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家庭で育てられて来た子と施設で勝手に生きた子では根本的に課題が違う

メンタル整理

#何故自分を客観的に見る為には近くにある他人の姿を通した方が楽なのだろう。


 家庭を知ってる子たちに見えているもの

 家庭育ちには一生のスケール(物差し)があるようだ。直に接している夫は、普段ボーっと生きているようであって、実はほかの家族を観察しながら成長してきたと言う。家庭の子はついつい親の姿をずっと追っているのだと知る。

 家庭の人は親の経年変化(心身の変化など)を見る事によって人生は有限なのを知っているから焦るという。結婚に焦り、結婚すれば今度は色んな保険を掛け、リスクマネージメントに必死になる。家を建てたり車を持ったり(地域による)子どもを何歳までに生んで・・・と、時間枠を常に意識ながら生きているらしい。

 でもそれは生物的に発達しているという証拠で、年齢に応じた心配や不安を持ち、その不安への対処をしていこうという危機意識だと思う。


 施設全部育ちに見えないもの

 一方、施設全部育ちはそこがイマイチ理解出来ていない。いつまでも(成長できない)ピーターパンのようなところがある(らしい)。一生施設時代の影響を受けて生きているという事は、大人になっても、社会的年齢にリンク出来ないまま、自分が社会的スケール(有限な時間ものさし)を持てなかった事も知らず、施設から放流されてしまうのだ。これが施設育ちに特有の(社会的に作られた)発達障害なのだと思う。施設という閉じられた世界しか知らない施設育ちには、自立以前の問題がある。

 施設全部育ちは「社会的な年齢」というものをどうやら知らずに生きているらしいのだ。発達障害は時に幼さや若さを維持させ続けるが、それはつまり、年齢に応じたモノの考え方が出来ないという事なので、外(一般家庭の人)から見たら、時に嘆かわしい気持ちにさせてしまうようだ。

 家庭で育てられて来た子と施設で無愛着なまま引き取り手もなく勝手に育ってきた子とは、あまりに違いすぎる。

 時々、施設育ちと家庭(機能不全)の子の問題をごっちゃにされるが、施設全部育ちは、家庭の子の、発達の停滞の問題とは違う課題を持っている。外の厳しい世界が怖くて、意図的に子ども時代を延長しているような、いわば、「子ども時代という精神的なシェルターにひきこもっている状態」と、「集団生活という何の守りも一切なく集団へ投げ込まれて、さらに集団生活の閉鎖社会の中で、自分の社会的年齢をまったく知らない状態」とは根本的に課題が違うと感じている。

 ピーターパンという捉え方

 以前夫が「君はピーターパンシンドロームだ、いつまでも子どもでいて、ぬくぬくと親の腕の中にもぐりたい、いつまでも子どもでいたい、全ての外敵から守ってもらっていたあの頃から抜けたくないんだ!」と言った。

 わたしは、どの言葉も心にピンと来なくて、一言答えた。

 「それ、どっちかというと、あなたじゃないの?」と。

 夫は急に頭が冷えたらしい。

 「・・・うん、まあそうだね、施設育ちに言っても通じないよね、了解」と言ったのでこの話は終わったが、これはきっと夫だけでないと思える彼の言葉は、わたしにとって非常に興味深かった。

 常に家庭の子は相手からの受け答えを期待して生きているらしい。でも、施設を出た自分はその相手がいないので、その対象者をまず選定して・設定しなきゃ社会的に生きられない状況だった。それはまるで宇宙空間に誰か宇宙人がいないかと発信し続ける地球人みたいだ。


 ”安全地帯”で冒険物語聞く家庭の子

 夫言うところの”ぬくぬく”と親の腕に守られていたいからピーターパンでいたいと思う不思議な感覚について、彼は幼い頃、安全な場所(親の腕の中)で絵本で、冒険物語を読み聞かせてもらったらしい。

