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虐待が無いなら施設で全部育つよりも家庭で育つ方が自然な事

メンタル整理

 虐待がないなら家庭が良い

 家庭で虐待が起きてしまうと傷つく子が多いのは、家庭は基本的に安全な場所である筈なのに、親により信頼を傷つけられたから。

 施設で暴力行為があちこちで起きても傷つきもしなかったのは、元々施設は常にそういう場所で、固有の大人との愛着関係も無かったので傷つかなかったから。
 
 安全であるなら、基本的に子どもは家庭で育てられるべきだと思う。「べき」という言葉を使うのは、それが動物としての人としての生き方の自然な流れだから。
 
 いくら安全であっても、衣食住足りても、乳児院・児童養護施設だけで育つ子どもは将来、地域社会に馴染む人として、うまく育たないのだ。わたしもそうだったけど、児童養護施設という地域に馴染まない集団生活に特化した思考を育て生きてきたので、今になって、社会に適応しきれず非常に苦労しているのだ。

 虐待がなく、衣食住があっても人としてうまく発達し切れない問題を見てみぬフリをし、被措置児童本人の問題だという事で、卒園時に切り捨てられる現状が続いている。
 
 今回、里親の虐待容疑について考えた時、凹みそうになったが、だからと言ってこの世界から一切の家庭をなくし、世界中の全ての子供たちを乳児院・児童養護施設(だけ)で育つ事を良しとは出来ない。これを最初Wolfから聞いた時はよく分からなかった・・・でも、それだけ施設環境というものが、とても特殊で一時的であるべきという姿が浮んでくる。

 里親の資質の問題などを考える事は必要だが、この問題をもって、里親家庭は要らないという発想になってしまってはいけないと考えている。

 虐待がない施設が仮にあったとしても・・・

 乳児院・児童養護施設だけで子ども時代を育つ事とは、

 固定された養育者を必要としている乳児・児童にとってはニーズに合っていないと、今頃になって気づいた。気づくのが遅れたのは、わたし自身が施設育ちの無愛着だから。でも、今更・・・施設の集団養育により欠損した子ども時代を取り返すすべはない。

 たとえ、仮に虐待がない施設があったとしても、捨てられた子、施設でしか育った事のない子ども達にとっては、虐待が無いのは当然ではあるが、もっと見えにくい放置の問題がある。

 誰か1人でもこの世に自分を思ってくれる人がいれば生きていけたかもしれないのに。誰もいない事を居ないままに生きる子どもたちは、捨てられた過去の自分を捨てて、子どもに向かわないと、子育てが出来ないのかもしれない。
 
 そんなひとりごと。

| ├ メンタル整理 | 06時44分 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

Leiちゃん、

> 里親の資質の問題などを考える事は必要だが、この問題をもって、里親家庭は要らないという発想になってしまってはいけないと考えている。

STOPに掲載されている養護施設の虐待事件は、とてもたくさんあるけど、それをもって「養護施設はいらない」という意見にはならないの。

 養護施設の良し悪しは置いといても、虐待に関しては、虐待した人間の資質の問題であるし、それをチェックできなかったシステムの問題であると思うの。

 養護施設でも、里親でも、常に定期的なチェックを行い、虐待を未然に防ぐことが必要だと思うわ。

http://stop-violence.yogo-shisetsu.info/index.html

↑このチラシは、定期的な訪問と子どもへの聞き取りの部分は、里親家庭にも応用できると思うの。

> たとえ、仮に虐待がない施設があったとしても、捨てられた子、施設
>でしか育った事のない子ども達にとっては、虐待が無いのは当然ではある
>が、もっと見えにくい放置の問題がある。

ほんとそう。仮に、ほんとに仮に、虐待のない施設が存在したとしても、子ど時代のすべてを施設で育つのは、国によるネグレクトだと思うわ。

| Maria | 2010/11/01 00:12 | URL | ≫ EDIT














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