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ありのままの家庭モデル「それ」を知りたかった

めんたる整理

 ありのままの養育環境

 「要保護児童のわたしの立場では、家庭での固定された相手との愛着に包まれるような養育」がある事を知らなかった。施設集団の中で埋没して生きていると、自分を知らないままだった。知らないままだと発達が停滞する・・・。

 家庭で虐待されてる児童、または、家庭から施設に虐待により入所した児童たちは、自分の家庭のありのままの姿を見て、打ちひしがれているような気がする。期待して、愛着を持って、固定された、世界にただひとつの家族が崩壊しているのだから、当たり前だと思う。


 わたしは物心ついた時にはすでに施設にいて、家庭体験を持っていないので、ありのままの家庭を知らない。ありのままの施設だけしかイメージに残っていない。

 だから「施設を完璧な保護先だなんて簡単に思わないで」と言いたくなる・・・。

 家庭の人も家庭で虐待されて、施設に入所してもそれでも救われなかったし、そんな気持ちを持ったままでは、施設内における児童虐待は見えづらいかもしれない。家庭から保護される場所として、家庭の人にとっての最後の希望として位置づけられている児童養護施設なのかもしれないと思った。

 何の心のケアも受けていないのに、自分が家庭で受けた出来事に虐待という認知を持ち、ありのままの自分の親や家庭の姿を認めるという整理作業自体、想像を絶する厳しいものだと感じている。

 施設の子は、施設内の虐待は、家庭ではない場所で今もあり続ける・・・。家庭を知らない児童らにとっては、何が虐待で、何がそうでないかの情報もない。怖いのは施設の周辺住民も「保護された筈の場所での虐待がある事を誰も知らない」という事だった。

 小さな頃、脱走した事があるが、一般の人は施設の子が脱走すれば施設へ送り返すのは当然だったようだった。逃げ出した子がいても、地域住民の連携プレーで施設へ子どもを保護する。

 それは、夫と話していて気づいたが「施設で虐待がある事が分かると施設が潰れちゃうでしょう?」という言葉からヒントを得て、ああそうか、児童養護施設が地域の中での、必要悪ともなっているのか、暗黙の了解のような感じで・・・と、密かに思ったが、考えすぎだろうか。

 里親家庭

 言い難いけれど・・・家庭虐待を体験している児童の希望である児童養護施設のイメージを壊すような、わたしの記事は、とうてい受け入れ難いのかもしれない。
 
 そう思うようになった理由は・・・

 里親家庭でも虐待があると知った時、わたしは希望を砕かれたような衝撃を受けた。施設しか知らないわたしにとって里親制度は、児童養護施設から合法的に出られる希望の光のように感じていたから、里親家庭でも虐待があるとは、とても受け入れがたい気持ちだった。それも今の日本における里親制度の現状だと思う。 

 でも、今はもう、冷静に考え始めている。里親も一般の家庭の人なのだから、色んな勉強をして、子どもたちが可愛いどころか、捨てられたり無愛着だったり、または傷を持っている為、自分以外は敵だと感じる動物のような基本的な防御本能が強くなっている事。
 そうでありながら、その子は発達障害を抱えていて、同じ年齢の社会的な子どもと比べたら、あまりの幼さにあっけに取られたりするだろう。

 「すぐには、ひとりで生きられないほどの発達障害を持っているのに、気分だけはひとりで生き抜いている」気分の乳児院・施設の子を前にして、愛着が土台にある普通の里親は心をとても乱されるだろうと思う。

 人によっては、虐待に発展してしまう事があると思っている。里子さんたちの虐待体験にも心が揺れる・・・。

 それでも知りたかった

 一般家庭も里親家庭もわたしは知らないが、施設育ちとして、ありのままの「家庭といっても完全じゃないよ」と夫が言うような、そのストレートな情報を子どもの頃リアルタイムで得たかった。

 愛着によらずとも、知識としてでも良いから小さな頃に家庭内で学んでおきたかった。夫の家庭も完璧ではないと夫は言う。それはそれとして、これも情報になる。生まれた時から社会へ自立するための練習場でもある家庭を、そのありのままの状態で知りたかった。

 ただ、それだけなのだけど・・・。

 ただ・・・夫はわたしが日々自分なりに作る家庭について「ここは家庭で施設じゃないよ」と言われるのだから、少なくとも彼が育った「完璧じゃない家庭」とも、似ても似つかないような気がしている。そこが問題なのだけど、家庭を知らないわたしは、まだ整理の途中・・・。


 
 

| ├ メンタル整理 | 05時38分 | comments:19 | trackbacks:0 | TOP↑

あたしも不快だった

>登場人物で唯一?の男性である記者が、児童養護施設に入っている
>レナさんの動画を無許可で(許可があるとは思えない)記録していて、
>それを女教師に見せるシーンがあったけれど、非常に不快な場面だった。