 それはわたしの目には、家庭の子にとっては、外へ出て行くためのシミュレーションのような作業を思わせた。おそらく子どもは安全地帯で、外へ出て行くためのイメージを作り、戦う為の精神的な土台作りの作業のように見える・・・。

 家庭の子にとっての冒険譚とは、自分はまだ安全地帯にいて、冒険物語を読み聞かせてもらえるの状態であり、いつか出ていく為の心の作業だったらしい。それは、小さな子にとってはわくわくする話で、いつでも怖くなれば戻っていい、親の守りがあるのが前提条件のようだ。

 リアルに生き延び続けてきた施設の子

 施設全部育ちは、自分を守る親の腕がない事に気付かず育ってしまう。夫が親の腕の中で聞いた勇者の話、冒険物語は、乳児院・児童養護施設全部育ちにとってはリアルな過去だったというだけの話だ・・・。

 だが夫の立場に立てば、絵本で読んだような恐ろしいような、悪い奴や魔物に襲われる話が、施設の子にとってはリアルなので「施設ではそんなの普通だよ」と返されたら、それはそれで彼にとっては「子どもの冒険物語が夢でなく、せっかくの夢の冒険物語を、施設育ちのわたしから邪険に荒らされたようで、とても不快なようだ。これも興味深い家庭育ち夫の感覚だ。

 でも、リアルの世界での子どもの危機は、親の腕の中で読み聞かせられる絵本の中の話とは混同しないで欲しい。大人の腕の中で聞く絵本の中の魔物との戦いと、施設の子が現実に戦っている話は舞台が違う。子ども時代はともかく、大人になったなら、脳みそをフィルターに掛けて考えて欲しい。そうすれば変な比較合戦は起こらなくなると思うから。

 だからわたしは、家庭の子と施設の子の問題は、そもそもの前提が違う為、ブログ記事でも、夫との会話のズレなどを思い出しながら書いている。(#家庭の人の考え方の傾向は主に彼を観察して考えている)

 もちろん、現実の世界で戦わざるを得なかった子どもには、世界の飢餓の問題や、少年兵士の問題や、機能不全家庭の子の問題もあるが、その子たちも又、親のいない施設の子の問題とは違う問題を抱えていると思ってる。世界の紛争地帯での孤児院の子ども達の問題も、捨てられた子と戦争で親を失った子では、喪失の種類が違うと感じるのだ。

 以上。(#いつもゲストの方には長い記事を読んで下さり、拍手も下さり、感謝しています)

| ├ メンタル整理 | 07時53分 | comments:10 | trackbacks:0 | TOP↑

Leiちゃんへ

Leiちゃん、ありがとう♪
こんにちは。今、仕事が一段落して、やっとここに来れました!

脳の問題は、目に見えない問題だから、伝える事も、乗り越えていくのも大変な作業ですよね。

それでも、工夫次第で少しずつ不自由のないように、変えていく事はできると、今は確信しています。
見えない努力と多少の痛みが伴う作業ですが。。。

当たり前の事…。
それが出来ない自分が居たけど、少しずつ自分で出来る事が増えた時の喜びは、やはり格別です。

みんなそれぞれに課題の大きさや種類も違い、踏み出す一歩の大きさや種類も違うけど、どんなに小さな一歩であれ、成長できる喜びを、お互いこれからも見つけていけたら、嬉しいなぁと思いました。

Leiちゃんが踏み出す一歩は、ありのままのLeiちゃんからのスタートで…。
踏み出す時は気が向いた時だけ…。そんなんで、いいんじゃないかなぁと思っています。
これまでも、十分進んできたと思うから。。。

応援していると伝えたのは、そんな頑張り過ぎない一歩の事なので、補足しておきますね♪


| ミッキー | 2010/12/13 13:21 | URL | ≫ EDIT

ミッキーさん、ありがとう

 何度もコメントを読ませてもらっています。家庭を知らないわたしには勉強になる話です。

 本当に貴重なコメントをありがとう。

家庭の中で育っていても、子供が『発達障害』と診断された場合、それが直接『乳幼児期の親の育て方(愛着)の問題』と認識できる人はとても少ないです。
そのように医者にも言われませんし、気づきもしないのが普通です。
『脳の問題』だと説明されます。


