし、それでは不足過ぎて、足し算以外の計算は非常に弱かった覚えがある。


 その年齢に求められる事

 その年齢ならこの位は出来る筈という暗黙の示唆があったが、わたしは小学三年の年齢まで表現不可能な生き方をしていたので、全く、ごく一般の家庭での発達とは足並みを揃える事が出来なかった。

 自分が本来は、どのような日々を送っていくのが通常なのか知らず、ただ、保護された野生の動物然と首根っこをつかまれて、収容施設へ入れられたに過ぎない。

 家庭虐待の子と違い、こういう動物的な子は収容施設に入れる事が目標となり、衣食住に最低限の教育を与えれば、その児童の問題は、わたしが子どもの頃は解決出来るようだった。

 しかし、それだけでは発達できない。大舎施設の集団養護では、そのような、自ら考える事ができない状況の子どもは、放置に慣れた動物的な部分を持ったままだという事で、一般家庭の子ども達にはとても及ばない発達の状況であった筈。

 それを「ユニークで面白い子」ですませてはならなかった。動物のような児童ならば、人間として育てなくてはいけないし、動物のような子だからといってその子のメンタルをケアしなくてもよいという話ではなかった。

 力強さは闇雲に生きている姿勢

 わたしは自ら生き抜く力が強かった為、放置されていても気付かず、自分でかってに生きてしまった。それは力強さではあるけれど、その児童の全てではない、ごく一部にしか過ぎない。

 力強さは、何も知らないから力強く見える、闇雲に生きているだけ、他人を信じられない事で悩む事もない、なぜなら、人と個人的な交流をした事がないから。

 人を信じられないから信じないのではなく、今まで一度も固定された大人に出会った事がないので、おそらく信じるにしろ、信じられないにしろ、その為の土台として誰かひとりの大人が必要だった。

 帰る家のない迷子たち

 「わたしは放置されていた事=わたしは自ら生き抜いてきた」と変換する事で、他人の介入なしの人生を肯定してきた。誰もいないから施設で放置されているのだけど、物心ついたら施設にいた子どもは、施設を不自然な場所とは知らないのだ。
 
 だから、施設的な環境で生きてしまったが、これが一般社会では、発達障害になるのだ。これくらい知ってて当然、これくらいわかってて当然・・・一般社会へいきなり卒園と自己責任を負わされ、社会へ投げ出されても・・・。

 施設という特殊な環境しか知らない子ども達は、一般社会の迷子でしかない。しかもその迷子は、帰るうちのない迷子なのだ。

 迷子迷子の子猫ちゃん♪という歌があるが、おうちを聞いても分からないし、名前を聞いても分からない、というおまわりさんの気持ち、最近少し分かるようになった。
 
 わたしだって答えようがない、帰るおうちも、名前も(とりあえず分かるが)、わたしは謎が多すぎて、むしろおまわりさんに調べて欲しいとおもう位だった。

 しっかり足を付けて生きたくとも、自分を知りたい熱は冷めやらない、わたしは誰?という悩みが尽きない。

 それを抱えていては、現実世界を生きる事がむしろ難しくなるので、困っている。
 

| ├ メンタル整理 | 06時48分 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

学校の勉強でも算数は特に、ひとつ抜けると後がグダグダになりますよね。
全ての計算において足し算引き算が基本なので、苦労されたと思います。

私が幼少に過ごした所は物凄く田舎だったので、近くに児童養護施設も無く、施設の子と学校で一緒になることがありませんでした。
きっと、幼少の頃に出会ってたら、Reiさんに興味を持って仲良くなりたいと思っていたと思います。
幼少の頃は身近に興味を持てる人がいなくて、私も本や映画が人格形成にとても必要なものでした。
書かれていることと少し違うかもしれませんが。
当時は周りの大人たちに心配されていたようですが、本を読む習慣は、今になると、凄く良かったと思っています。

あと、Mother 面白いですよ。
ぜひ最初から通してみてください。
ReiさんとMariaさんがどういう感想を抱かれるか、興味があります。
薦めすぎですか?!

| アムリタ | 2010/05/19 20:11 | URL | ≫ EDIT

わかった事

 Maria、毎日しゃべってるけど、テキストは久しぶりに感じるよ。どうもありがとう。

そもそも、motherというドラマは、設定に無理がありすぎるわね。
録画はしているけど、あまり見る気が起きないわ。


 わたしも過去記事でちょっとmotherに触れてしまったが、その時は内容をまだ把握してないから、後で改めて書こうと思ってた。

 それに、motherの、tが、十字架になってる感じがして、産んでいないけど母性がある・・・聖母マリアをどこか印象づけようとしてるのかな・・・と。

 ?・・・今、わかったのだけど、「大人に振り回され、学校に通えない児童の状況(そう見えて)」に、わたしは、わたし自身も学校に行けなかったので・・・ドラマの内容に苛立ちを持ったのかもしれない。後で通しでドラマを見るつもりです。