 そうそう、指摘し忘れたけど、あのシーンもいやなシーンだった。ビデオカメラを隠しながらビデオを回しているシーンは、吐き気がしたわ。
 いかにも無許可の映像を、親族そろってみているシーンは、何か壊れている気がしたわ。いたるところに非合法な手段が使われ、それを指摘して問題にする人がいない。「この人たち、変」としか思えなかったわ。

| Maria | 2010/09/27 19:18 | URL | ≫ EDIT

施設の子を勝手に録画シーン

 Leiです。

 Maria、そういえば・・・

>犯罪ドラマをとっておくほど猟奇趣味もないので…

 登場人物で唯一?の男性である記者が、児童養護施設に入っているレナさんの動画を無許可で(許可があるとは思えない)記録していて、それを女教師に見せるシーンがあったけれど、非常に不快な場面だった。

 わたし達施設児童は新聞社や色んな外からやってきた人に、ビデオや写真などを用途も聞かされず、第三者に撮られる事に慣れっこで、見慣れた風景のように感じていたので、気づくのが遅れた。

 でも、実はあのシーンだけが不思議と今も頭の中に残っていて消えてくれない。施設で勝手に動画を撮るシーンは、不快で気持ち悪いものだという事も知らなかった事に、今頃気づいたというべきか・・・。

 施設職員で、ビデオに凝っている?人がいて、女子バレー部の試合の様子を「編集中に手元が狂ったとスロー再生を見せて」くれたのを思い出した。(初めて書いたかな・・・忘れてたよ)

 自分たちの時代、動画や写真を撮られるのは当たり前だった。でも、それは危険な事で、その動画がどう扱われるか考えた事がなかった。職員とは、まあ単なる施設児童の試合風景だよ、という感触で話してしまっていたが・・・現在の児童養護施設に置き換えると、問題になりかねない。

 あのドラマではあの男の行動を施設職員も知らないわけだから、非常に危険なことだと認識したい。

 そういう意味で、あのドラマはおかしな不快なシーンばかりなのだということ。

 家庭の子が知らないおじさんから動画を撮られたら問題なのと、同レベルで考えてほしい。施設の子だから勝手に動画撮って良いのではないということ。

 

| Lei | 2010/09/26 03:06 | URL | ≫ EDIT

里親にならないでください

>放映が終わったあともこうやって語られるというのは、作品としてそれだけ魅力があるからだと思いますが、

 いいえ、あまりにも下らない番組で、「魅力」なんてありません。全話録画しましたが、あまりにも子どものことを考えていないストーリーなので、倍速で再生ていました。
 とっておく価値もないし、HDの汚れになるので、先ほど削除しました。犯罪ドラマをとっておくほど猟奇趣味もないので…

>私がコメントで感想を聞かせてくださいと書いたことで、

 あたしたちは、妙に律義なところがあるので、どこの誰だかわからない人でも、真面目に対応したりします。どんな慰問客でも、真面目に対応する施設の癖が身に染みついていますから…

>実際に里親になっても、そうだと思うのです。
>子育てで育つのは、子どもだけではありません。

 あなたを育てるために、里親家庭に来る子どもがいるのではありません。あなたが育つ前に、里子がおかしくなる気がします。
 というか、あのドラマの感想もそうですが、助けられる犯罪者に思いをよせ。連れまわされ、生活の安定しない子どもに思いがないのは、里親になる資質がないと思います。

 里親を育てるために里子がいるのでありません。里子に育ててもらおうなどという横着な「里親」は、子どものためになりません。

 絶対に里親にならないでください。

 里子が不幸になります。

| Maria | 2010/09/25 21:23 | URL | ≫ EDIT

アムリタさんへ

 Leiです、思う事を一生懸命書いて下さって感謝します。どうやら、わたしとMariaと、そしてアムリタさんのそれぞれの立場から、このドラマを観ていたのだと改めて思いました。

 わたしは公園でひとり生きている時、わたしの寝床は道の上なんだという不思議な安堵感がありました。生まれたばかりの時の、ゆりかごが、道の上、道路の上のような気がするなんて、変わり者ですが・・・。

 でも、アムリタさんのレスを読んでクラクラしました。人間関係が多いですね。

 わたしには、施設職員と学校の先生しかイメージ出来ません。施設全部育ちの、人間関係の相関図を把握する力は全く無いから、アムリタさがあのドラマの、スクランブル状態の人間たちの悲喜こもごもの複雑な世界を、どうして把握できるのか、想像出来るのか不思議でたまりません。

 さらに泣けるというのも、共感を持てるのも、わたしには理解の範囲を超えてしまっているのです。わたしが無愛着だからでしょうか・・・。

 わたしは単純に、あの子の置かれてる状況しか見えないです、他の大人たちのそれぞれの問題など、あの子にとって全く関係がないのに、学校へ行けず、名前も変えられ、たった一度の子ども時代を連れまわされたあげく施設長期入所児童として育っている様子しか、それしか、見えません。

