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自分だけの誰かを欲する事が、まるで汚い事のように見えて

めんたる整理

 退園生モード

 下手に絆出来たと自分が言った為、卒園モードになってしまった。・・・誰かに愛着を示す気持ちが生まれる時とは、それは施設全部育ちの別れグセにとって、やはり別れの時や、旅立ちをしか覚悟させないのだろう。
 
 自分は乳幼児時代、どこかの保育所出身で、その後児童養護施設へ行ったらしい(過去の整理による想像だが)為、乳児院出身ではないが、乳児院育ちの子と態度がとても似ていると、ある里親さんから指摘された事を思い出している。

 卒園モードになるのなら、いっそ絆など作れない方がいいのか、それとも作られたからこそ、何か感じるものがあるのか・・・。

 ・・・確かに、施設育ちは施設卒園まで毎年担当替えが当たり前な事に慣れてしまう。別れが特別な事ではなくなってゆく。子どもが人に何も期待しなくなってゆく時間と施設全部で育つ時間経過が同時進行していく気がする。本当に、時は本当に金なりというのか。

 それに何しろ誰かを求める気持ちは、施設内ではエゴイストな態度であり、まるで汚い事のような印象があったので、親のいない子ども達は、施設内の大人を求めず、想像の中の英雄や、ファンタジーボンドにすがるしかなかった。

 さてさて。



 大人のわたしだけど、絆づくりも長年やっていれば、もういい加減絆が定着している筈だと追い立てられてる気分になり、そうそうに卒業しなくちゃと焦る心の癖が自動プログラムのように働き始める。

 こんな感覚は、施設から里親家庭へ行った子の心の癖にはないのかしら。自分だけかしら。などと自問自答しながらも、一人の誰かを追ってはならない、二兎を追うものは一頭も得ずのような、しかめつらい小言が見える。

 そうすると、不安にならないか、里子さんたち。キョロキョロ周囲を見回さないのだろうか・・・。自分だけ特別扱いという感覚をどうやって克服するのか。

 イケないこと

 イケない事は、自分だけの誰かを欲しがる事と思えば、誰もいない他の子の事も考えながら、誰もいないのは自分だけじゃないという場所に安住していた。

 イケない事は誰かを求める事であり、その為、その先へイケない。家庭の子には当然の事であり、途中で無くなれば傷つく親との離別を、もともと施設にいた子は気付けない。
 
 誰かを求める事が何故罪なのか、それはもう分かる年齢になったけれど、今もまだ、自分だけを思ってくれる人が現れてくれる事を願う、あの頃が止まらない。

 いつかきっと誰かが・・・そう脳内で児童が勝手に想像して物語を作るのは、実際、施設内で誰か本当の保母を求めるよりも罪は浅いのだ。夢見る夢子ちゃんの勝手な妄想、勝手に誰かが迎えに来る話は、あっちこっちで施設の中、駆け巡っていた。

 でも本物の保母を求めたら、職員会議に掛けられる自体になったのだ。

 それに宗教系施設では。神をお父様と呼ぶ子どもの事もどこか放置していた。実際の人間を求めるよりはずっと唯一神である筈の神が軽んじられているように見え、神がツール化されているように見え、

 神以外の父や母を見つけられなかった為、今もまだ、迷っている気がする。神さまは近しくはない存在だと思う。人間のそばに降臨して来る時は、ミラクルでしかないと思う。みだりに神と言うのを聞くのは不快・・・・。

 こう考えると、わたしはずっと、幻相手に絆の相手を探していたのに、本物の人間が現れたので困ってしまったというパターンではないかと自己分析している。

 これは、施設の子特有ではないかと個人的に思っている。

| ├ メンタル整理 | 10時27分 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

うまく言えないけれど

 アムリタさん、そうですか。とても頑張っておられるのですね。

> 『え~もっと駄々こねてワガママ言おうよ、キミたち子どもなんだから。』
って突っ込みたくなりました。  

 そうですね、今ならそうツッコミ入れたくなる気持ちも客観的には理解できるようになりました。

 わたしが感じている事は、小さな子どもだったころ、自分が子どもだったとは知りませんでした。なぜなら周囲も子どもばかりの集団でしたから、相対的に自分が子どもである事に気づけなかった気がします。集団が常にある状態で育ち、学校へ行っても集団生活で、常に日々が集団しかありませんでしたから・・・。

 大人と対峙する事、大人から子どもとして(正当?)に扱われる事、などを経てからでなくては、自分が子どもとして認知するのが難しいし、大人になってゆく過程もトレースしづらいと思うようになりました。

 この、相対的という言葉を使う理由について、家庭育ちの夫は面白い事を言いました。

 「俺は小学校では周囲もに同年代の子供ばっかりなので、自分を殊更子供だなどと思わなかったが、家に帰れば、父と母、親戚のおじさんやおばさんなどの大人と接する。そうすると自分が否応なくまだまだ子供だから甘えてもいいし、ふざけてもいいし、わがままを言ってもいい段階なんだと感じる事ができた」と言っていました。

 施設の集団生活は、自分が今、どんな育ちの段階なのかもわからなくさせます。人生のはじめから集団しかない事の影響はかなり深いと思います。

 ですから乳児院の子どものあからさまな特徴は、子どもに問題があるのではなく、その世界をしか知らされてない事に理由があるとわたしは思います。甘えられない、他の子を出し抜く事をしない子どもが、この段階では責められるとしたら(過去において、所謂、なつかない子はそのように大人からバッシングされるリスクが高い事は知っていましたが、それしか世界を知りません)、少し悲しく思いますが、施設という集団世界がそのような状況である事をお察し下さると幸いです。

