施設を良くしても良い施設になるだけ
その前に施設の問題って何が問題なのか
大人が少なくて一人一人の子どもに接する時間が少ない?
家庭の生活からかけ離れている為、家庭の味を知らない子が多い?
わたしは、主観的に施設はそういう所なのだから、一生懸命「大きな家庭」と吹聴するよりも、専門的な治療施設としての実質的な処遇内容の再検討を図って欲しいと望んでしまう。
わたしにとって施設という定義は、治療&ケア&研究部門という認識が先行するので、どうも施設なのに家庭的であろうとする事に違和感を覚える。これが愛着研究の為、モデル家庭として、子ども達を愛着理論の為の研究材料に使ったり、その他の意味不明な研究に使う目的があるのなら理解できなくもないが。
「施設」であるにも関わらず「家庭」に近づけようともがく児童養護施設の目的が意味不明。子ども達を暫定的に長期的にプールしているだけ。それくらいなら、元々家庭である里親家庭の里親の拡充&教育&プランを打ち出し、子ども達が家庭で生きるスキルを上昇させる方が、飛躍的に家庭的処遇のあり方を検討する理解に近づく事ができる。
なによりも施設というからには、治療やケア施設のように専門的な部門になってくれたらと密かに思っていたが、どうもその辺りはうやむやで自立支援施設と児童養護施設と、どっちがどっち?と考えざるを得ないような境界線のあいまいさに逃げてるように感じられる。
職員の数を少し増やして、職員一人当たりに対して○○人の児童とすれば良くなるか。ある施設は家庭の味を教える為に川原で飯ごう炊きのイベントを開いたと聞いた。笑うに笑えない話だ。家庭を一度も体験した事がない子は、これが家庭の味だと飯ごう炊飯を覚えてゆくだろう。もちろん川原で・・・。
養護施設を大きな家庭だと定義すると、こんな家庭は本当に困る。「子育てを」将来的に自立して税金をきちんと納める事ができる人間に育てる事とするなら、養護施設全部育ちは最初からハイリスクのマイナス・リターンなのだ。
小学生の頃、クラスメートのO君から
「お前よう!施設出てから一生税金で暮らす方法あるんだぜ、教えてやるよ」
「施設出たら、悪い事して刑務所に入れよ、そうしたら一生税金で暮らせるぜ」
と言われたが、妙にう〜ん、と深くうなずく大人の自分がいる。このようにO君に教えた親のように、養護施設では、その後の未来が何も見えないという暗黙の共通意識があった事を、わたしはどうしても問題視したい。
施設を良くしても家庭にはならない、せいぜい良い施設にしかならない。良い施設を出て家庭的概念が育つくらいなら、合理主義的な海外などこぞって施設主体に走るだろう。
それができないから、児童養護施設を、どこかのお偉いさんから『堕民養成所』と言われても施設職員は猛反発できないのだ。親から捨てられ、全ての子ども時代を施設だけで育ち、社会的スキルも家庭的スキルもない状態で社会にたった一人ぽっちで放り出せばゆくゆくは社会的排除者への道まっしぐらなのは火を見るよりも明らかなのに・・・。
だからわたしは、機能不全じゃない里親家庭への委託を望みながら記事を書いている。
※かといって、施設が劣悪なままで良いという意味ではあり ません、けして。
| 養護施設にいる間の問題 | 11時08分 | comments:4 | trackbacks:1 | TOP↑
























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| レイ@了解しました | 2007/03/28 08:51 | URL | ≫ EDIT