 それにわたしは、このブログの趣旨を貫きたいので、乳児院・児童養護施設で育ち続けた子の立場でモノを考えるのは、わたしにとってはとても必要な事と思っています。この軸を基本的に持つのがスタンスですから。

 「それぞれの大人の事情を分かって欲しい」じゃなく、「かつての大人の事情がたとえあったとしても」、今、自分の直接関わってる子どもの為に必要な事をするのが、社会的な大人で、法治国家で生きる大人の基本姿勢だと思ってます。

 それに、施設に入れられっぱなしのレナさんは、どうして、大人の複雑な状況をそこまで理解しなくてはいけないのだろう。
 
 育てもしない、それどころか犯罪の世界がある事を教えられてしまった不適切な行為をした、その大人の複雑な事情を一、方的に理解せよと迫られるいわれが、あのレナさんにあるのだろうか・・・。

 ただそれだけです。

| Lei | 2010/09/25 09:52 | URL | ≫ EDIT

私が、Motherに感動した部分は、主人公の女性を取り巻く環境や、主人公の母親たち。
犯罪を犯した主人公を、守ろうと必死になっている人たちのシーン。
自分がこの里親の立場なら、この娘を警察に出頭させるだろうか。
それとも、かくまうだろうか、とか。
凄く色々考えました。
親達と一緒に悩み、一緒に泣きました。
記者の人、主人公の姉妹とその彼氏達。
どうやったら、この主人公を幸せに導けるだろう。
子どもがどうしたら救われるだろう。
子どもの親は、これからどう生きるんだろう。

主人公が6歳の時、母に暴力を振るう父親を、家に火を放ち焼死させている。
それを母親がかばって刑務所に入った。実刑12年だったかな?忘れました。
そこから主人公はグループホームのような施設でしばらく過ごし、その後、里親宅へ預けられている。
里親宅では最初は懐かなかった。高いところに上っては望遠鏡で産みの母親を探していた。というようなシーンもありました。
この主人公は、私の中で里子と見ていました。
LeiさんやMariaさんが、子どもの立場でこのドラマを見ているのは、一番自分達に近い環境を生きた人だからでしょうか。
私は子どもも勿論救われて欲しいと思いますが、子どもの母親とその彼氏、それぞれの人たちの行く末も気になりました。
こういう環境を生きる人たちも、過酷な幼少期を生きたのだと想像します。
児童養護施設という場所を、私は知らなさ過ぎるのだと思いますが、LeiさんやMariaさんの記事を読んだことが無かったら、この物語の少女が後に児童養護施設で10年以上過ごすことにも、さらっとした印象しか持てなかったと思います。ラストにはいずれにせよがっかりしていたと思いますが。
放映が終わったあともこうやって語られるというのは、作品としてそれだけ魅力があるからだと思いますが、私がコメントで感想を聞かせてくださいと書いたことで、Leiさんの昔の嫌な体験の記憶を蘇らせる事になってしまったなら、本当に申し訳ないことを書いたと思っています。
すみませんでした。

後は、『これしか受け入れない』と書いたのは、怒りをかうようなものではないと思っています。
誤解無く書けるかどうか解りませんが。

人は育ちます。伸び白は無限だと思います。
私が、里親に興味を持ち始めた最初は、里親知識0の状態です。
今も知識はあれど、体験していないので、経験値は0です。
子育ての経験は、お腹にいる間も真面目に育てていたので7年。
今は子育てしながら、自分が里親になった時のことをあれこれ考えています。
子どもを授かる前には、子育てはこうしようとか、自分はこんな母親になろうとか、物凄くあれこれ考えていました。
実際生まれてみると考えていたこととは、また違います。
実際に里親になっても、そうだと思うのです。
子育てで育つのは、子どもだけではありません。
私は子どもを授かって、育て始めてからやっと母親になったと思っています。
ダイエットなんて出来たためしが無いけど、妊娠中は甘いものをなるべく取らなかったし、コーヒー大好きだけど全く飲まなかった。
子どもが生まれてきてからはほぼ毎日早起きしている。
こんなこと母親なら当たり前過ぎて、くだらないことだと笑われるかもしれないけど、今の母親達は、自分を肯定しない人が多い。
自足感を感じられている人が少ないように思います。
だから、親も子も病むのだと思う。

乳児院の印象は、恵まれていない子を期待しているから劣悪なイメージを持っているのではなく、数少ない世に出回っている情報を繋ぎ合わせた結果だと思います。
わたしは乳児院に、24時間の保育所みたいなイメージを抱いていました。
児童養護施設は、24時間の小学校、中学校だと。全く情報が無かったから。

