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無愛着(愛着障害)にも自分とは別のタイプの無愛着人間がいる事を知った

施設にいる間の問題

 他のタイプの無愛着

 わたしは自分のタイプの無愛着しか知らなかったが、最近になり、他のタイプの無愛着人間もいるという事を学んだ。

 わたしのタイプは、自己完結型で他人が出る幕がない。失敗も成功も自分なりに受け止め、それをもって、他人に対してその場限りであれ依存するような発想もない。ただ、固定されない人間の間を歩くだけで毒にも薬にもならない人間だ。

 でも他の無愛着人間のパターンは、人を時に道具のように使い、幾人もの間を渡り鳥のように歩き、結果として利用するタイプ(?)のように見える。彼らは人を利用して生きているので、人に小手先だけで甘えた態度を取る事ができる、そのくせ、その人を信じる事はない。

 実は、施設時代にも不可解ながら、誰彼かまわず甘えるタイプの子はいて、こっそりチョコをもらったりしていた話を聞かされた事がある。わたしは集団にそむいてチョコをくれると言っても貰わないタイプだった。仮にもらっても付き返すだろう。

 わたしは自己完結なので、愛想もよくないし人からは心を閉ざしているように見えるだろう。でも別のタイプの子は、だれかれ構わず依存しているように見え、その実、内面は無愛着なので、単に他人を道具のように使い、叱られれば、次の脈がありそうな人を利用する。

 ただ、どちらも「無愛着」なのは変わりない。



 Mariaと話してもWolfと話しても気が合うのは似たパターンの無愛着人間だからだと分かった。他人を道具のように使用して生きる生き方をわたしは知らないから、別のタイプの無愛着人間とは気が合いそうにない。

 無愛着児に援助の効果は?

 これは、無愛着と表現しているが、実際は愛着障害のパターン分類の事だと思う。子どもの頃にどのような形態の施設で育ったかの影響も受けていると思う。Mariaに聞いたら、愛着障害には、抑制型と脱抑制型があるとの事。脱抑制型は、誰彼構わずベタベタするので、心を向けている里親は心に痛みや傷を負うと聞いた事がある。

 無愛着自体は、愛着によらない生き方なので、人をツール化してしまう子もいるし、反対に、他人とは関係なく自分勝手に生きる子もいる。

 そして他人が、何らかの援助をしたとしても、無愛着児には感謝の念もないと思う。感謝の念が沸かないのは、施設時代から援助され慣れている、施しに慣れきっている心理も影響していると思う。しかし、そこでも態度がパターンごとに別の出方をすると思う。

 名前も知らない、愛着関係ですらない全国からのお恵みに対して、わたしもお礼状を書いていたが相手が特定できないまま、言葉だけ調子いい事ばかり書いている気分だった。

 全国の優しい方々には申し訳ないけど、援助されるのが普通の世界で生きてきて、それを施設根性と揶揄されるほどであったのに、施設は、施しを受ける者の心構え?について、何ら教育をしなかった。

 今は、自分で自分を教育しているつもりだが、施設育ちが長ければ長い子ほど、他人から、何か(施しでもお恵みでも援助でも何でも)受け取る事を当然の事としてしまっていると感じていた。

 誰にでも甘えようとするタイプの施設全部育ちは特に、この時代の癖が抜けないように思える。大人になっても変わらないので、周囲の人間はいい迷惑だ。

 無愛着とは不遜な事に通じる

 でも大人になればその態度は許されるものではない。年齢に応じたモノの考え方を求められるが、何しろ、誰からも育ててもらってない施設全部育ちの無愛着者は不遜なまま、考えを変えようと思わない。

 不遜で頑固で無知で無愛着な人間を誰が好意的に見るだろう?か。という、人間が社会的な生き物であるなら、社会の中で少しでも好意を持ってもらうべく努力する必要性について、施設出身者自身が気付く必要がある。

 その為には、その子が子どもの頃にたった一人の人と愛着を構築しておく、しつけや教育の為の下ごしらえが必要だと思う。社会で生きられる大人に育てるの人が施設にはいない。子どもが集団生活の規則に従っていさえすれば、後は泳がせまくっている。教育のネグレクト状態でもある。

 この世に1人の人間とも愛着を作れない子どもが、見ず知らずの人に対して礼節をわきまえる事ができるとは思えない。
 
 施設では、子どもの無愛着がどのパターンであったとしても、社会の中で生きるには不都合な人格が出来上がってしまう。自分の無愛着に気付かないのが無愛着人間なのだとつくづく思った。

