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集団生活の潮流にもまれているうちに幾つもの人格が生まれて消えた

めんたる整理

 陰口で知った「多重人格」という言葉

 この間、夕食を作っている最中、夕方のニュースの特集を見た。

 おそらく日テレ系のニュースの特集だったと思うけど、乖離性同一性障害の女性の様子が取材されていて、わたしは夕食の支度をしながら、ぼんやり見ていた。(すべて詳細には見ていない)

 その女性は家庭で育った方で、親に付き添われる形で?カウンセリングを受けておられるようだった。番組を通して、多重人格というのは俗称で、解離性同一障害という正式な名称があると知ったが、わたしのような施設全部育ちが診断を受ける機会が無かったので、自分の場合は、当てはまるのかは知らない。

 ただ、わたしは、以前に旧友の陰口として「Leiちゃんって多重人格だよね」と言われていた覚えがあるから、本当の症状を知りたいという気持ちはあった。

 わたしは、本当に解離性同一性障害なのか・・・わたしが施設でどういう生活をしていたか知らない他人の悪口や陰口の影響で、正しい知識を持てなかったのは、時間の損失だと思う。

 自分の感覚を手放さない事で生き延びてきた感じがある・・・だからきっと「解離」とまではいかない。しかし、集団の中で物心ついた頃より生きねばならない場合、たったひとつの人格で足りるかどうか・・・。



 集団生活で生まれては消え続ける人格(キャラ?)

 でもわたしは同時に、施設での生活を考えてしまった・・・その場だけ必要な「ワタシ」が、毎年生まれていた。でもそのワタシという人格が翌年は、もう通じない事は知っていた。(毎年部屋替えがあり、人間がシャッフルされる環境だったので・・・)

 そんな使い捨て人格ばかりの自分にメインの自分は存在していなかった。番組の特集に出ていた女性は、少なくとも周囲の人々から「人格が変わる事を問題視された」ので、問題が表出したというポイントを押さえながら見た。

 施設で作られる症状

 そのように、次から次へと相手に合わせた人間が生まれては消える事は、家庭では問題かもしれないが・・・

 施設じゃ、子どもの人格が固定されていては、やりにくいのではないかと感じていた。人格の固定や愛着が固定されてしまう事で、その子に自我(アイディンティティ)が生まれてしまうし、その流れとして、こだわりが生まれてしまう。

 そうなると、施設の集団生活の中ではエラーコードだ、はっきりいって集団にはそぐわない人格として扱われるだろう。

 一年毎にシャッフルされる人間関係しか知らず、当然、今目の前にいる大人に合わせた人格が生まれては消えてゆく・・・集団養護の施設で、そのように作られた子どもの態度を誰が問題視するだろう?片や、自分を繋ぐための愛着相手を求める子の存在が、施設の中では問題児となる・・・。

 わたしには、ずっとメインの人格など無かった。毎年全て変わり続ける人間(職員という大人)に対して全力投球だった。しかしその人は翌年はもう去っていくので、自分はせっかく作った人格を捨て、次の職員に向けた人格を創り上げるしかなかった。それを物心ついた頃からずっとやっていた。

 それが、施設全部育ちの、一見軽そうな態度の中身だと思う。

 施設で生き延びるには、たった一つの人格では対応しきれ無かったと今は思う。そういうわたしの人格を軽い人間だとか、人生を舐めきってるとか、言われていた。

 このニュース番組を通してわたしは思った。家庭では幾つもの環境に対応可能ないくつもの人格を持った子どもは、ありえないのだと。

 施設では、誰も問題にしないけれど、家庭では問題となるという事を知った。

 

| ├ メンタル整理 | 14時35分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

広い空さんへ

 広い空さん、コメントをありがとうございました。施設生活しか知らない事、固定された相手がいない事、そのまま社会に出されて結婚しても、この感覚のままでは固定された相手との特別な絆を作る事は難しいと思いました。

 わたしの結婚相手は、職場でのわたしの仕事ぶりを信頼し、結婚へ至りましたが、結婚と職場は全く必要とされる要素が違いました。結婚しても、平気で職場の男性と飲みに行ったり・・・とにかく、夫から見れば、全く理解出来ない人間でした。

 夫はわたしが施設で育った事を気にかけず結婚しましたし、わたしも自分の問題に気づけませんでした。

 でも、お互いに相手の養育環境を理解していませんでした。今、ようやく、考え始めましたが、わたしの場合は、出来るならば人生の最初の時点で排除出来る項目かと思いました。

 わたしも、今、自分が育った環境を改めて考えています。自分の事は今も昔も分かりませんが、でも、乳児院の子が家庭を知らずに育つ事へは、アンチテーゼを投げかけていきたいと思います。
 
 わたしは、最近めんたる記事が多いのですが、自分の心に立ち向かう時期が来たのかも知れません。

| Lei | 2010/07/31 13:04 | URL | ≫ EDIT

毎年、人間関係が変わるたびにその都度それに応じた自分を作っていたのですね。まさに生きるために、身につけてしまった術なのかなぁと思いました。一般家庭に育つ子ではあり得ないですよね…。人の顔色をうかがう事や特定の場所だけでは違った顔をもつ子は中にはいると思いますが、そのような場合と違って特異的な印象を受けました。家庭で育つ子が当然のようにもつ愛着が施設においては問題になったり適応が難しくなる…。その事が何を物語っているのか。絶望感のようなものがさらに色濃くなったように感じます。それが施設に対してなのか、日本の社会に対してなのか?世間は冷たいという言葉がありますが、こんなにもこの冷たい世間に子ども(家庭の子ではなく)がさらされ続けるのは何故なのでしょうね。そしてそれを強いる生んだだけの親が一番最初の冷たい世間になるのは何故なのか。それをどのように受け止めればよいのかわかりません。

| 広い空 | 2010/07/30 17:04 | URL |














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