一般の家庭で育った人が児童養護施設出身の人に偏見を持っていると書かれていますが、一般の家庭で育った人は、偏見と呼べるものを持つほども児童養護施設のこともそこで過ごした人も知らないと思う。少なくとも私はそうでした。
近くに施設が無ければ余計に。それが無自覚といえばそうかもしれませんが、Mariaさんも一般家庭の人に対して、似たところで同等の無自覚による行き違いや偏見はあると思います。
生きてきた時代背景もあるのかもしれません。

私は、LeiさんもMariaさんも、いずれ子育てをされるかもしれない人として、コメントを書いてきました。
児童養護施設出身だから見下しての文章ではありません。
けれど、現在、子育て未経験の人だと認識しているので
そういう部分では、先輩面したかもしれません。

周りには「完璧な子育て」を目指してくたびれているママ友がいます。
母親がくたびれていると、子どもの目も曇ります。
私が子どもを育て始めた頃、仕事仲間で「しんどい」と漏らせず、子どもを残して自殺した人がいました。

親に高い知識や志は勿論あって良いと思うのだけれど、そういうものが無いと子どもが不幸になるという考えは、家庭や子育てをより息苦しいものにしてしまう可能性があると思います。
これらは本人や環境が未熟なまま子どもを産んでしまった人たちの話ではなく、あくまで機能する親や家庭の話しです。
長くなりましたが、終わります。
ありがとう。

| アムリタ | 2010/09/25 07:32 | URL | ≫ EDIT

Mariaへ

 消したり書いたりしてごめんね。気持ちがスッキリしないままではあるけど、わたしは言葉が浮かばない。何度か書いては消して、それでも自分で何が言いたいのか分からず・・・。

 昨日少し、この事で意見を聞かせてもらってありがとう。一時期、顔も知らないおばさんに、施設から連れ去られ、学校へ行けなかった自分としては、公園のひと目の付く所に逃げ出せてよかったと思ってます。

 そんな自分としては、motherというドラマを見る事自体が、すでに根性のいる事だったみたいです。感想を聞かせてと言われて、頑張って視聴したんだけど・・・。

| Lei | 2010/09/15 05:25 | URL | ≫ EDIT

子ども連れまわし女は迷惑なだけ

 あたしがmotherを最悪のドラマというのは、ドラマの女教師がちっとも子どもを救っていないことなの。

 虐待を受けた子どもを発見したら、公的機関に届け出るべきところを、死亡を偽装して略取誘拐したこと。

 子どもに安定した環境ではなく、放浪させたこと。

 子どもは、どんな名前であろうと、その名前でアイデンティティが作られているのに、それを全否定し、「口をつぐむ」を暗示した「つぐみ」という勝手な名前を付けたこと。

 子どもを学校に行かせなかったこと。

 戸籍の売買という違法行為を行おうとしたこと。虐待親とはいえ、本人の戸籍を捨てさせ、他人の戸籍を詐称する犯罪行為の未遂。

 結果として、数ヶ月間で警察に捕まり、子どもは保護をされたこと。

 まあ、ここまでは頭の狂った女の犯罪で済むけど、子どもに手紙を持たせ、二十歳まで子どもを縛ろうとしたこと。これが最大の愚挙。
 施設では、十数年も手紙を持ち続けられるほど安定した場所じゃあないから、現実だったら、とっくに忘れ去られてしまうからいいけど…

 あたしが理解不能だったのは、小学生の時に、たったの数カ月連れまわした女をいつまでも覚えていると考える能天気さ。その場しのぎで生きる施設生活では、数年だって記憶し続けることは困難。ま、ドラマだから、目くじらを立てることもないのだけど…

 あたしが心配したのは、子どもにとっては迷惑千万な行為が、「母性」や「mother」をかざして、赤の他人が子どもを連れまわす模倣犯。そこまで気の狂った女は、現実にはいないと思うけど…

 「mother」に感動する人が、どこに感動するのか聞きたい気がするわ。

| Maria | 2010/09/11 21:34 | URL | ≫ EDIT

劣等処遇の原則

アムリタさん、

「劣等処遇の原則」という言葉をご存じかしら?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%BF%9D%E9%9A%9C
「税金の世話になっているものは、社会の最底辺の生活をすべきである」
というものであり、それが、一般の人の差別や偏見のもとになっているものなの。


>実習が一緒だった、子どもがいない里親候補さんは、『ここの子たちは恵まれている』と連呼されていました。

 里親候補とはいえ、ごく普通の差別観や偏見を持つ方たちですから、養護施設の子どもたちが、三食満足に食べていたり、建物がきれいだったり、子どもの着ている洋服がまともだったり流行遅れでなかったりすると、「恵まれている」と感じるのね。