 ここは特に印象に残りました。医師が言う事は全能感があるようで、医師がこのように言ったのだからと安堵する気持ちも分かる気がします。

 でもお医者様の言葉には「お墨付き」を与えられる事になる反面、自分で考える事に疲れてしまっている人にとっては、その先、考えられなくなるような気がしました。

 医師の診断も、セカンドオピニオンじゃないけど、多角的、多様な、モノの見方を配置しておく方が、何となく安心しそう。

 とはいえ、実はわたし、愛着障害の問題などでクリニックに通った事が無い為、自分の整理の仕方が正しいかどうかも分からない・・・。だから自分の考えが暴走しがちなんですが。

 でも、ミッキーさんの生のコメントは、わたしに実際に子育てをしているひとりの母親の声を聞かせてくれます。わたしは子育てをしていませんから、とても勉強になっています。

 これからもよろしくお願いします。ミッキーさんと愛着障害や発達障害について、色々な事を語り合えてとてもうれしいです。

 ありがとうね。

| Lei | 2010/12/10 00:13 | URL | ≫ EDIT

こんにちは。

Leiちゃんへ

かなり時差がありますが、ゆとりがあったら、読んで下さいね。(11/24に書き始めたコメントです。少しずつ書きました。)

色々と話したい事もあるのですが、気持ちを文章で伝えるのに時間が掛かるため、別ツリーの引用ですが、乳児院の問題について、気になる事があったので書いてみます。

>家庭の子の問題を、施設全部育ちに特徴的なケースを雛形として利用され、語られてしまう前に、ブックレットに収める必要性を感じている。
「声無き声の乳児院の子どもたち」のケースを、きちんと独自に抽出していかなくては、3才以下の乳児に対する施設収容が国家による暴力であるという国連の声明が薄らいでしまう。

本当にそうですね。
この部分を読んで、改めて思いました。

乳児院で育つ事の問題がどれほど大きいものなのか?を、伝えたい気持ち、同じです。(その思いの背景は違うけど。。。)

けれど、そういう声がなかなか伝わらない理由の一つに、『愛着』の部分に関して、その重要性が解っている人が少ない事が関係するように思いました。

『愛着障害』という言葉が、まだまだ一般には浸透していないんですよね。

家庭の中で育っていても、子供が『発達障害』と診断された場合、それが直接『乳幼児期の親の育て方(愛着)の問題』と認識できる人はとても少ないです。
そのように医者にも言われませんし、気づきもしないのが普通です。
『脳の問題』だと説明されます。

私の息子は発達障害(ADHD)を抱えていますが、へネシー澄子先生の講座で初めて愛着障害の事を知り、思い当たる節があり、私は、乳幼児期の自分の育て方に問題があったと認識する事ができました。
ですが、発達障害児の『親の会』などでは、『親のしつけの問題ではない』という医者や、有識者の言葉に安堵しています。

『脳』の問題=親のしつけの問題ではないと。。。

確かにしつけの問題ではないけれど、脳の育ち(発達)に問題があったと思うのです。
その問題とは、脳が発達する過程(3歳まで)に、特定の人物(親)と、愛着の関係がきちんと結べなかった事にあると思っています。
里親関係者や一部の識者の中では、当たり前のように語られる内容ですが、愛着の問題は、一般には、ほとんど知られていません。

その部分について、広く知られていないのが、問題であると感じました。

私自身、ADHDを抱えていますが、それに気づかず生きてきました。そして乳幼児期の関わり方を過った事で、子供にも同じ道を歩ませる結果となりました。
今は全て受け入れて、発達障害を抱えていても、不自由なく、楽しく生きる事ができると、子供に身を持って伝えています。

