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憐れみや同情心を持つだけの人々と、共に生きようとしてくれる人々とを、見極めるべきだと思うようになった

メンタル整理

 わたしの現在の課題(心理的成長過程に於いて)

 わたしは見極める力を持たなくちゃいけない。人を見極める力を持つ為に表面上の言葉に弄されない、己の心に芯をきっちりと作らなくちゃ。そうでなくては、同情や憐れみの目で、一瞬だけ頭を撫でてくれても、すぐに去っていく人と、そうではなく、本気で傷つき、悲しみを共有し共に歩こうとしてくれる人の区別がつかないまま、せっかくの絆の機会を逃してしまうから。


 わたしの心にある施設根性というもの

 わたしは、憐れみの対象としての自己を無自覚に確立してしまっていたのだと思う。職員達はよくそれを「施設根性」と言っていた。

 わたしは何度も施設生活への感謝を支を作文などで書かされてきたように思う。文章を書くのは苦ではなかったから良いが・・・。でも内心では、書けば書くほど、自分の気持ちが分からないままであった。

 捨てられている事も知らない児童の問題については、児童も一般社会も共に「施設で幸せに生きている筈」と思わされ、そのようなキャンペーンをしてきた事で、そこにあるのに見えない形に「その問題」がカモフラージュされていたと思う。

 わたしはもう、官製ならぬ、施設製の自動書記のような文章を書けないと思う。施設根性とは決別しなくちゃいけない。

 だけど、捨てられた施設児童が社会的排除者・弱者であるという社会的に潜在的な問題に対しては、一般社会の人々は、当事者も支援者も一般の人々も含め、その問題について一定の精神的な”安心”を得ようとしてきたように思う。後ろめたさと配慮と同情と、自らの家庭には引き受けたくない問題となる親のない子たち・・・。

 だから「捨てられた子ども達」の問題は解決済みであり、今は孤児院ではなく児童養護施設であり、孤児の問題は、今は過去の化石となったと思いたい。現在の遺棄児・放棄児については「衣食住足れりの施設保護された子たち」であり、社会の人々は一定の社会的役割を果たしたのだから、胸をなでおろしたいのだと思う。

 この問題を再浮上させた赤ちゃんポスト
 
 だけど「赤ちゃんポストの問題」は、その安心感に一石を投じたと思う、個人的には。

 今まで曖昧だった、親が育てられない子の問題に名前がついたと思うから。

 「子捨ての問題が明確化されて、親が居ない声無き声の子ども達が、そのままでは乳児院へ行くという現実を再浮上させてくれた。

 まるで拝まれているかのような不可解感

 社会の人々も、同情すべき子らを少なくとも放置しているわけではないと言いたいらしい。だって施設へきちんと保護して、衣食住与えてあげてるんだから、どうか施設で幸せだったと思って欲しいと・・・。まるで地蔵さまに拝んでる人みたいに・・・。

 職員も最後に、命が終わりそうなボランティアの人に逢わせてくれたり、施設が無かったら死んでたと言ったり、寝た子を起こすような事をしてはならないと言ったり・・・。

 彼らを見て、まるで祟りを恐れて「どうか昇天して下さい、お願いします」と祈られているみたいに感じる、わたしは死んでない、ここでこうして頑張って生きてるのに、聞かされるのは何かの言い訳と祈りだけ・・・。勝手に人を殺すな。


 だから、大人になった元要保護児童が、かつての、過去のそのサービス内容について、少なくとも文句を付けるのは、大人になってグレた証拠であり、そのままだったら死んでいたという言葉を用い「施設に収容された事を感謝すべき」と、言いくるめられてきたように思う。。

 でも一方では、施設世界しか知らないマイノリティ児童の思考停止状態に反感を持つ職員も僅かにいた。そのような施設生活に染まり切っている児童たちに対しては、ある職員は「施設根性だ」と常に言っていた。

 その彼は、もう未来も何も感じられない児童養護施設の子を見たくないと言い(わたしとの会話で)学校の先生になった事を教えられた。#やはり一般家庭の学校の先生になれば、どこか癒されるんだろうか。今考えれば、施設職員もそれなりの個性と個性がぶつかり合っていた様子だったと知る。

 対岸の火事と同情心

 大人になった元要保護児童のわたしは不思議な事に結婚した。

 夫が姑にわたしを紹介した時の表情は「何故よりによって家の息子がそういう子を連れてきちゃったの?」という表情だった。

 対岸の火事は対岸だから安心できる。それなのに親や親戚や血縁から捨てられて施設だけで育った女を、よりによって嫁として連れてきた。そんな息子を、どう思ったかは想像がつくようになった。