 それは、養護施設の子は、おんぼろの建物に住み、継ぎの当たった服を着て、食うや食わずの生活をしていることを無意識に期待しているからなの。
 里親や一般の人に見学させる施設は、新しく建て替えをし、きれいなところが多いと思うの。おんぼろの施設は、絶対に見学の対象とならない。
 だから、きれいな建物、普通の服を着ている子どもを見て、里親さん自身の中にある無自覚の差別意識や偏見が「恵まれている」と言わせるの。

 上から目線の里親候補たちは、施設の子どもにお恵みをくださるわけだから、子どもの施設は「恵まれていない」状況になければならないの。
 こんな感覚では、トラウマを抱えた子どもに向き合えるはずもない。施設の子どもたちの抱える問題は、衣食住の問題なのではないのだから…

 そうそう、アムニタさんの

>施設で育った方たちのブログを読んでいて、共通して感じるのが、
>なんていうか、全てにおいて完璧を求める姿勢なんです。
>『これしか受け入れない』みたいな。

この上から目線もそう。
LeiちゃんやEdwardさんは違うらしいから、消去法であたしということになるけど、「お恵み下さる」里親さんに異論を唱えることは、里親さんのありがたい言葉を受け入れない態度に思えるようね。

>『これしか受け入れない』みたいな。

のではなく、あなたの意見が受け入れ難いだけなのに…

あたしの昔の記事だけど、よかったら、読んでくださいね。

→「私たち内なる差別意識」
http://prayermaria.blog74.fc2.com/blog-entry-66.html

 施設の子どもたちへの偏見や差別意識を、たとえ無自覚でも持っていたら、その子どもたちに寄り添い続けることは難しいと思うわ。
 トラブルを起こした時に、「世話をしてやっているのに」とか「恩を仇で返した」とか、思わず言ってしまうと思うの。
 これは、ある里親さんが自戒を込めて、自身の無自覚の「恩着せがましさ」を話してくれたの。

 「ないと思っている差別意識や偏見を自覚するとことで、ようやく子どもの立場に立てる」とおっしゃってた。「上から目線では、子どもに共感できない」とも言っていた。

| Maria | 2010/09/11 17:45 | URL | ≫ EDIT

Motherというドラマ、私は感動しました。
これをいいドラマだと思うことと、この人たちのとった方法を肯定するのとは違うと思うし、そもそもこれはあくまでもドラマなので、論点が違うように思います。

『家庭でネグレクトや虐待を受けた方に感じるのは、子どもが救い出されることのみに関心を持ち、救い出された子どもがどのように育つのが子どもの発達する権利を保障することなのかの視点がないこと』

と書かれていますが、これも少し違うと思うんです。
家庭でネグレクトや虐待を受けた事が無い人でも、児童養護施設で暮らす子を見て『この子たちは恵まれている』と感じる人は多いのではないかと思います。
実習が一緒だった、子どもがいない里親候補さんは、『ここの子たちは恵まれている』と連呼されていました。
でも、だからってそれは施設を肯定する意味ではないと思うんです。
そして、この里親候補さんは虐待やネグレクトに遭った人でも無いと思う。これは想像ですが。
さらに言うと、この方が里親として機能しない里親家庭を築くかというと、そうではないと思うんです。
誤解無く書けるか解りませんが、家庭で育った人が持っている一貫した施設イメージがあるように思います。私の施設イメージは、研修などで目にするものとは違っていて、実際見た施設は『思っていたよりもマシ』な場所に見えました。
だけど、自分がそこで育ちたいかというと、違います。

私は発達心理学を学んでいますが、講義を受けて、本を読み漁って、発達心理学を知識として学ぶ事と、実生活で子育てに生かすことは、別にあると思っています。
知識があるから上手く行くとか、知識が無いから失敗するというものでないと思う。
物事は白か黒か、0か100かではないから。
エドワードさんが発信されている情報は、がんばれ!養護施設出身者というサイトしか知りませんでした。
今、少しですが読ませていただいて、私が書いている『完璧を求める姿勢』は、エドワードさんには感じませんでした。Leiさんにも感じません。
自分が子どものつもりか、親のつもりかで発信方法は違うのではないかな。

『あたしたちは、子どもの育ちにふさわしい「機能する」里親家庭を求めています』
という下り以降は、私も同じ意見です。

| アムリタ | 2010/09/11 12:52 | URL | ≫ EDIT

Mariaへ

 Maria、以前は、

 『施設に孤児は居ません、今は親がいる子がほとんどです。今は、衣食住足りていれば事足れりとは言えません、家庭虐待のケアを必要としています』

 という言葉に対して「親が育てられない、遺棄、放棄された子たちには、衣食住あれば事足りるのだ」と言う表現に対して怒りを覚えたものだった。

 家庭で虐待を受けた子へのケアも治療もされない名ばかり施設(わたしにとって施設とはプログラムに応じた役割を持つ場所)なのに、同時に、親が育てられない要保護児童の養育場所としての役割も果たせない。