それでも、乳児期の重要性を解っていたら、どんなに忙しくても、赤ちゃんとの時間を、最優先にする工夫はできたと思うのです。

乳児院の問題について、人の脳が正常に発達できる環境を、国は用意する必要があると思います。
3歳まで(特に乳児期)の間に、『特定の人物』との愛着関係がなければ、愛着障害や発達障害を抱える可能性がある事を、多くの人に知ってほしいと思います。

乳児院にいる期間は、人生の基盤を作る最も重要な時期です。
それなのに、愛着形成に必要な環境が全く整っていません。
その事を多くの人達に知って欲しいと思いました。

乳児院で育つ事がどうして問題なのか?
なぜ、虐待なのか?
世間では、それが解らない方が沢山いると思います。

それを解ってもらえる手段を探して、働きかけてみたいと思います。
乳児院では、ネグレクト(放置)される赤ちゃんが居て、ネグレクトは虐待であると。
そして、虐待児専門の関係者の間では、ネグレクト(放置)された子どもの怒りは、暴力を受けた子どもに、勝るとも劣らないことが知られているそうです。
それを伝えていくのが、今私にできる事の一つだと思いました。(とても小さな一つですが…。)
「声無き声の乳児院の子どもたち」の声、Leiちゃんを通して、聞く事ができました。
陰ながら、Leiちゃんの活動をいつも応援していますね。(^-^)/

| ミッキー | 2010/12/08 13:22 | URL | ≫ EDIT

Leiさんへ

>>運命という言葉で終わらせたくありません。わたし達大人はその為に細々と活動しています。

他国に里子中心の社会がある以上、これをただ運命だと言うことはできないです。
家庭で育てるのか、施設へ隔離するのかという、私たちの社会の選択です。

そして選択には、責任を伴います。



>>乳児院・児童養護施設一貫養育
とは一時的な応急手当のようなもので、

「入院後、ひたすら応急手当だけ続ける病院」
というものを想像すると、やっぱり施設一貫養育は放置だと感じます。

| エマ | 2010/11/28 17:38 | URL | ≫ EDIT

せめて乳児院・児童養護施設一貫養育だけは

 運命という言葉で終わらせたくありません。わたし達大人はその為に細々と活動しています。

 乳児院・児童養護施設一貫養育を支持する動きがあります。エスカレーター式で乳児院から児童養護施設へ措置されやすくなる問題については、シドさんのサイトでも記事にしています。

http://foster-family.jp/ikensho/20080809familyhome_onegai/20080809familyhome_onegai.htm

 一貫養育が当たり前になると里親制度が介入しにくくなります。今までも乳児院の子はやがて措置変更され、児童養護施設へゆきましたが、ある意味その時期が里親家庭委託へのチャンスでもありました。児童養護施設へ委託される前に里親家庭へいける可能性が少しはありました。

 でも、もし施設運営の中に丸抱えになったとしたら、親が育てられない子は乳児院から児童養護施設へ自動的に措置になり、誰も知るところではありません。

 たとえば、同じ経営母体の中に乳児院・児童養護施設が敷地内にあれば、里親の必要性はイメージ的に薄れ、外からの介入が無くともそのまま児童養護施設へ委託されやすくなってしまいます。

 整理は常に必要だと思いました、色々な意味で。

| Lei | 2010/11/28 14:18 | URL | ≫ EDIT

そこに気がついてませんでした

Maria さん、丁寧な補足ありがとう。

そうですね。私は中絶のことを失念してました。

>それよりも、年間の中絶件数が30万人です。

>毎年、平均1千人が入れ替わっていると思います。
ということは、243,326(20年度中絶数+乳児院1年分の乳児千人)のうち
242,326の中絶と1,000人の施設育ちに運命が分かれてることになるのかな。