 そのような事に問題意識を持つわたしとMariaは、それぞれにブログを書いて、乳児院の子どもを里親家庭へと訴えています。

 うまく紡げないうえ、長くなってすみませんでした。
 

| Lei | 2010/07/02 07:30 | URL | ≫ EDIT

乳児院

研修で、乳児院へ昨日今日と行って来ました。
施設の子に感じたことは、たくさんたくさんあります。
強く感じたことは、施設の子ども達は自分達の置かれている状況を、痛々しいまでに理解している、もしくは生活の中理解するようになるのだと感じました。
生後数ヶ月の子でも。
お昼寝の時間になると着替えをさっさと済まされ、檻みたいなベッドにひとりずつ入れられ、カーテンを閉め、暗くして、いっせいに『ハイ寝ましょう!』みたいなのとか、泣いても抱き上げてもらえないとか、そういう中で培われてしまうのだと思います。トイレの時間まである程度決まっている。

Leiさんが記事の中で書かれているように、歩き始めから2歳のクラスになるともう大人を子ども達皆で譲り合っていました。もっとかまって欲しい、甘えたいという欲求はガンガン伝わってくるのに、他の子を押しのけてでも大人を独り占めしようとする子はひとりもいませんでした。

そんな乳児院の子達に
『え~もっと駄々こねてワガママ言おうよ、キミたち子どもなんだから。』
って突っ込みたくなりました。
今まで、そこに自分の親がいない幼児の顔を見たことが無かったので、保育園へ行っている息子達も、園ではこういう顔をしているのかな?と想像してしまいました。
公園などで会う子ども達は、そこにママという後ろ盾があるからあんなにワガママで強気なんでしょうね。

| アムリタ | 2010/07/02 00:20 | URL | ≫ EDIT

ありがとうございます。

 >れおさん、

 ありがとうございます。わたしも本当は色んな方向から語ろうと思いながらも、結局どれも似た記事となりまして、少し、記事そのもののレベルアップを図りたいと思っています。資料を使ったりデータを使ったり、いろいろしたいのですが、最近は少しPCから離れ気味です・・・。

 公開と非公開が続き、本当にすみません、そして読んで下さりありがとうございます。声を残して下さる事は嬉しい事です。

 >ラファエラさん

 どうもありがとうございます。

 >ニッピーさん!

 懐かしいお名前です。覚えています、ずっとお読み下さっていた事、励ましを下さった事。

 >>しかし、最近は本当に我慢強く!?続けておられると思います。

 ですよね、きっとそう思うんです。以前は全部ネット的にちゃぶ台返しな事をやっていたのです。
 
 ソウルメイトとの絆づくりが始まってから、あまり色々ちゃぶ台をひっくり返せなくなりました。その為か、中間をとって、たまに非公開な感じになっていたのだと思います。

 自信は全くないけど、これからも書いていきます。無愛着女の当人視点の記事を書く人があまりいないし、自覚するのが難しい症状だと思おうので、継続していきますね。

 これからもボチボチよろしくお願いします。

| Lei | 2010/07/01 06:12 | URL | ≫ EDIT

こんにちは。お久しぶりです。

私も公開されている時に読んでいますよ。
こちらにきて、「非公開」になっているとドキッとします。
お元気なんだろうか?もう、お会いすることが出来ないのでは・・・等。

レイさん自身も以前おっしゃっていましたが、
前は何かあるとブログを消してしまっていたと・・・
しかし、最近は本当に我慢強く!?続けておられると思います。

それも、ソウルメイトの方達との絆の存在ではないでしょうか?
自分だけがという後ろめたさは、無用ですよ!
どうか、幸せになってくださいね。
そして、出来れば、細くても永く、語ってくださいね。
子どもたちのために・・・

| ニッピー | 2010/06/30 21:04 | URL |

レジュメ

 最近、ラファエルをラファエラと言えるようになりました。

心の習慣病

 一般の家庭では、親子の絆ができたら卒園とはなりません。この環境に慣れたから卒園とはなりません。施設では愛着のある子には手を焼きますが、愛着のない子は扱いやすい、オールマイティーの子です。

 裏をかえせば、施設生活になじんでいればいるほど、大人になってから、ひとりの人と愛着関係を築けずに、非常に苦労することになるのです。施設ではOKな事が一般家庭ではNGとなり、施設ではNGな事が一般家庭ではOKなのです。

 小さな頃に覚えた心の動きは、大人になって修正しなくては、人とうまくやっていけません。ソウルメイトを施設職員と同一化しないように気を付ける必要があると思います。

 また夫婦間については、お相手が家庭育ちであれば世界観が違うので、施設育ちとの混同はおきないと思いますが、相手が家庭で育った事に対する微妙な自分の心理をきちんと整理しておきたいところです。

| ラファエラ | 2010/06/30 06:03 | URL | ≫ EDIT

お元気そうで何よりです。
公開状態に読んでます。
色々書くとあなたの歩みのお邪魔をしそうなので、
これだけで失礼します。


| れお | 2010/06/29 21:07 | URL | ≫ EDIT














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