 わたし自身、職員から「お前ら、施設が無かったら行くところがない」という言葉を浴びせられて育った。だったら、雨風しのげて、餌を運んでくれる人がいれば、どこだってイイじゃないか。

 今は里親家庭についても、里親になってくれる人がいれば良いのだという、闇雲な状況から脱却しなくてはいけないと感じている。施設から要保護児童の措置先と成り得る里親家庭にも、一定の、質的なものの基準をもっと強化して欲しいと思う。

 施設側の表現に対してムッとした気持ちは、今、里親家庭に対して、一定の、自分が思う内容の向上へと繋がっていると思う。
  
 うまく言えない事を言ってくれてありがとう。わたしの文章は長いから、言うべき内容がずれるのだね、ごめん。

 

| Lei | 2010/09/11 07:38 | URL | ≫ EDIT

「管理」と「完全」がごっちゃ混ぜ

アムリタさん、

 最悪のテレビドラマ「mother」でも、家庭虐待から救い出されることのみに喝采を送り、学校にも行けず、未来のない放浪生活(ホームレス生活)を子どもに強いる元教師に共感を寄せる人が少なくないと思っていました。子どもを学校に行かせないことを容認するのは、いろんなことを学びたいというあたしには、子どもの学ぶ権利を奪うものでしかありません。

 だから、motherをいいドラマだと思う人には、絶対に里親になって欲しくないと思っているあたしたちです。

 家庭でネグレクトや虐待を受けた方に感じるのは、子どもが救い出されることのみに関心を持ち、救い出された子どもがどのように育つのが子どもの発達する権利を保障することなのかの視点がないこと。

 さて、

>施設で育った方たちのブログを読んでいて、共通して感じるのが、なんていうか、全てにおいて完璧を求める姿勢なんです。
>『これしか受け入れない』みたいな。
>里親に対しても、家庭に対しても。
>そういう考え方を否定したいんじゃなくて、なんていうか『しんどいだろうな』って思ったんです。

 あたしとLeiちゃん以外に、どのブログを見たのかしら?
エドワードさんのブログはごらんになったかしら?
http://yogo-shisetsu.info/weblog/edward/

 養護施設出身者のブログの多くは混乱し、未整理のものが多く、「完璧を求める」姿勢は、エドワードさんのブログしか思い浮かばない…

 あたしが知る施設出身者のブログは、そんなに多くはないけど、ものすごく、遠まわしに批判をしていますよね。
 「親が育てられない子どもを家庭に」と主張するあたしたちですが、里親家庭なら何でもいいと思っていませんし、それを「完璧」と思われるのであれば、子どもに害なす家庭まで認めることになる。
 
 最初の乳児院もそうですけど、まず、言葉遣いが間違っているの。乳児院は「完全」なのではなく「管理的」なの。発達心理学を学べば、乳児院の養育を「完全」などという言い方は出てこないの。たとえ皮肉でも。
 そして、それと相対して、「家庭を不完全」という表現も。

 語れば語るほど、アムリタさんの背景が透けて見えるようで、ご自身の過去の整理と、正しい子どもの育て方を学ばずに、里親になることへの不安を感じます。

 あたしとLeiちゃんは、誰でも里親になってほしいなんて思っていない。「毒親」という言葉があるように、「毒里親」という言葉があってもいいと思う。現実にはいて欲しくないけど、いてはならない里親を表す言葉として…

 あたしとLeiちゃんは、発達心理学を学び、子どもがどのように育つのが健全な育ち方なのか学びました。そのうえで、ありのままの家庭を知りたかったと言っています。そして「不完全な家庭で子どもを育ててほしい」などとはいう気はありません。
 「完全」「不完全」という言葉を持ち出すこと自体が、家庭というものへの、そして乳児院・養護施設への理解を混乱させます。

 あたしたちは、子どもの育ちにふさわしい「機能する」里親家庭を求めていますが、それは、未整理の、満たされない子ども時代を埋めるために親のいない子どもを利用する人とは一線を画するものです。
 自分の癒しのために子どもを利用する人には、絶対に里親になってほしくない。自身の満たされないものには目をつむっても、委託された子どもの育ちに全力を向ける。そんな人に里親になってほしいです。

 自身の過去を整理できない人に、捨てられ続けた子どもに寄り添い、その過去に付き合うことはできません。問題行動を起こす子どもに振り回され、自身の未整理の課題が噴出し、結局は「不調」となって子どもを施設に戻すか、最悪、虐待しかねません。

 里親になりたい人がなるのではなく、子どもの育ちにふさわしい人が里親になってほしいと願っています。でなければ、子どもが不幸になりますから…

| Maria | 2010/09/10 23:29 | URL | ≫ EDIT

Mariaさん、返信ありがとうございます。
私がここに書きたかったことは、Leiさんが私への返信コメントで下さった内容のものでした。

子育てをしていると、理想や完全な思想のようなものに追い詰められることがあります。
そういう時、『ま、いっか』って思えるか思えないかで変わってくるように思うんです。私の場合ですが。

施設で育った方たちのブログを読んでいて、共通して感じるのが、なんていうか、全てにおいて完璧を求める姿勢なんです。
『これしか受け入れない』みたいな。
里親に対しても、家庭に対しても。
そういう考え方を否定したいんじゃなくて、なんていうか『しんどいだろうな』って思ったんです。

だから、あんな書き方をしました。
Mariaさんの読解力の無さではないです。
私の書き方に問題があったと思っています。
すみませんでした。

| アムリタ | 2010/09/08 18:28 | URL | ≫ EDIT

私の読解力の問題かしら?

