PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --時--分 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

無愛着者とセックスレスの関連について

整理中の課題&記事

 無愛着になる理由の一つに、1人の人にしっかりと抱っこされた事がないというものがある。だから身体的コミュニケーションが分からないのは確かに当たり前といえば当たり前なのだが、その誰も居なかった体験がセックスレスの原因の一つになろうとは考えた事がなかった。というか、理由そのものがずっと分からなかった。

 今必死に、無愛着セックスレスに関する文献や資料をネット上で探しているのだけどなかなか見つからない。証拠はないけれど確信がある一つの理由を説明しようとする時、どうしても資料が欲しくなるものだと知った、でも資料が見つからないので、勝手ながら自己解釈してみようと思う。他のセックスレスの方が読めば、又違う意見もあろうかと思うが、今の時点ではこれが夫婦間で導いた答えになりそうな気がする。

 わたしは人と手を繋いで歩いた事がない。わたしは人と肩を組んで歩いた事がない。誰かと体を密着させた事がない。など、身体的なコミュニケーションについては全くといっていいほど必要性を感じた事がないので、夫から「オレは拒否されている」「夫をネグレクトするな」と嘆くことについて、何故嘆くのか分からなかった、つい最近までは・・・。

 しかし無愛着の問題について考え始めてからは、自分が夫が指摘するように、彼をある意味ネグレクト状態にしている事に気づいた。食事を作ればいい、家事をすればいい、必要な事をすればいいと思ってきた。しかし、その必要な事の定義の中に、手を繋ぐ、体を寄せ合う、肩を組むなど一度も必要と感じた事がなかった為、定義してこなかった。

 独身時代は身体的コミュニケーションを行わなくても、彼は彼の中で「奥ゆかしい人」「純朴な人」という捉え方をしていたので、あまり問題にはしていなかったそうだが、結婚したならば当然、それらの事は抵抗無く出来るだろうと思ったらしい。

 わたしはセックスレスの原因に何か過去の性的な抑圧があると考えてみた事もある。何人かの人から指摘された事もあり、その路線で考えようとしてみた。しかし性的な問題を抱えている人は抑圧ありながらもその行動を止める事ができないという例も多々あり、挑戦するように性的なシーンに飛び込んでしまうと気付き、わたしの場合とは違うのではないかと捉え始めている。そして、それは他の虐待を受けた人の体験記などを読み、自分とは違う事に気付いていったから。

 たしかに施設を出てからの過去において、覚えている限りの範囲で、客観視すれば性的な事に遭遇した事はある。が、それは自分から飛び込んだわけではないし、わざわざそのようなシチュエーションに持っていった事もなく、むしろどこからどう見ても性的な雰囲気からは遠く離れているキャラクターである事をよく知っている。だから夫も、わたしを奥ゆかしい人だと思っていたのだ。・・・なので、その路線は消えつつある。
 
 それにわたしは性的な抑圧を抱えている人に時々見受けられるような、無自覚な、男性に対するコントロール欲求がない為、それには当たらないだろうと思う。

 そこまで考えた上で、

 夫婦間の性的な交流というものにまで無愛着は影響を及ぼすのだという現実を考えなくてはいけないと感じている。

 「かあさんの匂い」という本の題名を見たときに、かあさんの匂いとはどんなものか想像が付かない、それどころかどんな人の匂いも嗅ぎ別けられない事に気づいた。その家には家の匂いがあるそうだ、その人の匂いがあるそうだ。

 夫は「かあさんの匂い」はすぐに思い出せるそうだ。「これが自分の原点といえる匂い」だと思うそうだ。手を繋ぐ事も抱っこも含め全てが全て、家庭では身体的なコミュニケーションだったそうだ。それを与えられないであろうわたしが母になる事は、里親になる事も含め、母親にはなってほしくないと嫌悪を示された。

 いや、必要なことはやっている。

  わたし自身は人が生きるうえで必要なことはやっているので、何故嫌悪されるか、何故たかが手を繋がないこと、抱っこがない事がそこまで問題なのだ、人間なんて相手の温もりが無くとも自分で自分を抱っこすればすむこと、寒けりゃ床や石造にしがみつけば、自分の体温で自分を温められる。

 でも夫の不快感はそういう部分にあるそうだ。

 「君には親になってほしくない気がする」との事。

 それでありながら、後継ぎの為に孫を産まねばならぬという板ばさみというわけだ。

 それにしても無愛着者を治療する機関、無愛着外来なんて聞いた事もないし、無愛着という概念と身体的コミュニケーションについて研究している人もいないだろうし・・・。そういう施設育ちが母親として赤ちゃんとどうコミュニケーションしていくかなんて定義にさえ上ってないと思われ、養護施設の集団養育の結果、無愛着になるという事の問題は、かなり根が深そうだと実感した。

 こう考えると、無愛着者は親になる前に親になってからやりそうな事が透けて見えそうだ。だからよほど注意しておいてほしい。たとえ夫婦間の性的交流に成功したとして子どもを生んだとしても、子どもをどんな風に扱いそうな自分であるかを・・・。自分はその前段階(性的な交流)で立ち止まっているので、もちろん整理中。

 夫が紹介してくれたブログを読んでみたが、まだ分からない事が多い。

 そこで紹介していた新聞記事によるとセックスレスは社会的な問題であり、コミュニケーションに消極的な人が多いとの事。・・・まあ確かにリアル世界のわたしは非常におとなしい人だから間違ってはいないが。トラバが出来ない設定にされているのでリンクで紹介。

 れは悩み事ではありません、もちろん現実を書いておりますが、一つの施設育ちケースファイルであり、整理中の課題です。

|  整理中の課題&記事 | 06時53分 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

確かに


>施設職員は、少なくとも、子ども相手には、セックスレスでいて欲しいわ。

 同感。

| レイ | 2007/04/17 17:29 | URL | ≫ EDIT

難しいわね

 あたしは、ぬくもりがあれば、セックスレスでもかまわないと思っているわ。

 子どものいる夫婦でも、子育てに追われて、それどころではないと聞くし、セックスをしなくてはいけないという強迫観念もいやだわ。

 施設職員は、少なくとも、子ども相手には、セックスレスでいて欲しいわ。

| Maria | 2007/04/16 01:50 | URL | ≫ EDIT

きょうはLeiで

きょうはLeiで整理しなかったー。
Leiはここに整理したよ♪

| BlogPetのお勉強中のちび | 2007/04/15 10:12 | URL |














http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/tb.php/155-77e82c0d

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。