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かつて捨てられた命が生き延びる事が罪であると蔑まれても生き延びたい気持ちを削ぐことはできなかった

 他人の承認のあやふやさ・・・

 職場で先輩から言われた事がある。自分の育ちを休憩時間に思わず打ち明けた事への彼の反応・・・。理系職場は身も蓋もない面があり嫌な自称(履歴書も)エリートも多かった。

 「動物の世界じゃ、親が育てなかったらすぐ死ぬよね、それで君は自然淘汰という考えからすれば、神の計画に逆らい生き延びる事が罪に感じない?」と。

 どうやら、生物の一般的な進化の事と、神の計画をごっちゃにしてる先輩の事は放っておいても、その先にある言いたい事というのはなんとなく、浮かんできた。付き合わなくて良かったと思える男だ。

 わたしは「生き延びられた命というのは、新しい環境に馴染んでゆく順応性」だと思っているので、彼の堅苦しい凍りづいた尺度では、思考を広げる事ができなかった。

 「君はここで生き延びたかもしれないが、その報いで、君は必ずすぐに命を落とすか、短い一生を終える。それが君の罪と報い・・・」彼は自然の摂理に合わない行動をして生き延びた命は、その時生き延びても結局、短命に終わるので、全体的には神により、常にコントロールされていると。

 職場の先輩はわざと言ったのだと思う。彼は家庭で傷ついた人かもしれない、彼の言葉には歪みがあった。彼は、捨てられているわたしの態度を知りたかったんだと思う。でもわたしは彼に情報になるような態度を見せなかった。当時は整理もしてない、単に、施設で育った事しか言えなかった。
   


 「あなたが言うように、わたしは捨てられたなりに今を生きるしかありません。自分の老後を見てもらう為に子どもを作る発想は家庭の人にしかありません。捨てられているという事は、間違って用いられる事もないから、単に捨てられているに過ぎません。人生の最初に誰もいなかった事とは、最期の時も、ひとりでむかえるべきという感覚は拭いきれません」とだけ、答えたような気がする。

 どのように自分に承認を与えるか 

 「わたしは、神は「世界はこれでいい」と言ってるのだという意図をはかりながら聖書を読んだつもりだった。多様の生物の世界はあらかじめ決められた法則だと思っている。でも、流動的であるがゆえに、地球の環境や全ての環境の厳しさに対して生き延びる命は、ふるいにかけられた結果だと思う」

 多くの人が戦争や色んな状況で死んでいったが、その状況では時はたしかに戦で命を落とした者は名もなき状態だった。親がいても、その時点では炭化した体は名もなき者となる。でも、家族からけっして捨てられてはいない。家族にとっては名もなきこどもはいないらしい。

 だけど理解した事はある。親がいても家族があっても戦争になれば簡単に死んでしまう人間であることを・・・わたしは、親がいなくても生き延びたから、わたしは自分の生命力にNOとは言えなかったのだ。

 捨てられている事の先には神の世界しか・・・ 

 わたしは、捨てられていないと思いたいあまり、神にすがっていたと思う。人から捨てられているのだから、当然人の間で生きられず、人を信じられずにいる事もわたしの問題に特化していた・・。わたしは神さまの世界だけで生きればいい、一般の人間的な生活はえられない、結婚も、子どもも・・・。

 本来、わたしの命は愛されてきた事が分からなければ、わたしは理屈っぽいので子どもを宿せなかった。わたしにとって子育ては理屈であり愛とは違う。職場の先輩の言葉など無くても感じていたものだった。
 
 その事について、生まれた事を詫びる相手がいない。助けて欲しいと言える相手もいない過去が成せた答えだと思う・・・。

 わたしは、子を成そうとせずに、夢の世界で行きているので夫は「子どもを産んでくれない状態では、未来はない」と言われている。

 たとえ捨てられても神さまだけはわたしを愛してくれると思ったのに、結局人間の営みをして、育む対象がなくては未来が見えない。人間というのは、そういう存在なんだと思う。

 わたしはこれから先を考えた事はなかった。今を生き延びることしか考えなかったツケが、子どもを作り家族を作り、家族がいる世界をイメージできない結果を招いてしまった。

 施設では誰もいない子がいた。だれもいない子は誰かがいたはずだと思いたいあまり、ほんの僅かな温もりも特別な出来事だと思いたかったのではないかと思う。実際は、誰が頭を撫でてくれたのか対象が定まらないのに。

 だから、頭をなでられた感触は少しばかり残っていたとしても、それが誰なのか、また、誰にでもありうる事なので、捨てられている過去を整理する事は非常に難しいことだった。

 生き延びた事を自然の摂理に叶わない行為と責める人に言いたい。

 でも、人間は「血の繋がらない子を育むことができる存在だ」と。自然の摂理から捨てられた命を引き取り、わが子のごとく育てる親の機能は、人間に備わった大事な必要性だと思う。
 

 わたしは生き延びたかったし、生き延びたい。それは罪ではない筈だと思う。捨てられた者が生きようが死のうが、捨てた以上は誰も関知しないものだと・・・。

 乳児院に捨てることを、どこかの国では「緩慢な殺人」と表現していました。自分は殺人の汚名を着せられたくないが、このままでは殺してしまう。そんな時、チャイルドボックスがあったら?

  という話を読み、捨てられた事と家庭で虐待を受ける事は又、違う世界なのだと知った。


   

| └ スタンス | 10時59分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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