アムリタさん、
最初から、こう書いて下さったら、あたしのコメントは間違いなく別のものになりました。

>乳児院での栄養満点でレパートリーの多い毎回の食事や、毎日交換され洗濯されるシーツ、子どもに平等に接する保育者さんたち、きっちりした時間割などを見て、私は施設こそが完全な場所だと感じました。私が見た乳児院なので、他の乳児院や児童養護施設はまた違うのかもしれませんが。

この文章に、(皮肉)とでもつけてくれていたら、「皮肉」と取れましたけど…
 あたしの読解力がないのであれば、お詫びしますけど、読書家を自負するあたしとしては、どの文脈で「皮肉」と理解すべきなのか、何度読み返してもわかりません。
 「家庭は不完全さを教える場所」の下りは、「完全」な乳児院、養護施設と対比して、家庭を否定しているようにも読めますし…

 ちなみに、国連の「子どもに対する暴力」調査報告では、「3歳以下の施設入所は、子どもへの暴力に等しい」書いてありますわ。
http://trans-aid.jp/viewer/?id=12117〈=ja

| Maria | 2010/09/08 07:40 | URL | ≫ EDIT

誤解を招くような書き方をしてしまった事を、申し訳なく思います。
『施設が完全』と書いたのは、私なりの皮肉でした。
乳児院で、顔の横にタオルを詰まれミルクを飲んでいる赤ちゃんを見て、胸が詰まりました。
『抱っこして飲ませても良いですか?』
と、思わず抱き上げていました。
後の反省会で、この授乳の仕方を問題に思うと伝えました。
半分以上の幼児がつめを噛んだり指をくわえている姿を見て、現状を受け止めきれず目をそらしたくなりました。
Mariaさんが書かれているように、ここは『完全管理のベビー牧場』と同じく思いました。言葉は悪いですが。
私が見た、清潔で食事も豪華な施設は、気持ちが折れる場所でした。

里親になろうと思った当初は、施設の存在をぼんやりとしか知らず、今も研修のときに見た児童養護施設と、実習で行った乳児院だけです。
きれいで清潔な場所でした。

私が本当に施設が素晴らしい場所だと思ったのなら、里親になることを辞めていたと思います。
これが私なりの思いです。
今後、私も表現の仕方をもっと気をつけますが、それでもMariaさんの

『失礼だけどアムリタさんは子ども育てた事があるのかしら?もし子育てを経験した上で言っているのであれば、その子どもたちはかなり心配』

という言葉は、受け取れません。
すみません。

| アムリタ | 2010/09/07 21:42 | URL | ≫ EDIT

アムリタさんへ

 こんにちは
 
家庭とは、不完全なものや完璧ではないものを教える場所なのかもしれない、なんて最近思います。

 不完全だったり完璧じゃないからといって、機能不全家庭と一概に言えないという事は、夫の家庭などを通して知り得ました。

 不完全でなくとも、固定された相手があるという事、養育者が特定できる事、自分のライフストーリーを一緒に綴ってくれる人、そういう人が乳児院・児童養護施設にはいません。

 家庭でネグレクトを体験した施設育ちは「三食きちんと食べる事が出来る」「屋根のあるところで寝れる」「学校に行ける」と感動する子が多いようです。でもそれが、施設の中じゃなくても、里親家庭でも可能なのです。特に一度も家庭を体験出来ないであろう乳児院の子に、工業製品のような画一性を与える施設的養育を、わたしは、今では理解しづらいです。

 でもわたしは、夫の家が完璧ではないという事がだんだん分かるとしても、失望して、それなら施設の方が良いとは思いません。
 
 衛生的にも怪しい農家の義母ですが、愛情だけはたっぷりでした。夫は、完璧じゃない母親を大事に思っています。なにより彼の母は、彼を育てた責任者としての意識があります。

 「担当者じゃなかった」などと言いませんから。

 わたしが知りたいのは、そのような感覚なのだと思います。夫はわたしを、血が通ってないとか、冷血とか、色々と言いますので喧嘩になりましたが、最近は、彼がどうしてわたしをそう言うのか、何となく分かってきました。