 人は「可哀想な子ども達ね」とは言えるけれど、「わたしの家に来て一緒に暮らそう」と手を引いて連れて帰ってくれる人はいなかった。

 夫がある意味手を引いて連れて帰ってきた女は無愛着でロボットのような、哀れむ気にもならない外国の宗教の信者である、わけの分からない施設全部育ちだった。

 今になって、姑に降りかかった災難と火の粉について、わたしも同情を覚える。姑は、今までは対岸の火事であった憐れみや同情の対象でしかなかった問題に、密かに向かい合ってしまったのではないだろうか。

 姑は、その結果、わたしを追い出さなかったのだとわたしは判断している。その姑の内心の戦いには感謝をしたいと思う。

 対岸の火事が対岸ではなくなったら

 人は対岸の火事が対岸ではなくなり火の粉が掛かり、自分も問題に直面した時、他人事ではなくなると思う。

 でも、この世に誰もえにし(縁)を持たない乳児院・児童養護全部育ちや、物心ついた時にはすでに施設であった子らの問題は、本来一般の人たちにとっては関わりのない話だから、マイノリティとして、朴訥なレポートを書いていく。

 施設育ちも当然努力しなくちゃいけない。良質な人間を見極めるために、言葉の先にだまされない知力を持つ為に、そして何よりも自分がどういう状況にあったのかを整理しなくちゃ、自分が何にこだわっているか見えない。わたしももちろん、さらに整理していこうと思う。

 絆づくり、ありがと
 
 #Wolfと、Mariaへ、わたしのお砂場ブログに付き合ってくれてありがとう。わたしは自分のお砂場で遅れに遅れてしまった、発達心理の延滞を育てなおしている。だけど二人がいなければ出来ない事だから。とても感謝しています。

| ├ メンタル整理 | 07時24分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

リアルタイムに答えが出ない問題

 Larkさん、おはようございます。Larkさんは実際に時間を掛けて1人の児童と交流を繋げ続けておられていますよね?

 出来る事ならその子とずっと交流を保っていただけたらと念じていますが・・・。

 とは言っても”いつもそこにLarkさんが居る”事に気づく事は、子どもには難しいです。ましてや施設だけで育っている子なら尚更、家庭の子よりも、対象者がいる状態を知らない為、人の気配に気付きにくいです。

 さらに、Larkさんもおっしゃるように、時間の経過を経なくては答えが出ないタイプの気付きですから、発達が未熟・延滞状態の施設児童にはハードルが高すぎます。

 そして施設児童には措置解除が迫っています。Larkさんなりに、その子と築いたつもりの関係性も、いつか気付くまでマッタリと同じ関係性を構築し続けるのは困難です。

 なぜなら、施設児童は施設児童で無くなれば、あなたがボランティアであればその関係性も変わってしまいます。常に、関係性が変わり続ける相手を同じ人として意識すのは実際には難しい事です。

 一般家庭の子なら、子ども時代を含め、大人になっても同じ関係性を維持する事は可能です。(たとえば、親子なら親子で不変とか)家庭の子には時間だけはふんだんにあります。

 里親家庭も、たとえ里親家庭からの措置解除があったとしても、育ててくれた人はその里親だけですから、子どもにとってはシンプルな人間の相関図です。

 だから当人が措置解除で社会へ巣立っても、その里親との事だけが思い出されると思います。(生みの親の問題が浮上したとしても)

 しかし、Larkさんも少しは関わっておられるとは思いますが、施設長期入所・全部育ちの子には決まった相手がいないのがスタンダードです。

 でも絆の構築の為のゆったりした時間もありません。子どもでいられる時間がありません。そして目先には措置解除が迫っています。そして施設から出されても、子ども時代に得られなかったものを取り戻す事はできません。

 その子と一生何らかの形で繋がっていけるように、Larkさんと、その子が末永く絆を維持できますように、わたしは他人ですから無責任に祈る事しかできません。

 コメントを感謝します。

| Lei | 2010/12/07 06:09 | URL | ≫ EDIT

こんばんは。

憐れみや同情心だけか、
共に歩こうとしているのか、
その区別はとても難しいと思います。


自分は一緒に歩いているつもりでも
相手はそう受け取ってはいなかった、
あるいは、自分の心の中に憐れみや同情心しかなかった、
なんて事もあると思います。

きっと何年、何十年か先に
答えが出るのではないのでしょうか。


それでも一緒に歩き続けるしかないのでしょう。
千里の道も一歩から、ですね。

| Lark | 2010/12/07 01:09 | URL | ≫ EDIT














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