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施設出身者が地域で根付く絆づくりのあり方を模索して

SOUL FAMILY-project・別館

 偏見差別とその対象である人物の資質の形

 施設育ちは、バーサス一般社会という考え方をしがちだ。ワタシタチは確かに学校でいじめられたし、仲間はずれにされたが、でも今思い返すと、最初は学校の子も差別意識丸出しだが、やがてどうしても、当人同士の人格で付き合うしかなかった。

 彼らの親が偏見や差別意識を持っていて、子どもも影響を受けたとしても、相手が施設育ちだからどこまでもいじめ抜くという事はなかった。

 わたしは最初の頃はいじめられたが、そのうち学校の授業にもついていけるようになったら、一定の理解を得られ、クラスの中心的な存在の子から「また、○○ダンス一緒に踊ろうね!」と年賀状が来て、すごく舞い上がった事を覚えてる。

 #施設の記憶が全く無いのに学校の記憶があるのはちょっと変な人です我ながら。

 確かに偏見差別はあるが、最後の最後は人間対人間の関わりの問題なのだと気付かされた。クラスメートと施設にいる児童とは、何かが違っていた・・・。だから、わたしはだんだんクラスの子から好かれていると思うようにさえなった。

 それよりもわたしは施設内でのいじめや暴力がきつかった。学校へ行きたかったのも施設の暴力から逃れる為だったと言っても過言じゃない。少なくともクラスメートは、言葉が通じた。


 施設育ち同士のきずなの形

 施設育ち同士が仲間として付き合う事を夫は最初、不安視していた。わたしが出た施設の少年たちにも不安を持っていたし、出来る限り関わりを持たないでほしいと願っていた。

 特にネットで知り合った施設育ちだけで凝り固まる事へのアンチテーゼがあるようだった。

 しかしMariaとWolfとわたしの絆づくりをそばで見ているうちに、夫はいくらか考えが変わったようだ。わたしたちは施設育ちにしか分からない心理の共有はあるが、それだけではなく、一般社会に受け入れてもらえるような自分たちでいたいと思っているので、これ以上のメンバーを増やさないようにしている。

 夫は、その課題へ向かっている私たちの様子を見ていて、やがて絆づくりに理解を示してくれるようになってききた。わたしたちにとっての絆づくりとは施設出身者以外の人を排除する事じゃなく、施設出身者でありながら、信頼される大人として地域コミュニティの中で生きる生き方の模索だった。

 一般の社会には当然ルールがあり、非言語的・言語的に、枠組みがあり、その中で人と関係性を持って生きる事を大事にしなくては、自分が子を生んだ時に周囲と関わりを持ち、やっていけない。

 児童養護施設だけで育つ事とは、地域社会から切り離された独自の集団世界の意識を刷り込まれる事で、その、ある意味洗脳のような独自の世界観を、少しずつ解いていく必要がある。

 自分が子を捨てない為には、社会のルールの中できちんと生きていくという戦いをしなくては、子捨ての連鎖をしてしまう。地域コミュニティの中で信頼を得て生きていく必要があるのは、子どもを持ったなら、それも養育者の大事な仕事だと思っている。

 社会から排除されない自分たちになる努力

 わたしの絆づくりは、確かに施設全部育ちのグループ?だが、社会的排除者としてのアイディンティを踏まえ、でも、そこにとどまらず、地域に受け入れてもらえる自分たちでいたい。

 わたしとWolfとMariaは、それぞれの地域でそれぞれの生活圏の中で生きてがんばっている。ただ、過去に誰もいなかった心の虚無をお互いにしか分からない共感性で癒し合いながら、この海を小さな船で沈没せずに漕いでいる。

 こういう施設全部育ちの生き方の形は、少しわかりにくいと思うけれど、それでも大事な事だと思う。他の施設出身者の居場所づくりのように、分かりやすい形ではないけれど、地域でそれぞれに生きる事を大事にしたい。

 追記

 わたし独自の考えだけど、絆づくりは施設の子だけの居場所をわざわざ用意して囲い込むのではなく、一般社会の中で、どれほど偏見や差別に遭っても、自分の資質を維持し続ける事で得られる信用からも、居場所は得られると思う。だけど施設育ちは気が短くて、傷を受けてもいるのですぐに逃げ出してしまう。

 「あと数年をここで頑張ってみよう」という覚悟を持てない為、逃げ出してしまうのだ。

 人に信用してもらえるには時間が掛かるが、でも必ず信用してもらえる瞬間がある。ただその前に逃げ出してしまうのだ。人から痛い視線を投げかけられ続けて、そこを、もう少し頑張れないのだ。その時に、誰もいない場合が多いので、逃げ出すしかないのが施設育ちの実情だ。

 職員がほんのちょっと関わったくらいでは、その子ひとりの一生に責任を持ったと言えない。だから乳児院の子が里親家庭へ行ける事を願っている。

|  Soul-Family-projct・別館 | 06時15分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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