無愛着の態度は「試し行動」か「事実の確認」か
養護施設にいる間の問題精神的に虐待されていた子は、精神的にぐっと突き刺さる言葉に反応しやすい。優しい言葉を掛けられても意味が理解できない。肉体的に虐待されていた子は、わが身が常に危険に晒される事を望みやすい、所謂、刺激体質。性的虐待をされていた子は、性的な表現を通して気持ちを伝えるので、子どもの姿で大人をコントロールする手管を知っていると周囲から思われ、とくに大人の女性の反感を買いやすい、泥棒猫と言われやすい。
それでは、たんに捨てられた子はどんな事をするだろう。
捨てられた者は相手に虚無を知覚させる天才、何をやってもこいつには通じないと思わせ、あきらめ、捨てさせる為なら、どんな風な多彩な表現を使うか分らない。相手が捨てるか自分が捨てるか、しかし、捨てられた人生からスタートしているので、やはり捨てるよりは捨てさせる事に執着する。
そして、それは、所謂お試し行動とは違うと思っている(わたしがそう言われるとムッと感じる)。無愛着児童が無愛着なのは、誰も人が関わった事がないため、その表現として誰も人がいない(捨てられている状態)を表しながら生きているにすぎない。でも、お試し行動には、まず、お試ししたい対象者が存在している事が前提で、そこには子ども自身の、今いる大人への積極的な意識の働きかけを感じさせる。
だから「お試ししているんだね」と解釈されると何か違うと感じる。たしかに「捨てさせる表現方法は一見区別が付かない」が、相手の愛情の深度測定手法の一つであるお試し行動と、単に誰もいないのが自分なんだよ、と相手に教えてあげてる無愛着児童の事実の確認としての手法はどこか違うと感じている。
・・・・違うと思うんだが(少し自問自答)

たしかに「わたしは1人だと言うには聞いている対象者」が必要なように「どこまでやったら捨てられるか試す為にも対象者が必要」である。だから状況はとても似ている、似すぎている、しかし、違う。うまく言えないが、違う。
やはり、過去に誰もいなかった体験を超えなきゃ(認知しなきゃ)お試し行動などは、どうやっても表現できない。できるわけがない。とわたし個人は(勝手に)思っている。だから、単なる事実確認なのである。
世の中があまりに、たとえば夫などが「捨てられなかった過去」を背中にしょって思想と思考を、わたしに向けるので、やっぱりこちらも「捨てられているのが当たり前な思考」というものを張り巡らせて応じているうち、考えなきゃならなくなった。
この世界でデフォルトとしている思考は「捨てられた者」にロックされているのではないから、だから捨てられた者が延々とこれらの事を考えて文章化して石碑に刻むみたいに書かなきゃならないのだ。とはいえ、単なる主観的雑文だから刻むまでもないが・・・。

| 養護施設にいる間の問題 | 08時10分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

























リセット
hanahanaさん、まだまだ整理中なので、迷っていたり、表現の怪しい事を言うかもしれないのに読んでくれてほんとうにありがとうございます。そしてレスコメント、とても参考になります、わたしも。
> 今回の記事で、児童がとる行動をすべて「試し行動」として理解するのは間違いである事が解りました。確かに試し行動だと思っていると「それでも○○が好きだよ」と対したこちらの行動に児童が反応しなかった時の混乱やなぜ?と思う気持ちが強くなるのではないかと思った。
はい、施設の子がぞんざいな態度や、適当な受け答え、誰に対しても同じ距離、別離の時のドライな態度、などなど「お試し行動」だけでは説明仕切れない行動を取るとき、お試し行動だけで説明しようとすると、頭が混乱すると思います、そして、この子は大人を試すような事を延々と続ける性格の悪い子だという流れへいきやすいと思います。
Mariaがトラバ記事でも書いてくれたように、素行の悪さや態度の悪さ、しつけの出来ていない、規範ができていない子の態度と、本来的なお試し行動を一緒くたにする事も懸念材料です。
もともと施設が愛着形成を主とした場所でない事、そして、毎年必ず部屋替え、担当替えがあること、そして、入所する子、卒園する子、退職する職員、入ってくる職員、などなど、常にその身は「変動・変化・流れ」に対応せざるをません。
空白(常に誰も人がいない自分自身のデフォルト&人間関係の大きな変動が続く事によるリセット)を再確認し、自分の立ち位置確認をし、過去の人間関係(昨日までの同じ部屋の子、担当者など)に囚われず、又、新しい部屋の人、担当者に適応しなくてはいけないのです。
わたしにとって「誰も居ない」というのは、
普段誰も居ないという事に加え、常に新しい人間関係に対応するための身構え的なリセットの為、その結果自分の内面では「二重の、そして補強的な誰もいない」を意識する必要を感じる癖があるように思います。
ともかく
愛着の基礎でもある別離不安に伴う、見捨てられ不安やお試し行動。その行動をやる相手も場所も時間もないのが施設です。今目の前にいる人に集中できないのは、来るべく変動に備える為のホームポジションを確認しながら、もう次の事をめまぐるしく考え、心は上の空だからです。
育ちの大事な期間にパーマネンシーが保障されていなければ、時間を掛けて愛着シナプスが発達するわけもないし、育ちかけても又無くなっていくと考えています。
施設の子の特徴なのか個人(わたし)の特徴なのか、書いていて悩むところ(*施設の子にも色々いるので)ですが、とりあえず、レジュメ的に書いておきました。
*施設の子にも愛着を示す子がいるが、その子らは親から捨てられた体験を覚えている場合が多い
| レイ@hanahanaさんへ | 2007/04/09 06:30 | URL | ≫ EDIT