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大人になって知る理解しようもない生物親の都合と施設だけで育つ事

めんたる整理

 お姑さんはわたしの子ども時代を知りたがるが 

 お姑さんは「あなたをあなたのお母さんは泣く泣く施設に預けた筈。それこそ身を切られる気持ちで預けた筈」と言った。夫と結婚し嫁になったわたしは、どうしても自分が施設で育った事を立場上、姑に説明せねばならなかった。

 なぜなら姑も、親戚にわたしを嫁にするにあたり、わたしの出自を説明する責任を持っていたから、まずは当人であるわたしからの説明を聞く必要があった。

 しかしわたしはわたしについての何の情報も持っていなかった。施設というブラックボックスで子ども時代を育ち、自分の血族、出自、すべてについて何の情報もなかった。全てはわたしの断片的な感覚だけに頼らざるを得なかった。


 施設で育った事を姑に語ると、その際に彼女は「子を思わない親はないんだから、これからはあんたがお母さんを面倒見て、大切にすべきよ」と言った。育ててはいないが生活保護の申請の件で生物親の居所は知るところとなったので、その親を面倒見ろと姑は言うが・・・。

 わたしは「施設に入れっぱなしの生物学的な親でしかありませんでしたので、その必要を感じておりません」と答えた。

 姑は、目をぱちくりさせ、黙ってわたしを見るばかりだった。

 たぶん、そんな血も涙も無い子どもの立場の人を彼女は見た事がなかったらしい。

 わたしは「生物学的親の、何らかの都合についての説明はどうでもいい、泣く泣く施設へ入れようが、笑って入れようが、わたしが施設だけで子ども時代を育ち、荒れ狂う上級生や暴力のリスクの高い場所でいつもビビリながら生きながらえていた事には変わりない。大人が子を捨てた理由はどうでもいい、確かなのは、二度と戻らない子ども時代を取り戻せないという現実だけ」と思っている為、それゆえ、情緒的な面からのアプローチはほぼ不可能だった。

 しかしわたしの思考が姑に通じるわけもない、彼女は何があっても自分の子である夫を捨てる事だけはしなかった。辛かった時に、橋から身を投げようとした事もあったらしいが、小さな子ども時代の夫を背におぶり、彼がむずかった時に、ハッと我に返ったらしい。そして小さな彼を抱きしめ、泣いた事・・・。

 だから姑、わが子(彼女は語る時に、わが子という単語をを強調する)を施設に入れるには余程の理由があるという方向へ自分の心を持っていきたい、その方が、子どもを守りぬき、片時もそばから離さなかった自分の心に納得させる事が出来るのではないかと、施設全部育ちの嫁の目に映った。

 捨てないでよかったよ

 姑も自分の苦労話をせずにいられなかった・・・そして最後の最後には、無意識に「捨てないでよかった、ほんとうに」と言った。わたしに答えるというよりは、ポツンと・・・。わたしも夫が姑を思う気持ちを見ていて、姑が頑張り抜いた事は理解できるので、心から出た気持ちだと感じる。

 若い頃の姑は、子ども時代の夫を本音のところでは、ギリギリの所で捨てそうだったのではないかと思うが、彼女はおそらく気持ちを切り替え、むしろアグレッシブに子育てを継続したのではないかと思う。しかし夫は今、どんな理由があれ、どんな無骨な親であれ、母が自分を捨てなかった事がすべてを物語っていると言った。

 一方、子ども時代の施設全部育ちの自分にとっては、施設だけで育った事が全てであり、大人になり、理由を説明されても、単に「そうですか」で終わりなのだ。

 子育ては、育てる渦中を一緒に過ごす事を指すのだ。

 育ててこそ養育親

 だからわたしは、産みっぱなしで子を育てなかった人が、やがて施設で成長した子どもに何か事情を説明しても、子どもはピンと来ないと思っているし、その時期に共有した時間が無いのだからスルーされて当然だと思う。

 仮に、大人になってから、親子の間に修復すべき内容があればまだしも、物心ついたら施設だったわたしは修復しようもない。それに施設を出てひとりで生きねばならないのに、生物親というカードを振りかざす他人の話を延々と聞かされるのは億劫な事でしかなかった。

 ドラマなどで、施設に入れられっぱなしの子が将来自分に会いに来てくれる筈と望む生物親や、施設へ入れっぱなしの大人たち。わたしには、子育ての責任を取る立場を維持し続けた養育者たる母であった姑の気持ちの方が、ずっと整理しやすい。

 育ててない生物親を、育てられた事のない子どもは拒否しても良いのではないだろうか。わたしはバカだけど愚かではないと思う。だから姑が息子とその嫁から、きちんと受け止めてもらい、老後を看護してもらえる当然の権利を持っていると感じている。

 わたしが生物親の面倒を見なかったのは、生物親がわたしの育ちに責任を持たなかったゆえ、仕方ない側面があると言うしかない。そこをきちんと姑に説明出来れば、冷血な嫁への不安が少なくなる筈なのだけど、いかんせん、うまく言えない。自分、無愛着ですから。

| ├ メンタル整理 | 10時15分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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