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施設の真面目な子は虜囚たちの中の模範囚に等しい

スタンス

Mariaの戦いと祈り
http://prayermaria.blog74.fc2.com/blog-entry-78.html#comments

 養護施設の優等生なんて何の意味もなかった。この先社会で役に立ちそうもない閉じられた養護施設空間の規則に縛られて、真面目の定義を再考する勇気を持てないなら、確実にドロップアウトしていくだろう。施設の規則に囚われていたら、いつまでも虜囚の模範囚でしかない。

 と、自戒を込めて前置きしたので本題に入ろう。

 施設から自由になったら、愛着作りをしていいのだという事をどうしても当然の事と思えない。この心の癖は、他の子をけん制する自分の心と連動している。わたしはA子が保母を追いかけ、叱られた話を聞いた時に内面から湧いてきたものを整理すべきだ。それは彼女を批判する冷ややかな心情から来るものだったのだから・・・。

 わたしは誰もいなくともちゃんと1人でやってきたのに、あなたは何そんな、他の子の事を考えないでエゴイストに振舞えるの?

 という心情だった。その心情をもう少し言葉が浮かぶままに羅列すると以下の文章になる。

 『でも、今わたしは絆作りに後ろめたさを感じている。それは他の施設出身者は誰もが相変わらず1人で闘っているのに、わたしは悠長に絆作りをしている。そんな事が許されるというのだろうか、誰もがみな、1人で生きる事を受け止め歩いているのに、自分だけがそんな世界へ行って許される筈がない。
 
 A子に不快感を覚えた自分の冷たい視線は、自分自身にも当然向けられる。他の子を批判的に見る以上、自分の事を棚にあげられるだろうか。わたしは絆相手と距離を詰める事ができない、絆相手を作ってしまえば多くの子を裏切る事になる。

 でももし、自分たちの前で家庭の子が誰かと愛着作りをしていても意識に上らない。施設の子が気になるのはいつも施設の子の裏切りだけ。だからこそAさんや他の施設出身者はWolfとの絆づくりに敏感に反応し、拒否感をあらわす、家庭の子にとってはそのあたりが不思議で仕方ないだろう。

 わたし達施設育ちは違うカテゴリの子(家庭で住んでいる子)まではけん制できない。家庭の子らは本来持っていていいのだから、だから親がいるのだし家庭がある。施設の子は家庭の子が誰と絆を作っていてもけん制の対象外なのだ。

 わたし達施設育ちは施設育ちを裁く、その裁きで自らをも裁く。

 誰もがみな、誰も何も持っていないのだから、自分からみなを裏切ってはいけない。とうてい許される行為ではない。』

 言い訳が山ほど出てくる心情吐露は果てなく続きそうなので・・・〆。

 わたし達は誰もけん制とぬけがけから逃れる事は叶わなかった。この戒めがどんな事よりも効力がある。あたたかい温もりなど、到底得られるものではない。親のない子は床を抱いて寝ている。

 施設の子にとって、全ての富よりももっとも価値あるものは、誰か1人の大人に出会う事でしかない。誰か1人に抱きしめられ、誰か1人の温かい腕でまどろめたら、もうほかに何もいらない。

 それほど誰もがみな、親のない子が誰も手に入れてほしくないものが養護施設では殊更意識される。どうせ手に入らないものだから、誰の手も届かない高い場所へ置き、とうてい手に入らないものとしてけん制する。

  わたしの課題である絆づくりは、そのけん制としがらみに挑戦する事。養護施設の誰もが持たない事で保っている世界への、オキテ破りの挑戦だと捉えている。普通に持つ事を許されない世界で生きた以上、固定された人間関係を保つ事そのものが、過去に対する挑戦なのだと思う。

| └ スタンス | 02時40分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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