 里親家庭も確かに完璧じゃないと思うようになりました。

 でも・・・ここは大事な部分ですが、完璧じゃなくとも、乳児院の子供が抱える非人間的な態度が何故あるのかを、やはり一通り、知っておいてくれるとありがたいです。

 つまり、一部の篤志家や優しい人が里親になってくれるレベルでは、完璧なはずの乳児院・施設育ちの子のロボットのような無反応に応じ切れないと思うようになりました。
 
 もちろん、かわいい里子もいるでしょうけれど。確実に無愛着な子どもの態度に辟易させられると思うのです。たとえ完璧な乳児院育ちであったとしても・・・。
 

| Lei | 2010/09/07 13:45 | URL | ≫ EDIT

れおさん

 れおさん、暑い日々が続きますね、どうぞお体に気を付けてね。

友人には「普通の家庭なんてないよ」と毎度言われます。
他人様の家庭を見聞きすることで参考にしようと思っても、
思いっきりくじかれてしまいます。


 わたしもきっと、こういう状況に近いんだと思います。普通の家庭というのが、幻めいていますね。

 今は家庭にも様々な家庭があるということが分かって来ました。夫の家庭を通しても、友人の家庭を通しても、色々考えるようになりました。

 「普通」という定義はとても難しいものだったのですね。

| Lei | 2010/09/07 13:29 | URL | ≫ EDIT

なんで里親になるの?

乳児院での栄養満点でレパートリーの多い毎回の食事や、毎日交換され洗濯されるシーツ、子どもに平等に接する保育者さんたち、きっちりした時間割などを見て、私は施設こそが完全な場所だと感じました。私が見た乳児院なので、他の乳児院や児童養護施設はまた違うのかもしれませんが。

 アムリタさん、そんなに「完璧」な乳児院でしたら、里親の出番は無いでしょ?出番もないのに何故里親になろうとするのかしら?

 でもね、乳幼児に必要なのは毎日代えるシーツでもなく、栄養計算された完全な粉ミルクや離乳食ではなく、常に、オリの中で完全管理される事ではないの。

 あたしには完全管理のベビー牧場にしか思えませんわ。これが赤ん坊にとって完全な養育環境だと思うのなら里親になるのはやめてほしいわ。

 赤ん坊に必要なのは毎日取り替えなくても母親の匂いのするシーツであり、完全消毒されていなくても着なれた服、添い寝してくれる母親のぬくもりなの。
 
 失礼だけどアムリタさんは子ども育てた事があるのかしら?もし子育てを経験した上で言っているのであれば、その子どもたちはかなり心配。

| Maria | 2010/09/07 12:57 | URL | ≫ EDIT

乳児院での栄養満点でレパートリーの多い毎回の食事や、毎日交換され洗濯されるシーツ、子どもに平等に接する保育者さんたち、きっちりした時間割などを見て、私は施設こそが完全な場所だと感じました。私が見た乳児院なので、他の乳児院や児童養護施設はまた違うのかもしれませんが。

家庭とは、不完全なものや完璧ではないものを教える場所なのかもしれない、なんて最近思います。
ま、いっか。って思うこととでも言いましょうか。

頭が悪い人でも、性格が悪い人でも、お金に執着した人でも、不細工な人でも、強い偏見を持った人でも、人付き合いがすごく苦手な人でも、他色々・・・・
どんな人でも『子どもが欲しい』と思えば親には、なれるんです。
もちろん相手も必要だし、子どもが産めない身体や年齢の人もいますが、里親という選択肢もあるので、ここは総称して親と書きます。
色んな人が親になって、色んな家庭を築き上げているのが今の世の中だから、普通というカテゴリーを作るのは難しいのかもしれません。

Mariaさんのブログの記事中のリンクからLeiさんの昔のブログを知り、最近読んでいて、そこに残っている記事のおかげで、色んな事を思い、考える事が出来て、前に進めました。
ありがとう。

| アムリタ | 2010/09/07 01:50 | URL | ≫ EDIT

こんばんは。毎日、暑いですね。
私はずっと家庭内虐待で、現在未婚で、子供がおりません。

私には未だに「普通の家庭ってどんなのだろうか」と
追い求めているところがあります。
ある家庭の様子を見たり、聞いたりして、
「あれが普通の家庭なのかなぁ」と思うのですが、
友人には「普通の家庭なんてないよ」と毎度言われます。
他人様の家庭を見聞きすることで参考にしようと思っても、
思いっきりくじかれてしまいます。

しかし、それでも何らかの「普通」と「普通でない」区別
がきっとあるはずだと、相変わらず探し続けています。
考えれば考えるほど、混乱してしまいます。

まあ、そういうこともあって、
家庭を作る気にはならないのですけどね…。
※今回里親とか、施設内虐待に触れていなくてすみません。
自分のことばかり書いてます…。

| れお | 2010/09/06 21:34 | URL | ≫ EDIT














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