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愛着が構築されてないのなら愛されるべく努力しなくてはいけないが・・・

めんたる整理

 途方にくれる

 人との(適正な)距離感覚が今も分からない。これはわたしの持つ何かの後遺症だと思う。ただ、施設全部育ちは基礎となる人間がいない為、支点がないので、自分の態度がどれほど間違っているのか・・・。

 施設の集団生活では間違っていない態度は今はもう間違っている。わたしはなかなか考え方を修正しづらい性格のようで、頑固な面がある。だからこそ施設でも自分の意思を貫けたのかもしれないが、今は空気を読まなくてはやっていけないのだ。

 誰とどのくらいの距離感覚で接するべきか、又、実は距離感覚も一律で使い分ける事ができない。それは施設職員の一人と特別な関係になる事でもあり、問題となるような養育環境しか知らないからだ。
 
 だから皆、同心円に同じ距離という感じなのだ。このような態度が無愛着な態度となり、現在の、わたしを思う人がいればその相手を傷つけるのだろう。

 傷つけるわたしは傷を知らないわたしだ

 わたしは捨てられていたとしても何故傷つき感がないのか、もともと誰もいない人生だから、誰も求めた事がない事は感じるが・・・。今、わたしと接する人はわたしが冷血なので傷ついてしまう。わたしの世界観のままに相手と交流しても、相手を癒す力にならない。

 わたしは捨てられていた事実は確認するけれど、物心ついたら誰もいなかったので、特別悲しみや苦しみ、捨てられた痛みを体験した事はなかった。

 もともと誰もいない感覚だから、誰かがいないという喪失感は何も感じないと思う。施設ですべてを育つ事も、夫がいうには「可愛げがないから」との感想。もし可愛げがあったら里親家庭に行ったのでは?と。
 
 わたしはけっこう、あいまいに笑って同調していたらしい。

 親がいても里親家庭に行ける子

 夫はある施設出身者とチャットをしていた時期があった。その子には父親がいたが施設から里親家庭へいけたので、その子と比較し、夫はわたしを「君は可愛げがないから里親希望の人の目に映らなかった」と断罪するかのように言っていた。

 わたしは当時、全国の里親委託率のばらつきとか、事情を知らなかったので夫の言葉にドキッとした。わたしに可愛気があったら、たとえ、名前ばかりの生物親がいても施設から家庭へいけたのだろうか・・・。

 夫と話していると、わたしの自己肯定感は底付き感どころか、その底にドリルで穴を掘ってる気分になる事がある。わたしのような無愛着だから里親家庭へ行けないと言われてるようで・・・。

 でも、この時初めて親が居るとか居ないでなく、里親家庭へ行ける地域があったんだと知り、かなりショックを受けた。育てられた事のない生物親が生きてるせいで施設で全部育った自分としては、どこか悔しい気持ちがある。

 施設で全部育って愛着が身につくわけがない、これはもう治療レベルかもしれない。でも里親家庭や養親家庭を体験した子は、やはり施設全部育ちとは何かが違う。

 家庭を知っている子の言葉がいつも素通りしてしまうのはその為かも知れず。わたしは愛着の努力を怠っては人との関係性を維持できない。

 これはもう一生付き合う後遺症のようなものだと感じている。わたしがドロップアウトすれば自然に無縁にならざるを得ない・・・・そう、生まれた時の感覚のように。
 

| ├ メンタル整理 | 01時24分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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