 これは自分自身にも強く当てはまる。別のタイプの無愛着人間の話を通して、自分の無愛着を意識させられてしまった・・・。
 

| ├ メンタル整理 | 04時47分 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

おはようございます。以前からLeiさんの記事やMariaさんを始め、コメントを書いている方々の記事を拝見してきて、私には解らない、とても硬くて冷たくて動かない様なものがある事がずっと気になっています。私がこの先やっていきたいと思っているいくつかの事の中に里親になることもあるのですが、それに関しては正直私に務まるのか…、一人の人間として心を育て、満たす事が出来るのだろうかと考え続けていて、なかなか気持ちが固まらないでいます。その中に先ほど述べた私に解らない何かも私を後ろに引っ張っている原因になっているように感じます。我が子の子育てでも感じているのですが、一人の心を育てるのは、とても難しい…。自分が得ることの出来なかったものが多いほど尚更難しくなる。親や里親になる以前に自分が大きくならないといけないと思わされる毎日です。
話しが変わってしまいますが、嫁ぎ先の義妹が近々家庭保育員をする事になり、一緒にしないかと声がかかり、あまり気が進まなかったのですが、泣き付かれてやる羽目になりました。やるからにはきちんとしないとと思い、講習や勉強会にと忙しかったのですが、その中に児童虐待についても何度かありました。講習の中で、先生が毎回親子揃って通園、通学するのは保育園だけだから、親子関係を見ることが出来ると言う発言にはっとしました。普通の親子の様子や虐待のある親子の様子、また愛情を受けて育つ子と虐待されたり、愛情を得られていない子との違いのようなものを見ることが出来るかもしれない。そして子どもの精神の成長や心理についても勉強することが出来ていますので参加できてよかったんじゃないかと感じ、思わず義妹にありがとうと言ってしまい、困惑させてしまいました。義妹は第一子を早産後に2ヶ月後に亡くしており、虐待死で子どもが命を落としている現実があるので、何か出来ることをしたかったそうです。私も頑張りたいと思います。忙しくてもLeiさんのブログにはほぼ毎日覗きに来ているので、なかなかコメント出来ないかもしれないですが、よろしくお願いします。(パソコンや携帯を使いこなせず、文章を打つのに非常に時間がかかるので…汗)

| 広い空 | 2010/12/10 09:02 | URL |

ごめん

 変な事を書いたので消した、返事ありがとう。いつもなら、本題に関係ない自分の独り言は返事貰う前に消してるんだけど・・・ごめん。

 まあ、お砂場ブログなんで変な文章が一時表示されていても、適当にスルーしてね。本題に関係あるなら別だけど。ごめん。

| Lei | 2010/12/09 20:29 | URL | ≫ EDIT

大丈夫よ

Lei ちゃん、

 あたしは、結婚してから、今までもよりも記憶力が付いた気がするの。
変わらない相手と一緒にいて、日々、記憶する期間を更新し続けているから、それに付随してか、他のことも記憶できるようになったわ。

 記憶力って、ずっと傍にいることで補強され続けるのだと思うわ。人が入れ替わり立ち替わる施設では、すぐにいなくなる子どもや職員を記憶する意味すらなく、「そのうち覚えるでしょう、もし、覚える必要があったら」と、記憶することに積極的ではなかった。

 だけど、一緒に居続ければ、努力する必要もなく記憶し続けることができる。「人をなかなか忘れない」というのは、ちょっと不思議な感覚。家庭で育つ人は、親や兄弟姉妹を記憶できない、と悩む必要がないのもわかった気がするわ。

 逢い続けようね、話し続けようね。Lei ちゃん、wolfさんと三人で。

| Maria | 2010/12/09 18:23 | URL | ≫ EDIT

Leiちゃん、施設にボランティアが来る時、誰かれ構わずベタベタして、そのボランティアが帰るとコロッととその人の事は忘れて、何事も無かったかのように日常の生活に戻った。

又別の人が来ると又その人の所に行って、前べたべたした人がいても、その人の事なんか忘れたかのように新しい人にベタベタしている。そのボランティアさんはちょっと傷ついたような顔をしているのを思い出したわ。

あたしは、一回親しくしたくらいで次も同じ様に親しくするなんて、何考えてるのかしら?と思っていた。あたしは、そういうボランティアに群がる子ども達を離れた所から冷ややかに見ていた。

どうせすぐいなくなるのに、何で側に行く気になれるんだろう?そして、あの子達とあたしは違うと思っていた。でも、今思うとその場限りでベタベタする子達と、誰も関心を持たないあたしと根っこは一つだと思うわ。

誰も心にいないから、誰にでもベタベタ出来るし、誰も心にいないから、1人でいる事に慣れている。

贈り物が届くと、その贈り物が意に沿わないと「チェ、こんなつまんねえもん贈りやがって」と職員の前で平気で言う子ども達。あたしなんかは、そんな無駄な事しなくていいのに、と、そういう子達を冷ややかに見ていた。

職員が「贈った人の気持ちを考えなさい」と叱っていたけど、その子達は意味が分からないようだった。あたしは真面目に贈った人の気持ちを考えたけど、何で贈るのか分からなかった。

どんな気持ちで贈ったのだろう。

どっちもどっちよね・・・。

| Maria | 2010/12/08 12:46 | URL | ≫ EDIT














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