 確かに施設収容されたからこそ、わたしは学校へ行けるようになった。それは認める。しかし、そこは微妙なのだけど、学校へ行けば学習の成果が出るわけじゃなく、そばに居続けて学習を見てくれる人が欲しかったのが本音だった。

 わたしの場合は乳幼児期に誰もいなくて宗教系保育所で育ったと思う。なので、愛着機能が育たなかった、なので、Motherに出てくる子どもとは全く違う。

 その女の子は実親への愛着があるようにも見えるので。

 わたしは子ども時代、図書室で本を読み続けたけれど、伴走者のいない孤独な作業だった。自分が正しいかも間違いかも知らず、ただ、本を読んだ。

 脳にもよろこびは必要だったと今では思う、一緒に誰かがついてくれている事、その人からホメられて覚えていく・・・そんなふうにして、わたしは興奮物質を放出するタイプだったと思う。

 

| Lei | 2010/05/19 05:49 | URL | ≫ EDIT

れおさん

 おはようございます、コメント、ありがとうございます。わたし達は施設での食事の時「アフリカの食べられない子ども達の事を考えなさい」とよく言われたものです。

 しかし見たことも行った事もないアフリカの子どもたちが困っているなら、今から食べようとしている食事をアフリカに送りたい、と感じて聞いていました。そんな話を聞きながら、自分はこれからお食事をするのは、なんの試練か・・・。

 今思うと、施設の児童を前に何を言いたかったのか・・・。

 日本で学校に通えない家庭の子がいるのは子どもにとって非常事態です。施設に出来る限り素早く保護されて欲しいと思いますが、それと同時に、周囲の大人の勝手な行動に付き合わさるのはいつも子どもです。

 わたしは施設に長期入所も問題だと考えているし。親が機能しない、施設をたらいまわしなどがある以上、親が機能しないなら、里親家庭で静かに同じ場所で育ってほしいと思います。親が生きている生きてないに阻まれて里親家庭へ行けない児童も多く、それらを超えた社会的養護の必要性を覚えています。

 うまくコメントできず、すみませんでした。

| Lei | 2010/05/19 05:37 | URL | ≫ EDIT

"うっかり"コメントを削除しました

meiさん、どうもすみませんでした。メールボックス内であやまって削除してしまいました。でも言ってる意味は分かりました。

 この記事の意図は「ほんというとわたしは何学年遅れ?と整理を始めたら、周囲からは一学年遅れと言われていたけれど、実際は二学年遅れていて、そのうちの一年生をやった事がないらしい」という事が整理されたという、ただの整理内容でしかありません。

 あなたの言葉は耳タコです。特に職員から言われてたのはこの事だった、だから、物心ついたら施設にいたのは事実なのだけど、施設入所中に誰かから、連れられ公園で生活、それで二度目の施設なのかな?と整理したにすぎません。

 いまどき(リアルタイムに)、施設に入れられて感謝しろという職員がいるだろうか、そっちこそ信じられない、それにmeiさんの言葉と同じような事を今でも当てはまりそうな児童に言っているとしたら、今では、施設内虐待の中の、言葉の暴力になると思います。

 もうコメント書かないで下さい、最近のわたしは昔ほど、ゆっくりと頭ごなしの意見を受け取る精神的な強靭さ(それとも鈍感力)がありませんから。

 

| Lei | 2010/05/19 05:23 | URL | ≫ EDIT

刑務所も保護かしら?

meiさん、

施設に入れらるのは保護ではなく「収容」なのよ。
刑務所に入った人たちも、「保護」というのかしら?

そもそも、motherというドラマは、設定に無理がありすぎるわね。
録画はしているけど、あまり見る気が起きないわ。

| Maria | 2010/05/18 21:21 | URL | ≫ EDIT

箱さえあればいいのか?

meiさん、「施設に入れられる」ことと、「しっかり保護される」が同義でしたら、このブログは存在していないと思います。

>今時アフリカの子じゃないのに学校通えないのは
これは「学校に通えないのは、今時アフリカの子ぐらいじゃないの?」ってことでしょうか。

※「今時…」そして、「アフリカ」でもありませんが、この日本で学校に通えない子で施設にも入っていない子はおりました(今もいるかもしれない)。巣鴨子供置き去り事件(1988年)は映画「誰も知らない(2004年)」で題材として扱われています。「今時」をどうとらえているのか分からなかったもので、一応書いてます。

家庭という箱でも殺人犯は出来上がってしまうし、箱と、箱の中がちゃんと機能していることは区別して考えるべきだと思っています。施設も同様だと思います。「施設で保護されている、あ、そっ、良かったじゃん」ではないのです。

| れお | 2010/05/18 17:25 | URL | ≫ EDIT














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