>なんと、2割もの子どもが中絶されている国なのね。
>乳児院、養護施設の長期入所の子どもたちは、中絶しそこなった、
>不要の子どもたちと言えるわね。

調べてみると、アメリカでは「中絶導入で犯罪が減った」という研究結果がありました。
この中に『不要の子どもたち』というような言葉も見つけたので貼っておきます。

合法中絶は,「母になるだろう女性たちは,冷酷な社会の中で生きていかなければならないその状態から避けさせる機会を,自分達の子供達に与えた。(人工)中絶された子供達は,(もしも生きていれば)母親の愛情は受けずに、厳しい貧困の中で、冷酷な社会の中で生きていかなければならないのである」という調査結果を立証するとレヴィッツは言う。
(中略)
 最高裁判判決3年前から合法中絶を実施していた五つの州では、他の州が犯罪低下を経験する以前から暴行罪、殺人罪等の犯罪低下状況を経験している。
 始め3年間中絶率の高かった州またはマルチ州(multi-state)地域は後に著しい犯罪低下状況を展開した。
 伴って中絶率の低い州に比べ、中絶率の高い州の犯罪が15%低下した。
(中略)
西ヨーロッパおよびスカンジナヴィアでの調査では、(人工)中絶依頼を拒絶された母親に産まれた子供達は、収入、年齢、教育及び健康などのほかの要因影響をみても、かなりの子供達が犯罪を犯すか、貧困生活状態に陥るかがわかった。殆どの女性が子供達をアダプション(養子縁組)には出さずに自分で子供を育てた、しかしいらない子供達を産んだことに後悔している女性も少なくないではない。他の女性達に比べ、いらない子供を産んだ女性達は,子供を養育したり、抱いたり、母乳を与えたりすることは少ない。

http://www.arsvi.com/1990/990808.htm

| エマ | 2010/11/26 20:11 | URL | ≫ EDIT

平成20年度の中絶率

 年次が違う数字を組み合わせても、実態が違ってくるので、厚生労働省のHPから平成20年度の数字を抜き出しました。

平成21年人口動態統計の年間推計
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suikei09/index.html

人工妊娠中絶件数及び実施率の年次推移
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/eisei/08/dl/data_006.pdf

平成20年度の中絶率
18.2% = 242,326 ÷ ( 242,326 +1,091,156 )
中絶率  中絶数   中絶数  出生数

| Maria | 2010/11/26 15:56 | URL | ≫ EDIT

2割もの子どもが中絶される国

エマさん、こんにちは。

>日本の年間出生数が、毎年109万人前後
>乳児院(二歳まで)入所数、毎年3千人前後

乳児院の子どもの総数が3千人なので、毎年、平均1千人が入れ替わっていると思います。

それよりも、年間の中絶件数が30万人です。

 中絶率 = 中絶数 ÷ ( 出生数 + 中絶数 )
 21.6 % = 30万人 ÷ ( 109万人 + 30万人 )

 なんと、2割もの子どもが中絶されている国なのね。あたしたちのような、乳児院、養護施設の長期入所の子どもたちは、中絶しそこなった、不要の子どもたちと言えるわね。捨てられ続けている現実が、この数字で実感できるわ。

 親がいても、育てる気もないのだから。施設短期入所の「当事者」たちとは別の施策が必要だと思うわ。

| Maria | 2010/11/26 15:32 | URL | ≫ EDIT

こんにちは、leiさん

日本の年間出生数が、毎年109万人前後
乳児院(二歳まで)入所数、毎年3千人前後

乳児院入所数がだいたい『施設全部育ち』の人数に近いと考えると
人口比率で0.3%ぐらいになるのかな・・・

これをみると、質的な違いのほかに人数的な面でも『施設全部育ち』と『施設一部育ち』+『家庭育ち』の子の問題を、分けて考えないといけない理由があるのでしょうね。これを一緒に扱ってしまえば、圧倒的な数の『家庭育ち』の人の問題のなかに『施設全部育ち』の問題が埋もれてしまいます・・・

| エマ | 2010/11/26 07:18 | URL | ≫ EDIT

Mariaへ私信

 Mariaに心配掛けてごめんなさい。sidoさんにも通じました。仕事は大丈夫です。解決したのでコメント削除しました。ありがとう。

| Lei | 2010/11/24 16:48 | URL | ≫ EDIT














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